第25話 盗られたもの

 穴の向こう側では『私』が二人に向かって手を振り上げて主張していた。


『私もやるます。お仕事手伝うます』


 ぴょこぴょこと飛び跳ねて要求していると、絵巻屋は大きくため息を吐いた。


『来てしまったものは仕方ありませんね』


『……いいカイ? 絶対に俺たちから離れないでネ?』


 絵巻屋たちはいつも通り『私』に話しかけている。


 ぶっきらぼうに絵巻屋が。すごく優しく化身が。


 その表情を改めて遠くで見て、なんだかいつも二人が向けてくれている感情が、すごく大きくて優しいもののように思えた。


 私、あんな風に周りから見えているのか。


『おーい! いたいた!』


 駆け寄ってきたのは、お関所に勤めている道行だった。どうやら今回は彼も事件解決のために動いてくれているらしい。


『妙。手がかりはあったか?』


『……』


 道行が不思議な呼び名で絵巻屋を呼ぶも、絵巻屋はそれを無視した。


 しかし、化身はその後頭部を着物のそでではたいた。


『意地を張ってる場合カヨ!』


 絵巻屋は顔をしかめた。本当に嫌そうで不服そうだ。


 だけどそれは事実のようで、絵巻屋はしぶしぶ道行に答えた。


『まだありません。例年通りなら、そろそろ動きを見せるはずですが……』


『そうかぁ……関所の奴らもかなり出て捜索してるからさ、何かあったら他の奴にでも声をかけてくれ』


『……わかりました』


 じゃあな! と片手を上げて、そのまま道行は走り去ろうとする。


 しかし彼が『私』の隣を通った瞬間、道行は派手にすっころんだ。


『うおおっ!?』


 何もない場所で転び、受け身も取れずに顔面から地面に突っ込む。


 無様に転がる道行を絵巻屋は見下ろす。


『何をしているんですか』


『え? あはは、ちょっとつまずいちゃってさ』


 起き上がりながら照れ臭そうに笑う彼を、絵巻屋は鋭く睨みつける。


『……こんなところでドジをしていてどうするんですか。バカですかアホですか』


 それを聞いた道行は一回きょとんとした後に、ぱあっと表情を明るくした。


『なんか今の昔のやり取りみたいだったな! もう一回もう一回!』


 道行きはぴょんっと立ち上がると、指を一本立てながら絵巻屋に詰め寄る。


 化身はそんな二人を遠くで見て、呆れた声を上げた。


『ああ言うとマゾヒストに聞こえるよナァ……』


『まぞひすと?』


『お嬢さんはあんまり見ちゃダメだヨ』


 化身は『私』の目を着物で隠す。『私』はおとなしくそれに従った。


『……そんなことより、早く捜索に戻りますよ。時間はないんですから』


 絵巻屋が羽織を揺らして歩き出そうとする。


 その時、すぐ近くにあった物干しざおが突然傾き、風にあおられ飛んだ服が絵巻屋の顔に直撃した。


『ぶっ』


『ぶふっ』


 ぶつかられた衝撃で変な声を出した絵巻屋を見て、化身が噴き出す。


『……化身』


『ブフッ、アハハ! だって、フフッ! 絵巻屋、そんなベタなことあるかヨォ!』


 腹を抱えてひいひい笑う化身を、絵巻屋はじとっと見る。


『アーおっかしい! お前のすまし顔が崩れるのッテ本ッ当に面白――』


 笑いながら化身はぷかぷかと進んでいこうとする。すると、その真上の通路で運ばれていたたらいが急に動きを止め、ひっくり返ってその中身をぶちまけた。


『ギャッ』


 降ってきた水が化身に直撃し、全身がびしょぬれになる。


 濡れ鼠になった彼を見て、絵巻屋は大きく鼻を鳴らした。


『はっ!』


『オマッ、鼻で笑ったナ!? 今鼻で笑ったダロ、絵巻屋!』


 三人の大人が、道の真ん中でぎゃーぎゃー言い合っている。


 私は首を傾げた。


「……遊んでるますか?」


