第1話
リクルートスーツがちょうどフォーマルと同じ色合いなので、岬はそれを着て出勤した。まさか翌日から出勤とは思わなかったので、就活の際に着ていたものや使っていたものでまかなうしかなかった。
黒い服、持ってて良かった……、と岬はほっとした。持ってなかったら、あとは高校の制服だけというところだった。
昨日の道を辿りながら大通りに出ると、今度は横断歩道から向かい側に渡って、セレモニー田貫の通用口から中に入った。
田貫以外の社員も田貫姓なので、多分セレモニー田貫は家族経営なのかもしれない。
「おはようございます!」
初出勤だから、大きな声で挨拶した。正面の仕切りから田貫が顔を出した。
「おはようなのだ。今日は午前中に通夜が一件があるから、社員に付いて受付をするのだ」
「はい!」
初出勤で初仕事と聞いて、岬は緊張しつつも高揚とした。身内で亡くなった人間がいないので、葬儀社の仕事がどういうものなのか正直わからない。気を引き締めて初仕事に挑もうと、式場の準備のために社員の後ろを付いていく。
二階に用意された式場はこぢんまりとしていて、家族葬にちょうどいい。椅子も今回の式ではたったの十席ほどしか用意されていなかった。式場の入り口に「谷山家」と書いた忌中紙が貼ってある門牌が設置されている。
「うちは家族葬が主なの。大勢の式場は用意できないから。それにうちに任せてくれるお客様はほんとに珍しいし、特別なお客様なのよね」
「そうなんですか」
「式場の説明をするわね。真正面のお花が飾られてる場所を花祭壇。遺影写真とご位牌とお供物、灯篭を飾るとこね。で、椅子の脇に飾ってあるお花は、供花ね」
それを四人の社員がせわしく整えている。
田貫姓の社員のことをなんと読んでいいかわからず、戸惑っていると、女性の社員がにっこりと笑った。福々しい笑顔だ。
「自己紹介まだだったわね。わたしは二美っていうのよ。今日は頑張ってね」
「はい! 田貫さんばかりで正直なんて呼べばいいのかわからなくて。二美先輩でいいですか?」
「先輩だなんて、なんだかくすぐったいわねぇ」
「他の社員さんもなんて呼べば良いんでしょう」
「そうねぇ、あの背の高いのが三三夫。ちっこいのが四介。痩せてるのが五郎っていうの。あとで挨拶すればいいわよ」
やっぱり、メモリアル田貫は家族経営のようだ。
二美が十脚の椅子をさして言う。
「今日は少ないほうなんだけど、右側の席には故人のご両親と喪主のご両親と喪主、左側の席にはご親族に座っていただくの。本当は右側に座っていただくのが通常なんだけど、式場が狭いから仕方ないの。ご遺体の前の席は専属導師に座ってもらって読経していただくの」
「専属導師?」
「三井寺の賴豪和尚さん。どんな宗派の作法も出来るから融通が利くのよね」
などと説明をしていく。祭壇の花は昨日のうちに整えられていて、亡くなられた方の遺影写真が飾られている。
遺族が控え室からポツポツと出てきて、席に着いていく。遺族に付き添われて喪主らしき若い女性がうなだれ、ハンカチを目に押し当てて一番前の席に座る。岬は、悲しみに暮れて茫然自失としている若い未亡人に気を取られて突っ立っていた。
「さ、行くわよ」
二美に背中を押されて、式場の外に出て階段で一階に降りる。受付はそこに設置されていて、田貫が受け付けに立っていた。
「大体のことはわかったかな?」
「はぁ」
自信持って、「はい」と言っていいものか迷って、気の抜けた返事になってしまった。
「今日は記帳と弔問客に香典返しをお渡しする係なのだ。一人でも大丈夫なのだ。今日は一件しか葬儀がないのだな」
不安になって二美に目をやると、ニコニコ笑って見返される。
「大丈夫よ! わからなくなったら、この電話で聞いたらいいから! すぐ裏が事務所だし」
「そうそう、安心するのだ」
田貫がポンポンと岬の肩を叩くと事務所に戻ってしまった。「一人で?」という顔で二美に助けを求めると、彼女まで「大丈夫、大丈夫」と言いながら、二階へ戻ってしまった。
とうとう一人になってしまって緊張したまま、受付の中で突っ立っていたが、弔問客からお香典を受け取り、芳名帳に記帳してもらい、香典返しを渡すを何度か繰り返しているうちにずいぶん慣れてきた。
式が始まったのを頃合いに、一応事務所に香典を預けて、遅れてくる弔問客に式場の案内をした。
