第9話

 ハーブ神父は瓦礫から顔を出すと口に入った砂塵をベッと床に吐き出した。


「クソッタレ!?あいつら本当にワイのこと人間と思うとるんか!?」


「それで生きているあなたも大概ですけどね」


「そっくりそのまま返すわ殺人サイコが!クソが!今ので銃落としたやないか!」


「…ハーブ?ふふ…何を仰います」


 ジュージは瓦礫から身体を起こすと服の埃を叩きながらゆっくりとハーブの前に立ちはだかった。


 手を伸ばせば届く距離で、ジュージはくすりと唇から微笑を覗かせた。


「あなた…得物がなければ人を殺せない甘ちゃんなんかじゃないはずだ」


「あ゛あ゛?喧嘩売っとんのかクソ爬虫類…?ド淫乱なメス顔晒しよって…!」


「フフ…売ったら買います?」


「ッ当たり前や!」


 至近距離から放たれたハーブの回し蹴りをジュージは両手で受け止め、同時に内側に一歩ステップで間合いに入り込むと掌打をハーブのみぞおちに喰らわせた。


「…ぐッ!」


 ―と、ヒュッと風が鳴るような音が耳元で聞こえてハーブは咄嗟に身を捩った。月夜に鋼線が光り、引っかかった耳からは鮮血がほとばしった。


 暗器…!


 間一髪、鋼線による絞殺を免れたハーブは牽制に前蹴りを繰り出すが、ジュージの姿が闇夜に唐突に消えた…ように見えた。


 ヒュッ…と再度風を切る不穏な音が耳元で聞こえた。首元にヒヤリとした鋼線の硬質な感触が触れ冷や汗が再度滲む。


 ハーブは咄嗟に上空を見上げるとジュージは天高く回転宙返りをしている。


 絞殺などという生易しいものではなかった。


 (クソッタレ!鋼線で首ごと捩じり取るつもりや…!)


