第280話-守護竜ブラン

「ゲルードはいるかい?」


 塔の中に入ると、ブランはすぐに近くの部屋に入って中にいた魔術師の一人に声を掛けました。何かの書類を書きこんでいた若い魔術師が顔を上げて、ブランを見て飛び上がります。

「これはっ、輝竜様!すぐにゲルード様にお知らせします!だ、誰か、ゲルード様を!」

 突然のブランの訪問にあわてふためく魔術師を軽く制して、ブランは再びたずねました。

「いや、呼び出さなくて良いんだ。こちらから行くから。最上階かな?それとも『薬の部屋』だろうか?」

「本日は、ゲルード様は薬の部屋にいらっしゃるはずです!」

「わかったよ。ありがとう。気にせず仕事を続けてくれ」

「はいっ」

 偉大なる竜の姿を間近で見られて、まだちょっと興奮気味の魔術師に軽くお礼を言って、ブランは塔の五階にある、薬の部屋を目指しました。


 薬の部屋では、主に魔術薬が作られますただ薬の調合をするだけでなく、素材の精製や調査、確認も行う総合的な施設があるのです。朝らか籠っているというゲルードは、おそらくそこで夢中になって作業をしていることでしょう。


「それでなくても反抗的なのに。薬作りに夢中になってるあいつが、僕の話になんて耳を傾けるかな」

 ブランはぶつぶつとつぶやきながら、それでも五階まで登ってきました。


 薬の部屋の扉の真ん中には、握りこぶしほどの白くて丸い魔石がつけられています。ブランがその魔石に触れると、薄青く光りました。部屋の扉が開きます。ブランが部屋の中に入ると、奥でゲルードがぶつぶつ言いながら細い金属の棒で鍋をかき混ぜていました。

「あああ~っ、夕食など後で良いといっただろう!ダメだ!温度が下がる!すぐに扉を閉めてくれ!」

 扉の方を見もせずにゲルードが怒鳴ります。誰か部下が入ってきたのだと思い込んでいるようです。薬草を煮込んでいるらしく、部屋の中には何か独得の香りが充満していました。


「夕食じゃないよ、ゲルード。僕だ」

「僕?」

 不機嫌そうに振り向いたゲルードの目が、さらに不機嫌そうに細められました。


「これはこれは輝竜殿。失礼いたしました。で、このような場所へなぜ?」

 そう言いながらも、手は相変わらず細い棒で鍋をかき混ぜています。ブランのことを見たものほんの一瞬で、もう気持ちは鍋の中身に集中しているようです。


「あー、ちょっと話がしたかったんだが……」

「話、ですか?今でないと駄目でしょうか?御覧の通り、新薬の精製が佳境に入っておりましてな」

 鍋の方を向いたままゲルードが答えます。

「僕にとっては今じゃなくても良いんだが、ゲルード、君にとっては急いで聞いたほうが良い話かもしれないよ」

 ブランの言葉に、ちらっとゲルードが振り向きます。が、すぐにまた鍋の方を向いてしまいました。

「わたくしにとって、とは?」

「大事な話だよ、ゲルード。その作業、誰かに代われないか?」

「むむむ、これは総仕上げの攪拌作業でしてな。ほんのわずかな魔力加減でこれまでの作業が水の泡に……」

「そうか、じゃあ無理にとは言えないな。じゃあ」

 ブランが立ち去ろうとするとゲルードが鍋の方を向いたまま声をかけてきました。

「お待ちください。あとほんのわずかで完成します。その間、そちらのテーブルでお待ちいただけますか?」

 見ると、ブランの横テーブルの上は散らかりまくっていましたが、一応ひとり分くらいの空きスペースがありました。

「お茶をお出ししましょう」

「いや、良いよ。扉を開けたくはないんだろう?」

「ありがとうございます」



 ブランが座って待っていると、間もなくゲルードの手が止まりました。

「ふうっ、完成です!」

 いつの間にか、さっきまでの複雑で独特な匂いが消えて、部屋の中には清々しい香りが漂っていました。


「これは……ローリアかな。良い香りだ。夢見関係の薬を作っていたのか?」

「さすがですな。夢見というか、夢を利用した体力と魔力の疲労回復の新薬です。これを少量垂らした布を枕元に置いて眠ると、夢の中で薬の成分を摂取することができます。飲んだりするのとは違い、摂取する時の体調を考慮しなくても済むので、胃腸の調子が悪かろうと使用できますし、乳幼児や妊婦、高齢者にも摂取しやすいのです。しかも数日間使用できますので、複数人に……」

 瞳を輝かせ熱く語りだしたゲルードの前に手のひらを向けて、ブランが止めます。


「説明ありがとう。だが、僕も話があるんだ」


「そうでしたな、これは失礼いたしました」

 とたんにゲルードの瞳から輝きが消えました。


 ブランの座るテーブルのところまで来ると、散らばっている書類をまとめ始めました。

「このようなところまでわざわざお越しいただくとは、いったいどのような件で?」

「あー、あの……」

 言い淀むブランを不思議そうに見つめます。

「お急ぎではなかったのですか?」

「急ぎと言えば急ぎかな……」

「何でしょう?これでもわたくしも忙しい身なのですが」

 ちょっとイライラしたように答えるゲルードに、ブランもちょっとムッとしました。

 でも、黒ドラちゃんの期待に輝く瞳を思い出して我慢です。


「結婚が決まったそうだな。おめでとう」

 ブランの言葉に、ゲルードが一瞬目を丸くします。

「あ、ありがとうございます。……わざわざお祝いの言葉を下さるためにお越しになったので?」

 さっきよりは不機嫌そうではありませんが、不思議そうです。


「あー、うん。お祝いと……黒ちゃんたちが」

「古竜様たちが、何か?」

「いや、黒ちゃんたちが、どうとかじゃなく、ええと、その、ドーテは元気かな?」

 どう切り出したらいいのか迷ううちに、ブランなんだか自分でもわけがわからないことを口走っていました。

「は?ドーテは城におりませんでしたか?何かあったのでしょうか?」

 一瞬不安そうに聞き返してきたゲルードに、ブランがあわてて答えました。

「いや、違うよ。ドーテはいつも通りに仕事をしていたよ」

「……輝竜殿?失礼ながらなにをおっしゃりたいのか今一つ理解しかねるのですが」

 ゲルードの態度が再びとげとげしくなりだしました。


 もう変に気を回すのはやめようと決心すると、ブランはストレートに切り出しました。

「結婚のことで、ドーテが悩んでいるらしい」

「なっ」

 一瞬、仮面のようだったゲルードの顔に、わかりやすく動揺が走りました。


 ブランが続きをどう話そうかと考えているうちに、再びゲルードは仮面をつけてしまいました。


「お話は承りました。善処いたします」

「善処って、ゲルード……」

「まだ薬の精製の確認が残っておりますので、これで」

 ゲルードがそう言うと、部屋の扉がひとりでに開きました。


 ブランは立ち上がりましたが、このまま部屋を後にしたくないと思いました。

「ゲルード、もう少し……素直な気持ちを話せないか」

「……」


 扉に向かって歩き出しながらやはり気になって振り返ると、背中を向けて作業に戻っているゲルードに再び声を掛けました。

「ちゃんと話した方が良い。お前にとってドーテが大切な存在ならば、きっと」

 バタンっ!という音を立てて、ブランの鼻先で扉が閉まりました。


 はあっっとブランがため息をつくと、あたりにダイヤモンドダストがきらきらと輝きます。


「……無力な守護竜だな」


 ブランのつぶやきは誰にも届くことなく、静かな塔の中でゆっくりと消えていきました。





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