もののけ葬儀社のおいしい御斎 −迷える亡者の案内人−

藍上央理

プロローグ

「鳥囲岬様のより一層のご活躍をお祈り申し上げます」

 岬が福岡市内の会社からお祈り通知を受け取ったのは二十一社目。希望する会社は全て内定が取れなかった。

 一体何がよくなかったんだろう。転勤は出来ません、福岡本社に勤めたいです。市外に出ない部署がいいです、とやたら条件を付けたのがいけなかったんだろうか。

 福岡に本社のある割と大きな会社ばかり狙ってしまったのも敗因の一つなのだろう。小さな会社にも目を向ければ良かった。

 でも、もう内定を取るには遅すぎる。ほとんどの会社が新卒の面接を締め切ってしまっているだろう。これから先一年以内、中途採用にならないうちに仕事が決まって欲しい。

 今年の春、岬の桜は咲かず、散るばかり。

 部屋の椅子に座って、手紙を片手にため息をついた。

 母親にちょっと出掛けてくると言って家を出たのはいいが、別に行く当てなどない。近所をふらふらと彷徨って、落ち込む気分を慰めようと思ったのだ。

 この際、市外の会社に挑んでみようかと言う考えが頭をよぎるけれど、自分が「福岡市内から出られない体質」であることを思いだして諦めた。

 岬は生まれてこの方、市外に出たことがない。母親からも市外には出ないほうがいいと忠告されるほどだ。もちろんなぜなのかはいろいろと試したのだが、病気だったり怪我だったり、何らかの理由で不可能だった。だから小中高の修学旅行も夏休みの合宿も全部行くことが出来なかった。

 止める家族に反発して市外に出たときは、いきなりダンプカーに跳ねられて危うく死ぬところだった。そんなこんなで九死に一生を得ることも少なくない。

 しかも、岬だけがそう言う体質なのかと言えばそうでもなく、母方の女性もみんな市外に出るとろくなことがなかった。

 祖母からは、鳥囲家の女は特別な力を持つのと引き換えに、土地から離れられないのだと聞かされてきた。祖母もその前の祖母、曾祖母から聞かされたと言っていたような。

 とはいえ、市外に出られないという理由で就職から生き方まで左右されてしまうことが、岬の人生に対する不満だった。

「これじゃあ、一生ニートで実家暮らしじゃない!」

 ぶつくさ呟きながら、足は公園へと向かっていった。

 緑の多い、整備された公園のベンチでぼんやり考え事をしたり、悩み事に頭を悩ませたりしていると、なぜだかいい打開策が思い浮かぶものだ。

 ぼんやり歩いていたせいで、何度か車にクラクションを鳴らされたりもしつつ、公園にたどり着いた。

 ベンチに腰掛け、空を見上げて雲を眺める。まだまだ肌寒い風が吹き付けてくるけれど、空気は澄んでいて太陽の日差しも温かい。桜のつぼみもポツポツと芽吹き始めている。

 市内にあるめぼしい会社に面接に行ったけれどことごとく落ちた。今度はどんな会社の面接に行くべきか悩む。市外に本社がなくて出張もなくやめるまでずっと事務職でいられるような会社なんて、そうそうない。資格か何か持っていればよかったが、手に職付ける系の学校に進学しなかったのは大失敗だった。