 ハーブは咄嗟の判断で弾丸を中空に向かって放つ。首元の鋼線が締まる直前、線は弾丸で断ち切られテンションが緩んだ。


 宙返りから瓦礫の上に着地したジュージの口元には…悦びの笑みが零れている。


「ふふふふふ…ははははっ!私はこんなに殺し合いが楽しいのは初めてですよ!ハーブ!」


「イキイキしよって戦闘狂が…俺もお前も同じや…体内にどうしようもない獣を飼っとる…」


 ハーブは首元の冷や汗を拭って言い放った。


「…お嬢様とやらを守るなんちゅうのもただ大義名分を掲げとるだけなんやろ?…所詮手前のエゴや…堪忍せいよ」


 言うや否や、ピリと張りつめた空気が場に満ちた。


「…なぜそれを知っている?」


「…神父様は顔が広いねん…土下座すれば情報の出所くらい教えたってもええんやで?」


・ ・ ・


 ズン…と砂煙を起こして一階のフロアに身体全体が叩きつけられる。


「…まだ生きてるのですか?」


「…殺人爬虫類相手に半刻サバイブしとんのやぞ…時間外手当欲しいでホンマ…」


 ハーブは上体を起こすと腕時計の煤を払いつつ懐から煙草を出して火をつけた。


「一個わかったことがあるわ…」


「なんでしょう?」


近接戦Close Quarters Combatではお前にかなわんゆうことや」


「それはそれは…光栄の至りです」


 ジュージは慇懃に頭を下げた。


「…お道化どけよって…腹立つわぁ…」


 ハーブは火をつけたばかりの煙草を一吸いだけすると瓦礫に押し付けて消した。


「…取引や”蛇”、濡れ仕事は今日で卒業せい」


「…取引?…仰っている意味がよくわからないのですが?」


「直に分かるで」


「…あのーハーブ神父?…お取込み中失礼します?」 


 声が瓦礫の向こうから聞こえた。


 その瞬間ハーブは右手でガッツポーズをきめた。


「…ははっ…でかしたで…キツネ…」


「…キツネ?」


 キツネは丸腰でずいと二人の間に割り込むように前に出た。そしてその傍らにいるのは、紛れもないイサキ・パディランドだった。


「我こそは!街の一介の情報屋キツネ!イサキお嬢様をこの場にお連れし」


 冷たい、冷気にも似た殺気が辺り一面を覆った。


「なななんかその人めちゃ本気で怒ってない!?ハーブ神父!?」


「キレたこいつの近くにおったら割と秒で死ぬで?」


「こんなワリに合わない仕事久しぶりだよ!?」


「ジュージ…あなた…ケガ…してるの…?」


 糸の切れた人形のように血まみれのジュージの動きが止まった。


「イサキ…お…嬢…様…?」


「わ、わたし…ジュージが助けを待ってるって言われてこの人に連れてこられて…どうして…?こんなところで一体何をしているの?探偵の仕事に行ったのじゃなかったの?」


 ジュージは不思議と冷静な頭で考えていた。


 そうか。


 もしも神というものがいるとするならば。


 きっとこれが自分にとっての罰なのだろう。


 ハーブ神父は懐から取って置いたハンドガンを引き抜きジュージに突きつけた。


「ジュージ!?」


 ハーブは撃鉄を絞りながら不敵な笑みを浮かべた。


「下手な動きせんといてくれよ”蛇”…?この状況で撃ったらアカン修羅場や…」


「嘘だと言って…お願い…お願いよ…ジュージ…」


 狼狽するイサキ・パディランドと糸が切れた様に動けなくなったジュージ・ヨルムンガルドを前にしてハーブは拳銃を構えたまま訥々と語り出した。


「もう分かっとると思うけどな…お前の殺しに来たコトリゆうお嬢はもう隠し通路からすっかり逃げおおせてんで…まあワイを殺してそこいらにいる奴らも殺して『ハーブ神父!?(BYキツネ)』それでも追うってんなら止めへんわ…ただワイもワイなりにこの戦いの幕引きっちゅうか妥協点を考えとった…ジュージはお嬢のために金が必要なんやろ…?けどそれかてお前が庇護する筋もそうせなあかん筋も最初からあらへん…せやろ?」


 ハーブはどこか虚しく、それでいてどこか優し気に笑った。


「…逃避行は辞めて蛇は巣に帰る頃合いや…けどこのパディランドのお嬢は別や…静寂の耕地クワイエット・パディランドゆう別の帰る場所がある…そのお嬢を殺し合いの螺旋に道連れにすんのは…」


「…助けてください」


「あ…?」


「…私とジュージは…主の岬ケープ・オヴ・ロードに入信します」


 しんとした静寂が場を支配した。


「…あんた何を抜かしとるんや…?」


「…私達を保護してください…何か問題がありますか?」


「大ありや!?静寂の耕地クワイエット・パディランドの第一位教導師長後継者やろお前!?」


 イサキはハーブの威勢に一瞬怯んだ様子を見せたが、歯を食いしばって踏みとどまった。


「っだったら…!尚更交渉の道具に使えるんじゃないですか?!それに今更私が生きてると分かったら争いの種になることなんてわかり切っています。あなた達主の岬ケイプ・オヴ・ロードに確保してもらえた方が私達にとってはより安全なはずです」


「くそったれ…!話もよう分からん餓鬼が…!お前はワイやそこのジュージゆうロクデナシが見てきた地獄の一部も知らんやろうが!」


「私はそれでも構わないよ」


暗黒微笑サニーフィールド神父!?」


「ハーブ、今回は根回し共々よくがんばったじゃあないか!君にしては上出来だ!」


「あ゛…?味方にガトリングぶち込むサイコパスに褒められてもうれしゅうないわ!」


「だが、今回は君も私もイサキくんの器量は見誤ったようだね」


「ジュージ!」


 イサキはジュージの傍に駆け寄った。


「ジュージ!こんなに血を流して…!どうして…?どうして本当のことを言ってくれなかったの?!どうしてずっと私に隠してきたの…?なんで…こんなに馬鹿なことを…ずっと…どうして…!」


 涙を目一杯に溜めるイサキにジュージはただただ力なく項垂れるだけだった。


「…申し訳…ございません」


「ジュージに…今の私の気持ちがわかる?…私が唯一頼れるあなたが…汚らわしい人殺しだったなんて気持ちが…分かる…?」


 イサキはジュージの頬に流れる血を撫でた。 


「私は…ジュージを許しません…だから絶対に約束してください…これはあなたと…そして私の罪の代償だから…」


 そういってイサキはジュージを細腕で抱き締めた。 


「だからお願い…絶対に死なないと約束して…」


 ジュージは半ば茫然としたまま、泣き続けるイサキを見つめていた。


 これほどの僥倖が…なぜ…?と。


「…主はそのような意向のようだけれど…君はどうする?ジュージ・ヨルムンガルド」


 ジュージはふ、と力なく笑った。


「…是非など…あろうはずもありません」

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