第279話-北の塔へ
ブランはちょっとの間だけ思い出して怒っていました。けれど、湖の上を吹き抜けてくる風に吹かれているうちに、気持ちが落ち着いてきたようでした。
今は、黒ドラちゃんと一緒に、切り株の横に座って、湖を眺めています。
「ゲルードは赤ん坊のころは本当に可愛らしかったよ。あの笑顔を見るたびに、ああ、この子の母親の分まで愛情を注いでやろうと思ったものさ」
「え、そうだったの!?」
「ぶぶ!?」
今のゲルードとブランの様子からは想像もつかない思い出話に、黒ドラちゃんもモッチもびっくりしました。
「ゲルード自身も、僕にとても懐いてね」
「へぇ~!」
「今でこそ『輝竜殿』なんて他人行儀に呼ぶけれど、小さい頃は『ブラン』って呼んでくれてたんだ」
可愛いゲルードに『ブラン』と呼ばれていたころを思い出したのか、ブランの口元が優しそうにゆるんでいます。
「へえー」
またまた黒ドラちゃんはびっくりしました。ゲルードが懐いていたことも驚きですが、ブランが名前を呼ばせていたことに驚いたのです。竜同士でしか名前で呼んでいるところを聞いたことなかったので、それがとても『特別』なことだって、黒ドラちゃんにもわかりました。
「どうしてゲルードとはあんなに仲が悪くなっちゃったの?」
そうです、そこが不思議だったんです。
「う~ん。僕にもよくわからないんだ。ある時、そうだな、カモミラ王太子妃たちが遊びに来ていた頃かな。急に距離が出来たんだ」
「それって、けっこう前だよね?」
「ああ。カモミラ王太子妃が例の使用人の陰口で傷つけられて訪問が途絶える前だから、もう十年以上前だよ」
ブランにも理由ははっきりとはわからないようです。
「ただ……」
「ただ?」
「ぶいん?」
ブランがちょっと考え込んでから話し始めました。
「あくまで想像でしかないけど、ひょっとしたらドーテが関係しているかも」
「ドーテさんが!?」
「ぶぶいん!?」
「あ、いや、あくまでも僕の想像だけど、」
「いったいドーテさんが何しちゃったの?」
「いや、そうじゃないよ。ドーテが何かしたんじゃなくて……」
そう言いかけて、ブランは考え込んでしまいました。
「いや、やはり違うかも。そうだよね、いくら何でも十年以上もって、こだわりすぎだろう……」
なにやらぶつぶつ言っています。
ここまでお話をして、ようやく黒ドラちゃんはドーテさんから聞いたお話をブランに伝えることを思い出しました。
「ね、ブラン、あのね、ドーテさんが悩んでるの」
「ドーテが?なにをだい?」
「あのね、ドーテさんはゲルードのこと好きで、ふわふわしたり顔を見て笑ったりしたいんだって。でも、ゲルードはそういうことしてくれたことがないって。内緒話じゃないささやくもしたことがないんだって」
「ふわふわしたり、顔を見て笑う?内緒話じゃないささやく?ドーテはなんでゲルードとそんなことしたいんだろうな?」
ブランが不思議そうに首をひねっています。
でも、どうしてって聞かれても、黒ドラちゃんにもわかりませんでした。
「モーデさんは騎士さんとふわふわしてるんだって。肩をぶつけて、冗談言って、顔を見て笑うんだって。ドーテさんもゲルードとそんな風にしてみたい、って」
「なるほど……なんとなく、わかったよ」
「本当!?」
なんとかドーテさんの悩みをブランにわかってもらえたようで、黒ドラちゃんはホッとしました。
「マグノラさんにも相談しに行ったんだよ、でもマグノラさんは『何もしない』って」
「ああ、そうだろうね」
「え、ブランはマグノラさんがなんで『何もしない』かわかるの?」
「ああ、それもなんとなく、だけどね」
「そっかあ。ドーテさんもカモミラおうたいししもわかったみたい。お城に戻ってゲルードとお話してみるみたい」
「そうか」
「マグノラさんがね、人の気持ちはどんな風にでも変わるって」
「そうだね」
ブランがうなずきます。
「じゃあ、ブランもゲルードにお話ししてみて!」
「え、僕が?」
「うん、守護竜なんでしょ?ゲルードにドーテさんが悩んでることお話してあげて」
「いや、それは当人同士に任せた方が……」
「もちろん、ドーテさんもがんばると思うの。でも、守護竜が応援してくれればきっとうまくいくんじゃないかな?」
「う~ん……今のゲルードが僕の言うことなんて聞くとは思えないけど」
「でも、マグノラさんはきっとブランはこのお話喜んで聞いてくれるって」
「マグノラが?」
「うん!」
黒ドラちゃんが瞳を輝かせながらうなずくと、ブランがはあ~っとためいきをつきました。
「……わかったよ。とりあえず話すだけは話してみるよ」
「ありがとーっブラン!大好き!」
「うん、僕も大好きだよ、黒ちゃん」
黒ドラちゃんに飛びつかれて、ブランがニコニコしています。それを眺めながら、モッチはせっせと記事の下書きを続けていました。
ブランがお城へ行くと、ちょうどスズロ王子とカモミラ王太子妃が揃って食事をとっているところでした。ドーテさんはすぐそばに控えていますが、肝心のゲルードの姿は見当たりません。
「食事中に割り込んでしまって済まないが、ゲルードはどこだろう?」
ブランがたずねると、一瞬ドーテさんがパッと顔を向けてきましたが、すぐにすまし顔に戻って向き直りした。
スズロ王子の後ろで控えていた騎士さんが、ブランに教えてくれます。
「ゲルード様は北の燈においでです」
「北の燈?あそこは魔術師の塔だが、こんな時間になってもまだ塔にいるのか?」
「はい。新しい魔法薬の完成が近いとかで、このところ籠りがちで。今日も朝からほとんどお出になっていないと思います」
「一度思い立つとのめりこむタイプだからな。まあ、それが長所で短所なんだが」
ブランはため息交じりにつぶやくと、北の塔に向かうため、その場を後にしようとしました。
「あの、ゲルードに何か?」
声をかけてきたのはスズロ王子でしたが、振り向いたブランの目に入ったのは、ドーテさんの心配そうな顔でした。朝から籠りきりとなれば、当然まだ何も話せていないのでしょう。
「……いや、ちょっと話したいことがあるだけだ。呼び出すほどでもないのでね、こちらからいくとするよ」
そう明るく答えると、ブランは再び北の塔に向かって歩き出しました。
北の塔は、六階建ての細長い円柱の建物で、城のすぐ北側に位置する場所に建っています。白っぽいレンガで造られていて、不思議なことにぐるりと見渡してみても、どこにも出入り口がありません。壁にはツタが絡まり、まるで何年もの間、誰も訪れていないかのようにひっそりとしています。
ブランが塔の前に立つと、魔力に反応して足元に魔術の紋が浮かび上がりました。
何も見えなかった塔の壁に扉が現れます。ブランは迷うことなく足を進めると、扉は大きく開いてブランを迎え入れました。その姿が塔の中に消えると、入口の扉もふっと消えてしまいます。
後には、絡まったツタの葉が風に揺れているだけでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます