ゆらり揺れ・・・

ブリル・バーナード

ゆらり揺れ・・・

 

「―――私に言うことない?」


 爽やかな春のお昼。三月の下旬。

 日差しはポカポカと暖かく、若干汗ばむほど。でも、風は冷たい。桜が咲き始め、今年は五分咲き程。


 小さな公園のブランコに男女が二人座っていた。慣れないスーツに身を包み、若干ブランコを漕いで揺られている。

 新卒の新入社員のような初々しさ。しかし、大卒にしては幼い。


 実際、彼らの年齢は18歳だった。つい1か月前に高校を卒業したばかり。

 今日は高校の退任式であり、卒業生はスーツ姿で恩師を送り出すのが暗黙の了解かつ伝統だったのだ。


「ねぇハル、私に言うことないの?」


 質問を無視され、少し怒気を含ませながら女性が隣の男性『ハルカ』に再び問いかけた。


「カナに言うことって……?」


 遥はチラリと女性『奏多カナタ』を一瞥し、ドギマギとしながら顔を逸らした。

 制服姿、私服姿の彼女はよく見たことがある。もはや見慣れた。しかし、初めて見るスーツ姿に何故か緊張と戸惑いが隠せない。


 綺麗だからだろうか? 似合っているからだろうか? 大人びているからだろうか?

