第九章 目を盗むもの
第47話 不穏な前触れ
いっそ腹立たしいほど晴れ渡った空の下、私は縁側で洗濯物をいそいそと畳んでいた。
副葬品のアヤシの一件以来、絵巻屋はなんだか元気がない。
見た目はいつも通りしゃっきりしているのだけど、背中がたまにさみしそうに見えるのだ。
せっかくカタチを描いたのに、あんな風に言われてしまったら仕方ないことなのかもしれない。
内心むすっとしながら最後の洗濯物をぽすっと畳み終える。
「あんな言い方しなくてもいいますのに……」
「――どんな言い方だい?」
急に空気がゆがんだ感じがした。
世界がぬるっとしてぼんやりしたものに変わり、私は誰が声をかけてきたのか察して顔をしかめる。
「お前は呼んでないます、事」
「ひどいなあ。そんなに僕のこと嫌い?」
いつの間にか私の隣に座っていた少年が、笑顔のまま言う。
私はうんと怖い顔をして、事を睨みつけた。
「嫌な奴だとは思ってるます」
「うーん、僕は善意で事実を言ってるだけなんだけどなあ」
事は全く悪びれずに頬を掻いている。
「それで? 誰にどんな言い方をされたんだい?」
「…………」
「ほらほら、お兄ちゃんに話してごらん!」
私はじとっと事の顔を見た。
「お前をお兄ちゃんと呼ぶのはなんだか嫌ます」
「ひ、ひどい……」
さすがにショックを受けたのか、事は頬を引きつらせた。
少しだけ勝利した気分だ。
心がちょっと軽くなった私は、事が相手ではあるけれど、胸のどこかに引っかかっているものを口に出してみることにした。
「……絵巻屋が」
「うん」
「絵巻屋がカタチを描いたら、責められてたます」
言葉にすると胸の中のぐるぐるがはっきりしてきて、やっぱり私は内心むっとする。
「絵巻屋は悪いことはしてないます。私はそう思うます」
不満な声で私がそう言うと、事はぶらぶらと足を動かした。
「んー、そういうのって善い悪いじゃないんだよね」
「?」
意外にも事がちゃんと答えてくれたことに驚き、私は彼の顔を見る。
「ルールはいつだって公平だ。それが何を与えようと、何を奪おうと、ルールはルール」
前にも言っていた『ルール』という言葉を繰り返す。
「この異界に定義されるモノである以上は、このルールからは逃れられない」
事は私の目をじっとのぞき込む。あきれるほど、さわやかな目だ。
二回目に会ったとき、その目はとても恐ろしいものように見えた。
だけど今は――ちょっと違うように見える。
「事の目はまっすぐます」
「え?」
「何があっても変わらない目ます」
彼が言っていた『生贄』のことは確かに恐ろしい。
でも、彼の言っていることはきっと最初から何も変わっていないのだ。
ずっと、ずっと、変わらずに生きている。
そんな確信があった。
「ふーん? ふふ、そう言われるとちょっと面映ゆいね」
事は目をそらしながら唇を尖らせる。まるでただの子供みたいな顔だ。
私は事を指さした。
「照れてるます」
「て、てて、照れてないよ。面映ゆいなんて言葉の綾だよ。この僕が照れるわけないじゃないか」
……そんな面倒なことするもんか。
唇は動いていない。だけど私の耳にははっきりとそう聞こえた。
「素直じゃないます。可愛げがないます」
「ええ!? 僕ほど可愛い存在がこの異界にいる!?」
「いっそ気持ち悪います」
「ひどい!」
えーんえーんと事は泣き真似をする。
私がそれを冷たい目で見ていると、事は急に復活して胸を張った。
「やれやれ、ふふん。君は見ることに長けているんだね。僕がそんなに善人に見えるなんて!」
「嫌な奴なのは変わりないます。さっさと帰れます」
「本当にひどいよ、お嬢さん……」
事はがっくりと肩を落とす。
私は洗濯物を持って、さっさと部屋の中に入ろうとした。
「ま、待って待って待って! 一応、用事があって来たんだって!」
事は私の腰に抱き着いて追いすがってきた。
さすがに事の体重は引きずれない。
仕方なく立ち止まって振り返る。
「どんな用ますか」
「うん、絵巻屋に話があって来たんだけど……留守みたいだね」
私は店のほうに目を向ける。
化身も絵巻屋もちょうど出払っていた。
