成功したとしてそこに幸せはあっただろうか

蒼崎 紫乃

成功したとしてそこに幸せはあっただろうか

 仕事帰り、運良く電車の中でも特等席とも言える端っこの座席に座り、プラスチックの白い板にもたれかかりながら考えにふける。


 ――恋がしたい。


 漠然と考えている未来は本当にやってくるのだろうか。


 いつか普通に恋をして、普通に結婚をして、子供を育てて、老後は静かに二人で暮らす。そんな普通の未来は遠く、手が届きそうでちっとも届かない。まるでクレーンゲームだ。取れると思うから百円を入れる。そして大抵は取れず、途中で諦める。中には大金をつぎ込んで取れるまで諦めない人もいるし、一発で成功する人もいる。


 だけど私には無理だ。何事も途中で現実を悟って諦めてしまう。諦めるのなら早めに諦めてしまった方が負担は少ない。今までの人生、そうやってすぐに諦めて、諦めて、諦めてきた。


 幸せな恋がしたいだの甘えた口を叩いているけれど、何となくもう悟ってしまっている。


 必ず世界に一人は自分のことを大切に思ってくれる運命の人がいるとかいうけれど、そんな明確な根拠の無い戯れ言を誰が信じるか。馬鹿らしい、非常に馬鹿らしい。






「あの、すみません!」


 ぼーっとしながら何となく顔を上げると目の前に、苛立ちと困った表情の両方を貼り付けた見知らぬ男性が立っていた。


「はい?」


「何度も声をかけていたんですけど……これ、落としましたよ」


 ハンカチだった。百円ショップで購入した安いブルーのハンカチ。


「あ、すみません!ありがとうございます」


 しまった……思わず考え事に夢中になっていた。


 頭を下げてハンカチを受け取ろうとすると、からかうかのようにその男性はハンカチを退け、空でひらひらと振り回す。


「んーこのハンカチはやっぱり警察の所に届けようかな。席を譲ってくだされば返してあげなくも無いですけれど!」


「……えっ」


「いや、冗談ですよ、どうぞ」


「あ、ありがとうございます」


 いやその冗談全然面白くないって。にこやかな笑みを向ける男性に苦笑いで返す。


「で、突然なんですが、僕と結婚してください!小百合さゆりさん」


「……えっ」


 苦笑いがさらに引きつる。


「これは冗談では無いですよ!」


「いや、でも、えっとそもそも、何で私の名前知ってるんですかっ」


「未来から来たので!」


「次の駅で降りるので失礼します」


「いや小百合さんの降りる駅はまだまだ先でしょ」


「なんで知ってるんですか……」


 知らない男性に名前と最寄り駅が知られていることに恐怖を感じ、背筋がぞっとする。この人はおかしい。いくら恋がしたいと結婚がしたいと願ったからといって、こういう変な人と縁を結びたいわけでは無いのだ。とりあえず電車を降りて交番にでも行こう。


「いやいや何で降りようとするの、小百合さん」


「気持ち悪いので名前で呼ばないでください」


「ええっ悲しいな、でも無理も無いか。今なら特別に未来の話教えてあげるよ?」


「いえ結構です。あなたとの未来なんて存在しないので」


「傷つくなぁ、小百合さん」


 ムスッとした表情で私が通りたい道を塞ごうとしてくる。とても面倒くさい。なんて変なやつに引っかかってしまったんだろう。


「警察に電話しますよ」


「待って、待って。落ち着こう、小百合さん」


「だから名前で呼ばないでください!」


「分かった、分かった。でも小百合さんと僕の子供、可愛いよ?」


「全然分かってないですね」


 腹が立った。どうして見ず知らずの男性にこんなセクハラまがいのことをされないといけないのだ。睨み付ける。察しの悪い男性に分かるように嫌悪感を表情と態度で示す。


「……そっか、もう元には戻せないのか」


 急に男性の顔から表情が無くなった。


「もういいよ、小百合みたいに一つ一つ最後まで諦めずに頑張ろうと思ったけど僕には無理そうだ。ごめんね、小百合さん」


「……いやちょっと待ってください」


 そのまま立ち去ろうとした男性の右腕を掴み、引き寄せる。


 急に意味の分からないことを呟く男性の真意がつかめず困惑する。そのくらいは確かめておかないと夜も眠れない。


「何か事情があるんですか」


「そうだよ、事情があるんだ。だけどもうどうでも良いから話してあげるね、話をした場合の君の反応も気になるし」


「よく意味が分からないんですが……」


 男性は吹っ切れた様子で少し笑みを浮かべて話を続ける。


「小百合は僕の奥さんでさ、僕の前では最後まで何事も諦めない人だったんだ。家事だって仕事だって子育てだって、もう完璧に出来ていたし、そんな小百合を尊敬していた。でも、それは僕がこうやってすぐに諦める人間だったからなんだ。すぐに落ち込んで暗くなって何もかも投げ出してしまう僕をみて、小百合は支えようと自分を犠牲にして無理をしたみたいだ。気がつけば、小百合は意識が無くなってしまった」


 頭がもやもやする。何かを忘れてしまっている気がする。思い出せそうで思い出せない。なぜかどんよりとした空気が電車内を満たしていく。


「これは治療法の一つなんだ。記憶を作り替える治療法。明るい自分を演じれば、そしてこの夢の世界で結婚して子供を育てればその記憶で小百合が上書きされる治療法。上手くいけば記憶を失った小百合が助かると聞いて頑張ってみたけど無理だった。焦りすぎてしまった。明るくなろうとしたけど、明るい人間になれる素質がそもそも僕には無いんだなってはっきりとわかった。久しぶりに小百合さんの声が聞けてなんか気が動転してしまって、難しいな、初対面だってのにこんな話しかけ方したらそりゃ気持ち悪いよな、馬鹿だな、僕……」


「なんかよく分からないけれど事情があることだけは理解できました」


 冷静を保っているが意と反して心がぐちゃぐちゃになっていく。自分が分からない。自然と涙が溢れだすのを止められない。


「この話、君に伝えたらもうその時点で治療は失敗なんだ。君は小百合の記憶から一部分を切り取って複製された存在。僕と出会う前の小百合なんだ、君は」


「よく分からないですけれど、あなたの話が仮に真実だとして、あなたとの記憶が無いはずなのに何で私はこんなに悲しい気持ちになるんですか」


「この治療法は完璧じゃ無いからね、余分な記憶が混じることもあるんだろうね」


「余分な記憶ですか」


「余分だよ、小百合を壊した僕と出会った後の記憶はいらない物だから。そして君はこの治療が成功すればこれから先、新しい僕と最後まで人生を共にする記憶だった。少しだったけど小百合さんと話せて良かった。嬉しかったよ、ありがとう。さようなら。また会おう。次こそはちゃんと成功させるからな」




 目の前の男性は鞄から何か光る物を取り出した。それは虹色に輝く銃だった。


 バンッ、と凄まじい音がした次の瞬間、私はこの偽りの世界から散り散りになって消え去った。

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成功したとしてそこに幸せはあっただろうか 蒼崎 紫乃 @Aosaki_Shino

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