「あーあ……」

 空を仰いでも答えは見つからない。ちなみに彼氏もいないので結婚するという選択肢もない。

 ぼんやりと雲を見ていると、黒い鳥が視界を横切った。

「鴉か……」

 するとその黒い鳥が、岬に向かって舞い降りてくる。セキセイインコサイズの真っ黒な小鳥が綺麗な声で鳴きながら、岬の手が届くすぐ側のベンチの背に留まった。

 声はカナリアそのものなのに、見たこともない濡羽色の美しい羽を持っている。小鳥はキョロキョロとせわしなく小首をかしげて驚いている岬を見つめた。

 見とれている岬の肩にぴょんと飛び乗ってきて、またぴょんと地面に降り立った。

 ぴょんぴょん進みながら、振り向いて岬を見る姿が、まるで自分の後を付いてこいと言っているように思えて、思わず岬は立ち上がって小鳥の後を追った。

 黒い小鳥に導かれて、今まで知らなかった横道へ何度も入っては出て、いつの間にか知らない場所へたどり着いた。二車線の道が左右に伸びている。

「こんな所あったっけ?」

 小鳥は道路を飛び越え、向こう側の柵に留まってこっちを見ている。まるで「こいよ」と誘われてるみたいだ。

 岬は左右に注意して道路を渡り、小鳥の側へ寄っていった。人慣れしているのか、小鳥は逃げもせず、綺麗な声でさえずり始めた。

 しばらく聞き入っていたけれど、ふと壁に目をやると、張り紙が貼ってある。張り紙には、「正社員募集! 未経験者歓迎! メモリアル田貫 電話番号〇九二−○○○−○○○○ すぐそこ」とあった。

「正社員……メモリアルってことは葬儀社?」

 葬儀社ならば、岬が希望する項目に該当する。葬儀社なんて盲点だった。もしかしたらこれを知らせるために小鳥はここまで自分を案内してきたのだろうか。

 運命的なものを感じ、顔を小鳥に向けたが、もう小鳥はそこにはいなかった。

「すぐそこってあるけど」

 岬は周囲に目を巡らした。確かに向かって左手の横断歩道の前に、メモリアル田貫という大きな看板を掲げた建物がある。一階に受け付けと駐車場があり、二階に式場などがある小さな葬儀社のようだ。

 自動ドアのガラスから中を覗くと、ひっそりとして人気がなく、今日は葬祭がないのかもしれないと思った。

 逡巡し、ドアの前で立ちすくんでいると、背後に人影が立った。

「何しているのだ? うちに何か用なのかな」

 不意に掛けられた太い男の声に驚いて、岬は飛び上がった。

「ひゃっ、す、すみません!」

 振り向くとでっぷりと太った人の良さそうな顔つきの中年男性が、ピシッと喪服を着て立っている。頭は禿気味で、おなかのベルトが今にも弾けそうだ。手には紙袋を提げている。

 メモリアル田貫に用があって入り口に立っていたのに、いざとなるとあたふたしてしまって何も言えなくなった。

 そんな岬を見ていた男性がしばらくしてから、ぽんと手を打った。

「あー! 張り紙を見たのだな?」

「そ、そうです」

「それにしてもあの張り紙を見つけるとはすごいのだ」

 男性がそう言いながら岬の腕を掴んで、メモリアル田貫の葬儀社内へ岬を引っ張り込んだ。岬は足をもつれさせ転びそうになりつつ、男性の後ろを付いていく。

「あ、あの! 履歴書とか持ってないんですけど」

 受付の前で立ち止まり、男性が振り返る。

「履歴書なんてなくていいのだ。張り紙に気付いたからそれでいいのだ」

「それでいいんですか?」

 半ば唖然としながらも、男性に促されるままに受付の奥のドアを開けた。ドアの内側は、意外にすっきりとした広めの事務所になっている。岬が入ってきたドアと、もう一つスタッフ専用のドアがあり、そちらは事務所とは別の裏方に通じているようだ。座るよう勧められて、岬は来客用の三人掛けの革張りソファに腰掛けた。

「アタシ、ここの社長の田貫なのだ。よろしくなのだ」

 差し出された名刺を恭しく受け取り、紙面の文字を見ると、「メモリアル田貫 社長 田貫一太」とある。

「わたし、鳥囲岬と言います。よろしくお願いします」

 岬はぺこりとお辞儀した。

「張り紙をしたものの応募者が来るか不安だったのだ」

「はぁ」

 ふくよかな女性社員が、温かい緑茶を持って来て、田貫と岬の前に置いて引っ込んだ。田貫は早速手にしていた紙袋の中をあさってまんじゅうをいくつか取り出した。まんじゅうの包みを剥がしながら、パクリと丸のまま口に入れてもぐもぐと美味しそうに食べだした。