 じっと見ていると喧嘩はどんどんヒートアップしているようで、周囲の通行人たちも「なんだなんだ」と寄ってきていた。


「なんだか面白います」


 絵巻屋がここまで感情豊かになるのを見たことがなかった私は、じっとその様子を観察する。


「三人とも楽しそうます」


 私がぽつりと言うと、穴の向こうの『私』も淡々と彼らに告げていた。


『三人とも楽しそうます』


『楽しくない!』

『楽しくナイ!』

『あはは。お嬢さんは感性が独特だなぁ』


 道行が渇いた笑いを浮かべている。


 向こう側の『私』もこころなしか楽しそうだ。


「いいなあ……」


 ただうらやましくて、ぽつりとつぶやく。


 私の代わりにあそこにいる『私』。本当はあそこにいるはずなのは私なのに。


 『私』は道行の前に行くと、腕を広げて主張した。


『写見だます』


『ん?』


『私は『写見』だます』


 胸を張る『私』を見て、私は心の中が針で刺されたような気分になった。


 どうして彼女がその名前を使うのか。それは私の名前なのに。私が絵巻屋にもらった大切な名前なのに。


『そうか。写見は名前を呼んでほしかったんだな。悪い悪い』


 道行は『私』の頭を撫でながら、私の名前を呼ぶ。


 私は、自分の服の胸のあたりをぎゅっと握り締めた。


「私も、頭撫でられたいます」


 よしよしと手を頭に乗せられている『私』は気持ちよさそうに目を細めている。


「名前、呼ばれたいます」


 絵巻屋も、化身も、『私』のほうだけを見ている。


「帰りたい……」


 泣きそうな気分になりながら小さく言う。


 穴の向こうの『私』は、楽しそうに三人と会話している。


 その時、『私』の羽織りから一枚の紙がひらりと地面に落ちた。


『何か落ちたヨォ』


 化身が近づいていって拾い上げる。


「あれ、は、」


 彼からそれを受け取った『私』は、迷いなくそれを絵巻屋に突き出した。


『受け取れ』


 ぶっきらぼうに言う『私』の手にあるのは、絵巻屋のために描いた絵巻屋の似顔絵だ。


 絵巻屋は怪訝そうにそれを受け取る。


「それは、私が描いたものます……!」


 穴の縁をつかむ手に力が入る。身を乗り出して、必死に叫ぶ。


「私のものます……!」


 手渡された似顔絵を、絵巻屋はしかめっつらで見下ろしている。


 穴の向こうの『私』は、誇らし気だ。


 違うのに。それは私のものなのに。私が絵巻屋に描いたのに。


『絵巻屋よかったネェ』


 化身が似顔絵を覗き込んでほのぼのと言っている。絵巻屋は険しい顔を崩さなかった。


『……こんなものを渡されている場合ではないでしょう』


『そう言うなッテ。ホラ、頭のひとつも撫でてやりなヨ。それぐらいはいいダロ?』


 絵巻屋は押し黙り、剣呑な目のまま『私』に視線を向け、ちょっと手をさまよわせてから、『私』の頭に手の平を置いた。


 無言のままちょっと乱暴に撫でられて、『私』は表情を変える。


 『私』は、私のくせに、私よりもきれいに笑っていた。


 私は穴から離れて、一歩よろめいた。


「なんで、気づかないます」


 ぽつりと呟かれた言葉は誰にも聞こえていない。


 穴の向こう側からは、ざわざわとした異界の音が響いている。


「私はここます」


 足から力が抜け、地面にへたり込む。


 沈む夕日のせいで、影がどんどん伸びていく。


 私は、爪が食い込みそうなほど、腕を強く抱きしめてうずくまった。


「……やっぱり、ちゃんと笑えないやつなんて、要らない子か?」


 遠くで、カラスがやけにうるさく鳴いていた。

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