第3話 モノたちの街

 店先に『外出中』と書かれた札を立てて、私たちは店の外に出た。


 外は薄暗い中と比べてとても明るくて、私はぎゅっと目を閉じてまぶたを両手で覆う。そのまま動かないでいると、つんっと鼻先を誰かにつつかれた。


「お嬢さん、大丈夫カィ?」


 目を開けると、低い位置まで下りてきた化身ケシンの顔があった。白紙のお面に隠されてはいるが、心配している表情をしていることはなんとなく伝わった。


 何と返事をすればいいか迷っていると、絵巻屋エマキヤの硬い声が頭上から降ってきた。


「行きますよ」


 そう言うと絵巻屋は、煙草をくわえたままさっさと歩きだしてしまった。私もそれを慌てて追いかける。


「オヤオヤ」


 宙をすいっと泳いで、化身は絵巻屋の隣に行ってしまった。


「不機嫌だネェ」


 化身が声をかけても、絵巻屋は足を止めなかった。


「そんなにお関所に行くのが嫌カィ?」


 絵巻屋は何も答えない。お関所とは何のことなのだろう。


 淡々とした絵巻屋の草履の跡を踏んで、私は小走りに二人のあとをついていく。


「まったく、まったく」


 答えようとしない絵巻屋にあきれた声を上げ、化身は彼から離れてふよふよと進みはじめた。


 だが、その進みも私にとっては速すぎた。私は精一杯足を動かしたが、どんどん二人との距離は開いていく。


「っ……!」


 小石につまずいてよろめく。目の前を横切った人影に、二人が隠れてしまう。


 慌てて体勢を戻したときには、二人の姿は人波に隠れてどこにも見えなくなっていた。


 私は棒立ちになって、所在なさげに指を組んであたりを見回した。


 行きかうのは自分よりずっと大きな人たちばかりだ。当たり前だが知っている人は一人もいない。


 どうしよう。どうしよう。


 混乱する頭の中のまま、私は口を開こうとした。とにかく誰かに声をかけないと、と思ったのだ。


 息を吸い込んで、のどを震わせて、とりあえず目の前を通った女の人に声をかけようとする。しかし、その直前に横切った男の人に私はぶつかってしまった。


「おい危ねえだろ!」

「ご、ごめんなさっ……」


 ほとんど悲鳴のような謝罪を口にしながら、私は道の端へと駆けていく。


 しかし、走りながら顔を伏せていたせいで視界が狭かったのがいけなかったのだろう。逃げていった先でも、道端に立っていた人に私はぶつかってしまったのだった。


「っ……!」


 私が正面衝突したのは、十代後半ぐらいの少年だった。街並みにそぐわない洋装で、三色団子を手にしている。


「うん? 君はどこのお嬢さんかな?」


 少年は腰をかがめると、かじっていた団子の串をひょいっと私に向けてきた。まるでマイクを向けられているかのようなポーズだ。


「僕はゴト。お嬢さんの名前は?」


「わた、わたし、は」


 うまく息ができないまま、私は言葉に詰まる。答えられないのではなく、答えがないのだから当然だ。


 口をぱくぱくと開け閉めしている私を見て、事は片眉をはね上げた。


「なるほどね」


 何を納得したのだろうか。きっと私がまだ知らないことなのかもしれない。


 だけどそれが何なのかを告げないまま、事は折っていた腰をもとに戻してしまった。


「それじゃあね、お嬢さん」


 待って、と声を上げようとした。しかしそれを遮るように、事はひらりと手を振った。


「君が君を見つけようとするのなら、そのうちまた会えるよ」


「え……」


 それだけを言うと、事は私に背を向けた。


「あーお団子、おいしっ」


 そんなことを言いながら、事は上機嫌にどこかに歩いていってしまう。


 一方置き去りにされた私は、伸ばしかけた手を軽く握りこんで、さらに道の端に寄った。


 背中に木でできた壁がぶつかり、右を見れば華やかな店の戸口が目に入る。店に掲げられている文字は難しくて、何を売っているのか見当もつかない。


 ここは一体どこなのだろうか。私はなぜここにいるのだろう。そもそも、絵巻屋や化身は私をどうするつもりなのだろう。


 不安が腹の奥でぐるぐると渦巻いて、そこにぎゅっと手のひらを押し付ける。でも、そんなことをしても不安は抑え込めるものではない。


 私は壁に背中をつけたまま、ずるずるとしゃがみこんだ。


 湿り気のある地面が近い。視界の端に行き交う人たちの足が見える。不安で膝を抱える。


 でも――こうして縮こまっていると、なんだか懐かしいような気がした。


 一人きりのような、寂しいような、いつも通りのような――


「アァ、いたいた!」


 突然耳に入った聞き覚えのある声に、私は顔を上げる。人込みの上に浮かぶ化身と目が合った。


 すいすいっと器用に宙を泳ぎ、化身は私の目の前に降りてくる。


「ごめんネェ。置いていっちゃッテ。怖かったデショ?」


「怪我などはしていないですか」


 続いて降ってきた不愛想な声に、私は身を強張らせた。ついさっき化身が言っていたことが本当なら、彼は不機嫌のはずだ。


 慌てて立ち上がり、私は彼に頭を下げた。


「ご、ごめんな、さい」


「謝らなくていいヨォ。こっちが悪いんだカラ」


 すぐ隣で化身はけらけらと笑う。そっと絵巻屋を見上げると、彼は不愛想だったが怒っている様子ではなかった。


 そのまま目をそらすことができずに見つめ合っていると、私たちの間に化身が割り込んできた。


「じゃあ、行こうカネ。手ェつなぐカィ?」


 そう言うと化身は私に左手を差し出してきた。朱色のきれいな着物の袖がふわりと揺れる。


 私はその手を取るかどうかチラチラと彼の顔と手を見比べて迷った後、浮かんでいる袖のはじっこを控えめにつかむことにした。


「ン。しっかり掴まっときナ」


 化身は軽くうなずくと、金魚のようにひらひらと動く着物の裾だけで絵巻屋の肩をはたいた。


「今度はゆっくり歩くンだヨォ、絵巻屋」


「……分かっていますよ」


 ……もしかしたら申し訳なく思っていたのかもしれない。


 絵巻屋は仏頂面を崩さないままだったが、小声で返事をしていた。


「サァ、行こう行こう。このままじゃ日が暮れちまウ」


 掴まった袖をくいっと引っ張られ、私はつられて歩き始めた。

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