第59話 神は天にいまし、すべて世は事もなし
逆光でよく見えないが、ジェット機から何かが落下したように見えたのだ。
「何あれ……?」
ノーラを除く全員が見つめる中、突如青空に真っ赤な花が咲いた。
よく見るとそれは鮮やかな朱色のパラシュートで、白猫亭へ向かって落下しているのがわかる。
「あっ」
ジョシュアが気まずそうに小さな声をあげるのとほぼ同じタイミングで、空から野太い声が降ってきた。
「………………!」
「…………ま!」
「………様!」
落下スピードを上げぐんぐんと近づいてくるにつれ、朱色のパラシュートにはウォルズリー家の紋章が白く描かれており、大柄な男と小柄な少年がタンデムでぶら下がっているのが見え、男の叫び声もはっきりと聞こえてきた。
「……シュア様!」
「みんな、すまない。どうやらウチの人間の様だ」
空を見上げるアンたちに向かい小さく頭を下げたジョシュアの目の片隅に、全身の毛を逆立てたノーラの姿が映った。
「ジョシュア様ああああ!ご無事ですかああ!今すぐウォルズリー家筆頭執事、マーク・レスターが参りますぞおおお!」
「怖いよおお〜ジョシュア様ああ!」
今や見上げる誰の目にも、迷彩服を着て両手にサブマシンガンを構えた戦闘態勢万全の大男と、タンデムでくくりつけられ泣きじゃくるインド系の少年の姿がはっきりと見えた。
男はそのまま中庭に強制着陸を試みたが、長いパラシュートが庭園の木に引っかかり、バリバリと垣根をなぎ倒しながら丸テーブルへと突っ込んできた。
「あぶない!みんな退がって!」
ジョシュアの叫び声にアンと真理恵は素早く飛び退いたが、ノーラだけはチェアに座り込んで一歩も動かなかった。
「何のこれしき!うおおおおお!」
「もう嫌あああ〜!!」
怒声と泣き声のハーモニーを奏でながらパラシュートは間一髪ノーラを避け、テーブルをひっくり返して貴重なティーカップやティーポットを中庭一面に散乱させながら何とか着陸した。
大男は立ち上がると、タンデムでつながれた少年を体の前面にぶら下げながら素早く銃を構えて叫んだ。
「ご無事ですか、ジョシュア様!後は元イギリス陸軍特殊空挺部隊SAS出身のこの私にお任せください!」
ア然とするアンたちを尻目に、はあーっと深くため息をついたジョシュアが一歩前へ出た。
「レスター。来なくてもいいって言っただろう?」
「そう仰られても、ジョシュア様に万が一のことがあればこのレスター、大恩あるアーサー様に、そして我が祖父、父に顔向けできません!いてもたってもいられずにプライベートジェットをお借りして参りました!」
「あのね、レスター」
「大丈夫、ほれ、この通り!コンピューター関係の難題があった時のためにシッダールトも連れて参りました!」
「そうじゃなくてー」
「うわあああ、怖かったですううジョシュア様!」
震える手で装具を外したシッダールトが、泣きながら飛びついてきた。
「もう大丈夫だよ、ほら泣かないで」
「僕は高所恐怖症だから、スカイダイビングなんて無理だって言ったのにレスターさんが〜!」
「ちょっとあんた!どーしてくれんのよあの垣根!あたしがせっかく直したところなのに!」
「ジョシュア君、アン、これは一体どういうこと?こちら、どなたなの?」
「それでジョシュア様!敵はどこですか⁈こちらの方々は?」
「もうイギリスに帰りたいです〜!」
「……お願いだから、みんなちょっと一回落ち着こうか」
パニック状態の一同を何とか収めようとするジョシュアだが、背中に凄まじい圧力を感じ恐る恐る振り返ると、そこには怒りのオーラを全身から立ち昇らせたノーラがいた。
「ノ、ノーラ……」
「あんたたち……」
「ノーラ、落ち着いてー」
「あたしはねえ……」
一拍の間を置いてノーラが叫んだ。
「静かにお茶が飲みたいのよー!!!」
その瞬間、遠目にも山頂付近に閃光が走ったのが見えた。
「……ふう」
館内の蓄音機からショパンのノクターン第二番が静かに流れる中、チェアでくつろぎながらノーラはゆっくりと少し遅目のアーリー・モーニングティーを味わっていた。
眼下に広がる瀬戸内の穏やかな海と島々、柔らかな夏の青空の美しさに知らぬ間に笑みがこぼれる。
「ああ、美味しい。うん、やっぱり1日の始まりのティータイムは心を落ち着かせ、人生を豊かにしてくれるわね。そう思わない、みんな?」
だが残念なことに、その意見に賛同するものはいなかった。ノーラの怒りの洗礼ともいうべき強烈な電撃を食らって、全員白目をむいて失神しているためである。
溜まったイライラをすべて爆発させて気分も落ち着いたノーラは、さすがにちょっとやりすぎたかなと反省したものの、すぐにその考えを撤回した。
「『神は天にいまし、すべて世は事もなし』まあ、いろんな事があったにせよ、終わりよければすべて良しってことよ」
再び荒れ果て、失神者があちこちに転がる中庭で優雅にお茶を楽しみながら、ノーラはこの白猫亭で起こったひと夜の夢のような出来事を締めくくった。
だが、突然空を見上げると、ノーラは青空のそのずっと先を睨みつけた。
「どうせ、見てるんでしょうナイジェル?このままじゃ済まさないからね!首を洗って待っていなさい!」
そう叫ぶとティーカップを置き、両手の中指を立てて空に向かい突き上げた。
その姿は尾道上空の遥か彼方、成層圏を超えた先の衛星軌道上に配備されたゴールドバーグ社の監視衛星によって撮影され、ニューヨーク本社の最深部にあるナイジェルの居室に設置された大型スクリーンに映し出されていた。
漆黒の室内で巨大なソファーにひとり腰掛けじっと見つめていたナイジェルだったが、その表情には笑みが浮かんでいる。
「再び会うのを楽しみにしているよ、ノーラ……いや、ノルディア」
やがてゆっくりと立ち上がるとスクリーンに歩み寄り、そっと口づけをしてつぶやいた。
「今度こそ、この地上に楽園を創ってみせる。悲しみのない、不死の世界を」
第一部 完
尾道 白猫亭奇譚 〜アンとジョシュアの奇妙な真夏の夜の夢〜 ヨシオカセイジュ @hideokukio
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