第2話 空亡スカイハイ ②
「お待ちしました。ヴェスパー・マティーニでございます」
眼鏡を掛けた若いバーテンダーが、かの英国スパイが愛したマティーニをカウンター席に座る青いスーツの男の前に置いた。
「ジェームズ・ボンドが好んだマティーニだが、ジンとウオッカで造られたそいつは俺には強すぎる。俺はサムライロックをもらおう」
隣に座るサングラスを掛けた口ひげを生やした40がらみの男はバーティダーに清酒とライムで造られたカクテルを注文する。
「そんなんで酔えるのかい?」
青いスーツの男はヴェスパーマティーニのグラスに口をつけながら横目で尋ねる。
年の頃は20代半ば、180㎝ほどの痩せ身の体をよれよれの白いシャツで包み、首元を赤いネクタイで締め、その上から青い上着を羽織っている。
黒い髪にどちらかと言うと少年の色が残る顔立ちには右頬に古い刀傷があり、そのサファイアのような青い目には鋭い意思の光が宿っていた。
名前はドランク=ネクターという
「俺は酔えるね。だいたい酔って浮き世を忘れたくなるほど世に絶望しているわけではない」
長身のサングラスの男は口元に苦笑いを浮かべる。
「まっ、うちの婆さんが俺を穀潰しの馬鹿息子と罵るわ、娘は俺の入った後は風呂のお湯を抜いて張り替えるわ・・・、おっと、なんか忘れたくなっちまったな。あはは・・・」
カサブランカという20世紀の映画の中でハンフリー=ボガードが着ていたようなトレンチコートを着こなした男の名前は大嶽俊宗。
背丈は190㎝前後、口ひげを生やし、サングラスという少々イカツく見える大柄な男だが、こう見えても日本人街にある大嶽神社の神主である。
しかし、現宮司の母親に頭が上がらない。
もともと大嶽神社はギオン市日本人街の心のよりどころとして信奉されてきたが長い戦争が終わった事による異星文明の到来や若者の流出により日本人地区から氏子が減り神社だけでは食べていけないので相棒のドランクと共に賞金稼ぎのようなこの仕事をして稼いでいる。
「二人とも、お元気?」
後ろから声を掛けられて二人は振り返った。
「大佐、ご苦労様です」
バーテンダーは彼女に向けて敬礼を取る。
「フォルン軍曹、任務ご苦労」
栗色のシニヨン・ヘアの女性はにっこりと笑う。
年の頃は20代半ば、170㎝ほどの長身の女性で首元に青いスカーフ、皺一つない純白のノースリーブスブラウスにワインレッドのスカートをはいている。
その顔はまるで往年の女優オードリー・ヘップバーンのような気品のある美しい顔立ちをしているが、彼女の左の目は九頭竜の紋章が刻まれた眼帯で硬く閉ざされていた。
彼女の名前はアーデルハイト=フォン=ドルンレースヒェン
元火星軍の大佐であり、現在はこのホテル、ブロッケンベルクのオーナーであり賞金稼ぎの元締めである。
「ハイディ、今日の仕事は大口かい?」
ハイディとはアーデルハイトの愛称である。
ドランクは長年の友人である彼女をハイディという愛称で呼んでいた。
「ええ、なかなか面白そうな獲物よ。ドランク、あなた好みじゃないかしら?」
アーデルハイトは微笑むと資料の入った封筒を二人の前に差し出した。
ホテル・ブロッケンベルクが請け負う仕事は主には火星警察が指名手配する宇宙人、宇宙生物を捕縛する事である。
特にこのギオン市は太陽系外の文明との中立都市であり、仕事や観光で外宇宙からの来訪客も多く、その中には犯罪者や不法移民も存在している。
火星警察では手が回らない、および対処ができない宇宙人犯罪者の対処を警察はギオン市で個人で武力を保持する事が許されているブロッケンベルクとその下に集う賞金稼ぎ達に依頼する事になっている。
「通称『絶対生物』?こいつが?」
写真を見てドランクは驚いた。
「ええ、見かけは可愛いけど、捕獲レベルはS級、テレポテーションを使うからまともな方法じゃまず捕まえられないわね」
「しかし、やっていることはせこい奴だぜ。食い逃げ、喧嘩、器物破損を水星、ガニメデ、エウロパ、火星で数十件もよくやるな。どうする大嶽の旦那。俺はあんまり興味わかねえな」
ドランクはサムライロック一杯ですでに顔を赤くしている相棒に意見を伺った。
「いや、お前はそう言うがな、俺はやるぞ。何しろお前がこないだ飛空挺を気象衛星にぶつけたせいで請求が来ているんだが・・・」
