『「5分で読書」短編小説コンテスト』下校路
北米米
下校路
私は、この前の春の中学校入学と同時にこっちに引っ越してきて3ヶ月ほど経ちました。友達もできましたし、楽しい日々を過ごしています。
でも一つだけユウウツなことがあります。それはこの帰り道です。いつも一緒に帰っている友だちが嫌だと言うわけではありません。むしろ彼女は徒歩で通っている私に合わせて、自転車から降りて一緒に帰ってくれる良い友だちです。
カーブミラーが見えてきてしまいました。いたずらでつばが折れ曲がったあのカーブミラーが設置された丁字路で友達と別れます。カーブミラーが近づくにつれて、私のユウウツの原因が近づいて来て更に嫌な気持ちになります。
「それじゃ、したっけねー」
「う、うん。それじゃあまた明日ね」
手を振って別れるいつもの丁字路。今日も私は一人になりました。しばらくの間、遠ざかっていく彼女の背中を眺めていましたが、少し先の路地を曲がって見えなくなりました。今日も暗くて怖いこの帰り道と一人で相対〈あいたい〉しなければならないようです。
本当は友だちについてきてもらいたいなとは思いますが、少し申し訳ない気持ちや中学生にもなって怖いから付いてきて欲しいという恥ずかしさがあって言い出せません。今日も話そうとは思ったのですが、結局口には出せませんでした。ため息がでます。
今から行く帰り道を塀の影からちらっと覗くと、夕方らしいオレンジの光が辺りを照らしている今いる道とは対象的に木の陰でとても暗くてまるで別世界のようです。しかし暗い中で木陰で湿っているアスファルトの所々が、オレンジの光を反射し怪しい輝きを放っています。
気は向きませんが帰りたいですし、ここで尻込みしていると夜になって、もっと暗くなってしまいます。ですから私は心の準備を決めてから「いざ」というように足を踏み出しました。
一歩目を踏み出すと二歩目も存外軽く踏み出せました。しかし、足を止めてしまえば二度と動き出せないような不安が田舎道のデコボコとした足ざわりと心臓の早鐘が教えてくれます。気を紛らすように上を見上げるとすでに街灯がついていました。普段のこの時間では街灯の一つも付いていることはないのにも関わらず、です。先の方まで点々と街頭があり、それぞれがスポットライトのように道を照らしています。先程よりも一つだけ進んだ街灯からは今にも光が消えてしまいそうなジーッという音が聞こえて、もしこの街灯が消えてしまえば暗闇の中に放り出されることを考えると怖くなります。
無心でしばらく歩いていたはずの私は、いつしか早足から駆け足と呼べるほどに早く足が踏み出されるようになっていました。一刻も早くこんな怖い場所から抜け出したい衝動が足に直接指示を出しているかのように無意識のことで自分の理性が働かなくなっていることに自分で驚いてしましました。ですがこれは好都合な衝動です。もしかしたら何も考えないでこのまま駆け抜けられます。こういうものは怖い想像をするから怖いのであって、考えない状態であればずっと走り続けられるんじゃ無いか。そう思った途端に、急に足がその場に張り付いたように動かなくなりました。
少し先の街灯に照らされる道を見ていた私の目が捉えた小さな黒い生き物。それを捉えた瞬間目が直接指示したかのように体が凍りつき、私の足を止めました。ランランと光る緑の双眼がこちらを覗くように開かれています。走っていたのに急に止まったからか、それとも走って息が上がっているからか、それはわかりませんがドキドキと心臓がうるさく鼓動しています。
あの黒い生き物は何なのか。学校の図書室に置いてあったおどろおどろしい装丁の外国の本には小さな怪異が自分の体の数倍以上も口を広げて、子供を丸呑みにするような話も載っていました。もちろんそれなりの年ですから、怪異の類を心のそこから信じているわけではありません。しかし、目の前の黒いものが何か恐ろしいものではないと言い切れない以上怖いのが人のサガというものでしょう。
ジリジリと近づいてくるわけでもなく、ただその場にいたその黒い生き物が「ミャァ」と小さく鳴きました。そこでようやく、その生き物が真っ黒な猫であったという事実に気が付き少し安堵します。少し先の街灯の下で彼かもしくは彼女はランランと光る緑の目でこちらを見ながら、耳のあたりを前足で毛づくろいしています。こちらが一歩踏み出すと、黒猫はすぐに毛づくろいを止めてサッと身を翻すように街灯の背後にある雑木林に消えていきました。
