第十四章
三十年前に起こった幼稚園での殺戮事件における警察の発表に納得しなかった涼介は、父が殺された事件を独自に調べていた。
元々警察官になろうと考えていた涼介にとってはこの事件を調べることで、素人一人の力の無さを痛感し、ますます警察官になる思いを強くしていった。けれどもその思いには複雑なものがあった。涼介は警察自体への不信感も併せて持っていたからだ。
目の前で父が殺される瞬間を目のあたりにしてしばらく記憶が飛んでしまったほどの心理的ショックを受けた。事件の起こった日から二週間病院に入院し、眠り続けた。母親はその間、涼介につきっきりで看病してくれていた。
意識がはっきりし、何が起こったかを理解した頃には事件はすでに終わったことになっていた。
「石毛さん! 現場から立ち去った白いバンはどうなったの? 見つかったの?」
落ち着いてから犯人が幼稚園を襲う前に乗っていた白いバンのことを思い出し、あの事件の日に駆け付けた警官で、父大介の同僚でもある石毛に対して何度もその事を聞いた。
涼介が入院してこん睡状態である間も、お見舞いとして警察関係者が何度も訪れたようだ。実際には殉職した警察官の家族に対する慰問の意味もあったのだろう。慰めの言葉をかけられるその度に涼介の母は涙を流していた。
病院に訪れる警察関係者の中で、涼介達親子に一番親身になってくれたのが彼だった。涼介の父大介より二つ年下の石毛は、大介をとても尊敬していたという。
正義感溢れ、厳しくもあり、また温かく優しい面を持つ大介を兄のように慕っていた彼は、警察本庁からも涼介達の家族に対するケアなどの役目を託されていたようだ。
何度も病院を訪れる彼に涼介は、事件当日に見た白いバンのことを何度も話をしたが、その後の新聞やテレビの報道では全くその点には触れられていなかった。
「涼介君、そのことは調査中だから君が心配しなくていい。警察が調べているから」
彼は涼介に同じ言葉を繰り返し言い続けるのだが、その時の表情は何かを隠しているように涼介は感じていた。
涼介にはもう一つ心に引っ掛かる点があった。それは父が犯人に首を切られた後に起こったことである。その瞬間から意識が遠くなってその時の記憶が曖昧になっていたのだが、時間が経つにつれて父は拳銃でも撃たれたのではなかったか、と思い出したのである。
父が切りつけられた後、一発の銃声が鳴った時、犯人はのけ反った。おそらく犯人の背中に命中したのであろう。その後続けて二発の銃声が聞こえたはずだ。
そしてそのうちの一発が犯人の腰に命中したという記憶がある。そこまでは新聞などでも報道されていた。
そこからの報道と涼介の認識の違いは、涼介の記憶では発砲されたもう一発は、父に命中したと思っていた。右手を切られて膝をついたため、犯人の腰に当たった銃弾と近い位置にあった父の左胸に、犯人からそれた弾が誤って当たってしまったのだと思いだしたのである。
報道ではそれた弾は別の所で発見され、父に弾が当たったということはどこにも書かれていない。父はあくまで犯人に切り付けられた首筋の傷から出血多量による死亡と診断されていた。
白いバンのこととは違い、一時記憶を無くしこん睡状態に陥るほどあまりにも衝撃的な瞬間であったために、涼介も自分の記憶が定かであるとは思えず、その事は石毛にも誰にも話してはいなかった。
事件はすぐに心神喪失者による無差別殺人として判断され、しばらく世間を騒がしていたこの事件は、次から次へと起こる凶悪犯罪や政治、企業の不正事件などの影に隠れ、一年も経たないうちに人々の記憶から消えて行った。
父の事件に漠然とした疑問を持ちながらも、当時中学生だった涼介には何もできず時間だけが経過し、本当の真実を知ることになったのは、大学卒業後、国家一種を合格し警察庁のキャリアとなってある職場で「藤堂」と出会ってからのことである。
「君は殉職された岸大介警部の息子さんの岸涼介警視だね」
キャリアである涼介はこの時すでにノンキャリの父が殉職して得た階級を超えていた。
「藤堂」は涼介の新しい部署の上司であった。警察に入ってから父のことを口にする警察官はキャリアの中ではほとんどいなかったため、涼介は喜んだ。
しかも「藤堂」は、事件のことを知っていただけでなく、ノンキャリである交番勤務の一巡査部長の父と面識もあったというのだ。
涼介は日々の業務の中、「藤堂」との人間関係を深めていたある日、誰もいない二人きりの場所で「藤堂」から衝撃の一言を聞いた。
