第2話

 僕は急に駆け出したハーブ神父の後ろ姿を見失わないように入り組んだ裏路地を駆け抜けるので精一杯だった。しかもただでさえ目立つこの神父服だ。好奇の目を向けてくる人々にぶつからないように走るのは骨が折れた。


 と、何かを引っかけた感触があり、背中の方で盛大に屋台が倒れる音と怒号が鳴り響く。


「てんめえ!何しやがんだこのクソ餓鬼!」


「エイメン!?エイメンエイメンエイメーーーン!?」


 力一杯懺悔しながら角を曲がるとそこには行き止まりの白い壁が視界一杯に広がると同時に、ハーブ神父は僕の遥か頭上を軽業師よろしく、壁を二、三回蹴るとあっという間に民家の屋根の上に到達していた。


 そんなバカな!?


 僕は既に遥か頭上のハーブ神父の姿を仰ぎ見る。


「ハーブ神父…!?」


 屋上に到達したハーブ神父は既に標的を見定めていた。


 銃口が向かう先へ振り返ると遥か屋根の上を駆けていく影が見える。ニンジャのような動きで屋根から屋根へ飛び回っていた。


 まさか、あの速さで動くものをこの距離で?

 

 ひょっとして”当たる”のだろうか?そんな、まさか。


「ちょこまかと調子乗んなや!キツネェ!」


 コンマ数秒のエイムの後、弾丸が放たれる。


 弾かれた弾丸は男の足元を掠めて民家の屋根の辺りをほんの数インチ崩した。


 男は着地のバランスを崩すとそのまま表通りの路地へと落ちていった。針の糸を通すような所業だった。


「っしゃあビンゴ!キツネ狩りや!行くで!ヒャッハー!」 


 僕は茫然自失したまま、屋根の上をスキップで飛んでいくハーブ神父を見送った。


 この距離を…?しかもハンドガンで…?


「め、めちゃくちゃだ…」


・ ・ ・


「ったくあっぶないなあ、仲間に銃を向けるなんて情もへったくれもあったもんじゃないよハーブ神父様は!」


「連れの財布奪っといてどの口が言いよるんやボケナス!」


「あははー!それもそうか!それにしても今回はずいぶん若い子と組んでるんだねぇ!」


「お前には関係あらへんやろ!」


 僕が路地を駆けてどうにか追いつくと、キツネという男とハーブ神父は表通りのど真ん中で口論の真っ最中だった。


「いやいやオイラには神父様含めたご贔屓さんが沢山いるからねえ。他人事といえなくもなく?そうそう、今朝いいハッパ入ったけどどう?」


「ワイは煙草で充分や言うとるやろがい!ええからとっとと財布返せや!」


「ちぇー、意外と堅物なところあるよねハーブ神父って。ねえ?」


 そういうとキツネさんは財布をハーブ神父に渡しつつ、僕に軽くウインクしてみせた。


「…あ…はあ…?」


「あ、そうそう神父様方。これ割と大事な話なんだけど…”蛇”には気を付けた方がいいよ」


「“蛇”…?なんやねんけったいな」


 キツネさんは僕らの耳元に口を近づけると低めた声で続けた。


「…聞けば凄腕の濡れ仕事屋ウェット・ワーカーだってさ、大分ここらの界隈からは遠ざかっていたらしいんだけど今度主の岬ケイプ・オヴ・ロードに関する仕事に関わるとか関わらないとか噂を聞いたもんでね…ま、気ままにフリーランスやってるオイラにゃあ関係ないけど。それじゃ、そっちのシスターさんにもよろしく言っておいてねー」


「シスター…って?」


 足早に立ち去るキツネさんを尻目に振り返るとそこには眼鏡をかけた細身の見るからに貞淑そうなシスターがこちらを向いて立っていた。


「ハーブ神父」


「な、なんや…来とったんかシスター」


「当然ですわ」


 浮かべられたたおやかな笑みに一瞬ドキっとしてしまった。


 が、その口から飛び出してきた言葉には面食らってしまった。


「ご来訪を待ちわびておりましたわハーブ神父。モラルも品性も壊滅的なあなたのこと。待ち合わせ時間には十中八九遅れるとは思っておりましたが、往来のど真ん中で主の岬ケイプ・オヴ・ロードの神父服を着た上で天与の粗雑さを丸出しにした口論であまつさえハッパがどうとか宣って道草を喰ってらっしゃるなんて…ハーブだけに…?なんて、冗談は名前だけにしてくださるとありがたく存じますわ?」


「…相っ変わらずの毒舌やな…」


「あ、あのハーブ神父…このお方は?」


「ああ…こいつもワイらと同じ主の岬の“裏側こっちがわ”の人間や…」


「……はい?」


 シスターは僕に向けてにっこりと笑顔を浮かべるが、最初に抱いた穏やかな印象はすでにどこかへと消し飛ばされていた。


「お初にお目にかかります、私はシスター・チヒロ・ハイザキ。主の岬の重火器使いヘビーアームズとして主に護衛と哨戒の任務をしております」


「嘘ぉ!?」

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