第31話 文字のコツ

 お金の入った袋を手にして、大通りをてくてくと歩いていく。


 もう何回も通ったことのある道だ。迷うことはない。


 羽織をなびかせて歩いていると、ふと知らない人に声をかけられた。


「おや、絵巻屋さんのお弟子さんかい? 今日は一人でお出かけかな?」


 彼は私の羽織を見てそう言ったようだった。


 私は胸を張って答える。


「おつかいます。お店にお金を払いにいくます」


「へえ、偉いねえ。どうだい? うちで休憩していくかい? 絵巻屋さんにはいつもお世話になってるし、大歓迎だよ」


 私はちょっと考えてから答えた。


「知らない人についていっちゃダメと言われてるます。近づかれたら防犯ブザーます」


「『ぼうはんぶざー』……? ん、まあいいや。それにしてもしっかりした子だな。気を付けておつかいに行くんだよ!」


「応援ありがとうます」


 ぺこりと頭を下げて私はまた歩き始める。


 本当はちょっと休憩しておきたい気分もあったが、おつかい任務のほうが重要だ。


 任務の後にはおだんごを食べに行くのだから、休憩はそのあとでもいいだろう。


 もう十五分も歩けば、前回は紗綾に引きずられてきた呉服屋『路異みちい』へとたどり着く。


 私はその入り口から慎重に入り、ちょっとおどおどとしながら店員さんに声をかけようとした。


「すみませ――」


 だがその直前、私の視界にとてもテンションの高いおばさんが入ってきた。


「あらあら、この前のお嬢さんね!」


「店員さん」


 前にも出会った彼女は、にこにこと笑いながら私の前に膝をついた。


「絵巻屋さんの弟子になったっていうのは本当だったのね! その羽織、似合ってるわぁ!」


 絵巻屋の羽織をほめられ、私はふんすと鼻を鳴らす。


 おばさん店員はそれをほほえましそうに見た後、私を抱き上げて店の奥へと連れこもうとした。


「それで今日どんなご用件かしら? また服を見るなら、絵巻屋さんのツケにしておくわよ! ええ、アナタに合う服を探しておいたの!」


「ち、違うますっ。今日は違うますっ」


 じたばたと暴れると、おばさん店員は「あら、そうなの?」と心なしか残念そうに言った。


 私は、そんな彼女の前に、絵巻屋から託されたお金入りの小袋を手渡す。


「ツケを払いに来たます」


「あらまぁ、偉いわねぇ」


 おばさん店員はその場でちゃりんちゃりんとお金を数え、うんっとうなずいた。


「うん。きっちりお代通りね!」


 私は内心、よし、とガッツポーズをした。


 ちゃんと受け取ってもらえた。これでおつかい任務は成功だ。


 誇らしい気分になってそのまま帰ろうとしたが、そんな私をおばさん店員は呼び止めた。


「お嬢さん、ちょっと待っててちょうだいな!」


 彼女はばたばたっと足音荒く、店の奥へと行ってしまう。


 残された私は、追いかけることも帰ることもできずに店の隅へと寄っていった。


 戻ってきたおばさん店員が持ってきたのは、小さな紙袋だった。


「はいどうぞ」


 手渡されたそれを開ける。


 中には赤色の花の髪飾りが入っていた。


「おばちゃんからのお駄賃よ」


 髪飾りをじっと見つめる。


 挟む部分はつやつやして、花びらはきらきらしていて、とても安物とは思えない。


 私は顔を上げた。


「お金……」


「いいのよ! かわいい子を着飾りたいのは、服屋の本望だもの!」


 手をぱたぱたさせながら店員はおおらかに笑う。


「ほら、こっちに座りなさいな」


 おばさん店員に促され、鏡の前に座らされる。


 そして、彼女は私の前髪を寄せると、パチンと髪留めで止めた。


「はいどうぞ」


 思わずきゅっと閉じていた目を開く。


 鏡に反射する私は、白い髪に真っ赤な花をぽつんとつけていた。


 私はなんだか不思議な気分になって、それをぺたぺたと撫でる。


「赤色ます」


「お嬢さんの目と同じ色よ。とても綺麗な目だもの! きっと似合うと思っていたわ!」


 言われて、鏡の中を覗き込む。


 白い髪と対照的な真っ赤な目が、私を見つめ返してきた。


 相変わらず表情にとぼしい顔だったけれど、きっといつか見た寂しい顔ではない。


 赤色も、嫌な感じはしない。


 私はおばさん店員に振り向いて、ぺこりと頭を下げた。


「うれしいます。ありがとうます」


「どういたしまして!」


 おばさん店員に本当に嬉しそうに微笑まれ、私も心の中がぽかぽかする。


「今度は絵巻屋さんと一緒においでなさいな。あの子、見目はいいのに服装に興味がなくてもったいないのよねぇ」


 私の髪をとかしながら、おばさん店員はしょんぼりして言う。


