第24話 覗き込む先

 生ぬるい風が頬を撫でた気がして、ぴくっと瞼を震わせる。


「ん……」


 ゆっくりと目を開く。地面とどことなく見覚えのある遊具が視界に入った。


 倒れていた地面から体を起こす。きょろきょろとあたりを見回す。


 ざわざわと並木が揺れている。空は赤くてカラスの声が聞こえる。


 そして、ペンキが塗りたての艶やかな滑り台と、ジャングルジム。


「公園……?」


 来た覚えがない場所だが、知識がそう言っている。


 最初私は、遊具と自分の影が夕焼けに伸びているのをぼんやりと見ていたが、ハッと正気を取り戻して立ち上がった。


「……アヤシ!」


 ついたての後ろに見えた無数の目玉を思い出す。多分、あいつが私をここに連れてきたのだ。


 もう一度辺りを見回す。


 人のいない公園。小さく風に揺れるブランコ。だんだん伸びていく夕日の影。


 ここが、アヤシの作った場所。


 それにしてはここはなんというか、異界らしくない。


 まるで、現世のどこかのようだ。


 あのアヤシは普段、ここに住んでいるのだろうか。


 ――くすくすっ。


「!」


 囁くような誰かの笑い声が聞こえて、私は振り返る。


 誰の影もない。でも、どこかに何かがいる。


 慎重に歩き出す。声がした方向に、公園の奥へと進んでいく。


 ――ふふっ、くすくす。


 視界の端を、たたたっと誰かの影が横切る。


「!」


 振り向く。誰もいない。


 ――ふふふっ。


 ぱたぱたと足音がする。前方だ。


 たぶん、あっちにアヤシがいる。


 私は意を決して、そちらに駆け出した。


 公園の奥は、森へと続いていた。太い幹がずらりと左右に並んだ道だ。


 地面に敷かれた石畳を蹴って、私は声を追いかけていく。


 ――ふふ、あははっ。


「待つます!」


 ――ばたばたっ、ぱきっ。


 こちらが走れば走るほど、声の主もどんどん走るのを速くしているようだった。


 いつの間にか階段になっていた地面を蹴って、息を切らしながらそれを追いかける。


 左右の木々はざわざわと騒いで、夕日で落ちる影が私を覆い隠そうとしてくる。


「はぁ、はぁっ……」


 息を切らせて立ち止まる。汗がぽたぽたと額から落ちる。


 地面を見下ろしていると、視界の端に誰かの足が見えた。


 立っているのが不思議なぐらいの、白くて細い足首。


 小さな、子供の足だ。


 ――ふふっ、ふふふっ。


 楽しそうな笑い声がする。私は顔を上げようとした。


 ――じょうずにつかまえてね。


 声だけを残して、それは目の前から掻き消える。


 そして、足音は前方に遠ざかっていく。


「待て!」


 息をなんとか整えてばたばたと私は走り出す。


 ――あははっ。あはははっ。


 本当に楽しそうに笑う声の方向をにらみつける。


 一体何が楽しいのだろう。私をからかって楽しんでるのだろうか。


 石段の最後の一個を昇り終わる。そこにあったものに私は目を見開いた。


「……!」


 それは一本の巨大な木だった。


 本当に大きい。並大抵の建物よりもずっと背が高くて、幹は大人が五人腕を広げてようやく一周できるぐらいだ。


 木の幹にはぐるりとしめ縄が巻かれていた。どうやら特別な木のようだ。


 ――ふふっ。


「!」


 木のほうから声がして、私はそっとそちらに歩み寄る。


 ざわざわ、ざわざわ。


 何かが寄せては返すような音が聞こえ、私は木へとさらに近づいた。


 その音は木に開いた穴から聞こえてくるようだった。穴は深くて、どこまでも続いているように見える。


 私はその中を覗き込み、驚きで目を見開いた。


「……!」


 穴の中はどこかの景色を映し出していた。


 道を歩くちょっと奇妙な人々。和風な建物たち。ついさっきまでいたはずの異界の風景だ。


 もしかしてここは異界に繋がっている?


 私は木をよじ登って穴に入ろうとしたが、穴は足を一本入れるのが精いっぱいの太さしかない。


「…………」


 諦めて木を降り、再び穴を覗き込む。


 すると、誰かが道を歩いているのが見えた。


「!」


 てくてくと道を歩いているのは一人の少女だった。


 白い髪をしていて、背が低くて、見習いの羽織りを後ろに揺らしている。


 彼女は道の先に誰かを見つけると、たたたっと彼らへと駆け寄っていった。


『絵巻屋。化身』


 名前を呼ばれた二人は振り返る。そして、二人して眉をひそめた。


『お嬢さん、どうしてここに?』


『……私は、留守番を命じたはずでしたがね』


 彼らの言葉に、少女は何かを主張しようとしている。


 私は目を見開いて、ぽつりと言った。


「……私がいる」

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