第21話 絵巻屋の約束

 墨守の家に行ってから数日。


 私は、あそこで得たいろいろな思いが、ちらちらと頭のすみをかすめる日々を送っていた。


 事に言われたことも墨守に聞いたことも、どちらも難しくて、すぐに考えられるものではない。


 でもいつかは考えないといけない。それだけは変わらない。


 持っていたはたきを止めて視線を下げる。


 私は、何がしたいんだ。


 その時、背後から絵巻屋の声がした。


「写見」


 名前を呼ばれ、慌てて振り返る。


「何だ」


「敬語」


「何だます」


 絵巻屋は立ったまま、じっと私を見下ろしている。


 自分で呼んだくせに黙ったままだ。


 何か叱られるようなことをしてしまっただろうか。


 緊張しながらそれを見ていると、たっぷり十秒は経った後、絵巻屋は私に右手を差し出した。


「どうぞ」


 その手に何かが握られているのを見て、それを手渡されようとしているのに気づく。私はあわててそれを受け取った。


「?」


 私の手の中に落とされたのは、一本の糸でできた腕輪だった。


 見覚えのある黒色で、しなやかな感触をしている。


 私はきょとんとしながら絵巻屋を見上げた。


 だけど絵巻屋は黙ったままで、それ以上説明しようとしない。


 お互いに沈黙すること数秒。それを破ったのは、ふわっと飛んできた化身の声だった。


「ご褒美ダヨォ」


 思いがけない言葉に彼の顔あたりを見る。


「この前は立派な蛇が描けたからネ。それ、欲しかったんダロウ?」


 そこまで言われて、これがあの露店で見ていたあの腕輪だと思い至った。


 化身は絵巻屋の肩に手を置き、しみじみと言う。


「なんだかんだ墨守に言われたコト気にしてんだネェ」


 絵巻屋は露骨に私たちから目をそらしている。


 私は手渡された腕輪をじっと見ると、絵巻屋に声をかけた。


「おい」


 呼ばれた絵巻屋が、しぶしぶと私に視線を向ける。


 私はそんな彼に腕輪を差し出した。


「ん」


「え?」


「受け取れ」


「ええ?」


 間抜けな声を上げながら思わずといった様子で絵巻屋はそれを受け取る。


 私は胸を張って鼻を鳴らした。


「絵巻屋にあげたかったます」


 ぎょっとした顔で絵巻屋は私を見る。


 無防備でいつもは絶対に見られない顔に、私は内心おかしくなって、びしっと彼を指さした。


「つけるます」


 指示されるまま、あわあわと絵巻屋はそれをつける。


 白い手首に墨のようなそれがはまるのを見て、私は大満足した。


「やっぱり、似合うます」


 そんな私のことを呆然と見ていた絵巻屋は、額に手を置いて、はぁーー……と深く深くため息をついた。


「これではアナタへのご褒美にならないじゃないですか」


 消え入りそうな声で絵巻屋はそう言う。私は内心しょんぼりした。


「嬉しくないか……」


「イヤイヤ、嬉しいヨ! 絵巻屋、超喜んでるヨ!」


「ほんとか?」


「ほんとダッテ! な!」


「………」


 絵巻屋を見ると、ちょっとだけ耳が赤くなっている気がする。私は大きくうなずいた。


「ならいい」


 ふんすと鼻を鳴らしていると、化身は「アー」とか言いながら近づいてきた。


「お嬢さん、ほかに欲しいものはないカイ? 絵巻屋はお嬢さんをほめたくて仕方ないんだヨ」


「化身。要らないことを言うな」


 敬語が抜けた口調で絵巻屋は化身を責める。


 私はうーんと考え込んだ。


 ご褒美。私が欲しいもの。


 でも私はもういろいろなものを持っている。


 名前も、居場所も。私を呼んでくれる人もいるし、頭をなでてくれる人も、ほめてくれる人もいる。


 これ以上私が欲しいものとは何だろう。


 私は体ごと傾ける勢いでうーーんと考え込み、ハッとあることを思いついた。


 私は両腕を絵巻屋に伸ばし、彼に尋ねた。


「絵巻屋は誰かに絵を描かれるか」


「……何を言っているんです? 私は絵を描く側ですよ」


 なるほど。それならいい考えがある。


「私がお前に絵を描くます」


「え?」


「だから私にたくさん絵を教えるます」


 絵を描くことは、誰かを幸せにすることだ。そう教わった。


 だったら、彼のために描くことが私にとって絵巻屋を幸せにする、たった一つの方法のはずだ。


 でもそのためにはもっと上手にならないといけない。


「教えるます」


 繰り返して私は主張する。


 腕を伸ばしたまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「それがご褒美ます」


 絵巻屋は怪訝な顔をして私を見ていたが、それを私が望んでいることだけはわかったようで、額を押さえたまま息を吐いた。


「なんだかわかりませんが……わかりましたよ」


「!」


「アナタにはもっと上手くなってもらわなければ困りますからね」


 仕方なさそうに絵巻屋は言う。私はさらに彼に詰め寄った。


「私にもっと教えると約束するか」


「ええ。約束します」


「じゃあ指切りだ」


 右手の小指を差し出す。絵巻屋も小指を出して、絡ませた。


「ゆーびきーりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった!」


 キンッと糸が張るような感覚がした。


 私たちの小指が離れる。


 絵巻屋はまだ納得がいっていない顔だ。


「ふふんっ」


 私は誇らしげに鼻を鳴らす。


 絵巻屋は私に絵を教える。私は絵巻屋のことを描く。


 私へのご褒美はそれがいい。


 私は、絵巻屋に幸せになってほしいのだ。

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