第13話 虹のでき方

 お客様が案内してくれたのは、入り口の広い一軒のお店だった。入り口の横に建てられた看板をじっと見て、そこに「本」と書かれていることを読みとる。


 これでも少しは漢字が読めるのだ。ここはきっと本が置いてある場所なんだろう。


 なんとなく街並みに見覚えがあって、首を巡らせると、道の向かいに茶屋があった。紗綾がつれてきてくれたあの茶屋だ。


「時間は?」


「正午過ぎですね。昼の鐘が鳴って少し経ってから降るんですよ」


 淡々と仕事の話をしている絵巻屋の横で、私は空を見上げた。突き抜けるほど真っ青だ。


「晴れてるな」


「晴れてるネェ」


「虹もない」


「ないネェ」


 ほのぼのと化身と言い合う。


 ふと思って、私は化身を見た。


「おい」


「ン?」


「虹はなぜできる」


 単純な疑問だったが、化身は困ったように言葉を詰まらせた。


「アー……小さいお嬢さんにも分かる説明はナァ……」


 うぬぬっと迷う化身に、どことなく馬鹿にされているような気がして、剣呑な目つきになっていく。


 すると、突然私たちの後ろから柔らかな声がかけられた。


「私が教えてあげましょうか」


 びくっと飛び上がって振り返る。そこには、腰に本の絵をつけたお姉さんが立っていた。


「はじめまして。私は途糸といと。絵巻屋さんに依頼にいったのは私のお父さんなの」


 そうか。お客様は本屋さんの店長さんだったのか。


 私はぺこりと頭を下げた。


「こんにちは。写見うつしみというます」


 改めると名乗ると、じわっと温かいものが胸に浸みてくる。


 途糸は微笑ましそうに、にこりと笑いかけてきた。


「写見ちゃん? 素敵な名前ね」


 私は胸を張って、それにこたえる。


 そうとも。これは素敵な名前なのだ。


 途糸はそんな私をにこにこ見た後、ふっと店の外に目をやった。まだそこには雨は降っていない。


「このアヤシってキツネの嫁入りでしょう? うちは貸本屋さんだから、突然雨が降ってくるとすごく困っちゃうのよね」


 彼女の言葉で、ここがただの本屋さんではないことを知って、慌てて私は化身に顔を寄せた。


「貸本屋さん?」


「現世でいう図書館みたいなとこダヨォ」


 納得して、ひとつうなずく。当たらずとも遠からずというやつだったらしい。


「ああ、それより虹の話だったわね。こっちにお入りなさいな」


 途糸に招かれるままに、化身を置いて店の中に入る。店内には予想通り、ひしめく本棚と膨大な本たちがあった。


「おお」


 圧倒されて間抜けな声を上げていると、途糸は草履を脱いで玄関を上がっていった。


「ええと、雨の本、雨の本……」


 途糸は手を半分あげながら本棚の前をうろうろと動き回る。やがて目当てのものが見つかったのか、本棚から一冊の本を取り出した。


「あったあった」


 彼女が手にしている本は、見たことがない不思議な形をしていた。


 表紙も和紙でできているし、糸で縫われて紙がまとめられているようだ。


「こっちにお座りなさいな」


 こくりとうなずき、玄関を上がって彼女の隣に座る。敷かれた座布団がふかっと私の体重を受け止めた。


 途糸はそんな私の目の前に本を広げてみせる。墨でかかれた絵本のようだ。


「雨が降ると虹ができるのは知っているわよね」


 こくりとうなずく。


「虹はね、お天道様の光が雨に当たってきらきらするからできるのよ」


 私は、雨に光が当たっているのを思い浮かべてみた。確かにきらきらしそうだ。


 だけど、そう答えようとした瞬間、私の口から出たのは別の言葉だった。


「『反射』か」


 驚いて、自分の口に手を当てる。


「難しい言葉を知ってるのね。偉いわね」


 穏やかに褒めてくる途糸だったが、その言葉に私は集中できなかった。


 ざわざわと頭の後ろに何かが這っているような感覚がある。


「鏡に映るのを教わった、気がする」


 目を見開きながら、つかみかけた何かを脳内で追いかける。


「鏡は目の前のものを、反射してるだけって、誰かが」


