第十章 顔
第51話 知らなければ
「話、ますか」
絵巻屋はいつになく真剣な顔だった。真剣すぎて、いっそ笑ってごまかしてしまいたいぐらいの。
相変わらずうまく笑えない顔で、そんなことを思う。
「アナタが生贄に捧げられた件で、わかったことがあります」
ひっ、と喉の奥で悲鳴に似た音が鳴る。
お腹の中がぐるぐるして、一歩後ずさる。
頭が痛い。怖い。逃げ出したい。
生贄のことなんて、考えたくない。死ぬ前のことなんて、現世のことなんて。
あんなに恐ろしくて、寒くて、悲しい気持ちのもの、二度と触りたくないのに。
だけど淡々と絵巻屋は告げる。
「判明した以上、アナタに伝えないわけにはいかないのです」
「お嬢さんは名前をもらったとはいえ、厳密には自分のカタチを持ってないからネ……。カタチを知らなければ、この異界にいつづけられないかもしれないんだヨ」
顔を俯かせる。
悲しいけれど、化身の言う理屈は理解できた。
私は神様の生贄。まだはっきりとしたカタチのない存在。
異界は、カタチを描く墨でモノを繋ぎ止める世界。
だから、異界にいるためには、私も自分のカタチを知らなければならない。化身の言いたいことは痛いほどわかってしまった。
「つらいとは思うけど……向き合ってくれないカナ」
化身が目の前まで降りてきて、私の顔を覗き込んでくる。
私は地面を見つめたまま、きゅっと両手を握り込む。
言いたいことはいっぱいあったけれど、吐き出せたのは途方に暮れた一言だけだった。
「向き合わないと、お前たちと一緒にいられないますか」
返ってきたのは無言だった。
二人とも、私に何も告げようとしなかった。
それが答えのようなものだった。
「……わかったます」
俯きながらうなずき、小さく答える。
視界に映っていた絵巻屋の足が、踵を返すのが見えた。
化身もそっと私の右手を取る。
「場所を変えましょう。ついてきてください」
化身に手を取られ、ゆっくり歩く絵巻屋の後ろについていく。
異界はいつも通り活気にあふれていて、私たちだけが違う空間に切り取られてしまったかのように冷たい気がした。
二人は道中、何も話さなかったし、私も何かを尋ねることもできなかった。
言ってしまえば、何かが決定的に変わってしまう。
そんな漠然とした不安が、頭の奥でぐるぐると回っていた。
通ったことのある道を歩き、私たちがたどり着いたのは関所だった。
「アナタが入る許可は取ってあります」
ぽつりと事務的に絵巻屋は言う。
何のことかは、進んでいく道ですぐに察した。
鏡の間に――雲外鏡があるあの肌寒い場所に連れていかれるのだ。
やがて鏡の間に続く白いカーテンに私たちはたどり着き、そこで化身は私から手を離した。
「俺、迎えに行ってくるネ」
言葉少なにそう言うと、化身は元来た道を去っていってしまう。
だけどその動きはにぶくて、まるで話が始まるのを先延ばしできたらいいのにと願っているようでもあった。
「……行きますよ」
小さく絵巻屋が言い、歩き始める。
私がはぐれないように何度も立ち止まる絵巻屋の後を追いかけているうちに、私たちはあの雲外鏡の前へとやってきていた。
部屋はやっぱり寒くて、なんだか恐ろしい。
私は視線をちらちらとさまよわせた後、そっと絵巻屋の隣に寄った。
震える手で絵巻屋の服の裾を握り、小さく引っ張る。
「絵巻屋、あの、な」
「何ですか」
「……手、握っててほしいます」
俯きながら言う。
絵巻屋は数秒黙っていたが、大きな大人の手で私の手に触れて、ぎゅっと握り込んできた。
私もそれにしがみつくように、絵巻屋の手をぐっと握る。
怖い。終わってしまう。変わってしまう。
私はただ、二人と一緒にいたいだけなのに。
「結論を急いですみません」
小さく、本当に小さく絵巻屋は言う。
「もう、あまり時間がないんです」