「ぐっ」
ドランクは言葉を詰まらせた。
「それに、うちには大飯喰らいの婆と育ち盛りの娘がいる、背に腹は替えられんさ」
「じゃあ、決まりね」
アーデルハイトは胸元で手を叩くと嬉しそうに笑う。
その笑顔はまるで野を駆ける少女のような無邪気な物だった。
「そうそう、彼女は今、火星にいるそうだから早く探した方がいいわよドランク」
これが七日前である。
100年ほど前、地球に巨大コロニーが墜落、衝突し南極の氷が溶けて地球の6割の地表が海に沈んだ。
元々、環境破壊や度重なる戦争により生まれ故郷を捨ててテラフォーミングされた星々への移住が進んでいたが、この事件により、本格的に人類の宇宙移民が始まった。
この宇宙時代の百年の間にも人類同士の戦争あったが、なんと言っても地球由来の人類以外、太陽系外の人類との接触は太陽系の歴史的には大きな出来事だろう。
彼らは宇宙に生存圏を広げる人類の存在を許さなかった。
新参者の地球由来の人類と太陽系外の宇宙人達が太陽系の覇権を賭けて戦争が起こる。
10年の長きに続いた世に言う太陽系戦争である。
その戦争も5年前に終戦し、人類はなんとか独立を勝ち取った。
現在は他の銀河系からやってきた異星人との交流が続いているが観光客やビジネスマンの中に犯罪者も同時に入ってくる。
今や宇宙人犯罪者や宇宙生物の起こす事件が新聞やテレビ、ネットニュースに上がらない日はない。
特にギオン市はエイリアンとの中立、共存を許された都市であり様々な宇宙人やその文化が融合して太陽系内でも独特の発展を遂げており、犯罪率は火星でワーストワン。
警察は人間の犯罪者で手一杯であり宇宙人の相手まで手が回らず
そういうわけでドランクと大嶽の賞金稼ぎコンビは日夜、エイリアン犯罪者をこの町で追いかけているのである。
ギオン市にイタリア系レストラン『サン・ピエトロ』はあった。
宇宙テレビでも紹介されるこの店の名物はトロトロのモッツァレラチーズと新鮮なトマト、うまみあふれる特性のピザソースを使ったカリッカリの食感のピザである。
昼のイタリアンレストランは客であふれ可愛い格好したウエイトレスが忙しく走り回っている。
レストランのBGMはバッハのイタリア協奏曲
ジュークボックスから流れる軽快な音楽が昼の食事を盛り上げてくれる。
ドランクと大嶽の二人組は何も注文せずに水だけを飲んでいた。
冷やかしではない。
彼らは今から捕り物を行う予定なのだ。
高価なピザなど食べている暇はない。
決して金がないからではないのだ。
「いた、あそこを見ろ、気づかれないようにな」
大嶽は視線でそれを示した。
その視線の先には金色のメッシュが各所に入った銀髪を腰まで伸した15、6歳の少女がテーブルに山積みになったピザの斜塔を前に金色の瞳を輝かせている。
全体的に髪もそうだが顔も透き通るように色白で神秘的な感じがする少女だ。
白いキャミソールワンピースの上からマントのように黒いロングコートを羽織っている。
身長は150センチほどで小柄でどちらかというと折れてしまいそうなくらいの華奢な体型である。
とても資料にある絶対生物と呼ばれているようには思えない。
「情報と違って随分と無邪気なもんじゃないか。ドングリ眼のお子様だぜ」
「だが、気をつけることだ。この仕事、見かけで騙されて痛い目を見た奴はたくさんいるんだからな」
「その分、額も大きい仕事だ。俺の愛機を丸ごと買い換えても釣りが来る。やらない手はないだろうさ」
ドランクはコップに注がれた水を飲み干すと席から立ち上がった。
熱々のさくさくのピザ生地を一口する。
濃厚なチーズの上にのせられた甘酸っぱいトマト、塩辛いアンチョビが見事に引き立てあい口の中で至福のハーモニーを奏でる。
「くうー、おいしい。やっぱりピザは火星のサン・ピエトロに限るわねーっ。うまうま」
「お食事中悪いな。お嬢ちゃん」
「ん」
顔を上げると青いジャケットを着た痩せ身の男が立っていた。
「それ、全部、君が食べるのかい?」
男はにこやかに話しかけてくるがこういう軽薄な男にろくな男はいない。
何よりこの鋭い目つきが気に入らない。
何度かあったことがある。
瞳の奥で冷徹な光を放つこいつの目は兵士の目だ。