「お父さんの本当の死の真相を知りたくはないか」
警察庁に入った後しばらくして秘かに父の事件を警察がどう処理したかを調べていた。その時すでに事件から十年の月日が経っていた。
涼介が調べるうちに、やはり拳銃は三発撃たれた内、一発は父に誤って当たっていたことが判った。しかも死因は誤射されて胸に当たった拳銃の弾によるものという診断もされていた。
ただ犯人に切られた首の損傷とそこからの出血もひどかったため、銃弾に当たらなくても死亡していた可能性も大きいとの判断がされていた。
当時、警察としては心神喪失者の大量殺人事件の裏に警察官の誤発砲による同じ警察官射殺というスキャンダルを隠すために、三発のうち一発は別の所で発見されたと発表したのである。
また威嚇射撃なくいきなり発砲した羽山巡査を減俸などの処分をした後、自主的に退官したようにして警察を辞めさせていたことも判った。
そこまでは同じ警察内部にいたことでなんとか調べあげることができた。けれども涼介の見た白いバンに関しては全く調査された形跡が無く、当時記憶障害に陥っていた少年の発言は信頼のおけるものではないと無視されていたのではないか、と推測していた。
警察のスキャンダルを隠すために早々に事件を終了させたかった警察が、犯人死亡を理由に詳しく調査しなかったのも無理はないと、今は警察の上層部という立場にいる涼介は客観的にそう判断していた。
父の死もやはり弾が当たっていたことは判ったが、それが無かったとしても死亡していた可能性が高かったことは涼介も現場を見ていて理解している。
母は警察庁に入ったばかりの頃ガンで亡くなっていたこともあり、今の涼介には身寄りは誰もいなくなっていた。そのため父の死亡した事件へのわだかまりが少しずつ小さくなっていた矢先に「藤堂」から声をかけられたのである。
「藤堂」に父の死について触れられた時、涼介は素直に独自に調査をして父の死の真相を知っていることを告げた上で言った。
「真相を知ったところで今さら警察を恨むだとかそんなことは言うつもりは自分にはありません。現時点でキャリアである私が同じ局面に出会ったならば、同じ判断をしなかったと言う自信もありません」
すると「藤堂」は黙って持っていたカバンの中から書類を出して涼介に見せた。それはあの父の事件の調査資料の一部であるようだ。しかし初めて見るものであることは確かだった。
「この資料が何か?」
「藤堂」に尋ねると、黙ってまず読んでみろ、と言われた。その通り資料に目を通すと、驚くべき内容が書かれてあった。そこにはあの事件で明らかにされていなかった事件の疑問点が書きつづられ、その疑問点を明らかにする途中までの経過が書かれていたのだ。
第一に涼介の見た当日現場近くに止まっていた白いバンのことが書かれている。やはり、白いバンのことを警察は調べていたのだ。事件当日は激しく雨が降っていたため、そのバンのナンバーなどははっきり分からなかったが、涼介の他にもバンの目撃証言があったと記されている。
さらに、犯人のテルユキの家の近くでも同じ様なバンが発見されていたという目撃証言もあった。残念ながらバン自体は発見されなかった、と調査書には書かれている。おそらくスクラップなどで処分されたのでは? という調査した人間の手書で走り書きされていた。
第二に、犯人のテルユキが殺したとされるテルユキの一家の四人の死亡時刻が事件当日の午前三時頃となっている点。
事件当日は激しく降る雨の音が大きかったのか、周囲の家族は全くその惨劇に気づかなかったという。しかし午前三時の夜中に雨の音が大きいというだけで祖父母に父と母の四人を滅多刺しで殺害された四人は大きな声を全く出さなかったのだろうか。
そしてもう一人いた妹の死亡推定時刻だけは朝の八時頃という検死の結果が出ている。その時間はテルユキが幼稚園を襲う直前と思われるが、それならどうして妹だけが夜中の三時から朝の八時まで生かされていたのか。
さらに妹だけは検死の結果、他の四人とは違う包丁で殺されている事が判っている。祖父母、両親を殺した包丁は幼稚園襲撃のときに使った包丁と同じとされているが、なぜ妹だけ別の包丁で殺されたのか。
また妹のミユキの腕や足にはアザがあり、複数の人に抑えられたような圧迫痕があるということと、口の中からタオルの繊維が発見されたとも書かれている。
そこから、妹は何者かにタオルを口に詰められ、身動きできないよう取り押さえられていた可能性があるとも調査書には書かれていた。
