第23話 アヤシの噂
煙をくゆらせている背中を、私はじーっと見つめていた。
絵巻屋はいつものように文机に向かっている。
命じられた仕事終えた私は、その後ろにちょこんと控えていたが、そっと立ち上がると彼の横に膝をついた。
「絵巻屋。何を描いている」
「敬語」
「描いてるます」
振り向かないまま訂正され、言い直す。
絵巻屋は、巻物の上にすらすらっと筆を走らせている。巻物にはほかにも人が並んで描いてある。
「先日、無事に『モノ』となった穂待さんですよ」
「?」
たしか、あの仲人さんの名前だ。彼女はもうカタチを描いたはずではなかっただろうか。
きょとんとするも、絵巻屋は相変わらず巻物から目を離さない。
「この絵巻は戸籍のようなものなのです」
「こせき?」
「名を与え、絵巻に記すことによって、モノは存在を安定させる。……乱暴な言い方をすれば、ここに描かれているモノは異界に生きることができるということですよ」
目をぱちぱちと瞬かせながら少し考え、私はその意味をたぶん理解した。
「お前、やっぱりすごいやつだったますな」
絵巻屋は何かを言いたそうに顔をしかめたが、それ以上何も言おうとしなかった。
私は絵巻屋の隣にひざをそろえて座っていたが、彼が持つ筆があまりにも綺麗に動くので、ずずいっとそちらに近づいていった。
文机に触れるほど体を寄せ、じーっと筆先をのぞき込む。
絵巻屋は筆をぴたっと止めると、私をぎろりと見降ろしてきた。
「……なんですか」
「見てるます」
体を前にぐっと傾けて停止する。
「参考にするます」
頭上で軽くため息をつく音が聞こえ、筆は再び動き始める。
しかしそれをさらに凝視していると、絵巻屋はまた描くのを止めた。
「写見」
「なんだます」
「霧タバコが当たりそうです」
くるっと顔を上げる。絵巻屋がくわえるタバコが見える。
ふむ。これは霧タバコという名前だったのか。
そう思いながらタバコを見上げていると、その先端が赤く、じじっと揺れた。
燃えてる!
ばっと距離を取り、息を吐く。
「危なかったます」
「わかったらもう少し離れてください」
「ます」
こくりと頷き、ちょっとだけ体を離す。
だけど当たり前だが参考にするのは止めたくない。
私はさっきよりは遠い場所で絵巻屋の手の動きをじーーーっと見ていた。
「……やりにくい」
絵巻屋の苦々しい声が小さく聞こえてくる。
でも手は止まらない。これがプロの仕事というものなのか、と私は感動した。
やがて最後の線を慎重に引き終わり、絵巻屋はことんと筆を置いた。
「描けたますか」
今度は霧タバコをよけて、ずいっと近づく。
巻物に描かれた絵巻屋の作品は、やはり見事なものだった。
大きくはない絵なのに、まるで実物が目の前にいるような存在感。
とめもはらいも全部計算ずくで、目に入れられた瞳が文字通りその絵に命を吹き込んでいる。
紙の上に描かれた絵なのに、ただの写真よりもずっと正確で、ずっとずっとかっこいい。
「確かに、技術は見て盗めとは言いますが……」
頭の上に落ちてくるのは、絵巻屋のあきれた声だ。
私はハッと気づくと、胡乱な目でこちらを見下ろす絵巻屋を見た。
「もしかして、お前と私では筆の持ち方、違う」
「敬語」
「違うます」
丁寧に言い直すと、絵巻屋はちょっとめんどくさそうに「そうですね」と返事をした。
私は彼にずずいっと詰め寄った。
「どうやって持つ」
絵巻屋はちょっとのけぞって苦虫を嚙み潰したような顔をした後、何かをあきらめたのか、私にため息をついた。
「筆を出してください」
「!」
言われた通りに服の下に持っていた筆を取り出す。
絵巻屋は自分の筆を持ち上げると、私の前で筆の持ち方を構えてくれた。
「指でこう挟むんですよ」
絵巻屋が持つ筆は、机に向かってまっすぐ立っている。
白い指は筆を軽く握っていて、ひじは机から離れていた。
ただ筆を持っているだけなのに、なんだか職人技という感じだ。
「……こうますか」
