第16話 虹を渡って
その日の昼。私たちは、貸本屋の前にらぶらぶな恋人たちを呼び出していた。
「じゃあ、私たちが花嫁行列をすればいいんですよね」
途糸に確認され、絵巻屋は仏頂面で頷く。
「はい。このことはお父様には……」
「言いました。だけど『お前たちなんか知らん!』って店の奥に引きこもってしまって……」
途糸はぷんすか怒っている。かわいい怒り方だ。
そんな彼女に宵腕はしょんぼりした顔で声をかける。
「でも、途糸。お義父さんだって君の晴れ姿は見たいと思うんだよ」
途糸は頬を膨らませながら視線を落とす。悲しそうだ。
「おい化身」
「なんだイ?」
「花嫁行列は悲しいものなのか」
「エエ? そんなわけないダロ。一生に一度の嬉しくて素敵な日ダッテ!」
じゃあどうして二人は悲しそうなのか。
ほとんど睨みつけるように二人を見ていると、化身がふわっとやってきて耳打ちしてきた。
「お父さんに認めてもらえないのが悲しいのサ」
「そうなのか?」
「ソウソウ。二人は幸せな姿をお父さんにも見てもらいたいのサ」
ヒソヒソ言いあいながら二人を見る。やっぱり、しょんぼりしている。
雨粒がぽつん、と足元に落ちた。
私は、二人をじっと見て考えた後、踵を返して貸本屋の中に駆け込んだ。
草履を脱ぎ散らかして勝手に上がり込む。
目当ての人物はすぐに見つかった。
店の隅で肩を落としている店主のもとに私は駆け寄り、彼の前に仁王立ちになった。
「おい、依頼人」
「え? 君は……見習いのお嬢ちゃん?」
困惑している店主の顔に、私は指を突きつけた。
「お前が必要ます」
「へ?」
「来います」
彼の服の袖を掴み、ぐいぐい引っ張り始める。
「えっ、ええ?」
たたらを踏んで歩き始めた店主をさらに引っ張って玄関へと向かう。
「花嫁行列は幸せなものます」
イチャイチャする二人と、悲しそうな二人の顔が浮かぶ。
「二人はらぶらぶます」
そうだ。らぶらぶな二人が幸せにならないのはおかしい。
だから、二人は幸せになるべきなのだ。
布がちぎれてしまいそうなほど強く体重をかけ、店主を店の外に引きずり出す。
その時、急に煌めいた光に目が眩み、ぎゅーっと瞼を閉じた後に目を開く。
そして開けた視界の先にいたのは――白と黒の立派な着物を着た恋人たちだった。
ウェディングドレスではないことに困惑しながら、たぶんこれが花嫁衣装なのだと私は理解する。
花嫁はシワひとつない白色に頭には大きな帽子。花婿はパリッとした黒色に灰色の袴。
思っていたのとは違うけれど、すごくかっこよくてきれいだ。
ちらっと絵巻屋を見ると筆を持っていた。きっと彼が二人の服を描いたのだ。
すごいものを描いたその筆をじーっと見た後、ハッと気づいてすぐ隣の店主を見る。
彼は、呆然と二人の姿を見ていた。だけど、嫌そうな顔じゃない。
そんな店主に、途糸はそっと歩み出る。
「お父さん」
口を開けたままだった店主は視線をちょっと彷徨わせると、小さい声で尋ねた。
「途糸」
「はい」
「……お前、今幸せか?」
途糸は目を丸くすると、宵腕と顔を見合わせ、花が咲くような笑みを浮かべた。
「はい。私、今とっても幸せよ!」
店主は表情をぐうっと泣きそうに歪ませると、大きく顔を逸らした。
「チッ、もう知らねえ! 二人ともどこへなりとも行っちまえ!」
「お、お義父さん!」
宵腕が慌てた声を上げる。
しまった。失敗してしまった。
余計なことをしてしまったかと私があわあわしていると、店主は顔を背けたまま大声で言った。
「……幸せにな!」
らぶらぶな二人は手を取り合い、涙ぐみながら大きく頷いた。
「はい!」
