世界で一番美しい

みどりこ

第1話

 むかしむかし あるところに

 とてもわがままなお姫様がおりました。


 お姫様はちょっと生意気そうにつんと顎を持ち上げて、豪華な椅子から家臣達を眺めました。

『私は世界で一番美しいものを見たい。おまえたち、探してまいれ』

 家臣達は伏せた顔をお互いこっそり見合わせました。

 今までに姫君の無茶な注文は数多ありましたが、なかでもこれはとびきりでした。

 案の定、大きな宝石も豪華なドレスも、国一番の絶景も、姫様愛用の扇子でゴミの様に追い払われました。


「そのような凡百の品で私が満足すると思うのか!」

 姫君はいたくご立腹。

 国王陛下にとりなして頂こうにも、陛下は姫君を溺愛するゆえに嫌われるのが恐ろしくて強く出られぬ御始末。

 このままでは財政にも国政にも深刻な打撃になりましょう。

 家臣達は、下は地方領主の小間使いから、上は陛下の側近、城の博士達まで、全員が知恵を絞って考えました。

 なんとか姫が納得するもので、ここが重要なのですが……なるべく安く済ます方法は無いものか?

 あれこれと考えた末に、皆がこれはと思う三つが用意されました。


 一つは博士が考えました。

 本物よりかなり美しく描かせた姫の肖像画。

 プライドの高い姫は、よもやご自分を『美しくない』とは言い切れますまい。

 博士は自信たっぷりに雪のようなアゴひげをしごき、皆は拍手喝采しました。


 もう一つはお城の庭師が考えました。

 まだ誰も見たことのない、彼が手塩にかけて育てた新種の大輪の薔薇を、皆は息を呑んで見つめました。

 エメラルドを切り取ったような葉に、ふっくらと重たげに枝垂れる幾重にも重なった花びら。一枚ずつを見ればわずかに光に透けて、それはまるで生きた珊瑚か赤瑪瑙あかめのうのよう。

 これなら姫も…みんなは深く頷きあいました。


 最後の一つは姫仕えの騎士が申し出ました。

 普段から姫を良く知る騎士は、姫が珍しい、貴重なものを好むと知っていました。

 そこで深山に住まう森の種族に掛け合って、人の手ならぬ素晴らしい細工の腕輪を一つ手に入れて来ました。

 つやつやと輝く木のレース。人では加工できない魔石の飾り。

 誰しもこの若い騎士の人徳と、腕輪の素晴らしさを讃えずにはいられませんでした。


 それら三つの品は紺青こんじょうの絹を被せられて、姫の元へ運ばれました。

 玉座の姫は、不機嫌な顔を広げた扇子で半分隠し、ほとんどそっぽを向いて大臣の奏上を聞いていましたが、

 品々が運ばれて来るとたちまちパチンと扇子を閉じて、目の前に玩具をぶら下げられた仔猫のように顔を輝かせ、さっと姿勢を正しました。

「ああ、待ちかねた。大臣、早う布を取って中身を見せなさい!」

 玉座から飛び出さんばかりの姫に、手応えを感じた大臣はいそいそと一つずつ布を取りました。


 品物が一つ現れるたびに姫は息を飲み、ため息をつき、頬を紅潮させました。


 柱の影や豪華な調度品の陰にかくれて成り行きを見守っていた家臣たちは、その様子にほっと息をつきました。

 姫はきっと、いずれかを気に入ることでしょう。そして、今回の姫のきまぐれはやっと終わり、国庫は救われるのです。


 しかし、姫は最後に長い長いため息をついた後、深ぶかと玉座に身を沈めてこういいました。

「おまえたち。『世界で一番』を三つ持ってきてなんというつもりか!」


 ――――!!!!!


 その場に居たものは一人残らずいっせいに青ざめました。

 まさに姫の言うとおり、世界で一番美しいものが三つあろうはずがない!