式場から読経が聞こえてきた頃、自動ドアが開き、スーツ姿の男性が入ってきた。
「今日の式場はどこですか」
喪服でなく、グレーの地に細くて白い縦線が入っているスーツを着ていたので、急な知らせで急いで駆けつけた人なのかな、と岬は考えながら芳名帳を差し出したが、男性はそれよりもすぐに案内をしてくれと迫ってくる。香典もないようで、遺族の一人なんだろうと思いつつ二階へ案内した。
男性は、勝手知ったるなんとやらといった様子で、喪主の側に立った。先輩たちも反応してないし、喪主も気にしてないようだったので、岬は受付に戻った。
「そろそろ座っていいのだ」
戻ると、田貫がパイプ椅子を持って受付に出てきた。
「ありがとうございます」
遠慮なく用意された椅子に座ってしばらくすると、自動ドアが開いた。
岬は慌てて立ち上がり、ドアを見た。そこには吊り半ズボンをはいて、首元に蝶結びのネクタイを締めた四、五歳ほどの男の子がたたずんでいた。
「あれ? お父さんとお母さんは?」
岬が幼い男の子に不思議そうに訊ねた。
「少々伺いますが、お葬式はどこでやってますか」
こまっしゃくれた感じの男の子で、ずいぶんと大人びた敬語を使ってくる。岬の質問も無視された。
「お式は二階でやってるけど、どうしたの?」
男の子はまるで天使画から出てきたかのような風体で、くるくるとした巻き毛がとても愛らしい。
「名前はなんて言うの?」
喪主の子供か何かだと思い訊ねた。
「僕の名前よりも大切な話があるのです。お姉さんを見込んでのお願いです」
「私を見込んで?」
岬には訳がわからないが、男の子の真剣な表情に思わず身を乗り出した。
「おじさんを守ってほしいのです」
「守ってほしいってどういうこと? 何があったの? おじさんって誰?」
「おじさんは僕の命の恩人です。恩を忘れてはいけないのです。そのおじさんに危機が迫っているのです。僕はそれを知らせに来たのです」
危機とはどういうことだろう。それ以前にここは葬儀社で、叔父さんと呼ばれる人はたくさんいる」
「田貫社長のこと?」
「違います!」
男の子が悔しそうに地団駄を踏んだ。
「田貫という人ではないです!」
「じゃあ、夜見……でもあの人はお兄さんよね……じゃあ、三三太先輩とか四介先輩のこと?」
「どれもちがいます!」
イライラし始めたのか、男の子が頬を膨らませた。
「じゃあ、五郎先輩だ!」
「違いまーす!」
ドンドンと足を鳴らして男の子は否定した。
「とにかく、おじさんを、どうかヤツから守ってください」
「ヤツって?」
ヤツから守るとはどういう意味だろう。もしかして借金取りとか良くない奴らにつきまとわれているのだろうか。それ以前に、葬儀社の従業員でないとなると、後は葬儀に出ている人たちと言うことになる。
「名前も言いたくない、とんでもなく邪悪なヤツです」
「まぁまぁ、そんなに怒らないで。二階にも人がいるからそのうちの誰か教えてよ」
いきなり邪悪なヤツと言われてもよくわからず、とりあえず、二階に案内しようと思いついた。
「誰と話しているのですか」
いきなり背後から声を掛けられ、岬は驚いて振り向いた。背後に全身黒尽くめの夜見が立っている。その瞳が若干冷ややかで、途端に岬は緊張してしまう。ドキドキしながら、
「あー、驚いた。夜見さんだったんですか。あの、この男の子が……」
といいつつ正面を向くと、男の子は忽然と消えていた。
「あれ?」
首をかしげている岬に、夜見が声を掛ける。声音が氷のように冷たくて、岬の心臓がヒヤッとする。
「お暇でしたら御斎の手伝いをお願いします」
「はい、わかりました……けど、本当にさっきまで男の子がいたんですよ。勝手に二階に上がっちゃったのかな」
それを聞いた夜見が片眉をあげる。
「あなたの気のせいでしょう。こんな所で働くからそんな変な幻覚を見るのです」
聞き捨てならない言葉に岬はほんの少しカチンときた。
「どういう意味ですか?」
自分からけんかを売っておいて、夜見は岬の言葉を無視した。
「早くこっちに来てください」
急かされて、夜見の返事も聞けないまま受付を離れ、事務所に入った。
「もうすぐ、御斎の時間なのだ」
田貫がソファから立ち上がって夜見に話しかけた。
「岬くんが手伝うならちょうどいいのだ」
その言葉に岬は首をかしげる。
「他のスタッフは? 私、まだわからないことだらけですよ」
