第二章 カタチを見るもの

第7話 はじめてのお店番

 絵巻屋の奥にある畳の上で、私と化身はひざを突き合わせて向かい合っていた。


 私は正座で、化身もふわふわ浮いてはいるが正座のポーズだ。


「ホラ、繰り返しテ。『デス』」

「『です』」

「『マス』」

「『ます』」

「お客様が来たラ?」

「イラッシャイマセ。絵巻屋は留守にしてる、ます」


 あちゃーとか言いながら、化身は額を押さえる。なんとなく失敗だったんだろうなと思いながら、私はそれを見守った。



 私が絵巻屋に身を寄せることになって数日。絵巻屋は私にしっかりと仕事を命じてきた。


「お嬢さん、あの巻物を取ってきてください」

「わかった」

「エッ、うわーッ! そんな引っ張り方したら崩れちまうヨ!」


「これを運んでください」

「わかった」

「待って待って持ち上げられてないじゃン! 引きずらナイで!」


「これを戻しておいてください」

「わかった」

「チョット、上らないで! 手が届かないなら言ッテ!」


 私のすることにいちいち大騒ぎする化身は、仕事中の私に常に張り付くことにしたようだった。


 持っていこうとしたものをわざわざ渡され、持ち上げようとしたものをふわりと浮かされ、頑張って片付けようとした荷物は勝手にしまわれる。


 なんだか何もできていない気がして内心むっとしていると、化身は浮かびながら隣でうなだれていた。


「お嬢さん、お願いダカラ、人を頼ることを覚えようネ……」


「頼る?」


「できないことはできませんって言うノ。ワカッタ?」


 疲れ果てた様子で言う化身に、私はますます気持ちが下がってジト目で化身を見た。


「私、できる」


「イヤ、でも実際ネ……」


「ここにいたい、から。できる」


 仕事をする代わりにここに置かせてもらっている。だから仕事をしたいのだ。


 そう主張すると、化身はうっと言葉に詰まり、大きくため息をついた。


「わかったヨ……でも、一緒にお仕事をしようネ?」


「一緒?」


「ソ。それならお嬢さんもちゃんとお仕事したことになるダロウ?」


 少し考える。たしかにそれはそうかもしれない。


「わかった」


 こくりとうなずくと、化身はホッと胸をなでおろしたようだった。


 そんなこんなで無事に仕事をこなしていた私だったが、ここ数時間は、敬語の練習と称されて、化身の言葉を繰り返しつづけていた。


「いらっしゃいませ」

「イラッシャイマセ」

「絵巻屋が奥にいるときハ?」

「今呼び、です」

「留守の時ハ?」

「絵巻屋は留守、ます」

「ウーン、惜しい! 逆なんだよナァ!」


 化身は腕を組んで悔しがる。一人で盛り上がっていてなんだか楽しそうだ。


 宙をごろごろと転がる化身を観察していると、奥に引っ込んでいた絵巻屋がタバコをくゆらせながら顔を出した。


「お嬢さん」


「ん」


 短く返事をすると、絵巻屋は何か言いたそうな顔をしたが、流すことにしたようだった。


「化身と一緒に少し出てきます。店番を頼めますか」


 お店番か。


 それなら化身の邪魔が入ることもないし、何より自分一人で仕事ができると思われているようで悪い気はしない。


 私は力強くうなずいた。


「任せろ」


 手元でくるんと回した筆の柄で、頭をぺちんと叩かれる。


「敬語を忘れない」


 ふむ、敬語。たった今練習していたばかりだから完璧だ。


「任せろます」


「よろしい」


「いいのォ!?」


 化身が大声を上げて身を乗り出してくる。元気だ。


「今日はもう一日中戻ってきませんから、お客様が来たら用件だけ聞いて帰ってもらってくださいね」


「わかった」


「敬語」


「わかったます」


 完璧な受け答えをすると、絵巻屋はそのまま草履を履いて出ていこうとし――ふと立ち止まった。


「それから」


「なんだ」


「敬語」


「なんだます」


 絵巻屋は、畳の奥にある小さな箱を筆で指してみせた。綺麗な装飾がされていて、蓋には開かないようにお札が貼られている。


「その箱には大切なものが入っています。絶対に開けないように」


「わかったます」


「よろしい」


 ようやく満足したようで、絵巻屋は店の出口へと向かっていった。その後ろを微妙な雰囲気を醸し出しながら化身がふわふわとついていく。


「では、いってきますね」


「いってくるネェ。お願いだから、いい子にしてるんだヨォ」


「いってらっしゃい、ます」