第三に、事件のある二ヶ月ほど前から、人相の悪い男達がテルユキの家の周辺や通院している精神科の病院で何度も目撃されているという。その時にも白いバンも目撃されていた。
第四に精神科に通院歴があるというテルユキであるが、通っていた病院の主治医などの証言から、テルユキの症状は軽度のものであり、通院歴も半年ほどで、入院するようなこともなく月一度の定期診断で投薬治療を行っていたと判っている。
しかも症状は徐々に改善しており、投薬の量も減ってきている状態であったため、いきなり一家惨殺の上、他に七人もの死傷者をだすような患者だったとは信じ難い、というものであった。
現にカルテや投薬されていた薬の成分や量なども別の専門科で調べたところ、発作的に起こした事件の可能性はゼロとは言えないがかなり低いものだとの見解が出されている。
ではなぜ、テルユキは突然そのような凶行に及んだのか。
ここまで調査書では無差別殺人を起こしたテルユキ自身とその周辺に関しての疑問点が調べられており、確かに不審な点が多すぎて単なる異常者による犯罪とは言い難いことが理解できた。涼介はさらに調査書を読み進めると、そこからはテルユキに殺された被害者についての疑問点が記されていた。
第一にテルユキの身内以外の死亡した四人の被害者の中で榎木秀子、榎木光男という親子がいるが、この秀子の夫は裁判所に勤める判事であり、当時、ある大物暴力団の幹部と外務官僚との黒い疑惑事件の裁判に関わっていたことが記されている。
事件の後で妻と息子を亡くしたことが影響したのか榎木判事は、途中でその裁判の担当から外れていた。特筆すべきはこの裁判に関わる判事達が榎木判事を含め再三再四、脅迫や嫌がらせを受けていたということだ。
そして裁判の結果、その大物暴力団の幹部の一人は証拠不十分で別件による罪でかなり軽い刑を受けただけで済んでいたことも詳細に記載されている。噂されていた官僚に関しても証拠不十分で不起訴となっている。
また同様に、事件の起こった幼稚園から歩いて十五分の所にある榎木判事のマンション近くでも、事件の起こる一か月前から怪しげな男達が目撃されているという証言も得ていた。
加えて、もう一人榎木判事には当時一歳の友美という娘がいた。いつもなら秀子、光男と友美の三人で幼稚園へ行くのだがその日に限って娘の友美がぐずった為に同じマンションの住人が友美を預かっていたために助かったとのことだった。その娘も後日、病気で亡くなっていた。
第二に書かれていたのは涼介の父のことである。涼介の父の死因などは、涼介の調べた通りの記載が書かれていたが、読み進めていくうちに、発砲した警官の羽山巡査がギャンブルによる多額の借金を抱えていて、警視庁内での監察調査対象として名前が上がっていた。
しかも幼稚園での事件の一ヶ月ほど前に借金の大半が返済されていたことが書かれている。そのことで監査を受けた羽山巡査は競馬で大きく儲かったため返済したと供述しているが、その裏付け調査の折、涼介の父大介も調査員として名前が挙がっていた。
その後、発砲事件があり羽山巡査は退職してしまったが、退職して約一カ月後にひき逃げ事故に遭い、死亡したと書かれてある。引き逃げの犯人は捕まっていないとのことだ。
ここまで読んだ涼介の顔は、真っ青になっていた。この調査書を読む限り、あの事件には裏があり、仕組まれた犯罪だったという推論が成り立ってしまう。
さらにその仕組まれた犯罪は、精神科に通う青年の無差別殺人を装い、榎木判事の妻と子供の皆殺しを画策し、さらに偶然に通りかかったはずである父も、実はこの計画殺人のターゲットとして羽山元巡査に殺されたのではないかとまで言わんばかりのものであった。
「こ、これは」
涼介はやっとここで調査書から目を離し、「藤堂」の顔を見上げて、擦れた声でそう聞いた。
「私は当時、外務官僚のある男を調査する過程で暴力団とつながっていることを知った。上からの命令で、極秘にマークしていたら、ある日おかしな行動をしだした。あるマンションとある一軒家、その近くにある幼稚園、そして病院の周りをうろつくようになったんだ。私は当時、一捜査官として奴らの不可解な行動を把握していた。それなのに私は別件の捜査が入り、奴らのマークを俺が他の捜査官と交代して二日後、あの事件が起こってしまったんだ」
「藤堂」は唇を噛み、悔しそうに当時のことを説明してくれた。
