第145話-ホーク伯爵の宝物
「盗まれたにしろ消えたにしろ、それは今はもう……良いのです。それよりも、私は一番大切なことを忘れていました」
伯爵のお話が続きます。
かつてホーク伯爵の領地は、小さな港町はあるものの、これと言って特色のない地味で目立たない場所でした。
先代が早くに亡くなり、ホーク伯爵は若くして領地を継ぐことになりました。導き手のいない伯爵は、常に試行錯誤でした。そして、今までの伯爵達に比べて、自分がなんとなく劣っているような気が、常にしていました。
伯爵には弟がいましたが、彼の方が明るく人の気持ちを捉えるのが上手で、幼い頃からいつもたくさんの人に囲まれていました。逆に伯爵は人に囲まれるのが苦手で、自然や動物、美しい景色の中にいる時に、心の安らぎを感じるタイプでした。自分がこの領地をまとめる人間で良いのか、伯爵の胸の中には常にその想いがありました。
ある日、伯爵の領地に流れの踊り子がやってきました。それ自体は特に珍しいことではありません。けれど、その時は何かが違いました。伯爵はその踊り子の踊りに胸の奥の何かが、強く揺さぶられたような気がしました。
伯爵は、その踊り子のために小さな舞台のある小屋を建ててやりました。そこで、彼女は毎日のように踊りを踊り、だんだんと見に来る人が増えていきました。若さや美しさならば、その踊り子よりもずっと見目の良い芸人はたくさんいました。しかし、伯爵が感じた通り、その踊り子の踊りには“何か”があったのです。その“何か”が引き寄せるのか、だんだんと評判になり観客が増え、小屋も大きくなっていきました。そして、その小屋への出演を望む芸人が多く訪れるようになると、その芸を目当てにまた観客が増えました。訪れる人間が増えれば、周りに店も増え、また人が増えます。
そうして、いつの間にかホーク伯爵の領地には大小の劇場が建ち観光地が広がり、人々が集まることでナゴーンでも有数の豊かな領地になっていったのです。
ホーク伯爵は、一番初めに自分が小屋を建ててやった踊り子に感謝しました。けれど、踊り子は伯爵に言いました。自分の踊りをここまで受け止めてくれた人は貴方だけだった、と。だからこそ、自分も全身全霊で踊りに打ち込めたのだと。そして、そういう芸に引き寄せられる芸人たちも、また己の芸を磨くことに真摯でした。
ホーク伯爵の鋭く豊かな感受性が、一人の踊り子に芸の道を極めさせ、それがまたホーク伯爵や周りの人々の人生を花開かせる。人が人によって変わり、人を呼び領地も栄え物事が良い方へと導かれる。
人と接することが苦手だった伯爵は変わりました。何より、あの踊り子の言葉で、自分に自信が持てるようになったのです。
美しいものを美しいと感じられる己の目と心を信じよ、外見ではなく人の真を心で見よ。
それが伯爵の信条となりました。そして、何より自分の元に集まってきてくれた“人”を大切にすること。そう心に誓って、今までやってきたのです。
「なのに、わたしの目はいつの間にか曇っていたようです」
伯爵が淋しそうに言いました。
領地が豊かになったおかげで、金・銀・銅のニクマーン像を作ることも出来ました。それなのに、そのニクマーン像が無くなった時、伯爵は真っ先に疑ってしまったのです。自分の本当の宝であるはずの“人”それも踊り子を。
「ここが豊かになったのは、芸術を愛する心が重なり合い、積み重なってきたからです」
私はいつの間にそれを忘れたのか……と伯爵はつぶやきました。
「ニクマーン像も、初めのうちは本当に毎日のように可愛がり、撫でて声もかけていました。それが、数年経つうちに、撫でることもなくなり、声をかけることもしなくなっていました。そんな私のもとから、像が失われたのは当然なのかもしれません」
伯爵は再び淋しそうに微笑みました。
その姿に、黒ドラちゃんたちは何と言ってあげれば良いのかわかりません。すると、黙って聞いていたアーマルが、伯爵の前にひざまずきました。
「伯爵様、私はこの街へ来て、伯爵様のおかげで舞台に立てて、本当に幸せです」
それを聞いてラマディーもアーマルの横にひざまずきました。
「俺もです、伯爵様」
「伯爵様、人を大事になさろうと考えるそのお気持ちは、皆にも充分伝わっております」
座長も言葉を添えます。
きっとアーマルやラマディーには恨まれているだろう……そう考えていた伯爵は、三人の言葉を聞いて涙ぐみました。
「私は、まだ、お前たちの劇場主として認めてもらえるだろうか?」
伯爵がたずねると、三人は笑顔で答えました。
「伯爵様以上に、私たちの芸を愛して下さる方がいるでしょうか」
伯爵が一番最初に小屋を建ててあげたあの踊り子はもういません。彼女は伯爵よりも年上でした。数年前に、弟子たちに囲まれ惜しまれながら天へと旅立ちました。自分はとても幸せだった、感謝の気持ちしかない、と伯爵への言葉を残して。
「――ありがとう」
伯爵が心の底からの想いを言葉にします。
「ありがとう、みんな。私の宝は、まだ手元に残っていたのだな」
伯爵の言葉に、三人が嬉しそうに微笑みました。
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