真似をして筆をまっすぐに立てる。
だけど絵巻屋よりも圧倒的に指が短いせいで、どうしてもへんてこな持ち方になってしまう。
私はきゅっと眉を寄せた。
「むつかしいます」
顔をしかめたままうろうろと試行錯誤する。力をこめても抜いても、どうにも筆の傾きは安定しない。
そんな私を、絵巻屋は最初静かに見ていたが、やがて「はぁ……」と大きくため息をついた。
私の手に重なるように、絵巻屋の手が伸びてくる。
「写見。ほら、ここをこう……」
絵巻屋の指が包み込むように、私の手を握る。
――その瞬間、私は筆を取り落として、びゅっと手を引っ込めていた。
「……あれ?」
なぜ自分がそんなことをしたのかわからず、私ははてなと混乱する。
困惑しているのは絵巻屋も同じようで、触れかけた手を宙に持ち上げたままだ。
そのまま二人で硬直していると、店の奥から化身がふわふわとやってきた。
「オッ、仲良しだネェ」
近づいている私たちの距離だけを見てそう言ったのだろう。絵巻屋は慌てて私から体を離した。
私はまだびっくりした気持ちのまま、それを見送る。
「どうしたんダイ? 二人とも変な顔しテ」
「……なんでもありませんよ」
表情を取り繕って絵巻屋はそう言う。
化身は首をかしげながらも、絵巻屋に寄っていって彼の耳元でささやいた。
「……もう明日だヨ。お嬢さんにどうするか伝えたカイ?」
絵巻屋はいやそうに顔を歪める。
そして、私をちらりと見て、ちょっと考え込む様子を見せてから、私にまっすぐ向き合った。
「写見」
「はいます」
「明朝、少し面倒な案件が入っています」
突然の用件に、私はこてんと首をかしげる。
「面倒ますか」
絵巻屋が面倒と言うのなら、本当に面倒なのだろう。
私も気合を入れなければ。今度も絵巻屋たちの役に立ってみせる。
そうやって内心ふんすと決意していると、絵巻屋は鋭い目で私を射抜いた。
「なので、アナタは店で留守番です」
がーんっと私の体に衝撃が走る。
聞き間違いではないかと慌てて尋ね返す。
「ついていけないますか」
「だめです」
「どうしてもますか」
「どうしてもです」
「じ、邪魔しないます」
「だめです」
必死に追いすがったが取り付く島もない。
私は、しゅん……と肩を落とした。
二人の役に立ちたかった。そうして、もっと絵がうまくなりたいのに。
うつむく私の横に、化身がふわふわやってくる。
「ゴメンネ。今回は本当に危ないんだヨォ」
内心しょんぼりしながら化身を見上げる。化身はいつになく真剣に言った。
「定期的に起こってる厄介なアヤシの事件でサ。絵巻屋が出てもどうにも対処できなイ。けれど、年に一度乗り切れば、次の年までは大丈夫なんだヨ」
不穏な話だ。
化身は悔しそうに肩を落とした。
「代々、その時の絵巻屋が出ていって乗り切ってるんだケド……勝率は半々なんだヨネ」
「勝率」
私は繰り返し、尋ねることにした。
「負けたらどうなるますか」
「存在を盗られるんですよ」
絵巻屋に答えられ、そちらを見る。絵巻屋の目も深刻なものだった。
「あのアヤシは毎年誰かを捕まえて、入れ替わるんです」
思わずぞっとした。まるでホラーだ。
絵巻屋は睨むように目を細める。
「その日一日、誰が入れ替わっているのか見抜けなければ、そのモノは消えてしまう」
「消える」
「現世風に言うなら、死ぬってことだヨ」
静かに化身が補足する。
「モノっていうのは名前によってこの異界に縛られてるモンだからサ。長い時間入れ替わられると、名前ごと盗られて消えちまうんだヨ」
つまりそのアヤシは人を殺してしまうということか。
全身にぶるっと震えが走り、私は縮こまった。
「怖い奴ます」
「そうだヨォ。だから明日はお嬢さんはお留守番しててネ」
むっと顔をしかめる。
確かに怖い奴だ。でもそれはそれ、これはこれだ。
「私、絵巻屋の弟子だます」
唇を尖らせながら二人を見上げる。
「危なくても行きたいます」
深刻な顔の二人をぎゅーっと睨みつけながら、私は主張した。
だけど絵巻屋たちは即答した。
「だめです」
「ダメだからネ」
*
翌朝目を覚ますと、もう二人はいなかった。
どうやら本当に置き去りにされたようだ。
私はむーっとしながら掃除を進める。自然とはたきを動かす手も荒くなってしまう。
「ひどいます」
いくら危険でも連れていってほしかった。私は絵巻屋の弟子なのだから、絵巻屋のお仕事をいつでもそばで見ていたいのに。
ぼふん! と最後の棚の掃除を終える。
ここが終わってしまったらあとはもうお店番だけだ。
いつもなら誇らしい気分で果たす任務なのに、今日ばかりはうぐぐっという気分が胸の中に満ちていた。
私は唇を尖らせながらどかっと座り込み、ハッと何かが脳裏を横切った。
こんな風に派手な座り方をして、ガハハッと笑う豪快な人。
記憶にあるようなないような、思い出せないような、あんな人忘れられないような。
「そうだ」
ガバッと立ち上がり、筆を出す。
棚をごそごそと漁って、要らない紙も出してきた。
「似顔絵を描くます」
筆を持ち上げ、まっすぐに立てる。不格好だけど、真似をすることはできる。
私はまだ見たことのない絵巻屋の笑顔を思い浮かべながら、筆を紙に押し付けた。
「きっと喜ぶます」
ぐりぐりと筆を紙に押し付け、絵巻屋の顔を描いていく。
髪はきっちりしていて、目は厳しくて、几帳面そうで、いつもしかめっ面。
年齢よりも老けて見えるし、どうやら割とそれを気にしているらしい。
「ふふん」
筆を持ち上げて完成した絵を見下ろす。
上手か、と言われると微妙だ。比較対象が絵巻屋なのだから仕方ない気もするが……いや、そこは認めよう。
私の絵はへたくそだ。でも、これから上手くなるのだ。
たくさん教わって、たくさん描いていくのだ。
私は一気にるんるんした気分になって、似顔絵の紙をくるくる丸めて自分の服に入れた。
その時、ざわざわっと店のほうから囁き声が聞こえてきた。
「お客様か」
慌てて立ち上がり、せわしない足取りで店へと出ていく。
「イラッシャイマセ」
ぴょこっと顔をのぞかせたが、店の中には誰の姿もない。
「?」
首をかしげる。
今たしかにこっちで物音がしたと思ったのだが。
……もしかしてもう外に出てしまったのだろうか。
ひょいっと表を見る。誰かが遠ざかるような影がちらっと見えた。
「!」
やっぱり出ていってしまったみたいだ。
お客様を帰してしまうなんてお店番、失格だ。私は慌ててその影を追いかけた。
「ま、待つます!」
店先に飛び出す。しかし、そこには何の人影もいなかった。
きょろきょろと見まわすも、店先からこの数秒で歩いたり走ったりして行けるような位置には誰もいない。
ちょっと離れた場所で、小さな子供たちが楽しそうに遊んでいるだけだ。
私は困ってしまって立ち尽くす。
子供たちが遊ぶ声だけが響いている。追いかけっこをしているのか、数人でぱたぱたと走り回っている。
――ピリッと何かが刺激された気がした。
「……いいなあ」
無意識のうちにそんな言葉が出て、慌てて口を手でふさぐ。
なぜ今、私は「いいなあ」なんて言ったんだろう。
じりじりと頭の端が焦げているような感覚がある。
子供たちから目をそらせなくて、茫然とそれを見る。
いいな。いいな。
胸の底からそんな声が聞こえてくる。
正体がわからない誰かが、ここではないどこかを見ている。
いいな。……私も、遊びたいな。
ざわざわざわっ。
ついさっきも聞こえた囁き声が後ろで響き、私は振り返る。
人影はない。
だけど、絵巻屋の店の前にある大きなついたての後ろから、ちらちらと何かの影が覗いていた。
私は不思議に思いながらそれに近づき、ついたての裏をのぞき込んだ。
「そこに誰かいるますか?」
――ぎょろりと動く無数の目。それが一斉に私のほうに向いた。
「え」
次の瞬間、私はついたての裏側に引きずり込まれた。
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