不思議だ。泣きそうなのに笑ってる。すごく嬉しそうで、すごく幸せそうだ。
三人が今の会話で何を納得したのかいまいちわからない。
でも、少なくとも店主は二人に幸せになってほしいと言っていた。
そう思うと、胸の中がなんだかポカポカした。
「いやー良かったネェ」
「うん」
「お手柄ダヨ、お嬢さん」
「……うん」
くすぐったい思いが心の中に満ちている。
よかった。本当に。
素直にそう思った。
「……さてと。アヤシにもそろそろ出てきてもらわなきゃナ」
化身の言葉に、それまで沈黙していた絵巻屋に目を向ける。
彼は横に長い紙を取り出すと、さらさらさらっと何かを描きつけた。
紙がピカッと光る。黒色の線が飛び出てくる。
線たちはぶわっと宙で絡まり合い、あっという間に私たちの前にたくさんの人を作り出した。
線だった人たちはみんな、背筋が伸びていて、しゃきんとした服を着ている。
そうか。これがきっと花嫁行列だ。隣の化身に視線を向ける。
「化身」
「ン。あとちょっとダネェ」
これで二人が虹を渡ればアヤシが本当の姿を現すはず。絵巻屋はそう言っていた。
しかし、そこで絵巻屋はぴたりと筆を止めた。
ぐっ、と彼が悔しそうに顔をゆがめるのが見える。
「墨が……」
それ以上彼は描こうとしない。絵巻屋の筆の先が震えている。
なんだかわからないが絵巻屋が描けなくなっているのだけはわかった。
空を見上げる。雨は降っているのに真っ青で、雲も虹もない。
きれいな服を着た夫婦を見る。渡るための虹を待っている。父親が言った通り、幸せになるのを待っている。
でも、このままでは虹がかからない。
このままでは花嫁行列ができない。
二人が、幸せになれない。
黒色の人達が揺らめく。絵巻屋が顔をしかめている。
時間がない、のかも、しれない。
いやだ。私は二人に。
私は、思わず駆け出していた。
天気雨でぬかるんだ地面を蹴り、絵巻屋の前に滑り込む。
いつのまにか私の手にはあの筆が、私の目の前には紙が浮かんでいる。
――二人はらぶらぶだ。
私は筆を勢いよく振り上げた。
――私は、途糸たちに幸せになってほしい!
「ニョロニョロ……!」
筆の先から墨があふれる。
紙にぶつかる。
ぐんっと勢いよく線が曲がる。形はめちゃくちゃだ。
でも、それでいいのだと、わかっていた。
筆を振り切る。紙についた生き生きとした墨の軌跡と目が合う。
「とべ!」
紙をつかんで、思い切り空に投げる。
ぴかっと光る。目を細める。
墨で描かれたただの線は、大きくうねると、紙の外側へと飛び出した。
風を巻き起こし、雨を巻き上げて、一匹の蛇が街を渡って飛んでいく。
少し遅れて、その通り道に鮮やかな七色の光が現れた。
細いけれど、立派な虹だ。
「まあ!」
途糸が嬉しそうな声を上げる。
ぜえ、はぁ、と息を切らしながら蛇を見送り、私はしりもちをつきそうになった。
そんな私の背中を支えたのは絵巻屋だった。
「……絵巻屋?」
「よくやりました。写見」
ぱちぱちと目を瞬かせ、次いでじわじわとその言葉が染み込んでくる。
褒められた。私はうまくできたんだ。
絵巻屋は、目を見開く私を仏頂面で一瞥すると手を差し出してきた。
「……写見。筆を貸してください」
「?」
よくわからないまま自分の筆を手渡す。
絵巻屋はそれを手に、らぶらぶな夫婦たちの前へと向かっていった。
その行先に目をやり、私は小さく声を上げる。
「あ」
そこには、ゆらゆらと人型のようなものが立っていた。
他の人にはそれが見えていないようで、不思議そうに絵巻屋を見ている。
絵巻屋は紙を取り出すと、するりとそこに筆を走らせた。
「アナタのカタチは――『仲人』」
しゃん!
