第四章 墨の洞窟

第17話 ハレンチな絵

 花嫁行列の翌日、私ははたきを持ってパタパタと棚を叩いていた。


 ああして、らぶらぶな夫婦が幸せになったと思うと、とても良いことをした気分だ。


 そして、良いことをするとこんなにも気持ちが晴れ晴れするのだ。きっと私はそれを初めて知った。


 ウキウキしながらぱふんと棚の端まではたきをかけ終わったころ、店の奥からふわふわと化身が飛んできた。


「写見、そろそろご飯ダヨォ」


「わかったます」


 こくりとうなずき、居間へと向かう。


 そこにはすでに絵巻屋も腰を下ろしていた。


「ハイ、どうぞォ」


 お茶碗に盛られたごはんと、みそ汁。それから、よく焼かれた魚が目の前に置かれる。


 さっそく私は箸を持ち上げて、それに手をつけようとし――


 その直前に、絵巻屋の鋭い声が飛んだ。


「挨拶」


「いただきますます」


 慌てて手を合わせてぺこりと頭を下げる。


 ちらっと絵巻屋を見ると、手で「どうぞ」と示していた。


 私はうなずき返すと、ごはんを持ち上げて口に詰め込んだ。甘くてもちもちしてとてもおいしい。


 んくんくとしっかり噛んでからそれを飲み込み、魚に手をつけようとする。


 その時、ふと気づいて絵巻屋たちを見た。


「二人は食べないのか」


 首をかしげながら尋ねる。


 そういえば、私がここに来たばかりのころも二人は何も食べていなかった気がする。


 口にしているものといえば、私と一緒にたまに飲むお茶ぐらいだ。


 絵巻屋は何かを言いよどむように視線をそらし、化身は慌てて私の近くに飛んできた。


「俺たちはおなかすいてないんだヨ。お嬢さんは遠慮なく食べてネェ」


「?」


 変な二人だ。それならどうしていつもごはんを食べていないのだろう。


 首をひねる私をごまかすように、絵巻屋は私を呼んだ。


「写見」


「んくっ……、はいます」


 しっかり飲み込んでから返事をする。化身に「えらいえらい」と頭を撫でられた。


「それを食べたら掃除を頼みます。そこの……二番目の棚のほこりを落としておいてください」


 絵巻屋が指さしたのは、居間の奥にある棚だった。


 ほこりを落とすのはもう完璧だ。私は大きくうなずく。


「任せろ」


「敬語」


「任せろます」


 食事が終わり、化身に教わりながら食器を洗った後、私は戸棚に向かい合っていた。


 与えられた任務はこの戸棚をきれいにすることだ。


 任せろ。ぴっかぴかにしてみせる。


 私ははたきを手にすると、用意された台によいしょっと上って戸棚に手を伸ばす。


 そして、背伸びをして戸棚の上にはたきを差し込む。すると、何かの紙が数枚、ひらひらと落ちてきてしまった。


「!」


 慌てて台を降りて、その紙を拾い上げる。


 そこに描いてあったものに私は首をかしげた。


「?」


 筆で描かれた鮮やかな絵だ。


 背景もしっかり描いてあるし、人もポーズを取っている。絵巻屋の墨の絵とはまた違った良さがあるなと思った。


 でも、どうしてこの女の人は裸なのだろうか。


「お嬢さん、どうしたんダイ?」


「何かあった」


 後ろにやってきていた化身に答える。


 化身は私の手元をのぞき込もうとしてきた。


「ヘェ、一体何が……」


「はだかの絵」


 絵を見せるように化身の顔の前に掲げる。すると、彼は空中でひっくり返った。


「ホギャアアアアアアアアア!?」


 今まで聞いたことがないほどへんてこな悲鳴だ。何かあったのだろうか。


 私がきょとんとしていると、化身はびゅんっと飛んでくると私の手からその絵をひったくった。


 そのままの勢いで、絵巻屋がいる店のほうへとすっ飛んでいく。


「チョット、チョット、オイ絵巻屋!」


 ぶつかるような音と落ちる音。そして、化身の大声が響く。


「な、なんで春画なんかがあるノサ! お嬢さんが見つけちゃったじゃないカ!」


「写見、が……?」


 障子の向こうで化身がギャイギャイと絵巻屋にかみついている。聞こえてきた絵巻屋の声は、珍しく動揺しているような気がした。


「隠すならもっと見つけにくい場所にサァ! ホント、オマエ、サァ!」


 化身が空中でバタバタと暴れている気がする。何かあったのだろうか。


 だが、そんなことより私に課せられた使命はお掃除だ。


 私はさっきの絵と一緒に落ちてきた紙を持ち上げ、とんとんと整える。


「しっ、春画なんて知りませんよ、私は買ってないです! 先代のものじゃないんですか!」


「エッ、ア。アー……。そういえば先代、絵巻屋の健全な育成のためになんかいろいろ買ってたナァ」