「まぁまぁ、他のスタッフは式場に出てるから、夜見さんの助手はキミがするのだ」
「はぁ」
田貫に言われて、仕方なしに夜見の後ろについてスタッフルームに入っていった。
御斎の準備をどこでするのだろうかと、岬はキョロキョロと辺りを見回す。
「こっちですよ」
スタッフルームから出て右側にドアがあり、そこに夜見が入っていくのに付いていった。
部屋にはテーブルと調理台があり、冷蔵庫まで完備されている。テーブルには葬儀が終わってから出すために空のお重が置いてある。今から中に料理を詰めるようだ。
お重の数は十一。
「あれ、一つ多いですよ?」
岬が不思議に思って夜見に訊ねた。
「いいんですよ。陰膳と言って亡くなった方のための御斎ですから。葬儀が終わったら、これを控え室に持って行きます。それを手伝ってもらいます」
岬は返事をしてから、お重の横にある料理をラップ越しに覗き込んだ。煮物が中心で、野菜しか入ってなさそうだ。
「お肉がないですね」
夜見が蔑むような目を向けてくる。
「当たり前です。精進料理とはこういうものです。本来なら四十九日間生臭ものを避ける精進潔斎をするのですが、今は通夜振る舞いとも呼ばれる御斎で良しとする風習になっています。その大切な法要の料理を用意して、みなさんに振る舞うのが私の仕事です」
「これで全部なんですか?」
岬から見ると全体的に量が少ない気がする。
「今からお吸い物と揚げ物を作りますから、あなたは綺麗に盛り付けていってください」
それを聞いて岬は青ざめる。
「一人で出来ませんよ! だって、家でも料理の盛り付けなんてしたことないし、私、料理苦手なんです」
すると、夜見が深いため息をついた。
「では、私がお手本を見せますから、その通りに盛り付けてください」
そう言って、夜見が器にちょこちょこと煮物や野菜の料理を盛り付けていった。
かわいらしく、なおかつ綺麗に盛り付けられたお皿を前に、岬は身震いする。どう考えてもこんな芸術的に綺麗な盛り付けを、果たして自分も出来るのだろうか。受け付け係以上の重大な仕事に思えた。
それにしても、夜見はなぜ御斎専門の仕出し屋という仕事を選んだのだろう。自分が仕事を選ぶ時に制限があったことを考えながら、夜見の仕事に疑問を持った。
「夜見さんは、なんでこの仕事を選んだんですか?」
黙々と吸いものを作っている夜見の背中を岬は見つめる。
「私がこの仕事を選んだのはこれしかなかったからです。この世とあの世の橋渡し役として、亡くなった方を導くのが私の料理でもありますし、亡くなった方が最後に食べたいと願う料理を作れるのは私だけだからです」
「亡くなった方の?」
まるで、夜見が亡くなった人の気持ちがわかるとでもいいそうな言葉だ。
「そう。亡くなった方専用の特別料理は私にしか作れない」
吸いものの鍋がくたくたと音を立て始めた。そこで一旦火を止め、夜見は続ける。
「生きているもののための料理とは別に、今からあの世に旅立つ方しか食べられない料理というものがあるのです。ヨモツヘグイというのを聞いたことは?」
ヨモツヘグイ……聞いたこともない言葉に岬は不思議そうに首をかしげた。
「死者の食べ物のことです。生きた人間がそれを食べると二度とこの世に戻ることが出来ないと言います。それを私は亡くなった方のために作るのです」
「え、怖い」
「全く怖くなどありません。今でも地方によっては死者のために用意する食事、陰膳というものがありますから」
わかったようなわからないような……とにかく、夜見はこの仕事に誇りを持っていて、自分以外にこの仕事は出来ないと思っていることだけは理解できた。
「ほら、手が止まっています」
まるで背中に目があるように夜見に注意されて、岬は慌てて盛り付けを始めた。
喪主の絵里子は十二時間前までは生きていたはずの夫の顔を眺めつつ、夫の死を否定し続けていた。
「こんなの嘘、嘘、嘘」
そんな言葉ばかりが頭の中を駆け巡る。両親や義父母がいたわってくれるが、そんなことも全く感じることが出来ない。
結婚してたったの一年なのに、ずっといっしょにいられると思ってたのに。
まさか突然道路に飛び出してトラックにひかれてしまうなんて。悩んでいたとは思えない、もし悩んでいたら自分に相談してくれるはずだ。それに夫が悩んでいたらひと目でわかる。
自殺なんかじゃない。不注意でもない。そう思いたいのに、それ以外の原因がわからない。