「俺が別件の捜査でしばらく東京を離れていたため、事件の概要を知った時にはもうすでにあの事件はただの無差別殺人として片付けられていた。俺が交替した捜査官を含めた奴らもあの事件の背景をある程度把握していた上で、それを黙殺したんだ」
涼介はその事実を聞き、愕然とした。
「これ以上の真実を明らかにするために、お前は自分の命を賭けて調べる覚悟はあるか?」
「藤堂」は姿勢を正し、感情を抑えながら真っ直ぐに涼介の目を見て言った。
「この調査書を書いた刑事はもうこの世にいない。私の部下だったその男は調査を進めていく中で変死体となって二年前に東京湾で発見された。もともと裏の公安部隊に所属していたその男は、警察官であることも秘匿されていたため、ただの身元不明の死体として処理された。お前にはそうなってもいいという覚悟があるか」
もう一度、真剣な眼で「藤堂」に見つめられた涼介はしばらく答えに窮したが、意を決して答えた。
「私にはもう身内は誰もいません。尊敬していた父がこのように秘密裏に殺されていたのであれば、私はそいつらを決して許せません。命を賭けて真相を明らかにし、必ずその人間達を罰して見せます。例え何年、何十年とかかろうとも」
「藤堂」は頷いた。その瞬間から涼介は『セイフプレイス』の一員となり、警察の中での影の存在となって様々な調査を行った。
そしてこの事件の黒幕が、当時暴力団との黒い噂があった外務官僚の河原源蔵であること、実行犯はやはり榎木判事が関わっていた暴力団の幹部で、
涼介は多賀見組に潜入した。幼稚園での殺戮事件の黒幕は、榎木判事が受け持っていた裁判で被告人であった加賀見組幹部とその関係を疑われていた外務官僚の河原源蔵であることは「藤堂」達の調査によって推測できた。
後はどのように指示され実行されたのか、他に隠された事実はないかなどの事実確認とその証拠を掴むことが必要だった。
それらの情報を探るために、涼介は多賀見組の企業舎弟である
後々判明したが秋津河商事は河原浩司が務めることになる大手商社の関連子会社の主な取引先でもあった。古くからこの会社を通じ、河原と多賀見組は繋がっていたことになる。
涼介は半年間、平凡な事務員を装いながらも、パソコンが普及し始めてもまだまだ中小企業では使いこなせていない時代、頭の良さでそれらの機能を使いこなし、また空手をやっていたことの腕っぷしをたまたま港湾の腕に自信のある素人のおっさんを相手に ― これは組織の仲間と組んでのやらせだったが ― 喧嘩をしてアピールすることで、次第に多賀見組の信用を得て裏取引に関わる仕事を徐々に任されるようになった。
外見は若い頃からとっちゃん坊やと呼ばれた涼介の顔はヤクザの警戒を解くことに役立ったようだ。
涼介が多賀見組に潜入して一年が経ったある夏の暑い日に、多賀見組と敵対する広域暴力団
「おい、涼介! こいつをしばらく見張っていろ!」
突然多賀見組の男数人が、縛り上げた中学生くらいの男の子を、秋津河商事の港にある隠し倉庫の一つに連れて来てそこの奥にある一室に放り込み、その見張りを涼介に指示した。そして外に数人見張りを立てて置くからと言い残し、男達は倉庫から出て行った。
指示された通り一人で子供を見張っていると、涼介の携帯電話が鳴った。
まだこの頃、普及しだしたばかりの小型の携帯電話を、組織から連絡用として秘かに涼介は持たされていた。
見張っていた扉から距離を置き、恐々と使い慣れていないその電話に出てみると、相手は「藤堂」であった。
「涼介、今いいか?」
「ハ、ハイ、大丈夫です」
声を抑えながら緊張して携帯電話に向かって頭を下げる涼介に藤堂が聞いた。
「今、お前、中学生くらいの男の子を見張ってはいないか?」
あまりのタイミングに驚く涼介をよそに、「藤堂」はその子供は広域暴力団川竹組の幹部の子供であると教えてくれた。中学一年生のその子の名前は後藤兼次といった。兼次と涼介の始めての出会いはこうして始まったのだ。
「多賀見組を別件でマークしていたら、その子供が拉致されたことを知った。警察組織とは別の動きを私達はしていたため、表だって阻止することもできず、後をつけたらお前達が管理する倉庫に入って行き、お前もそこに入っていったことを確認したんだ」
「藤堂」は涼介にそう説明し、兼次は川竹組幹部の隠し子で、非常に父親が寵愛している子供であることを教えてくれた。加賀見組は川竹組との抗争で、その幹部の弱点、弁慶の泣き所を狙ったようだ。
