第24話 それから

「おい、ディストール……良かったのか?俺たちが騎士になれる千載一隅のチャンスだったんじゃないのか?」


 ポンテ卿の前から退出すると、バリシナンテスはディストールに尋ねた。

 いつものケンカ腰でそれを楽しむ口調とは違っていた。


「なんだよ、おっさん。騎士になりたかったのか?」


「いや、そういう訳ではないがな……」


 ディストールにもバリシナンテスの気持ちは分かっていた。

 別におっさんも本気で騎士になりたかったわけではないだろう。今さら身分が変わることは名誉なことだとしても、面倒だという気持ちの方が強い。

 気になっていたのは、あのポンテ卿が彼らに対して頭を下げたということだ。騎士が……それも小なりと言えど国王が彼らのような身分の者に対して頭を下げるなどは普通に考えれば決してあり得ない出来事なのだ。おっさんはポンテ卿と直接接することも多いだけに感情移入し、彼に頭を下げさせてしまったことにどこか罪悪感のようなものを感じているのだろう。 


「大丈夫だよ、おっさん。ポンテ卿はしたたかな人物だ。……俺たちを迎え入れたいというのも嘘ではないだろうが、頭を下げるほど切羽詰まってるわけじゃないと思うぜ?隠密集団なんてのは幾らでも存在するんだ。こうして俺たちには頭を下げた、というポーズを示しておいて、裏では他の集団に当たりをつける……それくらいのことは平気でするタマだぜ、あの人は?」


「……まあな。何らそれが責められるような立場でもないしな……」


 バリシナンテスはそう言ったが、その表情は浮かないままだった。

 理性ではディストールの言葉を理解しているが、既にポンテ卿に心酔しきっており、情緒ではそれを受け入れられなかったのだ。

 そしてそれはバリシナンテスだけではなかった。クラムートもナシェーリもディストールの言葉に微妙に納得できない表情を残していた。

 だが唯一ポグレンだけは4人とは違うことを考えていたようだ。


「……ねえ、僕はアレで良かったのかな?」


 不安そうな表情で尋ねてきた言葉は曖昧なものだったが、ディストールにはその意味がすぐに分かった。


「大丈夫だよ、ポグレンさん。これ以上ない最高の結果だ!」

 

 ディストールはポグレンの肩を叩いて励ましたが、依然として彼は浮かない顔だった。

 自分の家に領地拡張の報せを持って帰参するなど、騎士としてどう考えても最高の栄誉なのに、この人はなぜこんなに顔をしているのかディストールには理解出来なかったが、ナシェーリの一言で謎は解けた。


「ポグレンさんは、アレフさんのことがずーっと気になってるのよね~」


 ナシェーリは意地悪な顔をしていた。子供の頃から一緒だったディストールも、今まで一度も見たことのないようなニンマリした顔だ。


「……そ、そうだね……」


 女性関係には百戦錬磨のはずのポグレンが、そんなウブな反応をしたのは意外だった。

 ノマール家の姫アレフにはこれまでの女性とは違い余程特別な感情を抱いているのだろうか? 


「アレフさんなら大丈夫だよ!いくさが始まる前に逃げ落ちたっていう話だし、ベルカントが勝ったことで政情が安定すればすぐにでも戻ってくるよ。……それにポグレンさん自身も、今度はどこの馬の骨とも分からない旅芸人じゃなくて、ナガトワ家の立派な騎士として認められたんだ。堂々と会いに行けば良いさ」


 おずおずと周囲を見回したポグレンに対して4人とも大きく頷いた。頼りない軟弱者という印象が消えたわけではないが、行動を共にするうちにそれ以上の魅力を感じ、誰もがこの男のことが好きになっていたのだ。

 





 その後ポンテ卿はすぐさま本拠地であるベルカント城へと帰還した。

 国境にさして多くの兵を残していかなかったのは、エゾナレスに大規模な反撃を行うだけの余力がないだろうという目論見である。


 そしてそれは正しかった。

 老齢のパスチノッソス卿はもう王として相応しくないのではないか?という機運がエゾナレス国内に高まっていき、しばらくして彼は退位に追い込まれた。

 親ベルカント派を中心とした政権に交代したエゾナレスは、ナガトワでの決戦からわずか半年ほどでベルカントに恭順の意を表明してきたのである。

 ポンテ卿はそれを受け入れ彼らの所領をほぼ安堵したが、家臣を派遣し実際の内政・軍事に関してはベルカントのやり方で執り行われていった。


 懸念されたガッサンディア裏切りについては、ほぼ何事もなく元通りに収束した。

 ガッサンディアはベルカントに対して正式に断交し宣戦布告したわけではなかったのだ。

 むろん「火のない所に煙は立たぬ」と言うように、彼らにそうした思惑が一切なかったとはとても思えない。だが、エゾナレスが早々に戦意を失くしてしまった以上単独で反旗を翻すのは無謀でしかなかった。結果的にガッサンディアは「古くからの友好国」の顔を崩すことなく歩んでゆくこととなる。


