終章
終章
その日も、中村櫻子が、いつも通りスーフィーダンスを指導していたのだが。空き地に女性がやって来た。あの、瀧本和也君の姉の瀧本恵理子だ。
「あの中村櫻子さん、ちょっとお話があるんですが。」
櫻子は、躍りをやめるように指示をだして、瀧本恵理子の話に耳を傾けた。
「どうして、弟をはめようと思ったんですか?」
と恵理子は櫻子に言った。
「いったいなんの話でしょう?」
と、櫻子が聞き返すと、
「とぼけないで。弟は、あなたが教えたことのせいで、結局自殺に追い込まれたのよ。あなた、弟に、お金を寄付しろと教えたでしょう。それで弟は、その通りに私とはなんの関係もない人に、大金を送ったのよ。たった一人の家族である私のことを無視して、全然関わりのない人に、送ったのよ。それは、あなたにそそのかされて。」
恵理子は、櫻子に言った。
「それがなんだって言うの?」
櫻子は恵理子にいう。
「サダカは、イスラムのおしえでは、当たり前のことよ。なんにも繋がりのない人に、お金を寄付して、貧困者と困難を分かち合うのが、当たり前のことなのよ。それを弟さんは、実行しただけのこと。それは、問題ないわ。」
「問題ない?私はそのせいで、大事な弟をなくしたの。弟は知らない人になんで大金を送ったの?あなたが余分なことを仕組んだからでしょう?イスラムの世界では当たり前かもしれないけど、この日本では、たぶらかすだけなのよ。それは、わかっていらっしゃるの?」
恵理子は櫻子に食って掛かる。
「そりゃそうね。日本人は家族と他人は別と言う考え方だからね。でも、あたしたちの教えでは、家族以外の人にも寄付しなければいけないことになってるの。それのお陰で他人同士助け合って生きていけるのよ。それは、日本にはぜったいない事じゃないの。だから、あたしは、弟さんにそれを教えたのよ。」
と、櫻子はいった。
「あなたなぜ、怒ってるの?弟さんがあなたのことを意識の中に入れてなかったからでしょ?それは、私のせいじゃないわ。ただ、私はクルアーンに書かれていることを言っただけですからねえ。それを怒っても仕方ないわよ。」
「あたしは、怒っている訳じゃないわ。ただ、弟のことが、心配で。」
恵理子は櫻子に負かされてしまったようにいった。
「そうかしら。私には単に弟さんをとられて、悔しがっているようにしか見えないわ。弟さんが、自分ではなくてただの他人に、そうやって自分の財産を、寄贈したのが悔しくてならないのよ。その原因を作ったのが私とでも言いたいんでしょう?」
櫻子に言われて、恵理子は、ガクッと落ち込む。
「そういうことではなくて、、、。」
「もっと自分の思いに素直になってもいいのよ。きれいなことだけで片づけられないのが、人間ですからね。きっと、弟さんが、お金を寄贈した人は、きっと、あなたよりもすごいことをした人なんでしょうね。」
櫻子にそういわれて、恵理子は、さらに落ち込んだ顔をした。
「弟さん、あなたのことは忘れてはいなかったわよ。ただ、私に相談を持ち掛けた時、こういっていたわ。お姉さんの事は、とても感謝している。でも、僕は、僕の歌をかいていたいのであって、姉のことは、もう切り離して、自分の人生を送りたい、と。」
つまり、何処かのタレントの言葉を借りて言えば、「遅れてきた反抗期」だったのかもしれない。
「もう、自分一人で十分に生活できるほどの、資金も得たのだから、お姉さんの世話をしなければならないことから、自由になりたいんだと思ったんじゃないかしら。 彼もまだ、デビューした時、15か、16そこそこでしょ。それで、やっと、お姉さんの呪縛から、解放されたとでも思ってしまったのよ。一度、その快楽を味わうと、もう二度と同じところに、戻りたくないと思うでしょうよ。もしかして、其の思いと、お姉さんとの思いとの葛藤で、彼は自殺に至ったのかもしれないわね。そういう事は、結構あるじゃない。家族の絆というのは、不思議なものよ。」
「そんな風に簡単に変わってしまうことが在るのかしら。」
恵理子は、そういったが、櫻子の出した結論はまるで変わらなかった。
「それでは、そういうことだと思って、弟さんのことを、受け入れていくべきね。それでは、もうここまでにしましょうか。私たちも、サークル活動を続けなければならないのでね。」
と、櫻子は、踵を返し、再び踊りの指導を始めてしまった。恵理子は、又スーフィーダンスを続ける彼女たちに、逃げるような感じで、その場を離れていった。