 緊張で喉が渇く。


「……あっそ」


 奏多はつまらなそうにブランコを漕ぎ始めた。

 座席と地面が近く、上手く漕げない。気を付けないと新品の靴が汚れる。それは避けたい。


 昔は丁度良かったのに。

 大きくなったなぁと感慨深く思いながら、足を伸ばしたまま身体の反動だけでブランコを揺らす。

 その様子を遥はただぼんやりと眺める。頭のどこかで『カナのパンツスーツっそ。脚長っ!』と思いながら。


「ハルとの腐れ縁も終わりかぁ。幼稚園からずっと一緒で小中高もずっと同じクラスだったのに」

「だなぁー」


 二人は別々の大学へ進むことが決まっている。遥も奏多も実家を離れて一人暮らしを始める。お互いも遠い。

 ずっと一緒だった幼馴染同士が離れるのは何気にこれが初めてだ。

 何故だろう。全然実感が湧かない。


「とうとう離婚かぁってクラスメイトが騒いでたね」

「うっせぇ! 何が夫婦だ! 何が離婚だ! 俺たちは結婚してねぇ!」


 苦虫を嚙み潰したような顔の遥。それを見て奏多はクスクスと笑う。

 幼馴染かつ、ずっと同じクラスで仲の良い二人を夫婦と揶揄うことは、思春期の少年少女にとって必然のことだった。


 最初に言われたのはいつだっただろう? 確か、小学校高学年の修学旅行の夜? そんな気がする。


 当然、別々の道を進む二人をクラスメイトは揶揄い、仰々しく残念がった。オシドリ夫婦の離婚と。


「不倫したら許さないからねぇー」

「だから、結婚してない!」

「じゃあ、浮気」

「付き合ってもねぇ!」


 遥は声を荒げて反論する。全力でツッコミしたので息も荒い。ツッコミ疲れた。

 奏多の楽しげな笑い声が公園に響き渡る。

 徐々に徐々に振れ幅が短くなり、地面に足を付けて揺れるブランコの勢いを殺す。


「……疲れた」

「そうか。運動不足か?」

「受験だったからねぇ。スーツ着るためにダイエットしたんだけどなぁ。ねえハル! 明日運動に付き合っ……うのは無理だっけ……」

「だな。入居しなきゃ。俺は明日だけどカナは?」

「……今日帰ったら移動」

「カナの入学式は明後日だっけ? 早いなぁ」

「そういうハルの入学式は?」

「明々後日」

「ほとんど変わんないじゃん!」


 だなぁ、と他人事のように遥は空を見上げ、反対に奏多は地面を向く。

 しんみりとした空気が漂う。


 離れる実感は湧かない。でも、もう誤魔化せない。隠せない。


 別々の道に進むと決めてから、お互いの関係がぎこちなくなった。入学試験に合格してからそれが決定的に。


 ずっと見て見ぬふり、気づかないふりをしてきた。だけど、それは今日で終わり。


「ハル~。思い出話をしよっか」

「唐突だな」

「じゃあいってみよぉ~!」


 奏多は自分勝手に話を進める。これがいつものことなので、遥かは黙ってそれに従う。思い出話も別に嫌ではない。


「最初は小学校時代! えーっとねぇ…………なんかあったっけ?」

「少しはあるだろ!」

「例えば?」

「例えば…………なんかあったっけ?」

「ハルもじゃん! 思い出そうとすると思い出せないよね」


 二人であーだこーだ言いながら悩む。でも、これといった思い出が思い浮かばない。


「じゃあこれ! 鼻たれ小僧の遥君!」

「うっせぇ! 俺が鼻たれ小僧なら、カナはガキ大将だな」

「ひっどぉ~い! カナはガキ大将じゃなかったもん! カナはお姫様だったもん!」


 見事にぶりっ子を演じる奏多。両手を使って可愛らしいポーズも忘れない。計算尽くされた上目遣いに元々の整った顔立ちも相まって、ムカつくほどにあざと可愛い。

 男なら100人中100人は振り向き、見惚れ、ホイホイと引っかかるであろう。

 ただし、普段の彼女を知っている遥はただただドン引き。


「うっわぁ……ないわぁ……」

「だよね~。自分でもやってて寒気がした。でも、可愛かったでしょ?」

「別に……」

「ほうほう。ハルの『別に』を詳細に分析すると、ぶりっ子を演じた私はさほど可愛くない。いや、可愛いは可愛いんだけど、素の私のほうがもっと可愛い。はっ!? さては私のことが好きだな!? もう! しょうがないなぁ~。だって私は可愛いからね!」