 エゾナレスが降伏してきた頃には、周辺の小国家は争うようにベルカントの下に就くようになっていた。ポンテ卿の名君としての評判、そして明確な政策が何よりの旗印となっていたのだ。






「しっかし、俺たちの地位は向上しねえな。……何だよこのポンテ卿の提示してきた圧倒的低賃金はよぉ!」


 おっさん……バリシナンテスがポンテ卿から受け取った書状を見ると、ディストールは不機嫌そうに声を荒げた。


「わしに当たっても意味のないことはお前さんも分かっとるじゃろう?そんならこの話は断ることにするか?」


 バリシナンテスももう慣れたものでけろりとした顔でディストールに応えた。


「でも、ここで中途半端にやめちゃったら今までの頑張りが無意味になっちゃうわよ。目先の小さなお金なんて気にしないで、ポンテ卿の役に立つことを示せば私たちの地位も向上して行くんじゃないかしら?」


 ナシェーリが務めて穏やかな声で不機嫌なディストールをたしなめた。


「だー!分かってるよ、そんなこと!ポンテのおっさんは、俺たちのそんな目論見も見越して手の平で転がしてるんだよ!……まったく!やりがい搾取も良いところじゃねえかよ!」


 ディストールの苛立ちはさらに激しくなっていった。

 そんな彼の様子を見てクラムートはくすくすと笑っていた。

「で、結局今度の仕事は受けるの?断るの?」


「受けるよ!」


 矛盾するようなディストールの言葉だったが、そうなるであろうことは誰もが予想していた。

 ディストールの言うように、彼らは確かにポンテ卿の手の平で転がされているのだろうが、それ以上にポンテ卿の人物に惚れ、成長してゆくベルカントのために何か貢献したいという思いが強くなっていたのだ。


「……ではまあ次の仕事の内容なのだがな……」


 少し癇癪の収まったディストールの様子を見て、バリシナンテスが切り出した。


 周辺の小国をある程度平定し国力を増したベルカントだったが、まだまだその地位は盤石のものとは言えなかった。

 

 ここで現在のベルカントを取り巻く状況を確認しておこう。


 北方のゴラム山地は火山地帯だ。農業や商業の発展も遅れており人口も少ない土地だ。狭隘な山道に囲まれた地形は陸の孤島とも呼ぶべき土地で、ここから強国が発生してくることは歴史的になかった。この土地を自国のものにするのはコストが掛かる割りに得るものが少ない……という厄介な土地であった。


 西にはタガルメと呼ばれる広大な密林地帯が広がっていた。こちらも交通に難を抱えた厄介な土地であることは言うまでもない。スムーズな伝達が難しく監視の目も行き届かない。特に密林の濃い中央部分にはどれほどの少数部族がいるのか、誰も正確には把握していない……と言われるほどの土地である。こういった場所は反乱分子の温床になりやすい土地なのだ。現在ポンテ卿が西方への進軍をストップさせているのもこういった理由による。 

 だがポンテ卿が策を講じていないわけはない。ベルカントに近い東側の部族を少しずつ味方に付け調査を始めるとともに、広大な密林を伐採し資源にする……という遠大な計画も始まっていた。この計画にはいくつもの狙いがあった。

 まずは純粋に木材を資源として利用すること。新しい物好きで産業にも造詣の深いポンテ卿は、木材資源がベルカントの新たな産業とならないか……ということを真剣に考えていた。

 またその事業には、新たに味方となった少数部族を積極的に利用した。ベルカントに味方することが彼らの利益となり、彼ら自身の生活を向上させるということを実感させるためである。実感としてそれが広まれば味方に付く部族も一気に増えるだろう……という目論見である。