一方そのころ、製鉄所では。
「もう、本当によく倒れるな。」
と、杉ちゃんがあきれた顔をして、水穂さんに言っていた。
「まったく、ご飯を何も食べないからですよ。幾ら肉魚一切抜きで生活すると言っても、ほかの食べ物で、栄養を取ることは必要なんですよ。其れなのに、何も食べないで、食べる気がしないなんて言うから、そういうことになるんです。」
と、ジョチさんが、大きなため息をついて、そういうことを言った。
「ごめんなさい。一寸、頭がふらふらしただけで、それ以外には何もありません。其れだけの事です。」
と、布団に寝転がったまま、水穂さんが言った。
「だから、それだけじゃダメなんですよ。其れよりも、ご飯をしっかり食べるとか、処方された薬をちゃんと飲むとか、そういうことを、日ごろからちゃんとやっていけば、いくら重い病気であっても、しっかりやっていけるはずなんですよ。」
ジョチさんがため息をついてそうつづける。
「それに、帝大さんにも来てもらったけどさ、相変わらず栄養不良が続いているそうじゃないかと言って、あきれてた。こんな時代に、栄養失調なんて、拒食症とか、そういう病気のひとでない限りないってさ。」
杉ちゃんが、頭をかじって、そういうことを言った。
「まあ、沖田先生も、古い時代のひとですから、そういう古典的な見方をしてしまうんでしょうけど、確かに、栄養失調で倒れるというのは、なかなか前例がないことですよ。悪性腫瘍とか、生活習慣病とか、そういう事で倒れるというのは、よくわかるんですけど、このようなことで倒れるなんて、全国ニュースで報道される可能性もありますよ。」
ジョチさんが、やれやれとため息をついた。すると、インターフォンのない玄関扉がガラガラとあいて、水穂さん大丈夫と言いながら、飛び込んでくる音がする。
「ああ、由紀子さん。今日は大丈夫ですよ。幸いすぐに意識を取り戻してくれましたから、本人の言う通り、頭がふらふらとしていたのだと思います。」
と、ジョチさんが言うと、由紀子は急いで鞄の蓋を開けた。
「ほら、これ、これ飲んで!」
由紀子が取り出したのは、たんぱく質の飲料だ。健康食品という感じを排除した、キャラクターの絵のついた、可愛いパッケージになっている。
「はあ、何だこりゃ。」
と、杉ちゃんは苦笑いをした。
「タンパク質飲料、バニラ味ですか。」
ジョチさんが、そういうと、
「ええ、バニラ味だけではありません。イチゴ味とバナナ味もありました。水穂さんが、どの味が好きなのか確認するのを、私、動転してしまって、忘れてしまいましたけどね。とにかく、飲んでください!」
と、由紀子は、パッケージの蓋を開けて、水穂さんの前に突き出した。水穂さんは、ジョチさんに支えてもらいながら、布団の上に起き、由紀子からそれを受け取って、中身を飲み込んだ。
「おいしいですか?」
ジョチさんが聞くと、
「ええ、まあ、飲めない味ではないです。」
と水穂さんは答える。つまるところ、おいしいということではないらしい。
「そんなこと言わないで。栄養を取らなきゃいけないんだったら、もうこういうものに頼るしかないじゃない。そういうものがあるんだから、頼ってもいいのよ。私、水穂さんが、飲む意思があれば、大量注文してもいいわ。10本で、40万という金額だけど、だって、ある人から、お金をもらったんでしょう?」
「ああ、由紀子さん、あのお金ですが、あれは医療財団に寄付してしまいました。だって、あんな大金持ってても、しょうがないと思うからです。」
と、ジョチさんは、サラリといった。由紀子は、なんでまたと思ってしまうが、中身を飲み終わった水穂さんもはいと言った。
「なんでまた、そんなところに寄付してしまったんですか?」
と、由紀子が言うと、
「ええ、だって、持っていても仕方ないと思いましたから。僕たちも、よくわからないんですよ。あの瀧本という青年が、なぜ水穂さんに送金したのか。まあ、いらないもらい物は、持っていても仕方ないということで、其れなら、慈善事業に役立ててもらおうと。」
と、ジョチさんが答えた。
「なんで、理事長さんがそういうこと言うんですか。せっかくもらったチャンスを棒に振るなんて、、、。私は、これは治るためのチャンスだと思ってたのに。」
由紀子がまた涙をこぼしたが、