加賀見組は幼稚園殺戮事件でもそうだったが、非常に残忍でありながら緻密に頭脳を働かせる集団であり、そこが官僚と強い結びつきを持って台頭してきた組織の強みであったようだ。
多賀見組は涼介達の件だけではなく他にも多数の事件に関わり、涼介達の組織にとっては長年からの復讐ターゲットであった。
逆に広域暴力団として力を持っている川竹組は、組織としては大きいが昔ながらの任侠ヤクザであり、それまで涼介達の組織とは何も敵対することはなかった。
そこで、この情報を得た「藤堂」はあることを考えていた。
「涼介、お前その子供をそこから助け出すことはできるか?」
「藤堂」は兼次を助けることで、今後、川竹組を組織の裏の仕事での味方につけることを考えたのだ。そして涼介に後藤兼次の救出できるかを尋ねたのだ。
「今、倉庫の中には私一人で、鍵も私が持っていますが、倉庫の外には組の連中がうようよしています。私一人で今助け出すのは難しいですね」
「そうか」
「藤堂」は少し黙った後で涼介に聞いた。
「これからも、子供の見張りはお前が続けることになりそうか?」
「長引くようであればもう一人ぐらい交替するかもしれませんが、基本的にはこの倉庫の管理は私が任されていますし、最近多賀見組からの信頼も得ています。食糧さえ他の人間が運んでくれるように依頼すれば、ずっとここで見張ることを主張するのは難しくないと思います」
「だったら、夜になるまで何とかその子供をそのまま無事見張っておいてくれるか。夜になったら警察を使うなりして外の連中をそこから引き剥がしてみる」
「判りました。私達は闇夜に紛れて脱出する訳ですね」
「そうだ。その時が来たら連絡する。念の為に武器は持っているか?」
「ここは隠し倉庫の一つです。拳銃もいくつか隠されていますからそいつを持ちだして使うことにします。それより私が明らかに裏切って逃げたりしたら、多賀見組へのせっかくの潜入が無駄になりますが」
「いや、それはいい。涼介もそこに潜入して一年以上経つ。それまでに海外からの違法取引の情報をかなり吸い上げてくれた。幼稚園殺戮事件に関してはそれほど多い情報は得ていないが、その情報を取り込むには組の中にもっと深く入り込む必要がある。その役目は涼介には危険すぎる。そろそろ潮時だ。他の者に任せる時が来たと考えよう」
そう言って電話は切られた。
「藤堂」の言葉に納得しきれない部分があった。あの幼稚園殺戮事件に関して命を賭けて情報を取るために涼介は多賀見組に近づいたのだ。かなり多賀見組の信頼も得始めてきたところでこの任務を投げ出すのはあまりにも勿体ないし、まだ肝心な情報はそれほど得られていない。
一方で、「藤堂」が言った役目ができるのも自分しかいないということも理解できた。この子供はいつ殺されるかまたいつ他の場所に移動させられるか判らない。それに「藤堂」の思惑通り広域暴力団の川竹組を味方につけることができれば、組織としては本当に大きな力を得ることになる。
涼介達の組織に必要なものは、あらゆる業界での大きな力だ。政界、財界、司法界、または裏社会など様々な分野で大きく力を持つものが、『隠された犯罪者』である。その『隠された犯罪者』によって生み出される涼介達のような『隠された犯罪被害者遺族』がその勢力に対抗するには、それらと同等、またそれ以上の力を持たなければならない。
「藤堂」を含め、涼介など警察の中にも組織の人間は増えてきた。一度紹介されたが、政界の阿川先生や司法界の榎木判事、医師会の飯尾先生などそれぞれの業界で大きな力を持ちつつある人々も組織にはいるようだ。しかし、その勢力はまだまだ小さなものだ。闇の世界に立ち向かうにはまだ力不足であることは涼介自身も感じていた。
だから「藤堂」の立てた作戦が大きな成果を得そうであることは涼介にも予想できた。
川竹組は裏社会で大きな勢力を持ったヤクザではあるが、その組織には人情に厚い昔堅気のヤクザが多い。ヤクザとは本来、国が面倒見切れない庶民の細々とした紛争や法律で及ばないようなことを取り仕切る必要悪として生まれたものだ。時代が変化する中でその役割も変化してしまったが、涼介達の組織が求める理念は昔の任侠ヤクザに近いはずだ。
涼介は頭の中ではそう理解できたが、ただ己の復讐心を抑える気持ちの整理がつきかねていたが、結局涼介は「藤堂」の指示通り、この子供を助け出すことに腹を決めた。
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