昨日の朝、行ってきますのキスをして、できるだけ早く帰ってくるねと約束したはずなのに、彼は病院のベッドで冷たくなっていた。
約束したはずなのに。昨日の朝、元気に出勤していったのに。今日のお弁当は何かな、なんておどけてたのに。
涙も出ないくらいにショックが激しくて、それでいて夫の側から離れられない。
もしかしたら目を開けてくれるかもしれないと思うと、片時も目を離すことが出来なかった。昨晩は、葬儀社の和室で布団に寝かされた夫を一晩中見守っていた。
とうとう夜が明けて、通夜の時間が迫ってくる。みんな、夫が死んだと自分に吹き込んでくるけれど、奇跡が起きて夫の目が開くとまだ信じている。
みんなが慰めの言葉を掛けてくれることが悔しいような悲しいような、それがきっかけになってボロボロと泣き始めてしまった。
通夜の最中はずっと泣き続けた。喪主として挨拶せねばならないけれど、それがどうしても出来ず、義父に任せてしまった。
みんなが控え室に下がったのに、絵里子は夫から離れられなくて、式場に残った。暗く照明を落とした式場に、灯篭の明かりだけが付いている。
蓋が被された棺の小窓から、眠るように目を閉じている夫の死に顔を眺め続ける。もうこの姿を見ていられるのが明日までだと思うと辛くて耐えられない。
お別れの言葉なんて絶対に口に出来ない。これでおしまいだなんて信じたくない。そう思いながら俯いていると、不意に聞き覚えのある声が話しかけてきた。
「絵里子」
ふっと顔を上げると、暗がりの中にスーツ姿の夫がたたずんでいた。いつもの優しい笑顔の夫だ。すぐには状況を飲み込めず、絵里子は言葉を失った。
「え?」
思わず棺の中に寝かされた夫のほうを見た。
「ごめんよ。君を置いていってしまうなんて考えられないから、迎えに来たんだ」
「俊くん」
泣き続けて呆然として、他の人たちのこともなにもかも目に入らず、声も聞こえないくらい真っ暗な心の闇に包まれていたから、気づきもしなかった。
夫の姿だけが、絵里子の目に映っている。家を出たときに着ていたスーツ姿に変わらぬ微笑み。間違いなく夫の俊幸だった。
「寂しい思いをさせてゴメンね」
俊幸がすまなさそうな表情を浮かべた。
「ううん、俊くん、やっぱり死んでなんかなかった」
「そうだよ。でも」
俊幸が悲しそうな顔をする。
「何? どうかしたの?」
「僕一人で寂しいんだ。絵里子にも一緒に来てほしい」
「どこに?」
「いいから付いてきて。絵里子も僕と一緒にいたいだろ?」
俊幸が手を差し伸べた。絵里子は力強く頷くと、彼の手を掴み、ぎゅっと握りしめる。これからどこに行くにしろ、彼と一緒ならどこでも怖くないと思えた。
現実が絵里子には遠い幻影のように見える。リアルなのは目の前にいる俊幸だけ。彼が足早に、式場を出て、非常ドアを開けて外に出た。
この葬儀社は二階建てのはずなのに、階段は上へと続いている。その鉄の階段をかんかん言わせながら、俊幸が絵里子の手を引いて登っていく。周囲が暗くてよく見えない。葬儀社が立つ道路自体が、それほど照明のあるところではないからか、どのくらい階段を上がっていったかもわからない。とうとう階が途切れるほどの高みまで登りきった。
控え室の様子を見てくるように言われた岬がスタッフ専用の廊下に出たとき、背後から呼び止められた。
「お姉さん!」
受付でごねていたあの男の子だ。勝手にスタッフ専用の場所に入ってきたのだろう。
「ここに入ってきちゃいけないのよ! さぁ、戻って」
怒る振りをして言うと、男の子があっかんべーをして走って逃げた。
「ちょっと、なに?」
岬は用事を言付かっていることも忘れて走り出した。非常階段へ続く鉄扉の向こうへ男の子が駆けて出て行った。絶対捕まえてやると息巻いて追っていく。
男の子が階段を上っていく後を追い、岬もかんかんと靴音を響かせながら駆け上がった。
視線の先に男の子と一組の男女がいた。男の子が大きな声を上げている。
「おばさんを離せ!」
男の子は無謀にも男に飛びかかって、両手でひっかき始めた。
「やめろ! このガキ!」
邪魔くさそうに男の子の体を突き飛ばした。
女性はぼんやりと手すりに身を乗り出して、今にも落ちそうにゆらゆらしている。
「危ない!」
岬は先ほどまでの怒りを忘れて、慌てて階段を上り詰めた。
そこに、いままでいなかったはずの三毛の子猫が立ち塞がっていた。