 とぎれとぎれにそこまで言ってから言葉を切る。


 そうだ。誰かが私に言っていた。


 初めてはっきりと思い出せた現世の記憶を、私はなんとかしてたぐろうとする。


 言っていた。言っていたはずだ。


「………」


 沈黙したまま頭に手を当てる。


 言われたという事実は思い出せる。その人が私に視線を合わせてかがんでいたことも、ぱくぱくと動いた口も思い出せる。だけど誰に、どんな時、言われたのかがわからない。


 まるで、誰かにそこだけ穴をあけられてしまったかのようだ。


「どうしたの?」


 途糸がこちらを心配そうに覗き込んでくる。


 私は頭から手を離して息を吐いた。


 これ以上考えない方がいい。なぜか頭のどこかがそう言っている気がした。


「何でもないます」


 つかみかけた糸の端を手放して蓋をする。


 きっとこれは開けちゃいけないものだ。


 少なくとも、今は。


 私は大きく息を吐いて脱力し、目の前に開かれた本に視線を戻した。そこには虹の絵の横に、何か生き物のようなものが描いてあった。


「これはなんだ」


 指さして途糸に尋ねる。途糸は「ああ」と声を出した。


「虹を作るのって、天気雨だけじゃないのよ。力を持ったモノたちも虹を作れるの」


 少し考える。モノというと、絵巻屋にちゃんと絵を描いてもらった人たちのことだったか。


 目の前の途糸も絵をつけているし、モノというやつなんだろう。


 多分、この異界にいる全ての人たちは『モノ』なのだ。


「どんなモノならできる」


「そうね、古い神様とかなら余裕だと思うわ」


「ほう」


 字は読めないが絵はわかる。虹の絵に描かれた変な神様を私はじっと見る。


 途糸はそんな私に、空にかかった輪っかの隣に書かれた漢字を指さしてみせた。


「ほら、これが『虹』っていう字よ」


 これが『にじ』。思ったよりも簡単な形をしている。


 彼女は虹の字の左側に指をずらした。


「左側のこっちは何って読むかわかるかしら?」


 『虫』。


 私はその字をぐぬぬっと見つめる。これは、しっかり覚えた気がする。でもなかなか思い出せなくて悔しい。


 しばらくそれを睨みつけていると、途糸は優しく私に教えてくれた。


「これはね『むし』って読むのよ」


「虫」


 オウム返しに繰り返し、途糸の顔を見上げる。


「うぞうぞして飛ぶやつか?」


 指をばらばらに動かして虫を真似てみる。途糸はうなずいた。


「ええ。でもこの虫って字はちょっと意味が違うの」


「違う?」


 私は首をかしげる。


「虹という字は大陸から来た字なのだけどね、この『虫』は『蛇』の意味で使われているのよ」


「蛇」


 ついさっき店でも聞いた言葉に、私は反応する。


「ニョロニョロか?」


「え?」


「これ」


 丁寧にたたんで羽織りにしまっておいた紙を途糸に掲げる。


 絵巻屋が描いてくれた蛇の絵だ。


「あら、もらったの?」


 こくりとうなずく。


「よかったわね。存分に自慢なさいな」


「するます」


 途糸は私の頭を優しくなでてきた。化身もこれぐらいの力加減で撫でればいいのに、とか思いながら、私は蛇の絵を大事にしまいこむ。


「ニョロニョロが虹を出すのか」


 本の表面にぐねぐねっと指を動かす。


「ええ。大きな蛇が天に上るときに虹が出るの」


「ほう」


 身を乗り出して本を覗き込む。虹の隣に、絵巻屋がニョロニョロが飛んでいるのが見える気がした。


「ふふふ、興味津々ね」


「面白います」


 顔を上げないまま答える。途糸はふふ、と笑っている。


 その時、玄関のほうから控えめな男性の声が響いてきた。


「お邪魔しまーす……」


 まるで何かから隠れているような声だ。そう思いながら顔を上げると、そこには見たことがある顔が立っていた。


 向かいの茶屋で働いている、あの腕が多い男だ。


「あら!」


 彼を迎えて、途糸は本当に嬉しそうに顔を明るくした。

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