青い春

あおば

1.

 遥は、自分の部屋にいるのに落ち着かなかった。


 もしかしたら、彼も緊張しているのかもしれない。

 


「なぁハル、この漫画って今最新何巻まで出てんの?」


「59巻まで出てるよ。」


「うぇ、マジかよ~、まだまだやん!はよ追いつきてぇ~」


「まだ10巻?椋介、読むのおっそ(笑)」


「ハルが速すぎるだけやろ!」


 椋介はよく、漫画を読みに私の家にやってくる。受験勉強の息抜きと言って。


 遥はベッドの上に座ってスマホをいじるフリをしながら、2年間付き合った彼氏の横顔を見つめる。


 椋介とは、1年のとき同じクラスだった。文化祭の委員になった私たちは、一緒に活動していくうちにどんどん仲良くなった。文化祭が終わった日の夜、彼から告白された。それから2年。ゆっくりと、自分たちのペースで時を重ねてきた私たちに突然、この関係性が揺らぐ出来事が起こった。

 


 数時間前。


「…なぁ、椋介が唯一出してたW大の推薦受かったらしいよ」


「え、マジで⁉スゲェ!」


「あぁ、本人も驚いてたわ。けど、彼女にどう伝えるのって聞いたら、どうするかねー、って苦笑いで返された」


「まぁ悩むよなぁ。そもそも推薦にはちっとも期待してなくて、彼女と同じ大学受験するつもりだったらしいね」


「遥ちゃん、可哀想やな。あ・・・おい、聞こえてないよな」


「聞こえてないでしょ」


 たぶん私がいないと思って話していたのだろうが、ちょうどお手洗いから帰ってきた私に、その会話は全部聞こえていた。ちらっとこちらを伺う視線に、無表情を装いながら気付かないフリをしていた。普通ならそんな大事なことを当事者である私に聞かれるかもしれないなら話すなよと思うところだろうが、それどころではなかった。冷静を装いながらもとても動揺していた。その後の授業が全く頭に入ってこなかったのを覚えている。


 


 …髪、伸びたな。


 もう前髪も目のあたりまで伸びて、少し横に流している。夏前にサッカー部を引退してから、スポーツ刈りにしていた髪を伸ばし始めた。短かった時も結構好きだったけど、今も悪くない。ずっと髪が短い椋介しか知らなかったから、今の彼を見るのが新鮮で少しどきどきする。明るくて快活な容貌だったのが、髪を伸ばしたことで少し落ち着いて見えるようになった。

 

 

 指定校推薦で合格したのなら、辞退することはできない。もちろん、彼からW大学に推薦を出してみるという報告を受けた時から、覚悟していたことではある。しかし、推薦は競争率が非常に高く、合格者が1、2人出るか出ないかだと言われており、彼自身がおそらく厳しいだろうという話をしていた。だから大丈夫だろうと高をくくっていた。一緒に地元の大学を受験し、大学生活でも椋介と一緒にいる未来を想像し、それが現実になると信じて疑わなかった。だが、これから彼の口から伝えられるのは、4月からは一緒にいられないという現実。


 会えないこともない。だが、新幹線を使って3時間という距離は、その時間以上に、ものすごく遠いように感じられた。今までは会いたいと思えばいつでも、すぐに顔を見ることができた。安心することができた。それができない事実は、私の不安を大きくさせた。



 





 いつ椋介がこの話を切り出すのか、ソワソワしながら遥は待ち続けた。


 1時間経った。椋介が読んでいる漫画のページは、少し前から変化がない。


 そして10月の涼しい風が2人の間を通り抜けた瞬間、目の前の大事なひとが大事なことを話すような予感を感じ取った。


「なぁ、ハル」


 来た。


「うん?」


 何も悟られないように、普段通りの声質で答えた。


「聞いたら驚くと思うけど、言っていい?」


 まだ、私のほうを見ない。


「何、どしたの、そんな溜めたら緊張すんじゃん」


 振りかえって、私の目を、見た。意を決したように。


「俺、W大受かった。春から東京行くことになった。」


 椋介の目は、私の目をとらえ続ける。でもその目は、少し怯えが混ざったものに変わっている。

 そのコンマ数秒が、永遠に続くかのように感じられた。


「え、すごいじゃん。おめでとう。」


 落ち着いた声でそう言った。まるで、これまでのお互いの覚悟が何も無かったかのような軽さで。


「うん、ありがと。」


「だから、ハルと一緒にこれから受験勉強することも、同じ大学行くこともできない」


「うん」


「ごめん」


「謝らなくていいよ」


「・・・」


長い沈黙の後、私はぽつりぽつりと話し始めた。


「どう私に伝えるか、すっごい迷ったんでしょ。分かるよ。・・・実は私、クラスの男の子たちがリョウがW大受かったって話してるの聞いちゃったんだ。だから、もう知ってた。私も、今日リョウからこの話されるの分かってたから、どうしようかと思ってた。どう反応しようかって。でも、正解がいくら考えてもわかんない。嫌だ、行かないでなんて、そんな幼いこと言いたくないし。・・・でもやっぱり、離れるのは怖い。」


 正直な言葉を伝えるのが私の精いっぱいだった。


 私が少し深刻そうになったのを感じ取ったのか、椋介は少し声色を落として話し始めた。


「俺も、怖いよ。・・・でも、大丈夫だから。たまに帰ってくるから。毎晩電話掛けるから。俺たちの関係は、ずっとこのまま変わらないよ。てか、変えさせないよ。だから、心配しないで?」


 いつの間にか目の前にいた椋介の両手が、私の手を包み込んだ。気遣うように、少し困ったように微笑みながら私の目を覗き込む椋介の目は、言葉とは裏腹に、とても不安そうだった。


 お互いに自信がないのだ。私たちは大学生という未知の自由な世界に飛び込む前に、絶対このまま関係が変わらないなんて断定することは、口で言うことはできても、本心からそう思うことはできない。今までとは全く違う環境で、新しい出会いだってたくさんある。椋介には仲良くなる女の子が、私にはそんな男の子ができるかもしれない。そんな中で、私たちが彼氏・彼女というこの状態のままやっていけるのかどうか。


 分からない。


 でも今はこの手を離しちゃいけない気がする。たとえ将来がどれだけ不安で、分からなくて、自信が無くても。だから、大丈夫なフリをする。


「大丈夫だよね。わかってるよ。うん、遠くにいようと、変わらない。

・・・てか、別に毎晩電話掛けてこなくていいよ。ぜったいウザい(笑)」


「うるせーよ、悪かったな!じゃあかけませーん」


「嘘だよ。リョウが女と一緒にいないかチェックするために私からいきなりテレビ電話掛けるから」


「いやいやこえーよ!」


 ずっとこのまま変わらないというあやふやな決意を椋介から聞いた瞬間、ずっとこのままではいられないような気がした。でも、今は、お互いに大丈夫なフリをする。未来のことなんて、誰にも分からないのだ。

 少し苦くて、寂しい気持ちを押し殺して、私は椋介の胸にとん、と頭を預けた。






fin.


 



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青い春 あおば @tom_1128

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