おかしな値段

鯨飲

おかしな値段

「あー、あっちぃーなぁー」

 

 今は、8月中旬。夏真っ盛りだ。蝉たちは、この暑さに歓喜し、張り裂けんばかりの鳴き声を眩しい日差しの中で響かせている。

 

 それは、暑さを増幅させるものとなって俺の耳を、ひたすら刺激する。


「うるさいうるさいうるさい。暑いし、うるさいし、本当に地獄だ。エアコンがなかったら生きていけねぇよ。」

 

 誰が聞いている訳でもないのに、そんな風に愚痴をこぼしていた。すると、


「ピンポーン」

 玄関のチャイムがなった。


「今日は何も届く予定はなかったよな?この暑いのに、来客か?」

 

 そう言って、俺は重い腰を上げ、玄関へと向かい、ドアを開けた。


「こんにちはー、久しぶりだね。いやー大きくなったなぁ。」

 

 そこには、おじさんが立っていた。何か正月に会ったときの親戚みたいなことを言ってきてるが、俺の記憶にある親戚フォルダの中には該当者がいない。


 誰だこいつ?知らんぞ?何で勝手に俺の成長を実感しているんだ?頭の中がクエスチョンマークで埋まりそうになっていたその時、おじさんは口を開いて、こう言った。


「いやー、さすがに覚えてないか。ほら、いちまつやの…」

 

 そこまで言われて、俺はようやく思い出した。この人は駄菓子屋のおやじだ。小学生のころ、『いちまつや』という駄菓子屋によく通ってたんだっけ。懐かしいなぁ。


 でも何でそのおやじが今頃俺の家に来たんだ?


「あー、はい。思い出しました。何か、用ですか?」


「いやー、ちょっと仕事でね。この辺まわってるのよ。君、まだ高校生でしょ?だったらまだ、地元離れてないと思ってね。」


「は、はい。まぁそうっすね。それで、何の…」


「金だよ。金の回収だよ。未払い金のね。」


「はぁ?どういうことっすか?別に俺、駄菓子屋で万引きしたことなんてないっすよ?」


「うん。それは知ってる。そうじゃないよ。後払いにしといてあげてたの覚えてないの?」


「そんなことありましたっけ?」


「はぁ…。まぁ無理もないよね。じゃあ説明するよ」


 そう言っておやじは襟を正した。


「お前に菓子を売るとき、ワシは何て言って売ってた?」


「え?あー、そうだな、確か十円のやつ渡したら「十万円だよ」って言ってたな。何か金額をめっちゃ高く言うみたいなボケを毎回してたよ。」


「覚えているじゃねぇか。それの回収だよ。」


「はぁ?あれはそういうネタじゃねぇのかよ」


「単なる値段の提示だよ。足りない分は今払ってもらう。」


「何言ってんだ?ちなみにいくらなの?」


「まぁ、ざっと一千万円だな」


「はぁ?高すぎるわ。馬鹿じゃねえの?」


「はは、心配するな、流石にここから値段は引くわ」


「だよな、びっくりさせんなよ。それで?何円なの?」


「一千万円から、実際に払っていた金額の二千円を引いて、九百九十九万八千円だな。」


「あんまり変わんねぇよ!結局ほぼ一千万じゃねぇか!」


「いいから、払え。」


「無理に決まってんだろ!俺まだ高校生だぞ!そんな金ねぇわ。」


「じゃあ、来い。」


「はぁ?」


「はぁはぁうるさいんだよ。犬じゃねぇんだから。」


「はぁ?どういうこと?」


「ああ!もういい!とりあえず来い!」

 

 おやじは、俺の腕を掴み、どこかへ連れて行こうとする。振りほどこうとしても、離れない。

 

 中年の力には思えない。されるがままに俺は車に乗せられた。そして車は走り出した。


「なぁ、どこに向かってるんだよ。」


「工場だ。そこで働いていてもらう。」


「あー、あれか?ヤバいものを作らせるのか?」


「まぁ、それは行ってみれば分かる。」

 

 あぁ、俺は今日で犯罪者の仲間入りか。この日を境に人生が狂い始めるんだろうなぁ。そんなことを思いながら車窓を眺めていた。


 何だか、とても長い間車に乗っていた気がした。どうせなら、早く着いてほしい、いややっぱりまだまだ着かないでほしいという二つの感情が俺の中でせめぎ合っていた。


「着いたぞ。」


「はぁ…やっと着いたか。」


「十分しか移動してないぞ。」

 

 こうして、町外れの工場に俺は連れて来られた。


「じゃあ、行くぞ。」

 

 なるがままに俺は連れて行かれた。そして、工場内で、服を作業着に着替えさせられ、消毒もさせられた。


「なぁ、せめて何を作るかだけ教えてくれよ。」


「あぁ、いいぞ。今日はキャンディを作る。」

 

 キャンディ。確か聞いたことがある。隠語として使われている言葉だ。


「当然、タダ働きだよな?」


「そりゃそうだろ。」


「早速、作業に取り掛かってくれ。お前は、今日が初めてだから、包装の担当だ。」


「はぁ…分かったよ」

 

 こうして、俺は持ち場につき、"キャンディ"生産の作業を始めた。俺の仕事は、流れてくるキャンディを袋に詰めるだけの簡単な仕事だ。


 これだけで犯罪に加担していると考えると、何だか心がフワフワした。包装紙は、どこかで見たことがあるデザインだった。市販の飴と何も区別がつかない。警察にバレないために、このようになっているのだろう。


 しばらく働いた後、休憩になった。そこで俺はおやじに気になっていたことを質問した。


「このキャンディってどんなところで売るんだ?」


「色々な駄菓子屋とかスーパーだよ。」


 売人の通り名か?


「何円で売るんだ?」


「まぁ、このサイズだと…」

 

 十万?二十万?それとも百万か?


「十円だな。」


「はぁ?また、小学生の時についてた冗談かよ?もう止めてくれよ。」


「何言ってんだ?お前にも便宜上はその値段で売ってただろう。」


「は?じゃあ、俺は知らない間に薬漬けになってたっていうのかよ?!」


「なんでキャンディ舐めて薬漬けになるんだよ。」


「は?」


「え?お前何か勘違いしていないか?お前が作ってるのは、ただのキャンディだぞ」


「は?どうしてそんなもの作らせるんだよ?」


「お前、どうして駄菓子屋であんなにも安くお菓子が買えるのか知ってるか?」


「知らねぇよ。理由を教えろよ。」



「作るときの人件費を0にしてるからだよ。今のお前のようにな。」  

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おかしな値段 鯨飲 @yukidaruma8

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