 姫はその場にすくっと立ち上がりました。その顔は怒りのあまり無表情で、血の気は失われてまるで陶器の人形のよう。姫の足元にひれ伏した大臣は心の底から震え上がり、隠れていたものたちはみな罪悪感にうちのめされました。

「お前たち、姫をたばかったな!!」


 大臣はなにか言いつくろおうとしました。ですが、そんな時に限って言葉は出て来ず、ただおろおろと口を開け閉めするばかり。


「良い。下がれ。しばらく誰も私の元へ近寄るな!」


 閉じた扇子をぴしゃりとその場に叩きつけ、何者をも寄せ付けぬ風情で姫は立ち去りました。

 がらんとした謁見の間に、やがて隠れていた家臣たちがぞろぞろと現れましたが、そのまま長いこと、だれも言葉を口にしようとはしませんでした。



 姫は一人、部屋の椅子でうつむいてじっとしていました。

 姫は自分がわがままで自分勝手な姫だと自覚していましたが、まったく考えなしというわけでもないつもりでした。

 今回のこととて、『世界で一番美しいもの』が見てみたいという思いは第一でしたが、難題をぶつけた家臣の者たちがどれだけ自分に忠実に動いてくれるものか知りたかったのです。

 かれらは姫よりも国庫を先に考えました。

 わたしは一番ではなかった。さすがに気の強い姫君も落ち込もうというものです。


「世界で一番美しいもの、私がなんとかして進ぜましょう」


 突然声が聞こえて、姫は思わず狼狽して立ち上がりました。

「誰!? しばらく誰も私の元へ近寄るなと……」


 目の前に男が一人立っていました。清潔にはしていますがみすぼらしい服装の、いかにも身分が低そうな男です。まかり間違っても王城へなど立ち入れない風体でした。

 棒のように痩せていて背が高く、乾いた色の金髪。姫はとっさに後ずさりました。

「下がれ無礼者! おまえはどこからここへ入り込んだのです!」

 男はまったく動じません。

 へらっと気の抜けた笑みを浮かべてその場で頭を下げました。

「?」

 いぶかる姫に男は芝居がかった仕草で膝を折って礼をすると、低く落ち着いた声で言いました。

「失礼致しました、私にはお城の召使をやってる従妹がおりまして。その従妹に相談されてこちらへ伺った次第でございます」

「召使の従兄、それはわかりました。では、お前自身は何者なの?」

 幾分警戒を解いた姫は男に仕草で立つように許すと、見上げて問いました。

 すると怪しい男は言いました。

「私は魔法使いでございます」

 姫は思わず笑いました。

「それにしては貧相な。世界で一番美しいものを造り出せる魔法があるならその身なりは

 なんとした?」

 今まで王宮に姿を現した魔法使いは皆金持ちで、力ある石で己を飾り、王族にも負けぬ身なりでした。

「私の魔法は己のためには使えないのでございます」

 男は気を悪くした様子も、かといって嫌味な風でもなく笑って言いました。

 姫はその様子を少し好ましく思いました。

「おまえが魔法使いでも魔物でも、正体は問わぬ。おまえは何を持って来たの」

 男は得たり、とばかりに頷きました。

「持てるような品は何も。さあ姫、私と共にこちらへ!」

 男はその細長い体のどこにと思うような怪力で軽々と姫を横抱きにしたかと思うと、窓を突き破って外へ飛び出しました。それこそ叫ぶ暇もありません。


 いきなり迫る反対側の塔の外壁を蹴り、鮮やかに体を翻し、矢のように空を斜めに突っ切ると、姫を抱いた男は晴れた空にゆっくりと輪を描いて、やがて二人は城のはるか天空を飛んでいました。

「おまえは、おまえはやはり魔物のたぐいなのだな!」

 姫は何度も男の顔でも叩いて逃れたいと思いましたが、眼下に広がる風景はすでにどの山脈よりも高く遠くへ来たことを現していましたので、こらえないわけには行きませんでした。