「ええ、ここのピザ、おいしいからねー、あげないわよ」
「太るぞ、ピザはカロリーが高い」
「ご心配なく。脂肪は胸に行く体質なんで」
「おいおい、無いぞ、胸が」
「うるさいわね!でご用件は何?あたしィ、他人に食事の邪魔されるのすごく嫌いなの。あんた、賞金稼ぎか宇宙警察なんでしょう」
「その通りだ、ブラン=ヴィサージュ」
ドランクはヒップホルスターに納められたコンペンセイターカスタムのHK45のグリップに手を掛ける。
「水星では随分、大暴れしたじゃないか。お嬢さん。宇宙海賊から金を巻き上げてその金でランチにするなんて」
「あら、悪党から金を巻き上げて何が悪いってのよ?」
「そういうのを泥棒の居直りって言うんだよ。知っていたか?」
「知らないわね。あんた達、人間のルールなんて知ったこっちゃないわよ。だから、これ以上、つきあっていられないわね」
ピザを一枚咥えると親指をならす。
親指をならすことでスイッチが入り、体は店の外に転移されるはずだった。
だが目の前の光景が変わらない。
パチン、パチンと指が鳴る音だけがむなしく響く。
ブランは慌てる。
こんな事は今まで生きていて初めてである。
なんで、あたし
「あれ、あれ?なんで、あれェ~?」
「生憎だったな。お嬢さん」
ドランクは少女の後ろに回り込む。
テーブルに押さえ込むとその腕に発信器付きの手錠を掛ける。
「海坊主の爺さんが作った対オーバードライブ妨害電波発生装置の小型版がうまくいったな、ドランク」
大嶽はトランク型の妨害電波発生装置を操作しながら満足げに笑う。
「これで報酬はいただきだ。海坊主の爺さんにも奢ってやらんとな」
海坊主とは二人がいつも世話になっている飛空挺の製造会社の社長であり、発明家である老人である。
70を超えた老人であるが健全なる精神は肉体にこそ宿るをモットーに鋼のような筋肉を保持している。
今頃、新しい飛空挺の設計をしているか、ダンベルを持ち上げているかしているだろう。
「ちょ、ちょっと変態、どこ触っているのよ! 皆さん、この人痴漢です、離してえー!」
ドランクに体を押さえ込まれるブランはわざとらしく大声を上げて大騒ぎをする。
店中の客の白い視線がドランクに一斉に突き刺さる。
痛い、視線が痛い
ドランクは顔を赤くしながらブンブン手を振り回して必死に否定のポーズを取る。
「おいおい、そいつは誤解だぜ。お前さんら、別に俺達怪しいもんじゃあないんだ!なあ、大嶽の旦那」
「後生だから俺と目を合わせんでくれ。俺には年頃の娘がいるのだ」
大嶽はハットを手で押さえて深く被り、頑なに視線をあわせようとしない。
「お前さん、裏切りやがったな」
「フッ、世渡り上手と言ってもらおう」
他人の振り他人の振り、とつぶやきながら大嶽は背中を向ける。
「いやあああ、お、か、さ、れ、るー!」
ドランクは慌てて絹を裂くような声で叫ぶブランの口をふさごうとする。
「な、てめ、何言ってやがる、おい、違うんだ。警察を呼ぼうとするなよ!いてェ、噛みやがったな!」
レストランの扉が蹴破られてプロテクターを着込んだ男達が飛び込んできた。
あっという間に三人は彼らに包囲される。
MARS POLICEという文字がプロテクターに書かれているのを見て彼らは火星警察だという事を認識する。
彼らが持つH&K MP5短機関銃に搭載されたレーザーポインターの光が三人の体をなめ回す。
「大嶽の旦那、通報、早くね?」
「いや、いくら何でも当局の動きが早すぎる・・・てか早すぎだろ、どうなってんだ」
無数の銃口を突きつけられてドランクと大嶽は武器を捨てて手を上げた。
ブランは手錠をはめられた状態でこっそり後ずさりして逃げだそうとするが武装警官に取り押さえられる。
赤い髪に赤い顎髭
筋肉質な逆三角形の肉体を黒いスーツで包んだ30代半ばぐらいの男が機動隊の間を縫って現れた。
「お久しぶりです。トシさん」
筋肉質な男はサングラスを外して会釈をする。
「凡司」
サングラスの奥で大嶽は懐かしそうに目を潜めた。
「ラリー=ジョーンズ局長がお待ちです。三人とも無礼ですが火星軍基地まで連行させていただきます」
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