「え?」
三毛猫が牙を剥いて威嚇しながら、男に飛びつきバリバリと爪を立てる。男は両腕で顔を庇って体を翻した。
それでも飛びかかってくる子猫を、男が引き剥がし力一杯放り投げた後、柵を乗り越え忌々しそうに子猫と岬をにらみつけた。
生きている人間が柵の向こう側に立つことなど出来ない。ここには足場がないはずだ。訳がわからない状況に、岬は言葉を失った。
まるで影のように男が伸び上がり、子猫に覆い被さろうとしたとき——。
一閃の光が、子猫と男の間に走った。光り輝く一匹の大きな鴉が三本の蹴爪で男を蹴りつけ、ひと声「嗚呼!」と鳴くとまた暗闇の中に飛び去っていった。
男の姿が一瞬のうちに変化する。赤さび色のシャツにベスト、細身のズボンを履いた赤毛の男で、首に縄が巻き付いて垂れている。
「クソ、あと少しだったのに!」
「あなた、誰? 何をしようとしていたの!」
岬が暗闇の中、宙に浮く男に向かって叫んだ。
「あと少しで地獄に連れていけたのに邪魔しやがって」
「地獄?」
「俺はいつだっておまえらの側にいるからな。せいぜい用心するんだな」
男が首元の縄を持ってせせら笑いながら舌を出した。
真っ暗闇の中、赤さび色の服を着た男は闇ににじむように消えていった。
女性は柵に掴まって、先ほどまで自分に寄り添うように立っていたはずの、夫だった男が消えていくのを凝視していた。
「嘘……」
女性の両目から大粒の涙がこぼれ落ちる。膝から崩れ、階段にひざまずいた。
岬はその女性に見覚えがあった。葬儀の喪主の谷山絵里子だ。
「谷山様!」
驚きつつも彼女の側に寄り添い、立ち上がらせた。
気がつくと、三毛の子猫がゴロゴロと喉を鳴らして、絵里子の足下にすり寄っている。子猫のしっぽは二股に割けていて、まるで……。
「猫又?」
にゃあんと子猫がそれに答えるように鳴いたかと思ったら、
「三毛太と申します。今後ともお見知りおきを。これでおじさんを助けることが出来ました。お姉さん、ありがとうございます!」
三毛太は闇に消えていった。
岬は絵里子に連れ添って階段を降りていき、鉄扉にたどり着いて中へ入った。
「大丈夫ですか?」
泣きながら歩く絵里子を心配して岬は訊ねた。
絵里子が俯いたまま首を振る。岬はどうしようと途方に暮れて、絵里子の背中を撫でた。
「大丈夫? 絵里子」
不意に自分の口から男性の声が漏れて岬は驚いた。絵里子も目を見張って岬を見た。
岬に重なるように、灰色に細い白の縦縞が入ったスーツを着た優しそうな男性の姿があった。
なに? 何で声が男の人なの? と、岬が戸惑っていると、絵里子が顔をほころばせて、岬に飛びついた。
「俊くん!」
「え?」
谷山俊幸? 彼は死んでいるはずなのに、まるで岬が俊幸になったかのように絵里子が岬に抱きついたまま離れようとしない。
「どういうこと……?」
そんな岬の言葉の後に、俊幸の声が続く。
「絵里子を守ってくださってありがとうございます。あのままだったら、僕も絵里子も地獄に連れていかれるところでした」
そう言って岬は深々と頭を下げた。
「いえ……というか……」
死んだはずじゃ……という言葉を、岬は慌てて呑み込んだ。絵里子がいる前でそんなことを口に出来ない。それよりも、自分が別人の、俊幸の声で話していることが一番問題だ。
ほっぺたをぎゅっとつねってみたが、自分に何かが重なっている感覚は消えない。
「ええ、僕は死んだんです。それはわかっています。でもどうしても最後に絵里子と話をしたくて、ずっと側に付いていたんです」
岬は自分の意思とは関係なく、苦々しく言葉を続ける。
「それが徒になったみたいで、あんな存在に囚われて、危うく絵里子まで死なせてしまうところでした。あの男に阻まれて、絵里子に警告すら出来なかった」
「あれは俊くんじゃなかったの?」
「あれは地獄の鬼だよ。名前まではわからない。僕を餌に君を地獄に連れていくつもりだったんだ。君を連れていかれたら僕は死ぬに死にきれない」
いや谷山様、あなたはもう死んでます、と岬は思った。
絵里子がそれを聞いて、首を振る。
「俊くん、あたし、俊くんの側にいたい。死んだっていい」
「そんなことを言っちゃ駄目だ。僕の分まで絵里子には生きて欲しい」
岬は勝手に喋る自分の口をつぐもうとしたが無理だった。
ああああ? どういうこと? 何が起こってるの?
