第50話 見ているだけ
ちょっと気まずい雰囲気のまま、心当たりを回ること数時間。
足が疲れてきた私たちは川の近くで休憩をしていた。
「やっぱり手がかり見つからないネェ」
「関所の方々も動いてこれです。簡単には無理でしょう」
絵巻屋は行き交う人々を剣呑な目で見ているし、化身もその隣に浮いている。
私はふと振り返り、川のほうを見た。
降り注ぐ日の光で、流れる水面はきらきらと輝いている。
「もしかして……」
ふと気付いたように絵巻屋が言葉を発する。
「この事件の犯人が顔を奪うアヤシなのではなく、この『目を盗むアヤシ』を生み出したのが『顔を奪うアヤシ』なのでは……?」
すぐには意味がわからず、私は首だけで二人に振り向く。
「顔を奪うアヤシが、この事件の犯人を作ったってことカイ?」
「まだ憶測の域を出ていません。さらに情報を集めなければ」
化身の言葉に、その意味を飲み込む。
つまりこの事件のきっかけが『顔を奪うアヤシ』かもしれないということか。
絵巻屋たちは私に背を向けながら話し合う。
「やはり彼らには目を盗まれるきっかけがあったはずです」
「共通点ってことカイ?」
「盗まれたものは目です。ならば何か彼らが共通して見てしまったものがあるはず――」
二人の会話を聞きながら、私は川に視線を戻す。川はきらきらと光を反射している。
「目がちかちかます」
きゅっと顔をしかめながら目を細める。
水面には私の輪郭が写っている。
私がそれをしっかり目にしたその時、
「え?」
ぎゅんっと視界が回り、次の瞬間、私は見覚えのないところに立っていた。
「……!」
立ち尽くし、それから周囲を見回す。
原因はすぐにわかった。
「……目を盗むアヤシ、ますか」
確認するように発した声が、寒い空間に響く。
周囲には白いカーテンが幾重にも揺れており、自分がどこに立っているのかも定かではない。
違う。私はここを知っている。でもどこで?
カーテンをめくって、歩みを進める。カーテンの向こう側にはまたカーテンがあり、そこを抜けてもまたカーテンだ。
進んでも進んでも前に行っている実感がない。
私は走り出し、一直線にカーテンを突っ切ろうとする。しかし、カーテンの終わりは一向に見えてこない。
息を切らして立ち止まる。はぁはぁと肩を上下する。
ここはどこだろう。突然消えた私に、絵巻屋たちが気づいてくれればいいのだけれど。
一瞬だけ――いなくなった私に気がつかずに調査を続ける二人が脳裏に浮かんだが、ぶんぶんと首を横に振って振り払った。
大丈夫だ。二人は私を置いていかないから。わかってるから。
暴れそうになった心臓にそう言い聞かせ、私は前を向く。
その時、視界の端にチカッと何かが光ったのが見えた。
「!」
振り向き、そちらのカーテンをどける。
そこにあったのは宙に浮かぶ一枚の鏡だった。
――ああ、見ている
ぞわっと背中を何かが這った感覚がした。慌てて踵を返し、元来た道を逃げ戻る。
しかしそれを皮切りに、私の視界の端では鏡がちらとらと反射する光が見え始めた。
一瞬でもそちらに視線を向けると、男のものとも女のものとも取れない歓喜の声が響いてくる。
――見ている
――見ている
――ああ、彼女が見ている
――彼女が見てくれているぞ
鏡のいる方から黒い手が伸びてくる。
まるで助けを求めるように私を掴もうとしている。
――もっと見てくれ
――もっと、もっと
――もっともっともっともっと
――もっともっともっともっともっともっと
――わたしたちを見て
細い腕の一本が私の腕を捕まえる。
足に、腹に、首に腕が巻きつき、ぶら下がるような姿勢で私は宙に固定された。
頭にも手が伸びて、私の顔は前方に固定される。
――見て
――見てよ
――もっと見て
無数の黒色のもやが、囁きながらどんどん私の前に集まってくる。
「ひっ……」
喉の奥で悲鳴がつっかえる。
これは何だ。これを見たら、何が起きるんだ。
顔をそらそうとしても固定されていて動かない。目をぎゅっと閉じようとしたら、巻きつく力が強くなって慌てて目を開けた。