「その時点で止めてくださいよ!」


「オマエが見るならいいと思ってたんダヨ!」


 紙はちょっと折れてしまっていてなかなかまとまらない。


 私がゴソゴソと悪戦苦闘していると、もう一枚、変な絵と目が合った。


 絵には女性とタコらしきものが描かれている。タコはうねうねと裸の女性にからみついているが、どういう状況なのかはまったくわからない。


 意味がわからなかった私は立ち上がると、二人が騒いでいる表のほうへとかけていった。


「おい」


「エッ、ア、アー。なァにー、お嬢さん?」


「この女とタコは何をしてるんだ」


 絵を掲げる。化身はひっくり返り、絵巻屋ものけぞった。


「ギャアアアアアア!!」


 汚い悲鳴だった。答えをもらえなかった私は、手元の絵に目を戻す。


「不思議な絵ます」


「そ、そうだネェ、不思議だネェー、ほら早くそれをこっちに……」


 復活してきた化身が、そっと手を伸ばしてくる。


 ふむふむ。見れば見るほど、不思議な絵だ。


 私は思い立って、それをくるくると丸めた。


「お手本にするます」


「ダメダメダメーーッ!!」


 絵を破りそうな勢いで化身が突進してきて、私の視界からその絵を隠してしまった。


「?」


 意味が分からず二人を見る。二人とも私から目をそらしている。


 私は内心むっとした。


「仲間外れか」


「エ? 違うヨォーなんでもないヨォー。お嬢さんはちょっとあっちに行ってようネェー」


「む……」


 釈然としない思いのまま、居間のほうへと戻る。


 だけどどうにも納得できなかった私は、障子の向こうに座って、二人の会話を盗み聞きすることにした。


「ホント、ホンット、先代には困ったものダヨ……」


「こんなところで置き土産が出てくるとは……」


 深く深くため息をつく音が聞こえてくる。


 ぶつぶつと文句を言う声もだ。


「ハァ……まあ、今代は今代で困ったチャンなところあるけどサ」


 障子に映る化身の影がひょいっと肩をすくめる。絵巻屋はいやそうな声で答えた。


「うるさいですよ」


「そんなに肩ひじ張らずに、年相応にしてもいいんだヨ?」


「本当に、うるさいです」


 なんだかいつもの絵巻屋と違う。普段はこんなにわたわたしたりしないのに、急にどうしてしまったんだろう。


 絵巻屋は額に手を当てて頭痛をこらえているようなしぐさをしていたが、はっと何かに気付いたように顔を上げた。


 そして、頭を抱えて絵巻屋はうなり始める。


「あー……」


 落ち込んでいるような悩んでいるような声だ。化身はいぶかしむ様子で尋ねた。


「何さ、絵巻屋」


 絵巻屋はちょっと言いよどんだあと、観念したように言葉を発した。


「昨日、墨が足らなくなったじゃないですか。だから……」


「……まさか」


 化身は息をのむ。絵巻屋は苦々しく言った。


「この後、墨窟すみあなに行くつもり、だったの、ですが……」


 障子に映る二人の影が二人とも頭を抱えた。


 化身の「あちゃー……」というかすれ声も聞こえてくる。


「……どうすんノサ」


「……見習いです。つれていかないわけにはいかないでしょう」


 ぼそぼそと二人は言い合っている。


 墨窟というのが何なのかはわからないが、どうやら私はそこに連れていかれるらしい。


 まだこの街のことをそこまで知らない私は、内心ウキウキし始めていた。


 そわそわと待っていると、店のほうから絵巻屋に声をかけられる。


「――写見」


「はいます」


 パタパタと出ていき、絵巻屋の横にちょこんと座る。


「お出かけか?」


 首をかしげると、絵巻屋は本当にいやそうな顔でうなずいた。


「はい。アナタに会っておいてほしい方がいるのです」


「?」


 会っておいてほしい、とはどういうことだろうか。


 私にはここに知り合いとかはいないはずだが。


 そういぶかしんでいると、絵巻屋はずいっと顔を近づけてきた。


「ですが、くれぐれも気を付けるように」


 不意をつかれて、きょとんとする。


 絵巻屋は険しい目のまま、重々しく言った。


「油断しない。ついていかない。何か渡されても受け取らない」


 なんだか聞いたことがあるフレーズに、私は首をかしげて聞き返す。


「……不審者か?」


「まあ……似たようなものですよ」


 絵巻屋は大きく息を吐く。そして、真剣な表情で私をまっすぐ見つめてきた。


「いいですか。さっきの三つ、守れますね?」


 私は重々しくうなずいた。


「任せろます」

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