 さらには交通網の整備という側面もある。木材の運搬を効率的に進めるには、森を開き道路を整備することが必要不可欠だ。こうして道を整備しておくことは円滑な軍事行動を可能にすることと同義なのだ。気の長い計画ではあったが、それを着実に進めていることにポンテ卿の計画性・忍耐力が見て取れる。


 そして東方である。トラバル帝国という強大な国があることは以前少し触れた。

 トラバル帝国は今まで、さらに東のカロン王国という国との争いに力を注いでいた。それゆえに ベルカントはトラバル帝国の影響を受けることなく勢力を拡大出来ていた。だが、そのカロン王国との争いにもようやく決着が着き、いよいよトラバル帝国が西に……ベルカント領に侵攻を開始するのではないか?という噂が流れてきていたのだ。


「……そのトラバルの事情を探って来いというのが、今回のポンテ様のご依頼だわ」


 バリシナンテスがそう告げたが、三人の表情は変わらなかった。時勢柄そうなることは何となく予想がついていたのだろう。


「でも、ここの所のポンテ様の活躍を見ていると、トラバル相手にも何とかなっちゃうんじゃないかと思ってしまうわね」


 ナシェーリがそう呟いた。

 たしかにエゾナレス戦以降のポンテ卿の政策はことごとく当たっていた。


「甘いぜ、ナシェーリ。トラバルはそんな甘い相手じゃない。国の規模も軍の練度も今までの相手とはまるで別物だ。……交渉を重ねて良い条件で降伏するってのがベルカントとしての現実的な目標だと思うぜ」


 ディストールの言葉に少しの沈黙が訪れる。

 そうなれば自分たちがどうなるのだろうか?という不安を誰もが考えたからだ。

 何度も言っているように、彼らはベルカントから金で雇われた独立した存在である。だがもうそれも建前になってきている。心情的にも実際の機能的にもベルカントにべったりである。

 仮にベルカントがトラバル帝国の属国となったとしたら、彼らのような存在がどう遇されるかは全くもって予想が付かない。


「ま、ここで頭を捻ってても何も分からないさ。そいやアイツ……えーっと、何か火薬とか持ってたアイツは元気にしてんのかな?」


「もう!ポグレンさんでしょ!ついこの間一緒に戦ったばかりじゃないの?名前忘れるなんて有り得ない!」


 ディストールはボケとして言ったつもりだったのだが、ナシェーリは本気で怒ったようだった。

 両者の伝わらなさを見て取ってくすくす笑っていたのがクラムートだった。こうしたことは時々あったが、クラムートはディストールにもナシェーリにもそれを説明したりはしない。お互いの噛み合わなさを見て笑っているだけだ。


「ポグレンさん、元気そうだったよ」


 実は少し前にクラムートは、ポグレンの戻ったナガトワ家に簡単な伝令役として行っていたのだ。その時にポグレン本人とも会えたようだ。

 長い放蕩の旅を経て帰還したポグレンに、当主である彼の父親もどう応じるべきか悩んだ。怒鳴りつけてしまいたい気持ちもあったが、国王でるポンテ卿からのお墨付き……しかも家の領土を増やすほどの功績を携えて帰還したのだ。これを無下に扱うことは出来なかった。この点は彼の二人の兄たちも同様の気持ちだったようだ。

「腫れ物に触れるように扱われている」と自嘲するようにクラムートに語っていたそうだ。

 それでも時間を経るにつれて、彼を見る家族の目も変わりつつあるようだ。周りには放蕩の旅としてしか評価されなかった時間も、知らぬ間に彼を成長させていたのかもしれない。あるいはエゾナレスを破ったあの戦いが彼を変えたのかもしれない。

 だが本人は「騎士のフリするのがしんどいよ~」といまだに言っているらしい。


「まったく、あの人らしいな……騎士のフリって。本物の騎士になる気はないっていう意味なのかもな」


 その話を聞いたディストールは苦笑した。


「ねえ、そう言えばアレフさんとはどうなったのよ?」


 ナシェーリが尋ねると、クラムートは笑いながら答えた。


「実はそれが傑作でさ……………………………………」


 クラムートがポグレンから聞いた話によると、帰還後まもなくアレフとも再会出来たそうだ。

 だがしかし……実はアレフには婚約者が他にいたのだ!

