第52話 捧げ物
――たくさんのものを、わたしはただ見下ろしていた。
*
おかあさんからわたしを受け取った人たちは、わたしをお風呂に入れて乾かして、ちょっと重い服を着せてきた。
「ほら見てごらん」
ニコニコとしたおじさんがわたしに鏡を手渡す。そこには、とても豪華な服を身に纏った痩せっぽちのわたしの姿があった。
「ぴかぴかだ……」
見たことないほどぴかぴかできらきらの服を着せられて、わたしはちょっと楽しくなってきょろきょろと服を眺め回した。
「実はね、お前は神様なんだ」
おじさんの手が肩に置かれる。
「お前は神様だからずっと閉じ込められていたんだよ」
肩に置かれた手にぐっと力がこもる。
「全部全部、お前が神様だったからなんだよ」
「ぜんぶ?」
突然そんなことを言われて、よくわからないままわたしは聞き返す。
「おそとであそべなかったのも、わたしが神様だから?」
「そうだよ。神様には走るための足なんて要らないからね」
「おかあさんがわたしを置いていったのも?」
「そうだよ。おかあさんは君を神様として届けてくれたんだ」
おじさんは淀んだ目でじっと私を見下ろしてくる。
わたしはただ、それを見ていた。
「ほら見てごらん。この鏡が神様を映す鏡だよ」
渡された鏡に手を添えて、ちょうどわたしの顔が写るように動かす。
「お前はこれから神様として、この鏡でみんなを導くんだ。そのためには私たちの言うことを聞かなくてはいけない。いいね?」
よくわからない。でも……わたしはここにいていいんだ。
ぶわっと嬉しくなってきて、首をこくりと縦に振る。
おじさんはニコッと笑った。
「まずは笑いなさい。お前は神様なのだから」
「うん!」
*
豪華な服を着てわたしは座っている。
鏡を持って、言われた通りの言葉を彼らに告げる。
彼らはわたしに朝な夕な祈りを捧げる。
手を合わせて、首を垂れて、ひれ伏して。
助けてください。救ってください。
――わたしはただそれを見ていた。
*
きらきらの服を着て、言われた通りに笑顔で踊る。
みんな私に祈っている。
何を祈っているのかは知らない。
――わたしはただそれを見ていた。
*
神様のわたしの前には、いつもたくさんのお供え物が捧げられている。
その中にはかわいい動物さんもいて、その虚ろな目がわたしを見ていて、悲しくて、わたしはおじさんに尋ねていた。
「どうして動物さんを殺すの?」
「神様のためだよ」
おじさんは笑顔のまま答える。
わたしは俯いた。
「わたし、殺したくないよ……」
「それは人の考えることだよ。神様は笑って座っていなさい」
おじさんはニコニコ笑いながらわたしを見下ろした。
――わたしはただそれを見ていた。
*
わたしの前のお供え物はどんどん変わっていった。
食べ物。お金。宝石。そして――目が半分開いたままの人の死体。
それがおそろしくて、わたしはおじさんに尋ねていた
「……どうして、ひとを殺すの?」
「神様のためだよ」
おじさんはいつも通り笑顔で答える。
「でっ、でも、ひとを殺すのって、いけないことじゃ」
体が震えだす。
知ってる。人を殺したら、けいさつの人にたいほされるんだ。
「神様」
見上げると、おじさんはとても冷たい目でわたしを見下ろしていた。
おじさんの手がぽんっとわたしの肩に置かれる。
「それは人の考えることだ。神様は考えなくていいんだよ」
さっきまでの冷たい目が嘘のように、おじさんはニコニコと笑っている。
「神様はただ笑っていなさい」
――わたしはただそれを見ていた。
*
手渡されたコップを見下ろして、わたしは不安になっておじさんに尋ねた。
「これは……?」
「ただのお酒だよ。お前は神様だから飲むんだ」
おじさんはニコニコ笑いながらそう言う。
だけどその視線はいつもよりずっと粘ついているような気がした。
わたしは一歩後ずさる。
「こわいよ……」