「先代がいらっしゃったころはよく連れてこられて、着せ替え人形になってくれたのにねぇ……さみしいわぁ……」


 頬に手を当てて、はぁと息を吐く彼女に、私は考える。


 寂しいのはよくない。ぐるぐると着せ替え人形になると目が回るのはわかるが、絵巻屋もここに来るべきかもしれない。


 私はおばさん店員に力強くうなずいた。


「絵巻屋に伝えるます。また来いって」


「そうしてちょうだいな!」





 絵巻屋の羽織をなびかせ、赤い髪飾りを揺らして歩いていく。



「あれ、絵巻屋さんのとこの子かい? 一人でえらいねえ」

「ありがとうます」



「そこの魚屋のモノなんだけど、この前の絵のことお礼を伝えておいてくれないかな」

「任せろます」



「お嬢さん、その髪飾り素敵ね! よく似合ってる!」

「ふふん、ます」



 てこてこと歩きながら、たまに声をかけてくる人と挨拶をする。


 でも今のところ迷子にはなっていない。


 あとは茶屋に寄って、おだんごを食べて帰るだけだ。


 私は迷わず茶屋に辿り着き、お会計のところにいるおじさんにお小遣いの袋を差し出した。


「おだんご、ひとつくださいます」


「まいど!」


 おじさんは袋からお代を出して、残りを私に返してきた。


 まだずいぶんと残っている。私はうーんと考え込み、おじさんにもう一度声をかけた。


「おみやげにおだんご買えるか」


「ああ、できるよ! いくつがいいかい?」


「ふたつほしいます」


 指を二本立てて、おじさんにつきつける。


 おじさんはうなずくと、私の財布から小銭を数枚受け取った。


「じゃあお外の椅子で待っててくれるかな。今、持っていってあげるから」


「ありがとうます」


 ぺこっと頭を下げて、外のベンチに向かう。通り過ぎた店内では、らぶらぶの宵腕が忙しそうに歩き回っていた。


 内心、むふふ、という気分になりながら、ベンチにすとんと腰掛ける。


 お行儀悪くぶらぶらと足を揺らして待っていると、目の前の通りを親子連れが騒がしく通っていった。


「やだー! お団子食べるぅー!」


「もう、帰ったら他におやつがあるでしょ!」


「やだやだー!」


「そんな聞き分けのない子は置いてっちゃいますからね!」


「やだーー!!」


 ぴくっと目の端が震える。


 なぜかはわからないが、気分が急に落ちていく。


 心臓の鼓動がちょっと早くなって、私は無意識のうちに胸に手を当てていた。


 その時、突然私の肩にポンっと誰かの手が置かれた。


「……!?」


 慌てて振り向き、防犯ブザーを引き抜こうとする。しかしそこにいたのは、見たことがある顔だった。


「うわっ、わわわっ! 怪しい人じゃない! 怪しくないから遠鳴子を鳴らさないで!!」


 大げさなジェスチャーで私から遠ざかったのは、関所のお役人の道行だった。


 私はほっと胸をなでおろし、防犯ブザーを下ろす。


「不審者かと思ったます」


「そうだよな。うん。急に触ってごめんな」


 へにゃっと笑って謝る道行を、私はじとっとにらみつける。


 道行は私の隣を指さした。


「ここ座ってもいいか?」


「……許すます」


 ちょっと席を詰めて、道行が座れる場所を作る。


 彼は「よいしょっ」とか言いながら、そこに腰かけた。


「今日はたえと一緒じゃないんだな。おつかいか?」


 妙、と言われて一瞬誰のことかと思ったが、そういえば彼が絵巻屋のことをそう呼んでいたことを思い出した。


「道行、どうして絵巻屋のことを『たえ』って呼ぶます?」


「ん? んーー……」


 道行は困ったように顎を撫でてから答えた。


「あだ名だよ。アイツの名前からつけたんだ」


「あだ名?」


 私は首をかしげる。


「絵巻屋というのは名前じゃないますか?」


 道行は目を伏せる。なんだかさみしそうだ。


「アイツの本名はな、妙描みょうびょうっていうんだ」


「みょうびょう?」


「『たえ』に『』くと書いて、妙描みょうびょうだよ」


 そう言いながら、道行は足元に二つの漢字を書く。


「アイツのお師匠さんが、アイツにつけた名前さ」


 『師匠』という響きに、私の耳はぴくんと反応した。


「師匠というのは先代のことますか」


「ああ。アイツの前の絵巻屋のことだよ」


 なるほど。絵巻屋というのは名前ではなく、仕事のことだったのか。


 でもそれにしてはみんな、絵巻屋のことを仕事で呼びすぎではないだろうか。


 ううむと思いながら、私は続けて尋ねる。


「絵巻屋は師匠に拾われたますか?」


「そうだな。どこにも行くところがなかったアヤシだったアイツを、お師匠さんが名付けて弟子にしたんだよ。――そして、次の『絵巻屋』になって『妙描』って名前も捨てちまった」