 その相手というのは今回ノマール家とともにベルカントに帰属したエグモント家の嫡子だそうだ。両家は歴史的にも親交が深く、家格もちょうど釣り合いの取れた家。しかも互いに美男美女との評判が高く……となればどこからも文句の出ようのない婚約だった。


「何よ、そんなん気にしないで駆け落ちしちゃえば良いのよ!だってお互い好きだったんでしょう?」


 ナシェーリが珍しく興奮気味に叫んだが、またしてもクラムートは苦笑して言葉を続けた。


「それがそうもいかないっていうかね……」


 クラムートがにやにやを抑えきれない顔で続けた。


 恩賞の報せを携え、正規の騎士として晴れて実家に帰参したポグレンは、しばらくしてからノマール家を訪ねたそうだ。今回の戦では縁の浅からぬ仲となった両家である。これをきっかけに両家の当主さえ説得できればなんとかなる……と意気込んでのことである。

 実際にノマール家の当主と彼の実弟のプラハムの了解も得て、アレフとの再会を果たしたそうだ。

 しかも今までのどこの馬の骨とも分からない旅芸人としてではなく、ナガトワ家の立派な騎士としてである。ポグレン自身も相当な気の入れようだった。

 だが再会したアレフ嬢はポグレンの変化に驚きはしたが、それを喜びはしなかったようだ。彼女が惹かれたのはどこの馬の骨とも分からぬ旅芸人であり、言い寄ってくる良家のお坊ちゃまなどには飽き飽きしていたのだ。


「まあ、そんなもんかねぇ……」


 それを聞いたディストールは、さすがにポグレンが可哀相になった。

 ポグレンは本来臆病で、面倒事に巻き込まれるのが死ぬほど嫌いな性格なはずだ。彼の言動も生き方も全てがそれを物語っている。

そんな彼が危険を冒してまで風使いたちに協力したのはアレフを想ってのことだ。

 途中からは仕事が楽しくなったり、本当に実家のためを思った瞬間はあったかもしれないが、出発点はアレフとなんとか繋がりたいという純粋によこしまな気持ちである。

 そんなポグレンの気持ちを知ってか知らずかは分からないが、彼女の方はあっさりとそれを振ってしまうのだ。実に残酷にも思えるかもしれないが、どう考えても選択権は彼女の側にある。同情しても嘆いても世の中にはどうしようもないことがあるのだ。


「……まあこれもポグレンさんにとって良い経験になるだろ。なんだかんだ言ってあの人は惚れっぽいからな、もうちょいすればすぐに次の娘の尻を追いかけてるんじゃねえのか?」


「そう言えばそうだったわ。あの人旅先各地に恋人がいる、どうしよもないクズだったわね……」


 ディストールの言葉にナシェーリも彼の本来の性質を思い出したようだ。


「ほれほれ、わしらも他人の色恋沙汰にかまけとる暇はないぞ。なんせ今度の相手、トラバル帝国は大国だしな」


 今まで黙っていたバリシナンテスが、ここぞとばかりに皆を仕事モードに引き戻した。

これには珍しくディストールも同調する。


「そうだな、今度は気合を入れて臨まなけりゃならねえかもな。で、おっさん。今回ポンテ卿からはどういう指示を受けてきたんだ?国境近い敵領の様子を探ってくるのか、トラバルの本拠地の様子なのか?軍の情報を優先して送るのか、民衆の静動も交えての情報が必要なのか?」


 おっさんは……一瞬返事に詰まり、やや小声で答えた。


「いや……『トラバル帝国との間の緊張関係が緩和されるまで、逐一情報を送れ』とのことだ」


「だぁ~、結局それかい!その曖昧な指示で前回俺たちがどれだけ苦労したのか学習してねえのかよ!」


「うるさいわい、若造が!ポンテ卿との交渉はすべてワシが担当しておるんじゃろうが!あの人と対峙した際の緊張感と、いつの間にか要求を呑まされる話術を体感しとらんから、そんな好き勝手なことが言えるんじゃ!」


「何だと、このクソジジイ!ロクな交渉も出来ねえなら辞めちまえよ!」


 ようやくいつもの二人に戻ったところで、ナシェーリとクラムートは顔を見合わせ、やれやれ……という風に首を振った。


 この時は「たとえトラバル帝国がいかに強大でも、いつも通り何とかなるんじゃないか」という空気が4人を支配していた。

 

 彼らはこれから迫りくる苦難について微塵も予感していなかったのである。






(第一部 完)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空も飛べるはず きんちゃん @kinchan84

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