第19話 モノたちのルール

 去っていく絵巻屋を見送りながら、墨守は肩を落とす。


「ひどいなあ。私、何か悪いことした?」


「してんダヨ! 前科があるんダヨ! わかってネェのカ!」


 相変わらず化身は墨守にギャンギャン噛みついている。


 私はうーんと考えた後、私を抱きしめたままの化身を見上げた。


「化身。墨守が私に会わせたい奴か」


 ウルルルルッとうなり声をあげていた化身は、私ごと墨守から距離を取りながら苦々しく答えた。


「……そうダヨ。デモ、仲良くする必要はないからネ! こんな男と仲良くできるのは、豪気だった先代ぐらいなモンダヨ!」


「あはは。先代は私のことよく慕ってくれてたからね」


「あれは異常なノ!!」


 フーッフシャーッと化身は威嚇している。


 私は化身の腕を着物ごしにトントンと叩いた。


「どうどう」


 化身はだんだんうなり声を小さくし、ぼそぼそと墨守を紹介しはじめた。


「……コイツは墨守。墨窟を守ってる番人ダヨ」


「よろしくね」


「よろしくしなくていイ!」


 ガウッと化身は噛みつく。


「君たちの筆の調整も私がしているんだ。調子が悪くなったらすぐおいで」


 無害そのものの顔でそう言う墨守に、私は素直にうなずいた。


「はいます」


「絶ッ対、そういう時は絵巻屋か俺を呼ぶんダヨ!?」


 化身はグワッと威嚇を強め、私の体を包み込んだまま、踵を返して家から離れていった。


「おや。家で休んでいかないのかいー?」


「誰が行くカ、そんな家!」


 背後から間抜けに伸びた声がかけられるも、化身はそれを突っぱね、私の体をぐいぐい押していく。


「チョット離れたトコで待ってようネ! アイツに近づいたらお嬢さんがよごされちまウ!」


 ぶつぶつ言いながら化身は私を押し続け、家が竹に隠されたあたりで、ようやく解放した。


「マッタク、あの男は昔っかラ……」


 腕から逃れた私は、目が回る思いがしてちょっと足元をふらつかせる。


 化身はそんな私にバッと振り返った。


「いいかイ、絶対俺から離れないでネ。約束ダヨ!」


「任せろ」


 大きくうなずく。化身もうなずき返す。


 そして化身が私に背を向けたその瞬間――私の目の前の景色は、まったく違うものになっていた。


「あれ」


 ぽつりと声が出る。


 周囲は相変わらず竹林だ。


 だけどどこにも道はないし、化身も、墨守も、家も見えない。


 その代わりにちょっと大きな岩が近くにあるのに気づいて私はふらふらとそれに歩み寄っていった。


 岩に、ストンと腰を下ろす。


 なぜここにいるのかはわからなかったが、不思議と不安は感じなかった。


 ふわふわする意識のまま竹林を見回す。


 そんな私の視界に、突然一人の少年が現れた。


「やあ、お嬢さん!」


 黒髪に、この街では珍しい洋装。


 ころころ変わる明るい表情。


 少し薄れていた記憶をたぐり、私は彼の名前を呼んだ。


「……事?」


「そうだよ。覚えていてくれてうれしいな」


 彼は笑みを深めると、私の隣に「よいしょっ」と腰かけてきた。


 なぜ私と彼はここにいるんだろう。


 少しだけ高い位置にある事の顔を、困惑で見上げていると、事はにこりと私に笑いかけてきた。


「君は絵巻屋の弟子になることを選んだんだね。うんうん、よかったじゃないか」


 私は何度かまばたきをして、こくりとうなずく。


 その通りだ。私は絵巻屋の弟子になった。それはきっとすてきなことで――


「――それで、これからどうするの?」


 今までと変わらない明るい声色で尋ねられる。


 その意味はわからない。だけど、ぞくっと何か寒いものが背中を駆け抜けた。


 彼は困ったように眉を下げ、私の顔をのぞき込んでくる。


「幸せすぎて忘れちゃったのかい? 君は、神様の生贄だよ?」


 びくり、と肩が震える。ひゅっと吸い込んだ息が、うまく吐き出せない。


 生贄。神様の。


 私は神様にささげられて殺された。