「そうだねえ。そういう考えの違いってのは、人間じゃないと出てこないわな。ツーと言えばカーで返ってこないのが人間ってもんだ。」
と、杉ちゃんがいきなり言った。
「どういうことですか?」
ジョチさんが聞くと、
「だからあ、事実に対して、その通りに動けないってこと。だから仏法でも掲示されているのによ。だって、瀧本和也君が、水穂さんにお金を送金したという事実しかないのに、由紀子さんは、治るチャンスだと解釈し、お姉さんの瀧本恵理子さんは、弟が自分を裏切ったと解釈している。」
と、杉ちゃんが、言った。
「ああなるほど。つまり、人間には、自分の思いというものがあって、それらが人によって違うということですね。それは確かに、ありますよね。人によっては、なんでこんな解釈をするのだろうと、こっちがびっくりするくらい、変な解釈をしてしまう人もいます。」
ジョチさんもそういうことを言った。
「僕は、思うんだがね。なんかあの女性、弟さんが自分を裏切ったこと、知ってたんじゃないかなと思う。あの、中村櫻子さんのもとへ通っていたのも、知っていたんじゃないかなあ。それで、だんだん弟が、自分のもとから離れて行ってしまうのを、何だか悲しんでいたというか、恐れていたんじゃないの?」
と、杉ちゃんは、腕組みをした。
「あの女性とは、瀧本恵理子さんですか。敬一の店に行ったとき、確かに彼女、泣いていましたけど、どうも大げさすぎるとは確かに僕も思いましたね。まあ確かに、イスラム教という、日本では、まるでなじみのない宗教の指導者に相談に行ったとなれば、多少心配してしまうのだろうなと思うんですが。」
ジョチさんも杉ちゃんの話に同調する。
「多分きっと、瀧本和也君は、お姉さんから自立したと思ったんだと思います。水穂さんにお金を送ったことで。それでお姉さんは、慌てたんでしょうね。実際、お姉さんは、精神疾患があって、和也君がデビューする直前まで、一緒に暮らしていたと聞いてますよ。で、和也君のうたがヒットしたのと同時に、別居したとか。」
「そうなのかあ。それじゃあ、お姉さんは、確かに不安だったんだろうな。和也君が、お姉さんのもとから、離れて行ってしまうということに。そして、和也君が、頼りにしていた人物が、意味不明な宗教の指導者であったとなれば。」
杉ちゃんとジョチさんがそういうことを言い合っていると、
「彼は、とてもやさしかったんでしょうね。だって、とても素直じゃないですか。櫻子さんの指示通りちゃんとやっているんですから。それで、見ず知らずの僕のところに、送金してきたんですから。」
と、水穂さんが言った。
「そうなんですよね。現代の若い人の特徴と言いますか、こんなんに立ち向かう力は弱くなっているけど、他人に対して、優しいとか、素直に従うということだけは、強化されてきているようですね。それは、仕方ないと言えば仕方ないんですが、それを実行させてくれる媒体が、今度の事件のカギになっているんじゃないかなあ。」
「ほんとだねえ。」
ジョチさんと杉ちゃんは、改めてそういうことを言い合った。
そして翌日。恵理子は警察署に呼び出された。華岡から、捜査が終了したという、報告を受けるためだ。
「色いろ調べてみましたが、やはり弟さんは、自殺の線が高いと思われます。確かに遺書は発見されておりませんが、部屋を物色されたあとがあるわけでもないので。」
と華岡は、これまでの捜査経過を話し始めた。
「弟さんが、自殺する前日、芸能事務所の方と口論したそうです。歌を作りたいけれど、もう恋愛の歌を作りたくないと。事務所の方は猛反対したそうです。小山田和也は、これまで通り、恋愛歌の路線で行かなければ売れないとね。まあ、決め手はそこだったんだろうと思います。」
「はあなるほど。で、その前に、イスラム教の団体と交流があったとは?」
と、杉ちゃんが、お茶をがぶ飲みしながら、そういうことを言った。
「はい、歌がヒットして、弟さんは、お姉さんに送金し続ける生活をする必要もないのではないかと思うようになったのだそうです。ところが、芸能事務所の方々に訴えても誰も、聞いてくれなかったそうです。だから、インターネットかどっかで、櫻子さんのウェブサイトを見つけたかしたのでしょう。そこから、中村櫻子さんとの付き合いが始まりました。イスラム教の教えに基づき、サダカをすることから始めさせた、櫻子さんの指示通りにうごけば、彼は自分が幸せになれるとでも思ったのかな。それで、櫻子さんと一緒に、いろんなところに行くようになったそうですね。櫻子さんのサークルのメンバーさんにも話しを聞きましたが、あなた、姉として、彼がそのようなところに行ってしまうというのが、心配していたと聞きましたよ。あなた、本当に、何も知らなかったんですか?」
