第18話 優しいおじさん

 これまでと同じように化身の袖をつかんで、絵巻屋のあとをついていく。


 今日の道は初めて来る場所で、今まで来たどの通りよりも活気に満ちていた。


 通りには人が盛んに行きかっているし、左右には敷物の上に売り物を乗せた人たちが座っている。


「人が多い」


「こういうのを露店っていうんダヨ。アクセサリーとか小物とかを売ってるのさ」


 化身が教えてくれたことにこくりと同意する。


 この街にはやっぱり知らないことがたくさんだ。


「あ。絵巻屋さんじゃあないか。ちょうどよかった!」


「……どうかされましたか?」


 前を向くと、絵巻屋が誰かに呼び止められていた。どうやら何かを描いてほしいと言われているようだ。


 私は邪魔にならないように後ろで立って待つことにした。


 すると、足元から誰かの声が聞こえてきた。


「お嬢さん、ちょっと見ていかないかい?」


 見下ろすと、小柄な男性が露店でものを売っているのが視界に入った。頭には小さなネズミの耳が生えている。


「ほらほら、見てごらん」


 招かれるままに商品をのぞき込む。私は小さく声を上げた。


「おお」


 そこには様々な色をした石や指輪、ネックレスなどが広がっていた。そのどれもが太陽の光できらめいていて、私はそれに見入ってしまう。


「きらきらだ」


 その輝きをじっと見つめていると、隣にいた化身が私の横に降りてきた。


「こういうのが好みカイ?」


 首をかしげながら、きらきらを見る。


 たしかにきれいだけれど、そこまで心が惹かれるわけではない。


 あまりいい反応を返さない私に、化身は別のあたりを指さした。


「こっちカイ?」


「!」


 そのスペースには、糸でできた腕輪が並んでいた。色鮮やかに編まれた糸たちがとてもきれいだ。


 だけど、私はその中の一つを手に取っていた。


 つややかな黒色の糸でできた輪っか。


 墨みたいに真っ黒で、筆先みたいにしなやかだ。


 それをじーっと見つめていると、頭上から絵巻屋の声が降ってきた。


「写見」


 バッとそちらを見上げる。絵巻屋は仏頂面で尋ねてきた。


「どうかしましたか」


 私は慌てて腕輪をもとの場所に戻して、立ち上がった。


「なんでもないます」


 ぶんぶんと首を横に振る。


 絵巻屋はちょっと眉を寄せた後、元の通りに目的地へと向かい始めた。


 その後ろをてくてくとついていきながら、ふと思って私は尋ねる。


「絵巻屋。墨窟すみあなというのは何だ」


「敬語」


「何だます」


 ちょっとだけ何かを言いたそうな沈黙が流れた後、しぶしぶ絵巻屋は答えた。


「ざっくりいうと絵巻屋の墨を補充する場所ですね」


 絵巻屋の墨といわれて、私は自分も持っている筆を思い出した。


「あの筆、勝手に墨が出る」


「はい。あれは特別な墨で、墨窟にしかないんです」


 私は、昨日の筆を使えなくなった絵巻屋を思い出し、ふむと納得した。墨がなくなるのは一大事だ。


 そのまま喧騒を抜け、しばらく行ったところで絵巻屋は立ち止まった。


「到着しましたよ」


 そこは街の真ん中のはずなのに、こんもりと竹が生い茂った場所だった。


 無数に生えている竹は隙間を開けているのにすっかり視界を遮ってしまっていて、竹林の向こうに何があるのかが見通せない。


 しめ縄がかかった鳥居をくぐり竹林へと足を踏み入れる。気のせいか、肌を撫でる温度ががくんと下がった気がした。


「弟子のアナタの分は私が補充してきます。アナタは外で待っているように」


 きょとんと絵巻屋を見上げる。


「なぜだ」


 絵巻屋はすぐには答えなかった。その代わりに隣にふわふわ浮く化身がこちらを向く。


「危ないんダヨ」


「危ない?」


「絵巻屋として襲名してないとナ、あの洞窟で溶けちゃうかもしれないのサ」


 私は目を見開き、ぶるっと体を震わせた。


 自分の体がアイスクリームみたいにどろどろに溶けるところを想像したのだ。


「わかった。待ってる」


 こくこく細かくうなずくと、化身は小さく声を上げて笑った。


 地面に落ちた笹の葉をさくさく踏みながら歩いていくと、ちょっとだけ開けた場所に出た。


 真ん中には竹と木でできた小さな家が建っている。


 私たちが近づくと、その家の前に立っていた誰かがこちらに振り向いた。


「おや?」


 竹ぼうきで掃除をしていたのは50歳ぐらいのおじさんだった。ふにゃふにゃしたたれ目をしていて、すごく優しそうだ。


「いらっしゃい、絵巻屋」


「……どうも」


 優しそうなおじさんに対してするにはぶっきらぼうすぎる返事を絵巻屋はする。


 普段から無愛想ではあるけれど、さらに輪をかけて愛想がない気がする。


 おじさんはにこやかに笑っていたが、私のことに気付くと目を丸くした。


「そっちは……もしかして君の弟子かい!?」


 彼は、わっと嬉しそうに声を上げる。


「いやあ、君も立派になったものだねえ。弟子を取る時分になったとは」


 しみじみと言うおじさんに、絵巻屋は眉間のしわをさらに深くする。


 そんなに不機嫌になることでもあったのだろうか。


 内心首をひねっていると、おじさんは腰を曲げて私に視線を合わせてきた。


「こんにちは、私は墨守すみもり。君の名前は何というのかな?」


 にこり、と人がよさそうに墨守は笑う。


 やっぱりすごく優しそうな人だ。


「写見というます」


「写見ちゃんか。よろしくね」


 右手を差し出される。握手だ。


 私はそれを取ろうとちょっと手を持ち上げかけたが――その寸前、墨守の手は化身によって勢いよく弾き飛ばされた。


「こんなちっちゃい子に触らないでおくれヨ! このケダモノ!」


「はは、手厳しいなあ」


 手を弾かれたのに怒る様子もなく、墨守は私から離れていく。


 そして彼は、難しい顔をしている絵巻屋へと視線を戻した。


「墨が切れたのかい?」


「はい」


「……あんまり無理しすぎるんじゃないよ」


 心の底から心配している声色で、墨守は言う。


 だけど絵巻屋は何も答えない。


 墨守は軽くため息をついた。


「それじゃあすぐ先代みたいに――いや」


 彼は鋭い目で絵巻屋を見抜く。


「君は、そうなりたいのかな」


 絵巻屋はそれ以上いやそうな顔をすることはなかった。ただ、目の端をぴくりと動かし、すぐに無表情に戻る。


墨窟すみあなをお借りします」


 淡々と告げる絵巻屋に、墨守はもう一度ため息をつくと、懐から一枚の木札を取り出した。


「どうぞ。鍵札はここだよ」


 それを受け取ると、絵巻屋は無言で竹林の奥へと去っていこうとした。


 私はハッと気づいて、軽くおじぎをした。


「いってらっしゃい、ます」


 絵巻屋はぴたりと足を止める。


 そして私たちを振り返り、ギラッと剣呑な目をした。


「化身。ちゃんと見張っていてくださいよ。くれぐれもそこの男と二人きりにさせないように」


 いつになく力を込めて絵巻屋は言う。化身は私を後ろから強く抱きしめながら叫んだ。


「言われなくてもわかってるヨ! 急いで終わらせて帰ってこいヨ!?」

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