第5話 関所のお役人さん

 石造りの『関所』に入ると、まず大きなホールに出た。


 ホールの天井は高くて、カウンターには受付らしき人が座っている。順番待ちをしている人たちの横をすり抜けて、私たちは『関所』の奥へと進んでいった。


「どこに、行く?」


 絵巻屋がくゆらせる煙草の煙を見ながら、私は問いかける。


 すぐ隣の化身は振り向いて、絵巻屋は顔を前に向けたまま答えた。


「鏡の間だヨォ」


「本物の雲外鏡に映せば、あなたのカタチも見えるでしょうから」


 雲外鏡、というと店で見せられたあの鏡のことだろうか。模造品だと言っていたから、きっとその本体がここにあるのだろう。


 化身の袖をつかんだまま、てくてく歩いていくと、何人かの職員らしき人とすれ違う。


 その中の一人が、私たちを視界に入れてパッと表情を明るくした。


「おっ、タエじゃないか!」


 誰も返事をしない。


 だが、顔の向きからして、彼が呼び掛けたのは絵巻屋のようだった。


 一切歩みを緩める仕草もなく、絵巻屋はずんずん奥へと進んでいってしまう。声をかけた若い男は、そんな絵巻屋に追いすがっていた。


「なぁ待てよ止まれって、タエー!」


 絵巻屋は振り向こうともしない。傍らの化身に目をやると、軽く首を横に振ってきた。


「呼ば、れてる、ぞ?」


「呼ばれていません」


「なんで無視するんだよー。久々に会った親友にその仕打ちはないだろー」


 立ち止まらない絵巻屋に業を煮やしたのか、とうとう彼は私たちの前に立ちふさがった。


 その時になってようやく絵巻屋は彼を視界に入れる。男は満足そうに鼻を鳴らした。


「何度言ったらわかるのですか。私は、タエではありません」


 硬くて冷たい声だ。


 私はそっと絵巻屋に近づいて彼の顔を見上げ――ちょっと後悔した。


 絵巻屋は何も感じていないかのような無表情だった。ここに来るまでずっと眉間に刻んでいたシワすらない。


 それがおそろしくなって私は彼の視界から逃げ、化身の袖に隠れた。


 沈黙。ここから見えるのはむすっとした男性の顔だけ。


 さらに袖に体を隠そうとしていると、男性は腕を振り上げて絵巻屋を指さした。


「俺はあきらめないからな!」


 彼の熱気に、絵巻屋は返事をしなかった。


 その代わりに、彼の横をすり抜けてさっさと奥へと進んでいこうとする。


 だが、男はさらに絵巻屋を追いかけ始めた。


「それで、『関所』に何の用だ?」


「…………」


「役人である俺には知る権利があると思うんだけどなー」


「…………」


 絵巻屋はしばらく沈黙を守っていたが、延々とついてくる彼が鬱陶しくなったのか、しぶしぶと彼の質問に答えた。


「そこのお嬢さんの『カタチ』を確認しに来たのですよ」


「へぇ! ちっちゃいのに大変だな、お嬢さん!」


 歩いていた男に突然顔を覗き込まれ、私はビクッと体を跳ねさせる。


「俺は道行ミチユキだ。よろしくな!」


「そんなのに構わずに行きますよ」


 一切振り向く気配もなく、絵巻屋は角を曲がる。道行はそれを慌てて追いかけた。


「おーい、待て待て!」


 無理やり引き留められ、今度は不機嫌なのを隠そうともせずに絵巻屋は道行を見る。


「……なんでついてくるんですか」


「え? 仕事だよ仕事!」


 道行は懐から出した木片をトントンと叩く。すると、一枚の紙がするりと彼の手の中に現れた。


「ほい、鏡の間への通行手形の書類。二人には要らないが、そこのお嬢さんには要るだろ?」


 絵巻屋は書類を受け取らず、苦い顔でそれを見ている。化身が私に顔を寄せて囁いてきた。


「ホントは鏡の間には通行許可がいるンだヨ」


 なるほど、そうなのか。


 絵巻屋を見ると、彼はとても面倒そうな顔をしていた。


「顔でいいではないですか、別に悪さはしませんよ」


