第46話:届いた文

 それから椿彦の文が届いたのは、三日が経ってのことだ。御所へ様子を見に行った狗狼の手に、それはあった。


「菫、東宮からの文だ。我を待ち構えた側仕えに渡された、正式なものだ」

「う、うん。なにが書いてあるのかな」


 雲と二人、厨で夕餉の準備をしていた。汚れた手を桶で洗い、念入りに水気を取る。それでようやく、突き出していた狗狼の手が役目を終えた。


「ん。丸裸だね」

「そうだね、なんの枝かな」


 丁寧に四角く、中にあるだろう文を包んだ硬い料紙。その表に、紫の紐で枝が括られている。

 男女で交わす恋文には、枝や花を添えるもの。作法というわけでもないらしいが、雲に聞いた慣習に則ったものだ。


 けれども一つおかしなことに、この枝には葉も花も付いていない。

 長持ちさす為に乾燥させたのかと思ったが、切り口はまだ瑞々しい。すると故意に落としてあるのだろう。

 そう考えると、どうにも好意的には思えなかった。


「わたしになんか、これで十分ってことかな」

「ええ? そんな真似をする男なのかい。それならこっちから願い下げだよ」


 歌会で会いたかったと言われたものの、相手は帝の子だ。その場を取り繕う為の、優しい嘘でないかと疑う気持ちが湧いていた。

 葉を払い落とされた枝がその証拠と、なおさら強く思う。縁に立つ狗狼を目の前に、落胆のため息を隠せない。


「まあまあ、まずはお座りよ。なんなら狗狼も茶を飲むかい」

「我はついでか」


 そのつもりはなかったが、正規の縁談に進めぬと思えば断る選択肢はあった。それは当然に椿彦にも、と菫は考える。

 あの場では話を合わせてくれただけで、貧乏な村の粗末な猟師の娘など相手にするはずがなかったのだ。


 ――わたしって……。

 狗狼と雲に報いる為、東宮の妻となる。などと、なにを舞い上がっていたのか顔から火が噴き出そうだった。


「なるようにしかならないさ。別の道を見つけるまで、また焦らずに居ればいいよ」


 元の位置へ菫を座らせ、雲は干し大根を脇へ避ける。代わりに湯気の立つ湯呑みを置き、慰めらしきことを言った。

 気のせいか、微笑が喜んでいるようにも見える。


「でも文なんだから、なにか書いてあるんだろ。読むだけは読んでやりなよ。ふざけた内容だったら、アタシが祟ってやるからね」


 前があるだけに物騒な物言いだが、爪を立てようとする素振りが冗談と告げていた。おかげで「ありがとう」と、文を紐解く勇気が持てる。


「ええと、あれ。中に葉が」


 枝を床に置き、厳重に折られた厚い料紙を開く。すると内にまた、今度は透けて見えるほど薄い紙が二つに折られた。

 その紙には緑の濃い、活き活きとした葉が挟まっている。平たく重ねて、十も二十も。形を見ると、きっと椿だ。


「なるほど、粋なことをする」


 狗狼には意図が通じたらしい。菫にはまだ、さっぱりだ。視線で尋ねてみても、彼は知らぬふりで茶を啜る。

 ともかく出来るのは、薄紙を開くこと。おそるおそる、葉を取り落とさぬよう床に置いて捲ってみた。


「これって……」


 たくさんの椿の葉の中に指一本分の、細く短い花が挟まっていた。淡い紫色で、頼りない茎から懸命に花弁を広げるさまが可愛らしい。

 これは菫。押し花にされた、菫のようだ。


表裏へうりにて、地に咲き誇る冬菫。知らでと思ふ、振りふよしを」


 文には歌だけが書かれた。ほかに如月と、椿彦の本来の名が。

 難しい言い回しで、今ひとつ意味が分からない。雲に目を向けると、すぐに頷いて答えが返る。


「屋敷の表や裏を探し回って、早咲きの菫を見つけました。わざわざこんなことをする理由に、どうか気付かれませんよう」


 だとさ、と雲は皮肉げに笑う。続けて「小憎らしいね」とも。


「え、と。どういう意味かな――」

「分からないのかい?」

「いや、ええと、うん。なんとなくは分かる、かも」


 雪の季節にも、暖かい陽だまりに季節を勘違いした菫を見ることはある。だが探して見つかるものでは到底ない。

 そんなものをわざわざ見つけ出し、椿の葉に包んで送る。きっと裸の枝も、椿の枝だ。


「たぶん合ってるよ。もしも自分がなにも持たず、身一つになるようなことがあっても、大切な菫だけは守る。みたいな意味だろうね」


 ――ああ、そういうことなんだ。

 ぼんやりと想像した意味に、おそらく近い。しかし誰かの口から言われると、やはり実感として全く別に思える。

 とても重大な、菫には背負いきれぬ秘密を共有したような気分だ。十七の身に、好くとか好かぬとかがこれほどとは考えたことがない。


「わたしでいいのかな」

「相手はいいって言ってるよ。あんたでなきゃ嫌だってね。望みが叶うんだ、嬉しくないのかい?」


 嬉しいに決まっている。

 これで狗狼と雲と、二人に迷惑をかけずに済む。まさか東宮の妻を、いきなり生け贄に捧げることもあるまい。


 ――そのはずなのに……。

 嫌だという気持ちは欠片も無い。だが考えていたのと違う己の気持ちを持て余す。

 求婚の言葉を得て、ほっと安堵をする。なんなら恥ずかしさに、頬を染めもするだろう。そんな妄想が、ままごとじみて馬鹿馬鹿しい。


「ただ、もう一つ言ってるよ」

「え?」


 どうして良いやら、頭の中から想いが溢れそうだった。なんだか考えすぎて、あちこち痒いような気もしてくる。

 そんなところに、雲はまた言った。この文には、続きがあると。


「ど、どういうこと? ほかにはなにも書いてないように見えるけど」

「書いてないよ。アタシにも、あんたが見てるのと同じに見える。でもね、歌には受け取り方ってのがある。普通に読む表の意味と、その裏に隠した別の意味とね」


 信頼する彼女は、なんの話をしているのだろう。今これ以上に悩ませる冗談は、やめてほしい。助けを求め、狗狼に目を向ける。と、彼はあらぬ方向へ顔を背け、首の後ろをぼりぼりと掻き毟った。

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