 さっきまで居た王城が、まるでスプーンでひとすくいしてしまえそう。

「おおかた、最も悪しきものの手先であろう」

「いいえ、魔法使いと申し上げました」

 男は涼しい顔。

 姫は厳しく睨み返しました。

「姫を攫い、何をしようというのか!」

「もちろん、姫に世界で一番美しいものを差し上げるためでございます」

 たまりかねて頬を一打ちしようと姫が振り回した手はあっさりと空振りして、逆に男に捕らえられてしまいました。

 その時、手の中に小さな硬いものを握らされて、姫は拍子抜けした顔で自分の小さな手を見つめました。

 握った感じでは、つめの先ほどの小さな石くれのような感じがしました。

「それが、世界で一番美しいもの」

 にっこり微笑む男を睨み、やがて姫は好奇心に負けて手の平を開いてみました。

「これが?」

 姫の手の上には、感じたとおりのものが載っていました。

 ほんの小さな小石です。城の中庭に出ればいくらでも拾えることでしょう。

「お前も私を愚弄するのか! これはただの石! どこが世界で一番美しいというのか!」


 男は無言でした。ただ、変わらずにこにこと姫を見ていますので、姫はますます腹が立ちました。何かもっときつく言ってくれようと口を開きかけたとき、男が静かに言いました。

「姫は、なにをもって美しいとおっしゃるのでしょう? 私にはわかりません」

「?」

「ですから、一番確実な方法で『世界で一番美しい』ものを見せて差し上げようと思った次第でございます」

 姫は嫌な感じを覚えました。一瞬、ぞくっと背中を寒さが駆け抜けました。

「おまえ……?」


「その小石を大事にお持ち下さいませ。世界のほかの全てが滅びましたら、残ったそれが世界で一番美しいものでございましょう」

 止める間も無く、男は痩せた長い腕をひとふり、地に向かって振り下ろしました。

 とたん、真っ黒な雷が天と地を引き裂く轟音とともに降り注ぎ、あたりを真っ黒に焦がしました。

「なにをする! ああ、国が、民が―――!」

 姫は声の限りに叫びました。

 男が手を振り下ろすたびに雷は増え、しかもその黒い雷は消えない雷でもありました。

 百も千もの雷が縦横無尽に国土を駆け、容赦ない熱と衝撃の塊となって見渡す限りの大地を引き裂きました。

 街は一瞬にして基底から覆されて、血と建物の破片を宙に散らしました。

 城は一撃のもとに消滅しました。溶けた灰色の丘となってなにもかものこりません。

 森は焦げ、木の葉一枚残さず蒸発して消えました。

 山は崩れ落ち、雲は吹き消され、川も湖も漆黒の穴のなかへ消えていきました。

 姫はやめてくれと懇願し、男の腕をつかんでゆさぶり、忌まわしい小石を捨て去ろうとしましたが、男は聞き入れず小石は吸い付いたように姫の手から離れないのでした。

 

 そして、気がつけば姫と男の眼下の全ては滅んでいるのでした。あちらこちらから上る吐き気のするような煙に、姫は涙が止まりませんでした。

 男は軽い仕事をこなした、という感じに一息つくと、軽く微笑みました。

「ご満足いただけましたか?」

「おまえは、あらゆる魔物のうちでももっとも邪悪なものであろう!」

 姫は肩を震わせ、やっとそういいました。

 あらゆるものが黒く破壊され、毒の煙を上げるなかで、手の中の石くれは確かに、『最も美しい』ものでした。

「このようなものなど要らぬ! ああ、どうして私は皆が用意してくれた物をあんなふうに言ってしまったのか! みんなみんな、この石くれよりも遥かに美しかったものを!」

「なにをお嘆きになります。やっと世界で一番美しいものを手に入れたのでございましょう?」

 男はしれっとして言いました。

 姫は止め処もなくこぼれる涙をそのままに言います。

「わかったぞ。私は、悟るべきだったのだ。皆が皆、私のために各々『美しい』と信じるものを持ち寄ってくれたことが、どれだけ稀有なことか。それを考えることもなく『一つだけ』を寄越さなかったことに腹を立てた私のなんと不明で情けないことよ!」