華岡が聞くと、恵理子は、ええ、と小さい声で言った。
「ええ、本当は、薄々気付いてました。弟が、そういうところに行っていること。でも、弟は、私に何も心配しないでと言ってました。でも、私は、どうしても心配で、弟が変なところに行って、洗脳されてしまうのではないかと思ってしまいました。」
「ほらやっぱり!お前さんは、弟さんの事知ってたんだ。」
と、杉ちゃんがでかい声で言った。
「そうですね。幼い時からあなたは弟さんとずっと一緒にいたそうですね。弟さんは、精神疾患で苦しむあなたを見て、お姉さんを助けるのは自分しかいないとも公言していた。逆にそれは、お姉さんであるあなたには、最後の砦のようなところもあったでしょう。ところが弟さんがデビューして、莫大なお金がお宅に入ってくるようになると、弟さんは、自分の存在意義に悩むようになった。それを、解決してくれたのは、イスラム教の指導者であった中村櫻子さんだったんですね。其れが、正体の知れない宗教だったので、あなたは、弟さんを逆に追い詰めてしまい、弟さんを自殺に追いやってしまった。これが事件の概要でしょう。そうじゃありませんか?」
と、華岡が警察官らしく、きっぱりとそういうことを言うと恵理子は、はいと言って、小さく頷いた。
「実は櫻子さんが教えたのは、サダカだけではなかった。それはお前さんも知っているな?」
と杉ちゃんが、にこやかに笑って、恵理子にいう。恵理子は、何の事でしょうか、という顔をした。その顔を見て、杉ちゃんは、一寸からかうように言う。
「あれ?しらないの?あ、もしかして、和也君が、イスラム教の教義にはまっているということしか見てなかったな?」
「知りませんでした。私はただ、磯野水穂さんという、不幸な境遇の美しい人に、喜捨を施したということしか。」
杉ちゃんが言うと、恵理子は、一寸とぼけたような顔をした。
「そうか、じゃあ教えてあげます。櫻子さんと一緒に、僕のうちへ来ている。なんでも、お前さんの帯を一本、作り直してあげたいと言って、それでやってきたんだ。きっと、櫻子さんは、今まで自分の世界ばかり表現し続けてきた和也君に、人のために何かをすることを教えたかったんだろう。それで、僕のうちへ、帯の作り方を、教えてくれと言いに来たんだろうな。その完成した帯は、和也君が持っていったよ。もう遺品整理の業者がどっかにやってしまったと思うけど、お前さんは、その気持ちも、つぶしたってことを忘れちゃいけないな。」
「そんな、そんなこと、、、。」
恵理子の目にぼわんと涙が浮かんだ。
「あの子が私のためにしてくれたことは、お金を送るしかなかったはずなのに、、、。それに、私は、何とかして、中村というひとから、あの子を解放させてやりたかったのに、、、。」
「まあ、そうですね。幾ら偏見の強いところであっても、教えようとしたことは、一般的にあり得る話だったんだろうな。」
と、机に突っ伏して泣く恵理子に、華岡がそういうことを言った。結論から言ってしまえば、和也君は恵理子が殺したようなものだ。彼女とのすれ違いで、和也君は自殺してしまったようなものなので。
「和也君は、素直で優しくて、本当にいい子だと思ってたよ。彼の優しいところが、彼を追い詰めちまったのかもしれないな。」
と、杉ちゃんは、恵理子さんにそういったが、恵理子さんは、顔をあげなかった。まあ、こういう時はできるだけ泣かせてあげようなと、華岡も、杉ちゃんも話しかけなかった。
「では私はこれからどうしたらいいでしょう。」
と、恵理子がやっと泣き止んでそういうことを言う。
「そうだねえ。弟さんの気持ちをしっかり受け取って、生きていくってのが一番じゃないのかな。きっとそう思うよ。」
と杉ちゃんが言った。華岡も、そうだねえと言って、杉ちゃんの言う通りだとため息をついた。
一本の袋帯が、呉服店に飾られていた。それは遺品整理業者が、精巧に作ったものだからと言って、呉服店に持ち込まれたものであった。
帯 増田朋美 @masubuchi4996
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