きょとんとして絵巻屋を見上げるが、彼はこちらを向こうともしなかった。
もしかしたら、私に聞かせるつもりもない言葉だったのかもしれない。
ほとんど、言うつもりのなかったただのひとりごと。
でも、本当のところがどうなのかは尋ねられなくて、私は絵巻屋の手をさらにしっかり握り込んだ。
部屋の周りにあるカーテンがふわりと揺れたのはその時だった。
「……っ!」
恐怖で体が固まる。
しかし、カーテンの向こう側から現れたのは見覚えのある老人だった。
「おじじ?」
しっかりとした足取りの龍神とともに、化身も部屋に入ってくる。
龍神の目はお祭りで会ったときより、ずっと冷たくて鋭かった。
私は思わず一歩後ずさる。
「どうしてここにいるます?」
震えながら尋ねる。
龍神は静かに答えた。
「愛い子よ。其方にカタチを与えるのであれば、儂が適任だからだ」
「てきにん……」
どういうことなのか絵巻屋と化身を見るも、答えてはくれない。
その代わりに、絵巻屋は龍神を促した。
「話はお任せしても?」
「ああ。その方がいいじゃろう」
龍神はうなずき、膝をついて私と視線を合わせた。
「愛い子よ」
祭りのときと同じ、私を慈しむ声だった。
龍神は優しい声で、できるだけ穏やかな顔を作って、私に話を切り出す。
「愛い子よ。其方は生贄だ。神の生贄だ。だが――」
彼はそこで言いよどみ、私の目を見て、怯える私を落ち着かせるような声で言葉をつづけた。
「其方が捧げられた神などいなかったのだ」
何を言われたのかわからなかった。
その言葉の意味を飲み込もうとして、失敗して、私はただ目を丸くして困惑の声を小さく発する。
「え……?」
「其方は最初から存在しない神に捧げられたのだ」
龍神はゆっくり私に告げる。
それでも理解できなくて、私は傍らの絵巻屋を見上げた。
「探しても見つからないはずです。だって、最初から神なんていなかったのですから」
絵巻屋も静かに私を見下ろしてくる。
驚きで真っ白になっていた頭の中が、まるで虫に食い荒らされるかのように、だんだん恐ろしさに侵食されていく。
「正確に言えば、いる」
龍神の声に、彼に目を戻す。
彼は、私にも理解できるように、ゆっくりとその言葉を告げた。
「其方自身がその神だ」
ガンッと。
まるで頭にくぎを打たれたような痛みが走った。
意味がわからない。でもだめだ。
聞いちゃだめだ。
体の奥底からこみあげてきた震えが、吐き気になって胸のあたりでうずまく。
「雲外鏡に平伏され、絵巻屋との約束の反故で天罰が下ったのがその証拠」
途糸たちについての約束の話だ。
たしかにあの時、絵巻屋の手には何かが当たった音がしていたけれど。でも。
龍神はゆっくりと私に告げる。
「其方は、其方に捧げられたのだ」
だめだ。聞きたくない。知りたくない。
なんでそんなことを言うの。
理解したくない。
それってどういう意味。
知らなくていい。知りたくない。
頭の中で警報が鳴り響いて、目の前がぐらぐらする。
「あの、よく、わからないます」
息も絶え絶えに拒絶の言葉を吐く。
しかし、大人たちは私を逃がしてくれなかった。
「現世でいう、新興宗教ってやつだヨ」
やめて。
「アナタはただの人間なのに、神様として祀り上げられたんです」
いやだ。
「……
言わないで。
「そしておそらく、その宗教の人々は用済みになったアナタを……」
「いやだ!!」
絵巻屋の手を振り払う。
よろめく。
頭をかきむしる。
ふらついた拍子に何かにぶつかる。
鏡だ。
雲外鏡。
カタチを映し出す、鏡。
「あ、ああ」
見ている。
見ている。見ている。見ている。
目が。
手が。
赤が。
――鏡に映る彼女の顔が。
「ああああああああああ……!」
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