 『世界で一番美しいものは何か』などばかげた問いだったと、姫はやっと思い知ったのでした。

「今となってはもはや遅すぎるのかもしれぬが、魔法使いよ、頼む、我が命と換えてもよい。世界をもとに戻して! 皆を、皆をもう一度……!」


 ぱんっ


 乾いた音がして、姫がはっと瞬きをすると、目の前には男の顔がありました。

 そして、足元には見慣れた絨毯じゅうたん、豪奢な窓ガラス、気に入りの刺繍ししゅうをさせたクッション。

 姫は、姫の部屋で椅子に座っているのでした。

 目の前の男は金色の瞳にちらっと笑いの陰をよぎらせて、すっと顔を離しました。

「失礼」

 その取り澄ました顔。

「一体……?」

「改めまして、私は詐欺師にございます」

 なんと。姫は目を見開いたまま、絶句しました。

「私はあらゆる相手を欺くのが仕事、ただし今回は少々、遊びが過ぎました」

 ご容赦を、と言って跪く男の姿に、姫はようやく今までのことが夢か幻であったのだと思い至りました。

 姫は震えの残る肩から力を抜き、言いました。

「……よい。むしろ感謝を。おまえがそうしてくれなかったら、私は今も愚かな姫のままであった」

 姫はほっと息をつき、手の中を確かめました。あの小石はそこにはありませんでした。

「これから私はややこしいわがままで皆を困らせたりはせぬと誓おう」

「それは何より」

 姫は微笑んで小さくうなずきました。そんな姫に、長い手足を伸ばすようにして立ち上がった詐欺師は無造作な笑みを返しました。

「御身の長く健やかならんことを、御国の長き繁栄をお祈りします」

 そこで言葉を切って、この詐欺師は初めて真剣な顔を見せました。

「血縁の願いを聞くのはもうこりごりです。何の儲けにもなりはしない」

 そして、苦く笑うのでした。

 姫は初めて、心の底から他人に頭を下げました。

 詐欺師は会釈でそれを受け取ると、しがない詐欺師は王宮には不釣合い、退散いたしますと言って、ぶらぶらポケットに手を突っ込んで姫の部屋を出て行きました。


 すぐに姫は王宮の皆を集めて、今までのお詫びと感謝を伝えました。家臣たちは姫の成長に微笑みを浮かべ、王や近しい者たちは安堵の混じった賞賛の表情で歓迎しました。

「世界で一番美しいものなどありはしない。お前たちが、ただ私を思って用意してくれたもの一つ一つ違う美しいものだと思い知った。誰ぞ、あの絵と薔薇と腕輪をこれへ。あれは特に素晴しかった。もう一度見たい」

 微笑む姫のために、衛兵が何人か取りに走りました。

 そして。

「あ、ありません!」

「こちらもです!」

「なくなっております!」

 血相を変えた衛兵たちが叫びながら駆け戻って来ました。

 それぞれの品を警護していた者たちは、みな同じような風体の者が来て持ち去ったと証言しました。

「背が高く痩せていて、あせた金髪の男が」

「姫がお言いつけになったと」

「場所を移すと」

 呆然としてそれを聞いていた姫は、やがてくすくすと笑い始めました。

 あの詐欺師は行きがけの駄賃にと取っていったのでしょう。

「なくなったものは仕方ない。それを手に入れるために皆が払った労力に報いれぬのが残念だが。……私に『世界で一番美しいもの』をくれた男への謝礼ということにいたそう」


 後日。

 無くなった三つの美しいもののうち、姫の肖像画のあったところに小さな紙切れがあるのを小間使いが見つけました。

 紙には何も書かれておらず、中に小さな何の変哲もない小石が包まれていました。

 それを目にした姫は一瞬顔色を変えましたが、何も言いませんでした。

 もう一つ。あれから姫は城じゅうの召使たちに聞いて詐欺師の従兄弟を持つものを探しましたが、誰一人そのような召使はおらず、あの日衛兵は外部からは誰も通していなかったと首をかしげるのでありました。


 おわり

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