自分の身に何が起こっているのか、岬には理解できなくて、混乱してきた。
そこへ、幼い男の子の声が聞こえた。
「おじさん、僕を助けてくれてありがとうございました」
岬が振り向くと、そこに三毛太の姿があった。さっきまでなかった耳と二股のしっぽが生えている。
「ああ、良かった。助かったんだね」
岬の中の俊幸が、岬の体を使って三毛太の頭を撫でた。三毛太のふわふわした毛玉の感触と、お日様の匂いがした。
「助かったって、何が?」
岬は訳がわからなくて三毛太に聞いた。
「僕が道路に出たとき、トラックが走ってきてひかれそうになったところを、おじさんが助けてくれたんです。僕の力が足りなかったせいで、おじさんを死なせてしまって……本当にごめんなさい」
「俊くんが子猫を……俊くんらしいね」
絵里子は涙ぐみながら、目の前に立つ岬を見つめた。
こんな変な状況なのに、絵里子が何の疑問も抱かず受け入れていることが、岬には信じられなかった。岬自身は戸惑って混乱して目が回りそうだというのに。
どこからともなく、カナリアの鳴く声が聞こえてくる。小鳥の声と共に、夜見の声がした。
「岬さ……これは谷山様。こんな所でどうなさったんですか」
助け船が入ったと、岬はすがるような目で夜見へ目を向けた。肩に黒い小鳥を止まらせた夜見が立っていた。その視線が、どう見ても自分の頭より少し上を見つめているのがわかると、岬は愕然とした。
「夜見さんまで……」
それと同時に、俊幸が言った。
「僕と絵里子を地獄に連れていこうとしたヤツがだれだかあなたなら知ってますよね」
夜見は無表情に頷いた。
「あれは縊れ鬼と書いて、いつきという鬼です。あなた方の魂を地獄に落とすためにつきまとっていたのです。でも、もう心配することはありませんよ。今は、いつきに邪魔されませんから」
今は邪魔されないというのはどういう意味なのだろうか。それと、あの赤さび色の男はいつきというのか、と岬は思い返した。あんな男に囚われて地獄に落とされるなんて怖すぎる。地獄という概念が岬の中にはっきりとないにしても、やはり、恐ろしい場所であるという認識はある。
三毛太も同じ思いだったようで、気付くと夜見の後ろに隠れている。あんなに勇敢にいつきに向かっていったけれど、本当はとても怖かったようだ。
「死ぬに死にきれない理由は他にもあるんです。僕はあのとき出勤しているのに帰って絵里子に会うことばかり考えていましたから。夕飯のメニューを楽しみにしていたんです」
俊幸が岬の口を借りて、自分の本心を熱く語り始めた。
「どういうことですか」
岬に向かって夜見が訊ねた。
「最後にどうしても絵里子の手作りのあれが食べたかったんです」
「あれ?」
絵里子が不思議そうにしてから、何か思い出したのか、「ああ」という納得顔をする。
「私のピーナッツ豆腐ね」
「そう、あれが大好物なんだ!」
「でもここで作れるかしら……」
絵里子が首をかしげて考え込んだのを見て、夜見が静かに言った。
「大丈夫ですよ。私がそのピーナッツ豆腐をあの世への手向けにお作りしましょう」
それを聞いた岬は自分の意思に反して心から嬉しくなり、頭を下げていた。
「さぁ、岬さんは揚げたての天ぷらを見本通りに盛り付けて、お重に入れてください。私はその間にピーナッツ豆腐を作ります」
夜見が岬に言った。
「それじゃあ、僕は絵里子のそばで待ってますね」
ふわっと何かが岬の体から離れる感じがした。その途端、膝がガクッと折れて、倒れそうになったところを夜見が支えてくれる。
「しっかりしてください」
「わ、わかってます」
強がって返事をしたけれど、何かに操られているのは、とても体力がいることなんだと岬は悟った。尋常でないことだらけだけど、今は考えている場合じゃないようだ。絵里子を控え室まで送り、夜見と岬は調理室に入って御斎の最後の仕上げにかかった。
まるでこのことを知っていたかのように、夜見が冷蔵庫からピーナッツバターと葛粉を取り出し、鍋を火に掛ける。
葛粉と水を入れて、しばらくしてからピーナッツバターと塩、酒、砂糖を入れる。それらを粘りが出るまでかき混ぜた後、容器を用意してその中に流し込んだ。
どう考えても普通なら三十分はかかる行程を十分とかからずにこなしている。容器を冷蔵庫に入れて出すのでも、一分程度だった。
料理をしない岬でも、なんだか時間感覚がおかしいと思わざるをえない。テキパキと料理をしていく、夜見の背中を見ているしかない。
白色に少しだけ茶味がかった、ぷるぷると弾力のあるピーナッツ豆腐を小さく四角に切って皿に盛り、甘みのあるタレをかけ、仕上げに摺ったショウガをちょんと載せる。陰膳のお重にそのピーナッツ豆腐を加えて、夜見がお重を両手で持った。
部屋中にピーナッツの香ばしい匂いが充満している。それを嗅ぐと、岬のおなかが不覚にもキュルルと鳴った。
「さぁ、お重を運びますよ」
夜見に促され岬は大きなコンテナにお重を入れて、よいしょと持ち上げると、転ばないように気をつけながら控え室へ向かった。
控え室にはすでに絵里子や親族が座って待っていた。
「お待たせいたしました」