「張り紙に気付く人がなかなかいないから、そろそろ諦めようかと思っていたのだ。でも、ようやく応募者がきてくれて助かったのだ」

 話がさっぱりわからないまま、田貫が岬に聞いてきた。

「キミはうちで働きたいのだな? うちは大歓迎なのだ」

 確かに働くつもりでメモリアル田貫を探したのだが、あれよあれよという間に社内に連れてこられてしまうとは思ってもみなかった。これも皆、黒い小鳥が導いたせいもある。いいえという理由もなくて、岬は「はい」と答えた。

 田貫が立ち上がり、ニコニコ顔で戸棚から取り出した書類を出してきて、卓上に置いた。

「これが正式な雇用契約書なのだ」

「え、あの、面接とかは……」

「今こうして話してるのだ。張り紙に気付く人はめったにいないのだ。これはよほど縁があるのだな」

 といって、納得するようにうんうんと頷いた。

 岬は差し出されたペンで契約書に名前を書いて、印鑑がなかったので親指に朱肉を付けて印を押した。

 軽率に契約を済ませてしまったけれど、岬もすぐにでも就職が決まれば両親にも顔向けが出来るし、ニートにならずにすむ。思いがけず採用の決まった仕事が葬儀社だと言うだけで……、とここまで考えたところで、重要なことを思い出した。

「あの! ここって、出張とか市外に出るとかってありますか?」

 それを聞いた田貫がきょとんとする。

「ないのだ。それがどうしたのだ?」

「あの……もし市外に出るような仕事だと困るんです……」

 言いにくそうに告白すると、田貫が「なははは」と笑った。

「市外に出ることは基本ないのだ。もしあったとしてもそれは市外ではないのだ」

 それを聞いて安心した。自分でも市外に出るとなったら勇気がいる。何度も死にかけただけに、市外に出ることに言いようのない恐怖を感じるのだ。

 ガチャリと音がして、スタッフ専用のドアが開いてだれかが入ってきた。

「おお、夜見さん! 新しい社員が決まったのだ! 鳥囲岬くんなのだ」

 田貫が夜見と呼ばれた男を手招いた。

 夜見は頭から足先まで黒い洋装に身を包み、無表情に岬を見つめた。まるで、こんな場所におまえがいるなど非常に不愉快だとでも言いたそうな目つきだ。

 あまり歓迎されていないように感じて、岬は身構える。

「岬くん、こちらは仕出し屋の坂本夜見さんなのだ」

「初めまして。よろしくお願いします!」

 とは言っても初対面だ、円滑な人間関係を築きたいので、立ち上がると元気よく頭を下げた。それにしても、仕出し屋とはなんだろう、と不思議に思っていると、落ち着いた聞き心地の良いテノールの声音がその口から発せられた。

「私は御斎専門の仕出し屋です」

「おとき」といわれても、葬式に出たことのない岬にはそれがなんだかわからない。不思議そうな顔をしていたのだろう。

「御斎とは、故人を偲び供養するための食事のことです。時には故人から生きているものへの手向けでもあります」

 と説明し、その目線を田貫に移した。

「本日の御斎、無事すみましたので」

 無愛想にドアから出て行こうとする夜見に向かって、田貫が呼び止める。

「待って待って。も少し岬くんと話をするのだ。レクリエーションなのだ」

「レクリエーション……私は御斎料理を作って出すだけで、あなた方との親交を深めるために仕事をしているわけではないです」

 とすげなくスタッフルームのドアから出て行った。

 田貫がポケットからハンカチを出して、額を拭う。

「いやぁ、夜見さんはいつもクールだから気にしなくていいのだ」

 それじゃあ、明日から出勤だ、と告げられて、岬は葬儀社を後にした。いつの間にか日が暮れて夕焼けで空があかね色に染まっている。

 なんとか公園まで戻り、岬は家に帰った。

 家にはみんな出掛けたのか誰もおらず、就職が決まったことも言えずに、一日が終わったのだった。

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