すると、目の前にはいつのまにか、一人の男性が平伏していた。
とても偉そうな服を着ている、若い男性だ。
「どうぞ彼らを見奉りたまえ」
男の声とともに、鏡たちが私の前に集まってくる。その中からは細い腕が何本も覗いていた。
私はつっかえそうになりながら、必死で声を出す。
「あ、の、なんでお前、私に」
「貴女は見るモノ。わたしを下すモノなれば」
淡々と男は告げる。
私は何か大切なことを言われた気がして、固まった。
「見る、モノ……?」
私の声に応えるように、男は顔を上げる。
その顔面には、ちかちかと輝く目が何個もついていた。
目は全て私のことを凝視している。
「ひっ……」
直感する。
あれは、今まで盗まれた人たちの目だ。
彼がこの事件の犯人なのだ。
「見ている」
無数の目に囲まれている口が、声を発する。
「貴女は見ているだけ」
「貴女は見ていることしかできない」
「だが見ることはできる」
「見ることだけは、誰よりもできる」
様々な声色でたたみかけられる。
私は、その言葉ひとつひとつがおそろしくて、だけど目をそらせずにいた。
見る。見るだけ。見るだけのモノ。
その宣告は、私の奥底にあっさりと染み込んでいった。
私は見ていた。見ていることしかできなかった。私は見ているだけだった。
でも――私は何を見ていたんだっけ。
「さあ」
アヤシが私を促す。私は目を開いたままそれを見ようとする。ぎゅっと視界が狭まり、私はそれを凝視しようと――
「写見!!」
鋭い声がして、私はハッと意識を取り戻す。
飛来した鳥が次々に鏡にぶつかり、その表面を黒く塗りつぶす。
細い腕たちはかすみのように消えていった。
「まさかアナタがアヤシになるとは」
私の背後から現れた絵巻屋は、青年に筆を突きつける。
「アナタのカタチは――『雲外鏡』」
キンッ!
硬いものを叩くような音がして、周囲のカーテンが一気に晴れる。そして、彼がいた位置にあったのはあの大きな雲外鏡だった。
今まで気づかなかった寒さが肌に触れる。
そうか。ここは関所の鏡の間だったのか。
拘束していた腕が消え、傾いた私の体を化身が抱きとめる。
「お嬢さん大丈夫カイ? 怪我は……」
「だい、じょうぶ」
まだ荒い息のまま、化身に答える。
絵巻屋は雲外鏡を睨みつけていた。
「……水面を見ていたアナタが消えたのを見て、もしやと思って来てみて正解でした」
「反射するものを見たモノの目が、鏡によって盗まれてたんダネ……」
「雲外鏡はアヤシを写して引き寄せる性質がありますから。きっと、アナタにアヤシたちを見てもらいたかったのでしょう」
見てもらいたかった。
見るモノの、私に。
急に抑え込まれていた恐怖が表に現れてきて、私は化身にしがみついた。
「お嬢さん? やっぱりどこか怪我でも……」
「わ、たし、見るモノ、だって」
何度もつっかえながら言葉を吐き出す。
「あのアヤシが、私に下される、って」
意味はわからない。でもわかっちゃいけないのはわかる。
沈黙する化身の袖にぎゅっとしがみつく。
絵巻屋は険しい目で私を見下ろしていた。
*
数日後、まだ本調子ではないという理由で、私はお店でお留守番をしていた。
お留守番の仕事も慣れたもので、最初はうまくできなかったお客さんへの対応もちゃんとできるようになってきている。
あの絵巻屋が「ちょっとはマシになった」と言っていたのを聞いたので、間違いない。
まだざわつく心を押し込めて見ないようにしながら、私は拭き掃除を終える。
すると、店ののれんがぺらりと持ち上げられた。
帰ってきた絵巻屋と化身だ。
「おかえりなさいます」
ぺこりと頭を下げて挨拶をする。
しかし二人は、強張った顔で私を見下ろすばかりだった。
「どうしたますか? お客さんなら……」
「写見」
名前を呼ばれ、私は硬直する。
真剣な声だ。
すごくすごく嫌な感じが足元から登ってきて、私は動けなくなる。
「話があります」
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