「怖くないよ。お前は神様だからね」
「のみたくない……」
「飲まないといけないんだよ。お前は神様だからね」
「でもっ」
それ以上わたしが言う前に、わたしの頬はおじさんに張り倒された。
驚いて、痛くて、尻餅をつく。
おじさんを見上げると、おじさんは怖い顔でわたしを見下ろしていた。
「神様はいつからそんな悪い子になったんだ?」
「ひっ……」
悲鳴が喉の奥で引っかかる。
おじさんはこぼれてしまったコップに、新しいお酒を入れた。
「お前は神様なのだから、そんなことを考えずに笑いなさい」
笑顔でコップを差し出され、わたしは震えながらそれを見る。
「ほら、飲んで」
*
ぐらぐらする視界。
動かないからだ。
たくさんの目。
手。
おとこのひと。
わらってる。
いたい。
くるしい。
*
次に目を開けると、わたしは自分の部屋で寝かされていた。
体はさっぱりとしていて、眠っている間にお風呂に入れられたみたいだ。
体が痛い。ぎしぎしする。
起き上がるのが辛くて首だけを傾けて部屋の扉を見る。
おじさんが開けない限り、あの扉が開くことはない。
――わたしはただそれを見ていた。
*
わたしの前にはたくさんのお供え物が捧げられる。
美味しいもの。高いもの。きらきらしたもの。そして――子供の死体。
「どうしてみんなを殺すの?」
みんな、会ったことがある子たちだ。
おしゃべりだってしたのに。
「神様のためだよ」
おじさんはニコニコ笑いながら答える。
私は怖くて足が震えてしまいそうになりながらなんとか言葉を続けた。
「で、でもわたし、おともだちに……」
「神様はそんなことを考えないんだ」
冷たい声だ。
私を叩くときのあの声。
おじさんは私の肩に手を置いた。
「神様はただ笑っていなさい」
――わたしはただそれを見ていた。
*
もうずっとおそとに出ていない。
足はすっかり弱くなってしまって、ちょっと歩くだけでもふらふらする。
怖い。悲しい。そとに出たい。
涙が浮かんで、ぽろぽろ服に落ちていく。
俯いてそうしていると、部屋に入ってきたおじさんが私の顔を掴み上げた。
「どうしてそんな顔をしているのかな?」
笑顔だ。だけど私を叩くときの声だ。
おじさんはねっとりとした言い方で私に言った。
「笑いなさい。神様だから笑うんだ」
涙に濡れた顔のままわたしは硬直する。
するとおじさんはぐっと恐ろしい顔になって私を怒鳴りつけた。
「笑え!!」
悲鳴を上げそうになる。でもそんなことをしたらまた叩かれてしまう。
わたしは顔を必死で歪めて、笑顔の形を作った。
おじさんはニッコリと笑って私を解放した。
「それでいいんだよ。いい子だね、神様」
おじさんは上機嫌に笑っている。
――わたしはただそれを見ていた。
*
……誰かがわたしを見ている気がした。
……誰かがわたしに声をかけている気がした。
小さな声で必死に。
ふにゃっとした目元を吊り上げて。
わたしの目を覗き込んでいる気がした。
――私はただそれを見ていた。
見ているだけだ。
何もしない。何もできない。
だってわたしはそういう神様だから。
「わたしはしあわせです」
言われた通りに言葉を発する。
「わたしは神様です」
笑顔のままわたしは言う。
「わたしは神様だから、わらうんです」
小さく唇を動かす。繰り返し、繰り返し。
「わたしは――」
「違う」
優しい声が、わたしを遮った。
誰かが見ている。
この人にまっすぐ見られたことがある気がする。
「君は神様なんかじゃない」
ゆっくりと彼は言う。
だんだん目の前がはっきりしてくる。
私の前には、泣きそうな顔をしたおにいさんがいた。
おにいさんはわたしを大人の手で引き寄せて、ぎゅっと強く抱きしめた。
「ごめんね。もっと早く来てあげればよかったね。怖かったね」
何を言われているのかわからなくて、わたしは唇を動かす。
「わたしはしあわせです。わたしは神様です」
