妖精(エルフ)
ぜんそく
妖精(エルフ)
あたりは徐々に闇に包まれ、茂みの間から虫が絶え間なく鳴き声をあげるばかりの時だった。
大きな葉の茎に張り付いた揚羽蝶の蛹が、微かに動いた。
その瞬間、茂みのなかでけたたましく鳴いていた虫の音がピタリと止んだ。あたりは不自然な静寂に包まれた。いや、一匹のガマガエルのみ「ガコッ」という妙な音を立てて、それきり物動く気配すら見せない。
蛹がいよいよ音を立てて割れはじめ、中からまだ身体がふやけて白い揚羽蝶が出てきた。しかし揚羽蝶は、身体を半分ほど蛹から出した後は、身じろき一つしなくなった。と思った瞬間その小さな背中が破れ、中から小さな人影が発光しながら飛び出してきた。
一寸ほどもないように思えるその人影は、空中でふわりと一瞬浮き上がると、全身をキュッと伸ばし切ってゆっくりと下降しはじめた。背中から半透明の光る翅がじわじわと伸びはじめ、人影が地面に着く頃にはすっかり伸び切った。ピクリと翅が動くと、地面に身体がつくかつかないかの位置からぎゅっと2メートルほど急上昇し、最高点に達すると力強く光り輝いた。
近年稀に見る妖精の誕生だ。妖精の放つ冷光は茂みと、周りの田畑と、細道を偶々通りかかった少年の半身を淡く照らした。
少年は目を疑った。妖精の姿は、光を放っていたがしかし、その輪郭をはっきりと認識することができた。半透明の翅はしばらくゆらゆらと動いていたが、突如に不可視の速度で羽ばたくと、少年の足元へ急降下してきた。
思わず身を屈めた少年だったが、妖精は少年の足元に居座っていた大きなガマガエルの背中へ飛び込んだ。光がガマガエルの背中で収縮して消えた。再びあたりに闇が降りた。すると、ガマガエルは一瞬「グェッ」っと鳴き、とち狂ったように飛び跳ねはじめたかと思った途端、少年の足にグワッと跳びかかった。
少年は短パンを履いていた。ガマガエルのゴツゴツと湿った感触が素肌に染みこみ悪寒を覚え、慌ててガマガエルを振り解こうとしたが、なかなか離れないガマガエルに、ついにもう片方の足でガマガエルを蹴り上げた。蹴り上げてから、しまった、と少年は後悔した。
妙な音を立ててガマガエルは死んだ。ガマガエルはピクリと手足を動かすと、カエル特有の広い背中がびしりと割れはじめた。蛹から蝶が羽化するかのように、ガマガエルの背中から妖精が飛び出し、再びあたりに冷光が満ちた。
少年は呆気にとられて空中を漂う妖精を見つめていた。妖精は先ほどよりも大きく、ガマガエルほどの大きさに成長していた。妖精は少年の頭の上をぐるりと一周回ると、ふらふらと飛びながら田畑の細道を下っていった。少年は先ほどガマガエルを殺した罪悪感を忘れ、夢見心地で妖精の後を追った。
妖精はどんどん降っていった。その光を追って、少年はほとんど駆け足になって夜道を駆けて行く。空はいよいよ暗くなり、時刻は7時を迎えようとしてた。あたりには人の姿はちらほらと見えるが、その誰もが夜道を走る少年に怪訝な視線をよこすばかりで、光り輝く妖精の姿を一切認めていないようだった。
妖精はやがて道無き道、雑木林に入り込み、少年は構わず草木を分けて妖精を追う。
妖精は田畑を抜け、交通道路に飛び出した。少年はガードレールを飛び越えて道路に飛び出した。その際ガードレールにスネを強打し、暫く痛みに悶えていたのだが、はっと顔を上げて妖精の姿を目で追った。妖精は、道路の脇にある、強い人工光を放つ自販機の光に誘われるようにひらひらと舞っていた。
自販機のそばに人影がポツンと立っている。少年はその人物に見覚えがあった。同じ学校に通う、自分よりも二つ年上の女の子だった。長い艶のある黒髪を垂らして、少年が通学路で見かけるとたまに挨拶してくれる。大きな目が少年を捕らえると、少年はきまり悪くなって目を逸らしてしまうことがあるのだが、よくその姿を目で追うことがあった。学校を休みがちだったり、うなじや足を隠すような仕草が目について気がかりだった。
こんな時間に何をしているのだろう。
自販機の光に照らされた少女は儚げで、眼に涙が溜まっているのと、頬に妙なあざができているのが遠目にはっきりと見て取れた。格好も、なんだか外に出かけるようなものではないように思える。
妖精はそんな少女の周りを、近づいたり、離れたりしていた。何かのタイミングを見計らっているようだった。
少女が袖で目を擦り上げた時、妖精は急に加速して、少女の頭の上をぐるりと一周回った。
「あっ」
瞬間、妖精の姿が消えた。
少女が「うっ」と少し呻き声を上げると、唐突に腹を抱えて笑い出した。
あまりに唐突だったが、少年はそれを恐れなかった。むしろ、美しいとさえ思った。決して野蛮でも下品でもない、命の力強い輝きをそこから感じ取れた。こんな感情は今まで感じたことがなかった。
少女は笑いながら、少年が足を強かに打ったのとは反対のガードレールに手を掛けて、ひらりと向こう側に飛び出した。少年は顔から血の気が引いていくのを感じた。向こうはちょっとした崖になっているのだ。
少年は道路を横切ってガードレールの向こうを除いた。少女は首を折って死んでいた。しかし、少女の手足は僅かに痙攣している。
やがて少女の体から光が漏れ出したかと思うと、背中から強い光が飛び出した。妖精だった。
もう、妖精は人と同じほどの大きさに成長していた。細い手足に靡く髪、翅がひらりと羽ばたくと、大きな少女の体がヴンと浮き上がって、少年の目の前に飛び出た。
少年の目から涙がこぼれた。理由はわからなかったが、妖精の姿はあの少女にどこか似ているような気がした。妖精は暫く少年の目前を遊泳していたが、やがて少年の真上にやってきて、優しく手を差し伸べた。
少年はそれをまどろんだ眼で見た。妖精を眼で追って、いつの間にか道路の真ん中に立っているのさえ、気付いていなかった。
妖精は笑っているようだった。
少年は迷うことなく、妖精の手を掴んだ。
そうやって、どれだけ時が進んだのか少年にはわからない。
やがて妖精は少年の手を強く握ると、その姿を消した。
そして、少年の身体は強烈なヘッドライトの光に包まれていった……
妖精(エルフ) ぜんそく @Azumaya8000
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