第8話 ファッションチェック

 必死の抵抗もむなしく、私は怒り心頭のお姉さんに街を引きずられていった。


 店の中とは違って明るい日光が降り注ぐ道は、堂々と歩くにはどうしても慣れなくて、私は風を切って歩くお姉さんに息を切らせて声をかけた。


「おい、お姉さん。おい!」


 かなり大きな声を出したら彼女は振り返ってくれたが、何を勘違いしたのか私に笑いかけてきた。


「私の名前? 紗綾さやよ。着せ替え人形の『モノ』なの」


 違う。そういうことじゃない。


「ほら、私の服綺麗でしょ?」


 お姉さんは立ち止まると、自分が来ている綺麗な和服を私に見せびらかしてきた。真っ赤で、くしゃっとしたところがあって、花がいっぱいある。


「今日は絵巻屋さんに服を描いてもらおうと思ってたの」


 ようやく足を止めることができた私は、肩で息をしながら彼女を見守る。彼女はころころとよく表情を変えて私に人差し指を立ててきた。


「あの方、無愛想で朴念仁の唐変木だけど、センスってやつはいいからね。ああ、センスっていうのは異国の言葉でね」


 おしゃべりが好きなお姉さんなのだろう。言葉を止めることなく、彼女はまた私の手をつかんで歩き出した。


 怒りが収まったらしく、今度はさっきよりもゆっくりとした歩みでホッとする。


「それで、お嬢さんのお名前は何ていうの?」


 ぺらぺらと喋っていたと思ったら急に話を振られ、面食らった私は紗綾の顔を見て、オウム返しに繰り返した。


「名前」


 目をしばたかせる。


 名前。そういえば私は名前を呼ばれていない。


 絵巻屋も化身も、ほかの人たちも『お嬢さん』と呼ぶばかりだ。


「……名前」


 こうして名前を呼ばれていないということを自覚すると、自分には何もないのだということを思い出してしまう。


 それはきっと、さみしいことだ。


 視線を落とす私をよそに、紗綾は聞いたのはそちらなのにあっという間に興味をなくしたようだった。


 そのまま一方的に喋りかけられながら歩き続けていると、突然とある店の前で紗綾は立ち止まった。


「お嬢さんついたわよ! ここが服屋さん!」


 つられて店の方を見上げる。五階建てはありそうな、ど派手な建物だ。


 そびえたつその姿に記憶の隅がつつかれて、首をかしげる。


「デパート?」


「でぱーと? ここは呉服店の『路異みちい』さんよ?」


 呉服店とは何だろう。


 その疑問は、店に足を踏み入れたら一瞬で解決した。


「おばちゃーん! ちょっと服を見繕ってほしいんだけどー!」


 慣れた足取りで入店した紗綾について中に入ると、キラキラと光り輝くような和服がずらりと並べられた光景が目に入った。


 色も刺繍も種類がさまざまで、見ているだけで目が回りそうだ。


 吹き抜けになった店のはるか上まで和服は並んでいて、私は口をぽっかりと開ける。


 すごい。このデパートは全部服屋さんでできているのか。


「あらぁ、紗綾ちゃん。また服をお探し? 今日はいいのが入ってるわよ」


 店の奥からやってきたのは、ちょっと太ったおばさんだった。きっとここの店員さんなのだろう。


「ううん、違う違う。今日はこの子よ」


「あら、かわいい子ね。服を変えて髪を整えたらきっと美人さんになるわ」


 紗綾に前に押し出され、おばさん店員の前に立つ。彼女は私の前に膝をつくと、私の服や顔をぺたぺたと触りまわった。


「この子に服を見繕えばいいのね」


「ええ! 生まれ変わったってぐらい着飾ってちょうだい!」


 紗綾は偉そうに胸を張る。おばさん店員はにんまりと笑って私の肩をぼすんとたたいた。


「任せなさい。とびっきりの美人さんにしてみせるわ」


 そのまま私は靴を脱がされ、店の中へと引き込まれていく。左右を通り過ぎる高そうな服を見送りながら、私は顔を青ざめさせた。


「お金、ない……!」


「お代は絵巻屋さんにツケとけばいいから、うーんと上質なのをお願いね!」


 そこから数十分の記憶は定かではない。


 とにかく鏡の前に立たされて、周りをくるくる回られて、たくさんキラキラした服が持ってこられて、髪にも櫛が入れられていろいろな形に結ばれたりしていた気がする。


 ハッと気づいたときには、私は濃い桃色に白い花びらが散らされた服を着せられて、へとへとになった顔を鏡に映していた。