岬と夜見が頭を下げて、セッティングされたテーブルにお重を置いていく。
最後に遺影の置いてある上手の席に陰膳を据えた。
まるで、今から俊幸が陰膳を口にすることを想定しているように、椅子まで配置してある。絵里子も上手の席に座り、何もない空間を見つめている。その視線の先に、まるで本当に俊幸がいるみたいだ。
「さ、岬さん。その椅子に座って」
夜見が遺影のある席に岬をぐいと座らせた。
「え? でも」
岬は戸惑って、周囲を見回した。陰膳の前に岬が座っているというのに、まるで薄いベールが目の前にあるのか、誰も岬や夜見、絵里子の存在に気付いてない。談笑しながら、夜見の御斎を食べている。
「さぁ、谷山様。このピーナッツ豆腐を召し上がってみてください」
その途端、岬の体の中にぎゅっとやわらかなものが入ってきた。
「わ」
その感触に岬は驚いて声を上げた。
「わぁ、これ、絵里子のピーナッツ豆腐にそっくりです」
岬の口から俊幸の声が漏れた。
「谷山様、どうぞ味わってみてください」
「はい、いただきます」
ご飯に突き立ててある箸を持ち、箸の先でぷるんとしたピーナッツ豆腐を分けてつまんだ。
それを岬が口に含む。
岬の口の中で蕩けるようにピーナッツ豆腐が広がっていく。鼻腔を香ばしい匂いが刺激して、幸せな味に岬はほうっとため息を付いた。まるで濃厚なゼリーのような食感。とぅるんと喉の中を流れ落ちていく。後味に甘塩っぱいタレとショウガの香りが残る。
「ああー、絵里子のピーナッツ豆腐だ」
岬の中の俊幸が、満足そうな声を上げた。岬の瞳からほろりと涙がこぼれ落ちる。
「絵里子、僕がいなくなったからって気落ちしなくていいよ。僕はいつだって君の側にいるからね。会いたくなったら、ピーナッツ豆腐を作ってね」
岬は胸を熱くしながら、絵里子を振り返った。絵里子も涙ぐみながら、岬を見つめている。
「これで心残りなく、旅立てます」
ポンッと音を立てるように金色の光が岬の体から飛び出した。その金色の光は小鳥の形を取り、後から飛び出してきた白い光の球を導くように天井を突き抜けていった。
岬はそれを見る暇もなく、椅子にもたれかかるように意識を失ってしまった。
次に目を開けると、そこは事務所のソファだった。式は無事終わったのか、と慌てて起き上がる。すると田貫が岬に気がついて近寄ってきた。
「大丈夫なのかな?」
少し心配そうでもあり、どこか嬉しそうな田貫の顔を見て、岬は不思議な気分になった。すぐに、自分が御斎の最中に気を失ったことを思い出して、キョロキョロと夜見を探した。
夜見は事務所にある従業員用の椅子に座って岬を見ている。
「あ、夜見さん! すみません。私、寝てしまったみたいで」
夜見が不機嫌そうな、それでいて無表情な顔つきで、
「ちゃんとお式は終わりましたから安心してください」
と告げた。
「すみません、ご迷惑を掛けました……」
その様子に、岬は意気消沈して謝った。
「謝る必要なんてないですよ」
表情と言葉に矛盾があるなどと思いながら、岬はスタッフルームに目をやった。従業員全員が事務所の中に入ってきて、口々に「良かった良かった」と声を掛けてくれる。
岬には何が良かったのかと訳がわからないが、目が覚めて良かったと言いたいのだろうと解釈した。
「それにしても、私、眠ってしまう前に自分の体から金色と白い光の球が出ていくのを見たんですけど、あれはなんだったんですか?」
「あれはだな……そのう」
田貫は夜見をチラチラと見ながら、口ごもる。
夜見が田貫の視線に気付いて、代わりに答えた。
「あれは亡くなった方の魂です。あなたはその魂を体の中に入れていたんですよ」
「亡くなった方……谷山様ですか?」
「そうです。未練を残した魂は、その未練を解消させたいと願うのです。それを解消してあの世に送るのが私の仕事なのです」
「そのための御斎……谷山様にとって心残りは、ピーナッツ豆腐だったんですか?」
「そうです。奥様の手作りのピーナッツ豆腐を食べなければ死ぬに死にきれないとおっしゃっていたでしょう?」
「そういえばそうですね。でも、奥様の手作りでないといけないんじゃ」
「亡者には亡者の食べ物が必要です。生者の食べもので成仏することなど出来ません」
「でも私が結局食べたじゃないです。大体、私に谷山様が乗り移るとか非現実的です。周りに影響されて勘違いして、夜見さんの作ったものを食べたんですよ。それに、亡者の食べ物なら、私のこと止めてくれても良かったんじゃ」
「あのピーナッツ豆腐は、あなたが食べたのではないのです。あなたを通して谷山様が食べたのです」
「そんなの変ですよ」
すると夜見が蔑むような目で岬を見る。
「そう思うのでしたら、あなたはここには向いてません。他の仕事に就いたほうがいいです」
突然そんなことを言われて、岬はカチンときた。
「確かに私にはまだ不慣れな面がたくさんありますけど、まだ働き始めて一日です! 向いてるとか向いてないとかって、試用期間を勤め上げて判断するものじゃないですか?」
田貫もそれに便乗する。
「そうなのだ。アタシはこの仕事が岬くんの天職だと思うのだ。アタシはキミを雇えて儲けものをしたのだ」