「うっぜぇー! 自意識過剰かよ」

「目を逸らしてるぞ遥君。図星だったか」

「あーはいはい。勝手に言ってろ」


 おざなりに返事をして、遥はブランコを漕ぎ始めた。

 久しぶりの風を切る感覚。重力から解放される瞬間が心地良い。最下点で最高速度になる瞬間も。


 彼女は知っている。彼の耳が真っ赤になっていることを。

 彼は知らない。自分の耳が赤くなっていることを。


「じゃあ、話を戻そっか。小学校は……もういいや。次よ次。というわけで、暗黒の中学校時代!」

「暗黒って何だよ」

「そりゃ中二病の発症でしょ。ネットの小説投稿サイトに妄想を垂れ流して……」

「ちょっ!? カナさんっ!? 何故それを知っている!?」

「えっ、マジでやったの? カマかけたんだけど」

「……しまった。自爆した……」


 思わぬ大ダメージ。遥は重体だ。しかし、たとえ瀕死でも追い打ちをかけるのが奏多である。超絶楽しそうに、ねぇねぇ詳しく教えて、と攻撃ならぬ口撃する。

 口をつぐみ、無言の抵抗をする遥に対し、ネットを調べ始めようとする奏多。すかさず、遥は無条件降伏。


「マジで勘弁してください」

「ふむ。まあいいや。勘弁してあげよう。人には知られたくない秘密の一つや二つ、エロ本の隠し場所やそのジャンル、閲覧したエロサイトはあるだろうし」

「……えっ?」

「中二病から思い出したんだけど」

「ちょっと待て! 今エロ本がどうとかって言わなかったか? なあっ!?」

「中二の時の体育祭で」

「おいコラ! 話を聞け! 無視すんな!」


 ガッと奏多の腕を掴んで話を強制的に中断させた遥は、不気味に光る眼差しに思わず怯んだ。

 奏多は静かに問う。


「詳しく聞きたいの?」

「……いえ。止めておきます」

「賢明な判断ね。んで、中二の体育祭覚えてる?」

「んあ? 中二の体育祭の思い出と言えば……学年リレー?」


 少し時間をかけて思い出せたのはただそれだけ。というか、それも時間が曖昧で、中一の頃に起こったことかもしれないし、中三の出来事かもしれない。

 そうそう、と奏多が頷いているから、どうやら間違ってはいなかったようだ。


「リレーか……カナが転んでバトンを落として最下位になったことしか覚えてないなぁ」

「あれは、団子状態で誰かに足が引っかかっただけだし。でも、1位だったでしょ?」

「あ? 最下位だっただろ」

「いやいや! 無駄に脚が速いどこかの帰宅部がアンカーで、全部ひっくり返して1位になったじゃん! かっこよかったぞ、どこかの帰宅部!」

「んー? そうだったっけ? というか帰宅部のアンカーって誰だっけ? 名前は?」


 忘れたなぁ、腕を組んで首をかしげ、必死に思い出そうとする遥を奏多は呆れながら眺め、ため息をつきながら、その帰宅部はアンタだアンタ、と心の中で突っ込んだ。


 あの時のことを奏多ははっきりと覚えている。

 転んで最下位になり、責任を感じてしまい、泣きそうになったところをポンっと頭に手を置かれたのだ。


『―――大丈夫だ。任せろ』


 真剣に走者を眺め、静かに集中している遥の顔は凛々しくて大人っぽく、思わず見惚れてしまうほど格好良く―――


「おーい、カナタさ~ん! 顔が赤いけど、どうした~?」

「べ、別に何でもないし!」


 ハッと我に返り、慌てて顔を背け心を落ち着かせる。顔が熱い。これは絶対に日差しのせいだ。そうに違いない。


 落ち着け私、と深呼吸する奏多の隣で、ふーん、あっそ、と興味なさげに欠伸をしている遥に思わず殺意が湧く。


 私がどんだけ苦労しているのかも知らないで。この馬鹿で鈍感のヘタレ野郎は一回殺さないと気づかないのか、と。

 でも、ため息をつきながら思う。ハルの場合は一回殺しても気づかない、と。


「次の思い出話にいくよ、ヘタレ野郎。次は高校!」

「突然の罵倒!? 何故に!?」

「高校時代と言えば……そう! 高一の文化祭! 男装女装喫茶!」

「くっ! 思い出したくない過去を思い出してしまった……それ以上は」

「もちろん止めませ~ん! いやーあれは我ながら傑作だった! 可愛かったぞ、メイドの遥ちゃん」


 二人が高校一年生の時の文化祭は、奏多がふざけて提案した男装女装喫茶に女子たちが悪ノリし、多数決の暴力で男子の抵抗虚しく決定してしまったのだ。


 もちろん衣装は女子は執事服、男子はメイド服。


 奏多をはじめとする女子たちは、執事服を見事に着こなし、凛々しい執事として絶大なる人気を誇った。それに対し、遥をはじめとする男子たちは、高身長で、体格がよく、スカートからすね毛の生えた足が覗くガチムチのメイドが20人ほど誕生し、爆笑の渦に包まれた。


 黒歴史だが、あれはあれで楽しい思い出だ。


「文化祭最後のダンスも楽しかったねぇ」

「誰かさんのせいで恥をかいたけどな」

「それって誰のことだろうねー?」


 襲い掛かるジト目を奏多はすっとぼけて華麗にかわす。

 文化祭のクライマックスは自由参加のダンスパーティー。音楽部の演奏に合わせて自由に踊るイベント。


 興味本位で覗きに行った遥は、奏多に悪戯され、メイド服のまま中央へと押し出されたのだ。学校中が見守る中、一番最初に踊ることになったのは今でも恥ずかしい。


「まあ、誰かさんも巻き込んでやったから、あの悪戯は許してやろう」

「うわー。上から目線。でも、あれは誤算だったなぁ。まさか腕を掴まれて一緒に踊る羽目になるとは」


 小さい頃から奏多に悪戯され続けた遥は、背中を押された瞬間、咄嗟に彼女の手を掴んでいたのだ。中央で踊ったのは遥一人ではない。奏多も一緒だった。

 あのダンスの時間を思い出して二人の顔が赤くなる。


 奏多は知っている。『文化祭のダンスパーティーで一番最初に踊り始めたカップルは結ばれて幸せになる』というジンクスがあることを。

 そして、そのことを遥は知らないだろうなぁ、と改めて落胆する。


 遥は知っている。そのジンクスのことを。だからこそ、奏多の手を掴んで踊ったのだ。

 気づけ馬鹿、と彼女の鈍感さに呆れ果てる。


 似た者同士の二人は同時にため息をつく。

 沈黙が二人を包み込む。時折ブランコが揺れる。


「……ねぇハル」


 どれほど黙っていただろうか。唐突に、静かな沈黙を破ったのは奏多の静かな声。


「……止めろ。言うな」

「……離れ離れになっちゃうね」

「言うなって言ったのに……」


 遥は空を見上げた。澄んだ青空。浮かぶ白い雲。温かな春の日差し。

 奏多は俯いている。見えるのは自分の足と茶色の地面だけ。


 言葉にしたことで、離れ離れになるということが二人の身体にドッと襲い掛かったような感じがした。やっと実感し始めた。


 お互いの顔は見えない。でも長い付き合いだ。お互いの表情くらい簡単にわかる。


「……ねぇハル」


 今度の奏多の声はどこか儚かった。泣きそうで、消えそうで、懇願に近かった。


「……夏休みとか冬休みになったら」

「会いに行くよ」

「……絶対だよ」

「ああ」

「……もし、辛いことや嫌なことがあったら」

「真っ先に言え。飛んで行くから」

「……物理的に?」

「それは無理」


 だよねー、と笑いながら奏多がブランコから立ち上がる。悲壮感はどこにもない。いつもの明るい彼女の姿があった。


 差し出された手を取り、遥もブランコから立ち上がった。そして、唐突に距離を詰められて動揺する。


 彼女の綺麗な瞳が潤んで揺れている。

 しなやかな手が、彼の緩んだネクタイを掴んだ。


「今日が最後だよ、ヘタレのハル。私はずっと待ってたよ。私はずっと待ってるよ。だから……覚悟を決めろ!」

「ぐえっ!?」


 キュッとネクタイを締められ、同時に喉も絞まる。苦しい。締め過ぎだ。

 遥は片手でネクタイを若干緩めた。


 何故だろう。ネクタイを締められたことで気も引き締まった気がする。


 二人は見つめ合う。一人は覚悟を決め、もう一人は慈愛の笑みを浮かべながら。


 彼女は優しく彼に問いかけた。




「―――ねぇハル、私に言うことない?」




 想いが通じる5分前。

 二人の乗っていたブランコがゆらりと揺れている。



≪完≫

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