「留守ます。お昼になったら帰ってくるます」
「そっかぁ。困ったなあ」
大して困っていないような顔で事は言う。
そして、何かに気づいたように、すんっと鼻を鳴らした。
「んー……?」
「何ますか」
「墨のにおいがする」
当たり前のことを言われて私は困惑する。
絵巻屋なのだから、墨のにおいがするのは当然なのに。
だけど、事は意味深に片眉を跳ね上げた。
「存外に早かったね、そろそろなのかな」
「……?」
意味が分からず、私は眉を寄せる。
事はぱっと私の腰から離れて、私を解放した。
「じゃあお嬢さんに伝言を頼もうかな!」
「伝言ますか」
まじめな話であることを察して、私は事の横にちょこんと腰掛ける。
「うん。実は今、ちょっと厄介なのが出てるっぽくて、僕も動いてるんだよね」
「厄介なの?」
「このままだと、顔がねー奪われそうなんだよねー」
軽い口調で言うにしては重大そうな内容だ。
私はびしっと背筋を正して、険しい目で事を見た。
「顔を奪われるとどうなるます」
「――モノではなくなる」
はっきりと事が言う。
その言葉の恐ろしさに遅れて気付き、私は体を震わせた。
「死ぬってことますか」
「ん? ああ、君は一回そういうのに会ったことがあるんだったね」
事は納得した顔をする。
「あのアヤシと性質的には似てるかな。でもあれよりもずっとずっとたちが悪い」
ぶるっと、背筋に寒いものが走る。
そんな恐ろしい奴がまた出てきているなんて。
早く対処しないと大変なことになってしまう。
深刻な気持ちで事を見ると、事は頭の後ろで手を組んでいた。
「顔はカタチの象徴でもあるんだよね。一番わかりやすく、個人を表せる部分だろう?」
それはなんとなく、わかる気がする。感覚的なものだけど。
顔がなければ、誰なのかわからなくなるという、ことだと思う。
「だから顔がなくなりかけてるモノがいたら教えてほしいんだけど……」
私は今になってハッと気付き、飛びつきそうな勢いで事に体を乗り出した。
「絵巻屋が!」
突然しがみつかれそうになった事はびっくりした顔で体を引いた。
事に避けられた私は、前に転びかけながら必死に言った。
「絵巻屋の顔がなくなりかけてるますっ……!」
事はきょとんとした後、眉をちょっと上げた。
「ああ……あの子がね」
元々知っているような口調だ。
勢いを削がれた私は、転びかけた姿勢のままぱちぱちと目を瞬かせた。
「それはこの件とはあんまり関係ないかな」
「そうなの、ます……?」
「うん。あの子の場合、顔をなくしかけているのはあの子自身のせいだよ」
簡単な言葉で言われたのに、すぐには理解できなかった。
でも、煙にまこうとしている感じはしなかった。
だから私は、事の顔をじっと見る。
事は、私に微笑みかけた。
「あの子は、あの子という個人を認めていないのさ」
個人を認めていない。
顔がないと個人がなくなる。
じゃあ絵巻屋は、逆なのか。
個人をなくそうとしているから、顔がなくなろうとしている。
私はゆっくりと噛み砕く。
事はひょいっと肩をすくめた。
「名前も捨てて、本当の己も隠したあの子が、一体何になれるというのか」
口に笑顔をたたえたまま、事はそう言う。
私は彼をじっと見つめていた。
事は、そんな私に目を向けてきょとんとした。
「おや、怒らないんだね。絵巻屋のことを馬鹿にされたって怒ると思ってたのに」
「お前は事実を言っているだけます。言い方は嫌な奴ますが、馬鹿にしてるわけじゃないます」
まっすぐ目を見ながら事に言う。
事は目を細めた。
「本当に君は、よく見えている子だよ。見えすぎてて、いっそ可哀想だ」
こてんと首を傾げる。
事はふふっと笑ってから、すくっと立ち上がった。
「じゃあ僕は行くよ。しっかり伝えておいてね!」
ぐわんと世界が揺れ、水の中にいたような感覚が消える。
私は見送るように彼がいた場所を見た後、落としてしまっていた洗濯物を持ち上げた。
もやもやとした気持ちが晴れて、だけど新しい疑問が腹の中に落ちていた。
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