 私はさらに首をかたむける。


「絵巻屋は、今は『妙描』じゃないますか?」


 道行は目を細めて笑った。


 でもそれはやっぱりとてもさみしそうで、私は胸の中がきゅっとする思いがした。


 私はじーっと彼を見て、なんとなく浮かんだことを口に出した。


「お前、絵巻屋の友達だな?」


「え?」


「なんとなくます。でも、お前が絵巻屋と仲良くなりたいのはわかるます」


 ぴこぴこと腕を動かして主張する。


 道行はとても優しい顔になった。


「うん。そうだよ。昔はさ、すっごく仲が良かったんだよ。一緒に馬鹿やって笑って叱られてさ」


 私は絵巻屋が笑っている姿を想像しようとして、失敗した。


 絵巻屋はどうやって笑うのだろう。むむ、と考え込む。


「アイツああ見えて、結構いろいろと雑なところあるし、変なところ抜けてるし、なんというか……俺は弟分のように思ってたよ」


 はは、と道行の口から軽い笑いが出る。


 私は重ねて尋ねた。


「今は違うます?」


 道行は答えなかった。


 でもその代わりに、やっぱりとてもさみしそうに笑っていた。


 私はいけないことを聞いた気分になって、謝ろうと息を吸い込んだ。


 だけど、それより先に道行は明るく笑って宣言した。


「でも俺は諦めないからな! もう一度アイツと馬鹿やれる友達になってみせる!」


 腕を突き上げて言う道行を私はあっけにとられて見上げ、その目に燃えている炎を見て、内心うれしくなった。


「それは楽しそうます」


「ふふふ、絶対楽しいだろうな!」


「絵巻屋も楽しくなれるますか?」


「ああ。きっとな! アイツのすまし顔をぐっちゃぐちゃに歪めて笑わせてみせる!」


 立ち上がって一人で気合を入れる道行に、私はふんすと鼻から息を吐いた。


「応援するますっ」


 私も立ち上がり、ばっと両腕を挙げて道行にかざす。


「私は、絵巻屋に幸せになってほしいますっ」


 道行は一瞬言葉を切り、それからとてもうれしそうに笑った。


「奇遇だな。俺もだよ!」


 一気に幸せな気分になった私は、道行に胸を張ろうとして、勢い余ってちょっとよろけてしまった。


 バサッと音を立てて、持ち歩いていた本が、服から落ちる。


「お? それ、ひらがなの教本か?」


 道行はそれを拾い上げ、パンパンと払ってから私に手渡してきた。


「絵巻屋がくれたます。お勉強するます」


「へぇ、偉いな! 今はどれぐらい書けるんだ?」


 私は教本を見下ろした。なんとなく中身を読むことはできるが、まだまだ完全に形を覚えられていない。


「……あんまり書けないます」


 しょんぼりした気分でそう言うと、私を見下ろしていた道行は、突然気合を入れた。


「……よし!」


「!?」


 急に大声を出されて、ちょっと飛び上がって驚く。


 それに気づかずに、道行はそのへんから一本の棒を拾ってきた。


「お嬢さんは絵は好きなんだよな?」


「ます」


「じゃあ、とっておきの覚え方を教えてやるよ」