「違うよ。君は人間だ。ただの人間の女の子だ」
ぎゅうぎゅうときつく抱き締められる。
温かい。
自分がとても冷たくて、寒いことに気づくぐらいには。
「神様じゃ、ない?」
「そうだよ」
「わたし、笑わないと」
「もう笑わなくていいんだよ」
その言葉はわたしの耳にちゃんと入って、だけどそれを内側に染み込ませないようにわたしはぽつりと言う。
「……やだ」
神様じゃないなら。
人間なら。
絶対に絶対に許されないことをしている。
神様なら。
神様だったら。
神様じゃないと。
「わたしは、」
声が震える。
聞いちゃダメだ。
気づいちゃダメだ。
だけどおにいさんはわたしをぎゅっとしたまま優しく背中を撫でてくる。
「大丈夫。もう大丈夫だからね」
温かい。体温。痛くない。怖くない。
小さく息を吸い込んで、瞬きをする。
……久しぶりに呼吸をした気がした。
「わたし、神様じゃないの?」
「そうだよ。でももう大丈夫だからね」
おにいさんはわたしから離れて、わたしの冷たい手を両手できゅっと握り込んだ。
「実はね、俺はここの信者じゃないんだよ」
きょとんとおにいさんを見る。
確かにおにいさんを見るようになったのは最近だ。でも、ここに信者じゃない人がいるなんて。
「俺はここでやってる悪いことを探して、ここの人間をやっつける人なんだ」
「けいさつのひとってこと?」
「そんなところかな」
おにいさんはお茶目にウインクした。
わたしが咄嗟に反応できずにいると、おにいさんは照れ臭そうに笑った後、わたしの体を軽々と抱き上げた。
「さあ行くよ。掴まって!」
まるで絵本の中の王子様のようなことを言って、おにいさんは走りだす。
あれほど開けられなかった部屋の扉を蹴り開けて、廊下を走っていく。
わたしは必死に彼にしがみつきながら尋ねた。
「どこに行くの?」
「逃げるんだよ!」
明るくおにいさんは言う。
「君はアイツらから逃げるんだ!」
わたしはちょっと固まった後、おにいさんの腕の中で暴れようとした。
「そっ、そんなことしたら叩かれちゃう……!」
「じゃあ叩く奴の手の届かないところに行けばいいさ!」
あっけらかんと言われる。
私は目を丸くして、一瞬言葉を失って、それから恐る恐る尋ねた。
「もう、おじさんの言うことを聞かなくてもいいの……?」
「ああ」
「もう、笑わなくていいの?」
「そうだよ」
何度も確認するわたしを、おにいさんは何度も肯定する。
視界がじわっとにじみ、今まで我慢してきた涙が、ぼろぼろと流れ始める。
何度もしゃくり上げながら、わたしはおにいさんにしがみつく。
「笑いたくなかった」
「うん」
「笑うの嫌だった……!」
「うん。今は泣いていいよ。これからはたくさん泣けるからね。泣いて、笑って、君は幸せになるんだ」
わたしはおにいさんの体に顔を押し付けて、唸るようにして泣き始めた。
おにいさんはやがて建物から飛び出して、夜の山の中へと走り込んだ。
その頃になって建物は騒がしくなっていったようだった。それが恐ろしくて、わたしは身を縮こまらせる。
「大丈夫だよ。いざとなればこれがある」
おにいさんの右手には大きな銃が握られていた。
「さすがに君を降ろさないと当てられないだろうけど……っと」
おにいさんは立ち止まり、大木の後ろに隠れる。
「早速追っ手かあ。ごめんね、ちょっと降ろすよ」
こくりとうなずき、地面に降ろされる。
立っているのが辛くて、ぐらぐらと足元が揺れて、私は大木の枝にしがみついてこらえた。
おにいさんの言う通り、建物の方から一人の男が懐中電灯を持って近づいてきていた。
そのまま別の場所に行ってくれるのを震えながら必死で祈ったが、男はだんだんこちらに近づいてきてしまう。
そして男の懐中電灯の光が、ついに私達を照らしてしまった。
「お前っ!」
男が声を上げる。
おにいさんが素早く銃を構える。