「残念ながらそれを決めるのはタエじゃないんだよなあ。ま、俺に見つかったのが運の尽きだと思ってくれ!」


 押し付けられた紙を受け取り、絵巻屋はどこからともなく筆を取り出した。


 そのまま書類を書こうとしたところを、化身は慌てて遮る。


「イヤイヤ、ソレ使って書類書くとか馬鹿デショ! 絵巻屋の筆をなんだと思ってンのサ!」


 顔を上げた絵巻屋は、むっと何か言いたそうに唇を尖らせていた。


 まるで叱られた子供みたいだ。


 そんな場違いな感想を抱いていると、絵巻屋はしゅるっと筆をどこかへと仕舞い、私たちに背を向けた。


「あなたたちはその辺りにいてください」


 そのまま道行とともに去っていく彼をぼんやり見送っていると、ふわふわ浮く化身が体を寄せてきた。


「防犯上の都合ツゴーで、窓口の近くには『アヤシ』が入れないようになっているンだヨ」


 そうなのか。


 納得しながら一歩引く。化身は、私が掴まったままだった袖をひっぱって、すぐ近くにあったベンチへと連れていった。


「お兄ちゃんと一緒にここで待とうネェ」


 動いた袖につられて、すとんとベンチに腰を下ろしてしまう。化身はそんな私の隣に浮かびながらあぐらをかいた。


 化身はそのままの姿勢でぷかぷかと揺れて、彼が羽織っている派手な着物も風もないのに波打っている。


 それをじっと見ていると、不意に化身が声をかけてきた。


「暇だねェ。何か遊んで待つカィ?」


「遊ぶ?」


「子供は遊ぶモンだろう? 何がいい?」


 気を使われたのだ、とすぐにわかった。でも紙のお面の向こう側は優しい顔をしている気がして、私はうーんと考え込むことにした。


 遊ぶ。遊びといってもとっさに思いつかない。


 ここに来るまでの私は、そんなに遊びに興味がなかったのだろうか。


 私は考え込んで、さらに考え込み、ようやく一個だけ遊びを思いついた。


「……うた、とか?」


「アー、歌ねえ。現世の歌はチョットわかんないかナァ」


 申し訳なさそうに、化身は頭を掻く。


 そんな彼を見て、私は不意に思い立った。


「教える」


「え?」


 ベンチから立ち上がり、化身の前に立つ。


 自分が遊んでいた姿は全く思い出せないのに、一つだけ、歌と踊りが頭の中に存在していた。


 ……もしかしたらこの歌が大好きで、ずっと聞いていたりしたのかもしれない。


「ぐるぐるーおひさまきらきらー」


 手を持ち上げて、ひらひら動かす。


「しゃがんでー」


 体を丸めて、ひょこっと立ち上がる。


「おつきさまーこわいのーふわふわー」


 ぐるぐる回転して、ぴょんっと跳ぶ。


「のびてーちぢんでー」


 ぐーんと体を伸ばして戻し、


「どーん」


 両手を挙げて天井を仰いだ。


「ポーズ」


「おお、上手だネェ」


 ぱちぱちと拍手をする化身に、私はびしっと指を突きつけた。


「お前も、歌う」


「エッ?」


 化身はぴたりと手を止めて、硬直した。


 遊ぶと言ったのだから、私だけ歌うのはわりに合わない。


 私が固まったままの化身をじーっと見ていると、彼は大げさに体を傾けた。


「いやぁ、俺は遠慮しておこうカナァ」


「歌う」


 逃がさない、という思いを込めて繰り返す。


 詰め寄る私と、追いつめられる化身。


 先に動いたのは化身だった。


「アー、喉が渇いたナァ。ちょっと水でも買ってくるネェ」


 私の返事も聞かず、化身はひょいっと飛んでどこかへと行ってしまった。


「……逃げられた」


 内心で不満に思いながらベンチに腰掛ける。絵巻屋が戻ってくるのはまだだろうか。


 視界の端に何か小さなものが横切ったのはその時だった。

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