第144話-消えたニクマーン像

 港で聞いた通り、ホーク伯爵は体調を崩して寝込んでいました。


 伯爵の休んでいる部屋の隣に、ゴルドさんと一緒にラマディー、アーマルと、黒ドラちゃん達一行が案内されます。その部屋は、普段は伯爵が一人でくつろぐための部屋でした。美しい模様の絨毯が敷かれ、壁には大きな絵が飾られていました。置かれているテーブルや家具に使われている金具一つをとっても、伯爵が洗練された美しさを愛する人だと言うことがわかります。


「伯爵様へご報告を。ラマディーが無事に戻りました」

 ゴルドさんがその部屋で待っていた人に報告しました。するとその人はうなずいて、隣の部屋へ通じるドアをノックしました。中から「入りなさい」と声がします。


「失礼いたします」


 ゴルドさんに続いて、みんなでぞろぞろと部屋の中に入って行きました。ラマディーがごくりっと唾を飲み込む音が聞こえました。その背中をゆっくりとアーマルが撫でています。黒ドラちゃんもドキドキしています。ラウザーが、人間の姿なのに尻尾をにぎにぎしようとして、リュングに止められていました。食いしん坊さんはドンちゃんをしっかりとエスコートしています。



 伯爵の寝室も、洗練されて落ち着いた雰囲気でした。柔らかな砂色のクッションが、落ち着いた深緑のソファーの上に置かれています。中央に置かれたベッドの辺りは、高貴な人を彩る時に良くつかわれる、深い紫色でまとめられています。そこに、銀髪の痩せたおじいさんが、クッションを背に半身を起こして、みんなを見つめていました。

「は、伯爵様!」

 ラマディーが駈け寄ろうとしてアーマルに止められました。ゴルドさんが一歩前に出て、伯爵に礼をしました。

「伯爵様、ご心配をおかけいたしましたが、無事にラマディーが戻ってまいりました」

 ベッドの上で、ホーク伯爵はゆっくりとうなずきました。やはりラマディーのことを怒ったりしていないというのは本当のようです。

 伯爵はラマディーへ手を伸ばしました。ゴルドさんに促されて、ラマディーがその手を握ります。伯爵はラマディーをしっかりと見つめると、静かに話しだしました。

「あれは冷静さを欠いた発言だった、許してほしい」

「いえ、いえ俺も、もっと冷静になるようにと、座長に止められたのに飛びだしたりして――」

「私が追いつめたのだな。お前達のように真面目で修業熱心な者を疑うなど、私の目は曇っていた」

「伯爵様……」


 伯爵はその場にいる皆をゆっくりと見回しました。そして、ラウザーを見て、その足元に尻尾が垂れているのに気付くと、一瞬眉毛をピクリとさせました。驚きを隠しきれない表情でラマディーに問いかけます。

「ラマディー、あの時、私はつい感情的になり、無茶な要求をお前に突き付けてしまったが、まさか――」

「あの、うろこは無理でしたが、バルデーシュの陽竜様と古竜様、それと古の森の棲むノーランド魔ウサギのご夫婦、魔術師見習いのリュング様が、そろって遊びにきてくださいました」

「はっ!なんと!!なんとまあ!」

 伯爵は驚きのあまり言葉が出ない様子でした。

 体調を崩していたというのに、いきなりベッドから飛び起きて、ひざまずいてラウザーの手を握りしめます。

「陽竜様、港街に住む者たちから、常々お噂はうかがっておりました」

「え、お、俺?」

 普段されたことの無いような扱いに、ラウザーがとまどっています。落ち着かなくて尻尾をにぎにぎしたくても、両手は伯爵に掴まれていて自由に出来ません。

「陽竜様が我が領地の漁師を時々助けてくださっていることは聞いておりましたが、お礼をお伝えする機会もなく、大変失礼をいたしました」

 伯爵が、両手でラウザーの手を祈るように握りしめました。

「や、あの、その」

 ラウザーは何と答えたら良いのかわからずしどろもどろの受け答えです。

「御心のお優しい陽竜様のこと、きっとこの度も哀れなラマディーを放ってはおけず、ついてきて下さったのでしょう?」

「え、う、うんと……」

「わたくしの心無い言葉もお聞きになったことでしょう、お恥ずかしい限りです」


 鋭い審美眼を誇る伯爵は、繊細な感受性も持ち合わせていたようで、ラウザーの両手を握りしめたまま俯いてしまいました。

「いや、えっと。あの、うーん」


「伯爵様、お立ちください。陽竜様は御心の広いお方。ラマディーの苦境はもちろんのこと、大切なものを失った貴方様のお悲しみも十分に理解されておられます」

 手を握られたままあうあう言っているラウザーに代わって、リュングがもっともらしく言葉を並べ、さりげなくラウザーの両手を伯爵から解放してあげています。さすが、だてに日ごろからラウザーのお守はしていません。

 両手が解放されると、すぐにラウザーは尻尾をにぎにぎし始めました。今は人間の姿だってことは、もうすっかり頭にないようです。


「あの、伯爵様、それでニクマーン像が見つかったわけじゃないのに、ラマディーのお姉さんの疑いが晴れたのはどうしてなの?」

 黒ドラちゃんが不思議そうにたずねると、伯爵がすぐに答えてくれました。


「それが、ラマディーを追い返した後で、警備についていた者がやってきまして、不思議な事を言い出したのです」

「不思議なこと?」

「はい、それはこんな話でした――」


 ラマディーを追い返した伯爵が、いまだくすぶる怒りと、だんだんと強くなっていく自責の念とに複雑に苦しめられていた、その晩のことです。パーティーでニクマーン像の警備に当たっていた者たちが、数人の召使いと一緒に伯爵の元を訪れました。大事なニクマーン像の警備を任せるのですから、みな、身元のしっかりした者たちばかりでした。一緒に来た召使たちも、年十年と伯爵に仕えてきた者たちばかりです。その人たちが、口をそろえて「アーマルが盗んだとはとても思えない」と言ってきたのです。もちろん、アーマルのことを良い娘だからというような、主観的な意見だけで言い出したのではありません。アーマルが立ち去った後も間違いなくニクマーン像がそこにあった、と記憶する者ばかりがそこにいました。


 劇場の花形であるアーマルは、舞台を降りてもその美しさで人目を引きました。だから何人もの人間が彼女の行動を見ていました。

「あの娘が立ち去った後も、間違いなくニクマーン像はその場にございました」

 一番年嵩の警備担当者が、自信を持って言いました。この警備の人には幼い孫娘がいたのですが、この子がアーマルの大ファンでした。アーマルがパーティーに来ていて、ニクマーン像を何度も撫でに来るたびに、孫への土産話が出来たと喜んで見ていたのです。そして、アーマルが立ち去るたびに、また撫でに来ないだろうか、と期待してニクマーン像を眺めました。だから、間違いなくアーマルが触れた後もニクマーン像がそこにあったと記憶していたのです。

 アーマルは何度も視線を集めることで疑われましたが、同じ理由で決して盗んではいない、とわかってもらえたのです。そして、アーマルの無実を証言した人たちは、みなそろってこういったのです。

「ニクマーン像は、いつの間にか消えていた」と。

 けれど、これほどの人の目をかいくぐって、突然モノが消えることなんてあるのだろうかと、みな、信じられないしありえない気持ちでした。それでも、事実そうだった、としか言えなかったのです。

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