第14話 二人は難しい関係

 途糸はやってきた多腕の男に駆け寄っていく。男も照れ臭そうにそれを迎えた。


「来てくれたのね、宵腕よいうでさん! お店のほうはいいの?」


「ああ、うん。休憩しろって言われたんだ」


「……それって店主さんに気を遣われちゃったかしら」


「かもな。あの人は俺たちのこと、応援してくれてるし」


 途糸と宵腕の二人は、手を取り合って見つめあっている。完全に自分たちだけの世界のようだ。


「本当はずるをしてでも会いに来てほしいって思うこともあるのよ。いけないことだわ」


「僕は店をずる休みしたりしないさ。いつか君と暮らすときのためにお金を貯めるためにもっと働きたいんだ」


「まあ! そういうところが好きよ! やっぱり私、あなたと一緒になりたいわ!」


「途糸!」


「宵腕さん!」


 二人の距離はさらに近づく。宵腕の六本の腕が途糸を引き寄せ、二人の唇が接近し――


「ま、待って! 子供が見てるのよ!」


 途糸が顔をそむけて宵腕の体を押し返した。宵腕は今になってようやく私に気づいたようで、目を丸くして私を見てくる。


 私は二人を指さした。


「らぶらぶだ」


 宵腕はさらに目をしばたかせて尋ね返してくる。


「らぶ……何?」


「ち、ちょっとー! そんなことないわよ!」


 一方、途糸は真っ赤になりながら、バンッと宵腕の胸を片手ではたく。


「え、え? えーっと……こんにちは、お嬢さん。前に茶屋に来てくれたよね?」


「お絵描きの紙、ありがとます」


 座ったままぺこりと頭を下げる。宵腕はあいまいに笑うばかりだ。


 ピンときた私は、途糸に尋ねてみることにした。


「こいつは『らぶらぶ』分からないのか」


「あはは。私は貸本屋だからね、現世にちょっとだけ詳しいのよ」


 途糸はすすすっと私に近付いてくると、私に顔を寄せてささやいてきた。


「でもあんまりそういうこと言わないでね、恥ずかしいから」


 言わないほうがよかったのか。


 私は謝ろうと口を開いたが、その前に目の前に小指を差し出されてしまった。


「約束ね」


 小指と途糸の顔を見比べ、おそるおそる自分の小指を絡める。


「約束ます」


 指を繋いだまま、数回動かす。近くで見る途糸の顔はまだ赤かった。


 その時、大きな声が突然外から聞こえてきた。


「おい!」


 足音荒くやってきたのは途糸の父親だった。彼は声を荒げて、宵腕に詰め寄っていった。


「また来たのか宵腕よいうで! この蜘蛛男!」


 宵腕はその勢いにおされ、数歩後ずさる。


「お、お義父さん、僕は……」


「誰がお義父さんだ! お前に娘はやらんと何度言ったら分かるんだ!」


「でも僕は……」


「ええい、出てけ出てけ! さっさと茶屋に帰っちまえ!」


 父親に追い立てられ、宵腕はとぼとぼと帰っていく。その後ろ姿を見送っていると、今度は途糸が父親に詰め寄り始めた。


「もう、お父さん! どうして宵腕さんとの仲を認めてくれないの!」


 口をとがらせて、ぷんすかと途糸は怒る。


 父親はむっすりとした声で答えた。


「あの男は、お前よりずっと年上じゃないか」


「見た目よりは年上じゃないわ。たったの五歳差よ!」


 うまく言い返せなかったのか、ぐぬぬっと父親はうなった。


 こんなに反対するなんて、年齢というのは難しいものだな、とぼんやりと思う。


「どうせ本気じゃないに決まってる」


「そんなことないわ! 宵腕さんは私と本気で夫婦めおとになりたいと思ってるもの!」


 かたくなな父親に、途糸は噛みつく。だが、父親も折れる気配がない。


 そのまま口論が始まりそうな気配がして身を縮こまらせていると、入り口から化身がふわふわとやってきた。


「オーイ、何してんダ? 雨降ってきたヨォ」


 私は慌てて草履を履くと、バタバタと外に出た。


 化身が言う通り、雨がぱらぱらと降ってきている。でも、空に雲はない。


「やっぱりキツネの嫁入りダネ」


 私の横に浮かぶ化身の視線の先には、貸本屋の屋根のあたりを睨みつける絵巻屋の姿があった。


 貸本屋の屋根を見上げる。気のせいか、そこだけ景色が歪んでいるように見えた。


「あれか」


 ぽつりとつぶやき、絵巻屋は一枚の紙と筆を取り出した。屋根を睨みつけながら、さらさらと筆を紙に走らせる。


 絵が描かれた紙がふわりと浮かぶ。絵巻屋は歪みがある場所――多分アヤシがいるであろう場所を指さした。


「アナタのカタチは――『キツネの夫婦めおと』」


 ――しかし紙はぴくりとも動かず、そればかりか力を失ってひらりと地面に落ちてしまった。


「アレ?」


 傍らの化身が意外そうな声を上げる。何かが起こると思っていた私も、きょとんと首をかしげる。ぱらぱらと降ってきていた雨が、だんだん弱まっていく。


 やがて、何も起きないまま、天気雨は終わってしまった。


「雨、やんじゃった」


 空を見上げながら私は言う。絵巻屋も同じように空を見ながら、ぽつりとつぶやいた。


「……キツネではない?」

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