第19話:目利きの火
「でもまあ、それは明日だ。アタシが話すより、実際に見たほうが面白いだろうからね」
「面白い?」
「ああ、笑えるよ」
そんな言い方をされては、あの狗狼がどれほど奇天烈な行為に興じているのか、気になって仕方がない。
もちろん雲のことだ、この場で聞いても答えはしまいが。
「あれ――それ、どうするの」
「焚き付けにしろって言ってただろ? 燃すのさ。旨い焼き魚の秘訣は、最後に火を強くすることだからね」
ちろちろと踊り続ける、囲炉裏の火。それを前に雲は、進ノ助の弓を取り出す。
まさかと思い、問うた答えもあっさりしたものだ。「跳ねると危ないからね」などと、弦を切るのも迷いがない。
「本当に」
火に放り込まれる寸前。勝手に声が出た。雲の手はぴたりと止まり、「ん?」と問いが返る。
「本当に燃やしちゃうんだね」
「そうだね。あんたがやめろって言うならやめるけど」
進ノ助の大切な物を奪ったところで、菫の恐怖が消えはしない。起こったことのなにも、なかったことにはならない。
ならば腹いせくらいにはなるだろうか。
それも否、だ。菫は怖い。誰かが怒ったり争ったりするのを見たくないと思う。だから嫌がらせなどして心が晴れることもない。
「ううん、それは狗狼に捧げられた物だよ。わたしが口出しすることじゃない」
止める勇気もなかった。「じゃあ」と、弓が投げ込まれる。自分が長持に入れられたのを見るようで、ぎゅっと目を閉じてしまう。
ぱちぱちと、木の爆ぜる音がする。火の熱も、少し強まった気がした。よく乾き、細い弓のこと、表面はあっという間に炭と化すはずだ。
「意地悪をしたつもりはないんだけどね。この火は目利きなんだよ」
雲はなにを言っているのか。火が目利きとは、なんのことやら。その声の後いくらかの沈黙が続き、やがて雲は呟いた。「なるほどねえ」と。
「進ノ助だったかい? あの子の覚悟はそれなりに本物のようだよ」
「どういうこと?」
なにを根拠に。問うて目を開けると、不思議な光景が映る。
囲炉裏の真ん中に、勢いを増した火があった。幼馴染の弓も、たしかにその中へ。
だが、燃えていない。薪と接した面が僅かに赤熱しているが、鉄で出来ているように炎を退けている。
「どうしてこんなことに」
「だから、この火は目利きなんだよ。願いが紛い物だったら、贄を燃やしちまう。それこそ鋼でもね」
「願いが本物だったら、木で拵えた弓でも燃えない?」
そういうことと頷いた雲は、火の中へ手を突っ込む。取り出された弓は元のまま、焼け焦げどころか煤汚れもない。雲の手にも、火傷は見えなかった。
「狗狼が焚き付けにしろって言ったのは、こういうことさ」
「そうなんだ……」
――良かった。狗狼がそんな人じゃなくて。
進ノ助の言い分が気に喰わないからと、むごい処分を決めたわけでなかった。
ほっと、息が漏れる。
「じゃあこれ、返すの?」
「さあねえ、それは狗狼の決めることだよ。そうそう簡単に返すわけにもいかないだろうけど」
「どうして?」
祠の主である狗狼は、この弓を要らないと言った。焚き付けにもならなかった。それなら当人へ戻すくらいしかないと、単純に思う。
「ただ願いを叶えない、ってのはよくあることさ。誰も彼もの思惑をみんな聞いてちゃ、理もへったくれもないからね。だけど捧げられた物を突っ返すってのは、また違う」
「倍返しってこと?」
知らぬ間に、捧げた贄が戻っている。言われてみれば、そんな話も聞き覚えがあった。
山神の怒りを買ったために、願ったのと反対のことが倍増しで起こる。ゆえに山神への願いごとを、気安くするものでないという戒めだ。
「それは人間が、勝手に考えてるだけさ。でも本気でそう信じてるなら、神さまも気を遣うわけだよ」
言いつつ雲は鯛を取った。抜いた竹串をぺろりと舐めて、「うん」と頷く。
「さあ、いい焦げ目も付いた。狗狼の分を持ってっておくれ」
別に作っていた汁と漬け物。それに麦飯が膳へ載せられる。
狗狼の優しい気遣いと聞き、安堵して多少は頬が緩んだかもしれない。返事をするのも、我ながら歯切れが良かった。
「なんだか嬉しそうだね」
「嬉しい、のかな。そうかもしれない。腹いせに誰かを傷付けるような人じゃなくて、良かったと思ってる」
考えたままを言うと、雲は「なんだそうか」と意外そうな返事をした。
「あの男の子を見直したのかと思ったよ」
「そういうわけじゃないけど」
「けど?」
見直したと言われれば違う。では許さないのか、と言うのも違う。菫は誰かに責任をとってほしいのでなく、この怖れを忘れたいのだ。
そこに進ノ助の居場所がない。
「あれは間違いだったって本心から思ってるなら、わたしも許さなきゃいけないのかなって」
「本心からどう思ってるかは知らないよ。目利きの火が認めたのは、あんたを返してほしいって気持ちが本物ってことだけだからね」
それはなにか食い違うのか。よく分からなかったが、とりあえず魚が冷めてしまう。雲に急かされて、狗狼の部屋へ赴いた。
「今日は鯛か。久しいな」
「焼き具合い、どうかな」
菫が最初に出した丸焼きは、焼き過ぎだったと教わっている。その加減で当たり前だった菫には、まだ生と調度いいところの差が分からない。
狗狼の鋭い牙が丸かじりにするさまを、どきどきと胸を鳴らして見守る。
「ん――」
しばし。咀嚼した後、狗神は唸る。雲にも見てもらったのに、まだまだかと。菫は肩を落とす。
「これは良い加減だ。仕上げの火が良かったのだろうな、うまい」
「仕上げの火が」
首肯して次々と食らっていく狗狼を、菫は複雑な心持ちで見つめた。
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