 一度振り返ってそう言った二人に、私はひらひらと手を振る。二人はそのままのれんをくぐって外出してしまった。


 店に残された私は、畳の縁に腰掛ける。足をぶらぶらさせながら、絵巻で満たされた店内を見渡す。


 本当にどこもかしこも絵巻だらけだ。中身を見せてもらったことはないが、きっとあの中には絵巻屋が描いた素晴らしい絵が隠されているのだろう。


 壁にかけられた時計がコチコチと音を立てる。店の中は外の世界と隔たられているかのように静かで、よくよく耳を澄ませなければ外のざわめきは聞こえてこない。


 そういえば、この異界に来てから一人きりになるのは初めてかもしれない。あれから私のそばには常に絵巻屋か化身がいた。


 あの二人にはとても助けられている。すごく世話になっている。今の自分の働きでは全然足りないぐらい。


 もっと役に立ちたいな、と漠然と思った。


 ふと、絵巻屋が普段座っている机に目がいく。私は深く考えず、そちらに向かって腰掛けた。


 いつも絵巻屋がしているように、机の向こう側に置かれた座布団に腰掛ける。そして、彼がしているように筆を持つ真似をした。


「絵巻屋の真似」


 彼のようにしゃきんと背を伸ばすと、まるでお客様が目の前にいるような気分になって、私は絵巻屋の仕草を真似て筆をくるんと取り出すふりをした。


「依頼だですね。絵、描くます」


 我ながらそっくりだ。丁寧なのにぶっきらぼうなところとか、かなり再現できたと思う。


「ふふん」


 楽しくなって鼻を鳴らすと、背後でガタンと何かが動く音がした。


 振り返る。パッと見るかぎり、先ほどと変わったところはない。何かが落ちたわけではないようだ。


 だが崩れてしまったものがあるなら一大事だ。私は立ち上がり、店の奥に行く。裸足で畳を踏んでうろうろと見回すと、あの時開けるなと言われた箱の蓋がずれて、開いてしまっているのに気がついた。


「……開いちゃった」


 内心焦ったが、開けたのは私ではないのだから大丈夫なはずだ。壊さないようにそっと蓋を持ち上げる。


 中にあったのは、上質そうな紙と一本の筆だった。


 きっと絵巻屋が使うものだろう。大事なものなら触らないようにしなければ。


 私が蓋をしっかりと閉めたその時、店のほうからカランコロンと足音が響いてきた。


 慌てて店に戻り、お客様を迎える。


「イラッシャイマセ」


「あらぁ? お嬢さんがお店番? 偉いわねぇ」


 やってきたのは、派手で綺麗な着物を着たお姉さんだった。まげが結われたつややかな黒髪で、顔も整っていて、まさに美女といった趣だ。


「絵巻屋さんはどちらかしら? 描いてもらいたいものがあるのだけれど」


「今日は一日中、留守ですます」


「一日中?」


「一日中」


 言われた通りのことを伝えると、彼女はうーんと考え込み、それから畳の縁へと腰掛けた。


「んー、じゃあ待つとしましょうか」


 私は一瞬きょとんとした後に、焦って彼女に近寄った。


「絵巻屋は一日中、いないぞ、です」


「いいのいいの。どうせそのうち戻ってくるわ」


 何度主張しても彼女は立ち去る様子はない。私はしばらくそわそわと彼女をうかがっていたが、どうしようもないと判断し、おとなしく彼女の隣に腰掛けることにした。


 彼女は機嫌よさそうに店内を見回していたが、ふと隣に座る私へと目をやった。


「お嬢さん、すごくぼろい服ね」


「うん」


「お店番するなら、もっと綺麗なおべべを着たほうがいいんじゃない?」


 おべべというものが何かわからず、首をかしげる。


 無言でお姉さんと見つめあっていると、彼女はハッと何かに気づいた顔をした。


「……まさかその服しか持ってない?」


 おそるおそる聞かれて、こくりとうなずく。彼女の顔色は一気に真っ青になった。


「しんっじられない! あの男、唐変木だとは思ってたけど、そこまで!?」


 いきなり立ち上がって叫び始めたお姉さんに内心びっくりして、私はのけぞる。彼女は頭をかきむしって憤慨していたようだったが、バッと私に振り向くと、私の腕を掴んで立ち上がらせてきた。


「お姉さんと服買いに行きましょ! ね!!」


 そのままずるずると引きずられて、店の外へと連れられていく。


「おみせばん……!」


「そんなのどうだっていいのよ! 乙女が好きな服着られないなんてありえないんだからー!」

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