ウキウキした声音で田貫が「はっはっはっは」と笑った。
「ほら、社長さんだってそう言ってます!」
「これから、こういったことは増えていきますよ、それにあなたが耐えられるかどうか……」
夜見の言ったことで、岬はピーナッツ豆腐を食べるまでの出来事を思い出した。いつきという鬼が、谷山様と奥様を地獄に落とそうとしていた。三毛太という猫又が現れたこと。そして最後は、自分が谷山様に乗り移られて、ピーナッツ豆腐を食べた。
現実ではありえないことがたくさんあったのに、不思議と受け入れていた。
ただ、それが夢じゃないとは言い切れない。どこから現実で、どこからが夢なのか。
岬は釈然としないまま、夜見を見つめ返す。
「夜見さんにどう思われようと、私はやめませんから」
強気に宣言した。
ピリピリした雰囲気をほぐすかのように、田貫が笑う。
「さぁさぁ、けんかはそこまでにするのだ! 今日はご苦労さん。また明日から頼むのだ!」
田貫の言葉にはリラックス効果でもあるのだろうか、岬も心が和らいで、「はい!」と答えることが出来た。
試用期間がどれくらいの長さなのかはわからないけど、田貫の言葉から推測するに、どうやら岬は合格範囲内のようだ。
「社長! 式場の片付けがまだなんだけど!」
二美が田貫の脇を肘で小突いた。
「ああ! そうだったのだ。岬くん、片付けしてそれから上がっていいのだ」
式場に移動した岬は二美たちと一緒に式場の片付けをしていく。供花のほとんどは棺に収められたようでなくなったいた。遺影も取り去られて、花壇と椅子だけが取り残されている。
控え室にはお重が残されていて人っ子一人いない。葬式は悲しいものだけれど、式が終わってしまった式場もなんだかうら寂しい。
二美に言われて、岬はお重をコンテナに入れていき、調理室へ持っていった。
調理室にはすでに夜見が片付けのために洗い物をしていた。
先ほどのこともあり気まずい岬は小声で、「失礼します」と言って、コンテナを調理台の上に置いた。
夜見が無言で洗い物をしている脇に、お重の中身とお重そのものを並べておいていく。コンテナを空にして、とりあえず声を掛けた。
「あの、洗い物、私がしましょうか」
夜見は上司でもあるので、雑用は部下がしたほうがいいと思ったのだ。
「じゃあ、これを拭いてください」
洗ったものが籠の中に重ねて置かれていた。
岬は布巾を手に取って、丁寧に一つ一つ拭いていく。拭きながら、夜見がここでピーナッツ豆腐を作っていた様子を思い起こす。
「夜見さん、あのピーナッツ豆腐はどうやって作ったんですか?」
異様に出来上がるまでの時間が早かったような気がしたからだ。
「普通に作りました」
「でも早かった気が」
「急いでいたからです」
取り付く島もない。岬は諦めて、拭きものに専念した。
ようやく片付け終わった頃、おもむろに夜見が冷蔵庫を開けて、中からラップを掛けたある容器を取り出した。
「岬さん、お昼もろくに取らなかったでしょう」
そう言われてみればそうだった。ピーナッツ豆腐を食べたけれど、おなかは依然として空いている。
「これを作っておいたので少しでもいいから食べなさい」
「なんですか?」
かわいらしい赤いココット皿に入っているものを指さした。見た感じにんじんの和え物だ。
「にんじんとピーナッツバターの和え物です」
そう言って、ラップを外すとピーナッツの香ばしい匂いがふんわりと漂ってきた。
途端に岬のおなかがキュルルと鳴く。
勧められるまま箸を取り、ココット皿を手に持った。
千切りにされたにんじんと甘い醤油を混ぜたピーナッツのソースがにんじんといい具合に絡まり合っている。軽く熱を通したにんじんを口に入れてシャキッと噛むと、ピーナッツバターと醤油の濃厚な旨みが口に広がった。空きっ腹でなくても箸が進む。ピーナッツの甘さとにんじん本来の甘さが混ざり合って、独特な滋味の良さが感じられる。
「おいしい」
といってから、はたと思い出した。
「これ、ヨモツヘグイって言う、亡くなった方のためのご飯じゃないんですか?」
すると、どことなく照れているような感じの無表情で、夜見が答えた。
「これは普通の和え物ですよ。いつもいつも亡者のための食事を用意しているわけではないです」
なんだか責められたような気がして、岬は小さな声で謝った。
「すみません。夜見さんは御斎専門の仕出し屋って言ってたから」
「では次からは、やめておきます」
岬は夜見の言葉を聞いて慌てた。
「いえいえ、作ってください! これすごくおいしいです! コンビニに買いに行こうと思ってましたけど、お昼食べ損なっちゃって……助かりました」
夜見は相変わらず無表情に頷いた。
「コンビニはこの近くにはありません。御斎のついでに作っておきましょう」
「わー……」と言いかけて、岬は黙った。まるでその言葉が、次も来て働いたらいいと解釈できたから。無表情でさっきは冷たいことを言われたけど、心からそういうことを言っているわけじゃないのだと岬は安心して、和え物の最後の一口を口に入れたのだった。
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