 忘れかけていた、忘れようとしていた事実が、急に目の前に引きずり出される。


「絵巻屋も言ってたでしょ。君は神様が見つかるまでの弟子だって」


 心底こちらを思いやる顔で、事は言う。


 実際、私のためを思って言っているつもりなのだろう。でも、彼の言葉が、彼の表情が、その息遣いが、すべて私を崖へと追いつめる。


「いつかは神様のところに行かなきゃいけない。そうでしょ?」


 顔をうつむかせ、がくがくと体を震わせる。


 見たくない。聞きたくない。


 なんとか浅く吸い込んだ息を吐きだし、私は彼に問う。


「お前は、何だ」


 事はパッと表情を輝かせ、ぴょんっと岩から飛び降りた。


 そして私の前にやってくると、まるでお芝居のように大げさに両腕を広げてみせた。


「僕はこの異界にいるすべてのモノの味方だよ!」


 高らかに、事はそう宣言する。


「みかた……?」


「ああ。モノたちが健やかに暮らせることを心から望んでいるとも」


 踊るかのようにくるりと回り、そして胸に手を当てて、痛ましい顔をした。


「だからこそ、モノはカタチに従わなければならない」


 飼っている小鳥の調子が悪いと嘆く、飼い主みたいだ、と私は思う。


「それがルールってやつだよ。現世風に言うならね」


 私は何も答えられなかった。


 事は笑みを深めると、そんな私に歩み寄り、私の頬を両手で包み込んで上向かせた。


 さわやかな笑みを浮かべる彼の目と、目が合ってしまう。


「どうあっても君は君のカタチを見つけなければならない。それがルールだ」


 ゆっくりと事は言い聞かせる。彼の言葉が、私の内側に入ってきてしまう。


 彼は目を細めて、かわいらしくにこっと笑った。


「僕はそれを応援するよ! 君が正しいモノになることを心から願っている!」


 私は頬を包まれたまま、唇を震えさせていた。


 答えなくてはいけない。否定しなければいけない。


 だけど、その言葉が出てこない。


「私、は……」


 意味のない声ばかりが唇から漏れる。彼はふふっと笑うと、私の顔を解放した。


「ちょっとしゃべりすぎちゃったかな」


 胸を押さえてうつむく。彼は私の隣に戻ってくる。


 だめだ。否定しないと。でも。


 息を吸って吐くごとに、彼の言葉が全身に広がっている。じわじわと、頭が鈍くなっていく。


 心臓の鼓動はだんだん落ち着いて、震えも消えていき、その代わりに顔からも動きが失われていく。


 事は隣に腰かけて、お菓子を私に差し出してきた。


「あ。おまんじゅう食べる? おいしいよ?」


 おまんじゅうを手にして、彼はにこにこと笑う。


 私は――波打っていた思いが失われるのをどこか遠くで感じながら、彼を見て答えた。


「変質者からものをもらっちゃいけないと言われたます」


「ええ……絵巻屋たちちょっとひどくない……?」


 事は顔をひきつらせ、おまんじゅうをひっこめた。


 彼はそのままもぐもぐとそれを食べる。私はなんだかぼんやりした気分でその隣に座っていた。


 風がゆっくりと吹き、さらさらと竹の葉が揺れる。生き物の声は聞こえない。ここには、事と私だけだ。


 事はごくりと最後のひとかけらを飲み込むと、ぴょんっと岩から立ち上がった。


「今日はそろそろ帰ろうかな」


 ゆっくりとその姿を目で追う。


 彼は私にひらひらと手を振った。


「じゃあね、お嬢さん! 早くカタチが見つかるといいね!」


 ぐにゃっと視界がゆがむ。


 一度瞬きをすると、私の目の前には墨守の家があった。


 事の姿はどこにもなくて、今までの会話は嘘のようだ。


 ただぼんやりとした気分だけが残って、その内側で事に言われたことが反響している。


 私は神様の生贄。


 私は神様のところに行かなければならない。


 それが私のカタチ。


 目を一度閉じ、開く。


 だけど、本当のカタチなんて、ずっと見つかってほしくない。


 心のどこかが、そう叫んでいた。

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