鈴のような音が鳴り、次の瞬間、そこに立っていたのは――巫女服の女性だった。
きょとんとした顔をする彼女に、絵巻屋は恭しく道を譲る。
「どうぞ、なすべきことをなしてください」
おずおずと彼女は二人の前に進み出る。
しかし、二人の視線を正面から受けた途端、彼女は背筋をピンと伸ばし、手にしていた大きな鈴を持ち上げた。
「――稲荷の神の名代として、あなた方夫婦の立会人となります」
夫婦は意外そうな顔をしたが、すぐに何か納得したのか、手を繋ぎながら言った。
「私はいつでも妻に頼られる強い夫になります」
「私はいつでも背筋を伸ばして神様に恥じない妻になります」
二人で声を合わせながら腰を折る。
「どうぞ、お見守りをよろしくお願いします」
しゃん!
鈴が一度、大きく鳴る。
その直後、二人の足元からぶわりと風が巻き上がった。
不思議な文様が二人の周りに浮かび、足元から稲穂が生え、綺麗な花々が散る。
「オヤオヤ。稲荷神の加護大サービスだネ」
呆れたような化身の声を置き去りに、新しい夫婦は虹へと足をかける。二人で歩みを合わせてゆっくりと進んでいく。
最初は折れてしまうのではないかと冷や冷やしていたが、絵巻屋の行列たちもしっかり支えているのを見て、私はほっと胸を撫で下ろす。
街の人々は虹を見上げ、そこに花嫁行列があるのを見つけると、口々に祝福した。
花嫁行列だ! やあ、めでたい! きれいな花嫁さんね!
わあわあと響く祝いの声を遠くに聞いていると、すぐ隣でずびっと大きく鼻を啜る音がした。
「きれいだなあ……幸せそうだなあ……!」
店主はぼろぼろと涙をこぼしながら嬉しそうに笑っていた。
私はこてんと首をかしげた。
「お前も幸せそうだます」
すると店主はさらに声を上げてわんわん泣き始めてしまった。
「ありがとなあ、ありがとなあ、見習いのお嬢ちゃん」
感謝されながら抱きつかれそうになって慌てて逃げる。彼の顔は鼻水でべとべとだったのだ。
店主の手から逃れて、ふーっと息を吐いていると、喧騒から離れた場所で絵巻屋とアヤシだった女性が向かい合っているのを見つけた。
「アナタは……」
「私は絵巻屋。この異界の管理者の一人です」
化身も絵巻屋の後ろに浮かんで、彼女を見ている。
彼女はきょろきょろとあたりを見渡し……息を吐いた。
「ここは、現世ではないのですね」
「はい。アナタは異界の『モノ』になりました。これからはこの異界で生きていくことになるでしょう」
「異界の『モノ』……」
彼女はそう繰り返し、不安そうに絵巻屋を見た。
「私は……」
彼女の視線が手に握った鈴に向く。
「また、夫婦を繋げてもよろしいのですか?」
絵巻屋は淡々と、だけどほのかに優しさも感じる声色で答えた。
「アナタは『仲人』ですから。存分になさるとよろしい」
女性はパッと表情を明るくし、小さく「よかった……」とつぶやいた。
彼女が一体何者で、どうして仲人をしているのかはわからない。でもホッとしているようだからこれでいいのだろう。
「ではアナタに名をつけましょうか」
絵巻屋は新しい紙を一枚取り出す。
そして、貸したままの私の筆でさらさらっと文字を描いた。
「社にて、二人の恋が実るのを待つモノ」
紙がふわりと浮かび、彼女へと溶けていく。
「『
巫女服を着た彼女はこくりと頷く。
遠くではまだ、祝福の声が響いていた。
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