 道行は地面にうずくまり、棒で何かを書く。


 私もその隣にしゃがみこんだ。


「へ、の、へ、の、も、へ、じー」


 がりがりと道行が書く文字を追う。


 何を書いているのだろう。


 そう思いながら、じっとそれを見つめ――私は不意に気が付いた。


「顔ます……!」


 道行が書いたひらがなは、いつの間にか顔の形になっていたのだ。


「な? 覚えやすいだろ?」


 さわやかに道行は笑う。


 私はこくこくとうなずいた。


「すごいます。お前、すごい奴ますな」


 尊敬のまなざしを向けると、道行は大げさに照れて頭をかいた。


 私は道行の隣に、同じようにひらがなを書いてみた。


「へ、の、へ、の……」


「もへじ、だぞ」


「もー、へー、じー」


 ガリガリと地面に書いた文字は、不格好ではあるけれど、ちゃんと顔の形になっていた。


 私はそれを見下ろしてひとつうなずく。


「帰ったら絵巻屋たちに自慢するますっ」


「おう。そうしてくれ!」



 お土産にお団子を包んでもらい、私はきっちり絵巻屋の店までたどりついた。


 のれんをくぐって、二人に声をかける。


「ただいまます」


「オオッ! おかえリ! ちゃんとおつかいできたかイ?」


「完璧ます」


「偉いネェ、偉イ!」


「甘やかしすぎでしょう。近所の爺さん婆さんですか」


 文机に座った絵巻屋が、顔も上げずにそう言う。


「何をゥ!?」


 化身はふわっと飛んでそれに突っかかりに行こうとしたが、私はその裾をつかんで彼を引き留めた。


「おい」


「ン?」


「お土産ます」


 お団子の包みを化身に突き出す。


 すると化身はなぜかぴたりと動きを止めた。


「どうしたます?」


 不思議に思ってそう尋ねると、化身はちらりと絵巻屋をうかがったあと、言いづらそうに私の前に降りてきた。


「ごめんネェ。それはお嬢さんだけで食べてネ」


 私の頬を撫でながら化身は言う。


 内心しょんぼりして、私はうつむいた。


「要らなかったか……」


「アア、違う違う! 気持ちは嬉しいんだけどネ」


 あわあわと手を動かして、化身は言う。


 私はがくっとしている気分のまま、疑問の視線を化身に向ける。


 化身は何度か言い訳の言葉を発しようとしては失敗していたが、やがてあきらめたのか、言い聞かせるように私に告げた。


「『絵巻屋』と『化身』はネ、ごはんを食べられないんだヨ」


 目をしばたかせて私は尋ねる。


「なぜます?」


 この異界にいるモノたちはしっかりとごはんを食べているはずだ。


 おかしを出してくれる茶屋だってあるし、歩いてきた通りにはいい匂いも漂っていた。


 不思議な気持ちで素直に尋ねると、化身はどことなくさみしそうに、だけど優しく私に言った。


「俺たちは、そういうモノじゃないからサ」

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