わたしは恐怖と緊張で掴んでいる枝に力を込める。
その時――パキン、としがみついていた枝が折れた。
「ぁ」
小さな声をあげる。
よろめいたわたしの体が宙に浮く。
足元には、地面がない。
崖が木で見えなくなっていたんだ。
驚きで目を見開いたまま、おにいさんから体が遠ざかる。
「***ちゃん!!」
おにいさんがわたしの名前を叫ぶ。
崖に飛び込み、落ちていく私に必死に手を伸ばし、抱きこんで、一緒に森の中に落ちていく。
そういえば、誰かに名前を呼んでもらうなんて、久しぶりかもしれな――
*
暗い森の中で、わたしはおにいさんの手にしがみつく。
「いいかい? このまま山を下れば大きな道路に着くはずだ。そうしたら、通りがかる自動車に手を振って乗せてもらうんだ」
わたしは何度も首を横に振る。
いやだ。いやだよ。
だけど彼はふにゃっと笑う。
「逃げるんだ。逃げて、逃げて、逃げのびれば、きっと君が本当に笑える場所に行けるよ」
そんなのやだよ。置いてかないで。
おにいさんの息が、どんどんか細くなっていく。
「逃げて、幸せに……」
言葉が途切れる。
おにいさんの体から力が抜ける。
急に手が重くなる。
「やだよ……」
冷たくなっていくおにいさんの手をぎゅっと握りしめる。
「置いていかないで……!」
*
そこからの記憶は途切れ途切れだった。
連れ戻されてひどいことをされた気もするし、閉じ込められて放置されたような気もする。
覚えているのは、おじさんたちの目。
すごくすごく怖い目。
次に意識がはっきりしたのは、いつも通り供え物の前に座らされた時だった。
食べ物。宝石。お金。
そんな中にひとつだけ、ぼろぼろに薄汚れたボールみたいなものがあった。
「お前が逃げようとしたからだ」
何を言われているのかわからず、おじさんの顔をぼんやりと見上げる。
おじさんはそのボールを私の目の前に持ってこさせた。
ボールを手渡される。もやがかかったみたいな思考でそれに目を落とす。唐突に、私は理解した。
汚れたボールが私を見ている。
ふにゃっとしていたはずの目で。
得意げにウインクをしていたあの目で。
「お前が逃げようとしたからだ」
「お前が泣いたからだ」
「笑っていればこんなことは起きなかったんだ」
「泣くな」「笑え」
「笑え!!」
――わたしはただそれを見ていた。
*
今日も信者達が祈りを捧げている。
――いやだ
今日も供え物が捧げられる。
――いやだ
今日も変なものを飲まされる。
――いやだ
今日もおじさんがニコニコとわたしを見下ろしている。
――もうわらいたくない……!
*
遠くで、おじさんたちの声がした。
私はずっと布団に倒れていて、もう体を起こしているだけで苦しかった。
最後にはっきりと起きてから、どれだけ経ったのかはわからない。
でもなぜか最近は、おじさんがわたしに向ける笑顔が変わった気がする。
わたしが目を開けているのに気づいていないのか、おじさんたちが話をしている。
「コレはもう限界だな」
「はぁ……珍しい見た目だから長く使いたかったんだが」
「まったく。高い金出して買い取ったってのに」
「いっそ殺して、御神体にしないか?」
「ははっ、いいね」
「文字通り、邪魔な顔のない人形ってことか」
「笑えない神様なんか要らないからな」
綺麗な服を着せられて、大きな鏡の前に座らされる。
わたしは渡されたこの水を飲めばいいらしい。
これは『神様の水』で、これを飲めばわたしは本物の神様になれるらしい。
コップを持つ手が震える。
鏡を見る。
神様が映るはずの鏡を。
――かみさま、かみさま。
――もしほんとうにいるのなら。
「私の『顔』をあげます」
小さく、誰にも気付かれないように呟く。
「ぜんぶ、持っていって」
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