背中が、じっとりとした汗で蒸れていることを背負っているリュックサックが重さとともに伝えてきます。黒い生き物の正体がわかり、もう居なくなった今でも先程の緊張が未だに体を覆っています。いつの間にか握られていた手を開くと背中同様にじっとりと汗ばみ、不快に包まれています。
猫を見つけてから猫が去るまで数十秒いえ、もしかすると十秒に満たなかったかもしれません。しかし未だなお、緊張を残す私の中でフラッシュバックのように何度も反芻されて猫と出会ったことは数分間の出来事のように感じられました。
突然、頭上でガラガラとした音が聞こえます。バッと上を見上げますが、木の葉の影に遮られて頭上は真っ暗です。電灯の下で止まったからでしょうか、光が遮られた頭上の様子はわかりません。「ガーッガー」と機械とも生物ともつかない鳴き声が相変わらず頭上から聞こえてきます。ここに私がいる事自体に不安感を感じ、ここから逃げたい私は足を踏み出そうとしますが、足が動きませんでした。先程まで駆け足で進んでいたとは思えないほど重く、足がアスファルトとくっついてしまったように感じられます。
また頭上で「ガーッガー」という音が聞こえます。足を踏み出すことのできない私は頭上を見上げ必死に声の主を探します。しばらく周りを探していましたが、真上の電灯の上にカラスがいることを見つけました。私はカラスであることに安堵すると同時に、カラスを探していた間に闇に慣れた目が、前方にある電灯の上にもカラスがいることを見つけてしまいました。カラスであったということを見つけたからか、いつの間にか軽く動くようになった足で一歩後ずさりすると、また音が鳴りました。どうやら「ガーッガー」という音はカラスの鳴き声のようです。しかし音の大きさが先程の比ではありません。
ハッとして後ろを振り返ります。すると後ろの電灯の上にもカラスがびっしり止まっていました。また鳴き声の大合唱がおこります。その声で背筋にゾワゾワとしたものが走り、それが背中に広がり、さぁっと冷ややかな冷水のようなものが背中を覆った瞬間に私の足は再び前の方向に動き出しました。
とにかく走ります。今度は止まらないように。デコボコとした道の起伏を大股で飛び越えるように進みます。その間もカラスが頭上から煽り立てるように鳴き声を浴びせかけてきます。その声が聞こえるたびに泣きそうになるのを我慢して、走っていると出口が見えてきました。しかし私はその出口の手前で、デコボコとした道に足を取られて足が絡まり、転んでしまいました。
じんじんと膝が痛み、地面に手をついた衝撃で手からは血が滲み出しています。カラスたちの声は未だに私に浴びせかけられ、ついに目から涙が出てしまいました。濡れて光った地面から手を上げると手のひらから出た血の跡が広がっています。
立ち上がろうとしますがヨロヨロとした動きになり、すぐに立ち上がることはできませんでした。膝が痛むということもありますが、何よりも涙を流したことですするような呼吸が立ち上がることを邪魔してきます。ようやく立ち上がり、痛む膝と手を見ても暗くてどうなっているかはわかりません。とにかく私は出口に向かわなければならないというその一心で出口に向かい始めました。私が憶えているのはここまでです。
その後、どうにか家までたどり着いた私は母親に抱きしめられ、手当を受けて眠りました。それからしばらくして、あの林に覆われた道は開発でなくなってしまいましたが、今思えば『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という言葉が示すとおりであったなんて思います。今日も図書室で下校時間を迎えた私は本を抱えて立ち上がり、この身一つとリュックに詰めた本を持って、家路に着くのでした。
『「5分で読書」短編小説コンテスト』下校路 北米米 @hakuro3269
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