第48話 仮初の世界

「ただいま戻りました」


「ただいまァ」


 表から二人の声が聞こえ、私はぴょこっとそちらに顔を出す。


「おかえりなさいます」


 外出から戻ってきた二人を確認する。


 絵巻屋は顔を逸らし、けほけほと咳をしていた。心なしか顔色も悪い気がする。


「!」


 私はハッとして絵巻屋に駆け寄った。


「風邪ますか?」


 絵巻屋は何も答えずにいつもの文机の前に向かってしまう。


 私はタンスへと駆け寄り、その中から襟巻を取り出して、ぱたぱたと絵巻屋に駆け寄った。


「ちゃんとあったかくしないとダメます」


 そう言いながら襟巻を差し出したが、絵巻屋はそれを受け取ろうとしない。


 私はむっとして、絵巻屋にさらに歩み寄って、ぐいぐいっと首に襟巻を巻こうとした。


「あったかくしないとダメます」


 そのままぐりぐりと襟巻を押し付け、首にぐるっと巻きかけたあたりで、ようやく絵巻屋は襟巻を受け取った。


「……髪がくずれます」


「!」


 ぱっと離れると、絵巻屋の髪は確かに乱れていた。


 いつもきちっとしている分、髪がぐちゃぐちゃになっていると、ちょっと幼く見える。


「……なんですか」


「なんでもないます」


 抱いてしまった感想を悟られないように顔をそむける。


 なんとなくだが、これを言ってしまったら絵巻屋はへそを曲げそうだったので。


「私たちの留守中、何か変わったことはありませんでしたか」


 手櫛で髪を整えながら絵巻屋に問われ、私はハッとした。


「事が来てたます」


「事?」


「洋服着てておやつ食べてる嫌な奴ます」


「…………ああ」


 絵巻屋はちょっと顔をゆがめた。


 やはり顔見知りだったらしい。


「彼は何と?」


「ええと、ます」


 事の言っていたことを頭の中で整理し、私はそれを口に出す。


「怖いこと言ってたます」


「怖いこと?」


「顔が奪われそうになってるらしいます」


 絵巻屋は一瞬で顔をこわばらせた。


「事も動いてるらしいます。顔が消えかけてる人を見たら教えてほしいと言っていたます」


 硬い表情の絵巻屋に、しょんぼりとした姿勢で伝言を伝える。


「顔が消えたら死んじゃうます……大変なことます……」


「……ええ、本当に」


 絵巻屋は私と向かい合って自分の腕を組んだ。


「ですが今のところこちらにそういった情報は上がってきていません」


「そうだネ。俺も最近は聞いたことネェや」


「闇雲に探し回るより、私たちは店で情報を待つべきでしょう。ここはそういった依頼が集まる場所ですから」


 私はこくっと頷く。


 焦る気持ちはもちろんあるけれど、絵巻屋がそう言うのならそうするのが一番なのだろう。


 絵巻屋はほとんどにらみつけるように私を見た。


「こうした深刻なアヤシに対処するのは絵巻屋としての最も重要な仕事です。アナタも手掛かりらしきものを手に入れたら、私に報告するように」


「任せろます。私は絵巻屋の弟子ます」


 鼻をふんすと鳴らして気合を入れる。


 私は絵巻屋の弟子だ。絵巻屋としての大事な仕事も、絶対にこなしてみせる。


 しかし、そんな私を見て、絵巻屋は唇の端をぴくりと動かしたようだった。


 予想外の反応に、私は首をかしげる。


「どうしたますか?」


「……いえ、なんでもありません」


 絵巻屋は私から目をそらす。


 だけど何かに心を揺らされているのは確かのようで、絵巻屋の指には少し力がこめられていた。


 絵巻屋は私と目を合わせようとしない。


 私は絵巻屋をじっと見る。


 まるで、私が絵巻屋の弟子だと宣言したことに動揺したみたいな――


「……ただ、アナタもかなり敬語が外れなくなってきたと思っただけですよ」


 ぶっきらぼうにそう言われ、私は目をぱちぱちさせた後に一応お礼を言った。


「? ありがとうます」


「イヤイヤ、その敬語が間違ってるんでしょうニ……」


 絵巻屋のそばで化身が苦笑いをしている。


「……?」


 のどのあたりに何かが引っ掛かっているような違和感のまま、私は胸を軽く押さえる。


 なんだろう。早く何かに気づいておかないといけない気がする。


 しかしその正体に至る前に、お店ののれんがひょいっと持ち上げられた。


たえー、いるかぁー?」


 入ってきたのは、関所で働く道行だった。


 私はぱたぱたと彼に駆けよって挨拶をする。


「いらっしゃいませます」


「おう、こんにちは。写見ちゃん」


 道行は私の頭に手を置いてくしゃくしゃと撫でまわしてきた。


 乱暴だが、力加減のわかっていない化身よりはずっとマシだ。


 道行はそのまま店の奥に視線をやり――ぱああっと目を輝かせた。


「うわー! なんだよなんだよ、妙! 今日は昔みたいな髪型じゃん!」


 飛びつくような勢いで道行は絵巻屋に近づく。


 絵巻屋はちょっとのけぞって道行から顔をそらしていた。


 はっきりわかる。あれは「面倒な奴が来た」という顔だ。