「あらかわいいわぁ、やっぱり小さい子の着せ替えは楽しいわね」


「ええ、本当に」


 すぐ隣ではうっとりと店員さんと紗綾が私を見ている。


 私は息苦しくてきゅっと眉をしかめた。


「動きづらい」


 色鮮やかすぎて目がちかちかするし、帯は苦しいし、足は開かないしで最悪だ。


 私の嫌そうな顔を見た二人は、顔を見合わせて眉を下げた。


「お気に召さなかったかしら……」


「じゃあもっと動きやすいものにしましょうか」


 二人は私から着物を一枚はぎとると、その下に着せられた下着っぽい和服姿で私の手を引いて歩き出した。


「三階にはちょっと変わった着物がありますからね、それも試してみましょ!」


「それがいいわ! どうせ絵巻屋さんのお金なんだもの! 贅沢しまくりましょ!」


 きゃっきゃっと話し合う女性二人から逃げようと、私はそろそろと後ずさる。すると、大量に積まれた服の間に、狭い通路があることに気が付いた。


「?」


「ああ、そっちのほうは異国の服よ。珍しいでしょ?」


 そこをのぞき込んでいると、ひょいっとやってきた紗綾が教えてくれた。私はびくっと肩を震わせ、逃げるように通路へと駆け込んだ。


 通路の左右にはハンガーにかけられた洋服がずらりと並んでいた。ズボンやワンピースや普通のスカート。見慣れた服たちを見つけて、私はホッと安心した思いがした。


 紗綾はそんな私の横にやってきて、ハンガーを持ち上げた。


「こういうのをスカートっていうんですって。ちょっと裾が短いのだけど、女性用らしいわ」


 彼女が手にしているのは、フリルがついた紺とピンクのワンピースだった。記憶によれば、ロリータ服とかそういうものだったはずだ。


「紗綾はこういうの好きなのか」


「あはは、ちょっと私が着るのは恥ずかしいかしらねぇ」


 紗綾は手をぱたぱたとしながら、けらけらと笑う。


「私、市松人形だもの。洋装は似合わないわ」


 じーっと私はそれを見る。なんだかそれを見なければいけない気分になったのだ。


 しかしそんな私に、紗綾は勢いよく振り返った。


「お嬢さんこそ、こういうの着てみない? きっとかわいいわよ!」


「!?」


「いい考えね! 試着してみましょう!」


「!?」


 後ろからひょっこり現れたおばさん店員に、ちょっと体が跳ねて逃げようとしたが、彼女たちは私の肩をしっかりと捕まえてきた。


 ぐるぐると目が回る思いをしながら服をはぎとられ、ロリータ服を着せられる。


 ふりふりのスカートを履かせられた私は、きゅっ……と顔をしかめていた。


「動きづらい……」


 苦虫をかみつぶしたような顔をしている私を置いて、二人はほかの洋服をきゃいきゃい選んでいる。


 私はそっと彼女たちから距離を取り、視界から消えようとし――ふと目に入った一着に足を止めた。


「!」


「あら、気に入ったものがあったかしら?」


 寄ってきた二人に、見つめていた洋服を指さす。


 真っ白なシャツに、サスペンダーで吊った黒の半ズボン。


「これ」


 短く主張する。すると、二人はなぜか苦々しい顔をした。


「うーん……」


「お嬢さんそれはね……」


 なぜそんな反応をされているかわからず、振り返る。二人は私に視線を合わせてきた。


「確かに不思議な形をしているけれど、あれは男の子の服なのよ」


「お嬢さんにはもっと色鮮やかでかわいいのが似合うと思うわ」


 口々に説得されたが、私は意見を変えない。


「動きやすい」


 今まで何度も要求してきた条件を主張する。


 そのままにらみつけるように紗綾たちを見つめていると、紗綾は黙り込んだ後、あきらめたようにため息をつき、ふっと笑いかけてきた。


「……わかったわ。乙女は自分の好きな服を着るのが一番だものね」


「そうねえ、お嬢さんの意思は尊重しなきゃね」


 ようやくわかってくれたと肩を落とす。


 紗綾はおばさん店員に振り向いて、明るい笑顔を浮かべた。


「じゃあ、おばちゃん! これください!」


「毎度あり! 絵巻屋さんにツケるなら、もう何着か持っていきなさいな!」


「お、お金……!」


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