「お前やっぱりそっちのほうが似合ってるって! 写見ちゃんもそう思うだろ?」


「? ……はいます?」


 よくわからないのでとりあえず肯定しておく。


 ちらっと見ると、絵巻屋の眉間のしわがぐっと深まっていた。


「……少し奥に行って作業をします」


 絵巻屋は立ち上がり、すたすたと店の奥へと引っ込んでいってしまった。


「アー……」


 それを見送っていた化身はあきれたような声を上げ、へらっと笑った。


「お嬢さん、ちょっとお願いネェ」


「?」


「待ちなヨ、絵巻屋ー」


 ふよふよと浮いて、化身は去っていく。


 道行を見ると、にこにこ顔でそれを見送っていた。


「おい、道行。絵巻屋は昔違う髪型だったますか?」


「ん? うん、そうだよ」


 道行は畳の縁にすとんと腰掛ける。


 私もつられてその横に座った。


「アイツは見た目から入る性質たちだからさー」


「見た目ます?」


「あの髪型であの喋り方なら、真面目な堅物に見えるだろ?」


 私はぱちぱちと瞠目してこてんと首を傾ける。


「本当はそうじゃないますか?」


 道行はさわやかな笑顔のまま遠くを見た。


「昔は違ったよ。でも今はどうなのかな」


 すっと目を細めて、悲しいような、懐かしいような、いろいろなものが入り混じった顔になる。


「目の前で師匠を亡くして、自分を偽りはじめて、かつての自分を――『妙描』を捨てるみたいに俺たちから離れていって——」


 そこで言葉を切り、道行は俯いて目を閉じた。


 誤魔化された。たぶん、私に聞かせたくないことだったんだと思う。


 私は聞いておかなければという思いと、踏み込んではいけないという思いの間でぐらぐらと揺れる。


 私はうんうん考えて、道行の顔をじっと見て、口を開きかけて、やめた。


 これはきっと話したくないことだ。絵巻屋が道行から離れていったという話だけで、私は納得するべきだ。


 これ以上はきっと、二人の胸の中だけに止めておきたい内容だろうから。


「写見ちゃん、これは俺の独り言なんだけどさ」


 こちらを見ないまま、道行は話し始める。


 すごく、大事な話だ。


 そう直感した私は、彼の話を一切聞き逃さないようにしっかり彼を見た。


「この異界は仮初かりそめのものなんだ」


 かりそめ。


 口の中で言葉を繰り返す。


「本当なら消えてしまうはずだった存在を、墨で掬い上げて固定しただけの儚い世界」


 墨で固定。絵巻屋の仕事。


 絵巻屋がやっているのは世界そのものを固定すること。


「絵巻屋は世界の楔なんだよ。俺たちモノを、モノにし続けるために代々、任を負ってきた。言うなれば――」


 道行はまた言葉を切る。


 今度は口に出すべきか迷っているようで、唇を少し開けて、ちらりと私を見て、きゅっと閉じる。


 泣きだしそうな顔だった。


 それをじっと見ていると、道行は私の両肩に手を乗せた。


「写見ちゃん。君は妙のことが好きだろうし、化身のことも好いてると思うよ。でも、でもね」


 まるで揺さぶるように強く、縋るように必死に、私の目をのぞき込んでくる。


「離れたくなったら、いつでも逃げていいんだからね?」


 私は心の中にむかむかっとした思いがすごい勢いで満ちていくのを感じた。


 ほとんどにらみつけるようにしながら、私は道行に宣言する。


「逃げたりしないます」


 私は絵巻屋の弟子だ。


 絵巻屋は私を拾ってくれたし、絵巻屋も化身も私をここに置いてくれている。


 二人はたくさんのものをくれたし、私もたくさんのものを返したいと思っている。


 だから、そんなことを言われると、むっとするのは仕方ないことだった。


「なんでそんなこと言うますか」


 不満をこめて道行にそう言うと、彼は笑っているのに泣きそうな顔になった。


「俺たちみたいに、後悔してほしくないからだよ」


 私はそれ以上言葉をかけられずに固まった。


 この表情の意味は正しくはわからない。でも、何かを後悔しているのは痛いほどわかった。


 道行は、絵巻屋が今の絵巻屋になってしまったのを後悔しているんだ。


 そのまま私たちが見つめあっていると、店の奥から不機嫌な声がかけられた。


「アナタ、まだいたんですか」


 振り向く。


 絵巻屋はもうしっかりと乱れた髪を直しているし、道行を淡々と見るその目ははっきりと彼を拒絶していた。


 こっちに来るな。近づくな。


 そんな声が聞こえてきそうだった。


 道行は絵巻屋のそんな様子に気づいていないような顔になって、おちゃらけた表情で絵巻屋に言った。


「だーから、仕事の話だって!」


「……仕事?」


 そう言われてようやく絵巻屋も腰を下ろす。


 道行は畳に上がって、しっかり絵巻屋に向き直った。


「アヤシに目を盗まれる事件が起きてるんだ」

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