ママを隔離中

七乃はふと

第1話

「ご飯持ってきたよ」

 隔離部屋にいるママから返事はない。

 僕は空いている右手で、扉を引き開けて中に入る。

 闇の中でママは膝を抱えて座っている。僕が近づくと更に身を縮こませた。

「はい。夕ご飯」

 左手に持っていたお皿を差し出す。

「……らない」

 流石の僕も聞き取れないほど小さい声。

「なんて言ったの?」

 今度は首を振りながらはっきりと言った。

「いらない。お願いだからそんな物持ってこないで。食べられるわけないじゃない!」

 また拒否されてしまった。これで一週間連続だ。

「ひどいなぁ。僕が身を削って用意したのに」

「だからこそ、食べたくないのよ」

 よっぽど嫌なのか「だからこそ」を強調する。

「そんなわがまま言わないでよ。最初は嫌かもしれないけれど、食べないと力出ないし、病気も治らないんだよ」

 ママは首を振って拒否するばかり。

 僕は食事をタイルの上に置いて部屋を出る。

「一口でいいから食べてね」

 返事のないママを隔離部屋に残したまま扉を押して閉めた。


 今から一週間前、外にいた僕の頭上で空が突然光った。

 その光は地球全土に降り注ぎ、世界各国で人が化け物になる病が確認された。

 発症した人の数は少ないが、治療しようとすると物凄く暴れて手がつけられない。

 僕の両親も病になってしまった。

 治療法は分かっているのだが、ママはずっと拒否している。

 隙を見ると、僕から逃げ出そうとするので、しかたなく部屋を改造して隔離しているのだ。


 翌日、家の中に異臭が充満していた。

 臭いの元は隔離部屋だ。

 僕は扉を引き開ける。

 予想通り、タイルの上に置いてあった食事が腐って黒く変色していた。

「食べてないじゃん」

 ママは膝を抱えたまま鼻と口を抑えている。

「それを、早く、どっかにやって」

 吐き気がこみ上げてきたのか、そう言うだけで精一杯のようだ。

「病気が治れば、こんな臭い気にならなくなるんだよ」

 僕は腐敗した料理を持ち上げた。

「もったいない事しないでよ。次は絶対食べてよ」

 ママは口を押さえたまま何も言わない。いや何も言えないのだ。

 言葉以外のものが出てくることを見られたくないのだ。

 察した僕は扉を閉める寸前に、部屋にビニール袋を投げ入れる。

「これ使いなよ」

 扉を押し閉めると、中で動き回る音が聞こえ、それから水道が逆流するような音が微かに長く聞こえていた。


 ママが病気になって二週間後。

 深夜、外で大きな音がした。

 何か重くて大きな物がぶつかって壊れたような音だ。

 にわかに外が騒がしくなる。

 マンションのベランダから様子を見ると、車が電柱にぶつかって大破していた。

 今時動く車なんて珍しい。

 車の周りには人の輪ができていて、車内の様子を見ていた一人が「病人が一人生きているぞ」と叫ぶ。

 車には四人乗っていて、三人はぶつかった時に死んだようだ。

 みんなで生きていた病人を引っ張り出すと、そいつは手足を大きく振って暴れて逃げ出そうとする。

 輪を作っていた全員でそいつを取り押さえ、病に一番効く食べ物を口に押し込む。

 病人は何度も痙攣するが、飲み込んでからしばらく経って動かなくなった。

 周りの人達は様子を見て「治療成功だ」と喜んでいた。

 一部始終を見終わると、今度は僕の家で何度も物を叩く音が聞こえてくる。

 音の発生源は隔離部屋からだった。

 車の衝突音が聞こえたのか、ママが外に助けを求めていたのだ。

「誰か助けて! 浴室に閉じ込められているの。お願い私はここにいるわ。誰でもいいから助けて」

 僕が声をかけると「ヒッ」と息を飲む音がした。

「病人が逃げようとしていたんだ。でも安心してもう治療は終わったから」

 ママは一縷の望みが消え去ったように落胆した声を出す。

「ああ、そんな……お願いここから出して。もう私の事は放っておいて」

「何言ってるの。治るまでここから出すわけにはいかないよ」

 ママは最後の抵抗とばかりに扉を叩く。

「もうやめなよ。百キロもするんだから叩いたって開かないってば」

 僕が宥めると、ママは叩くのをやめる。

 しばらくすると嗚咽が聞こえてくる。

 僕は浴室を改造した隔離部屋から離れた。


 三週間が経った。

 隔離部屋を塞ぐ扉代わりの冷蔵庫を片手で開ける。

「ママ。いい加減食べてよ」

 病気になってからずっと飲食していないので栄養失調で動けなくなっていた。

 水分不足で干からびた唇が「死なせて」と動く。

「これを食べて。すぐに楽になるから」

 ママの頭を下から持ち上げて、食事を近づける。

 すると、どこにそんな力があったのか右手でお皿を弾き飛ばされてしまった。

 皿はタイルに落ちて割れ、料理もベチャッと音を立てて潰れてしまう。

「そんなに食べたくないって言うなら」

 僕はママを死なせない為に強硬手段を取る。

「無理やりでも食べてもらうから!」

 自分の唇を噛むと、そこから血が溢れる。

 溢れる血を口内に溜めると、そのままママに口づけした。

 目を見開いたママは必死に口を閉じようとするが、力の出ない顎を開けるのは児戯に等しかった。

 僕はママの無防備な口内に溢れるほど血液を流し込んだ。

 ママは逃げようとするが、三週間ぶりの水分に身体が反応して喉が動く。

 五分くらい血を飲ませてから口を離すと、すでに効果が現れ始めていた。

 虚だった目に光が戻り、ひび割れていた唇も潤いを取り戻している。

 けどまだ頬はこけている。

 僕は自分のお腹に爪を立ててそのまま引きちぎる。

 穴からはみ出たカーテンのような大網とミミズのような小腸をそのままにして、手に持ったお腹の肉をママの前に持っていく。

「食べて。僕の肉を食べれば病気なんかすぐ治るよ」

 ママは僕の顔と手に持った赤い皮付き肉を交互に見やる。

 僕は頷いて食べるように促す。

 ママは目の前のご馳走を見て唾を呑み込むと、少量の肉を口に含んだ。

 固形物を久々に食べて呑み込むのに難儀していたが、時間をかけて顎を動かし、何とか呑み込むことができたようだ。

 一度味を知ったママは、時間をかけながらも完食した。


 ママの病気が治って一週間が経った。

 僕達は真っ暗な寝室で抱き合っている。

 服を着る必要がないので、どちらも全裸だ。

 暗闇の中でママの柔らかさと温かさに包まれていると、まるで胎内に帰ってきたようで凄く安心できる。

 安心したからか、空腹を覚える。

「ママお腹すいた」

「はい。召し上がれ」

 ママは僕の前に胸を突き出してくる。

「いただきます」

 赤ん坊のようにママの乳首に吸い付く。

 母乳は出ないので犬歯を突き立て、穴から噴き出た血の珠を遠慮なく吸いたてた。

 音を立てて吸っていると、ママは僕の頭を優しく撫でてくれる。

「もう赤ちゃんみたい」

 飲み尽くした僕は、そのまま乳房に歯を立てて噛みちぎる。

 弾力を味わう為に百回近く咀嚼した。

「美味しかった?」

「うん」と返事すると「ママもお腹すいてきちゃったな」と言う。

「好きなところ食べていいよ」

「じゃあ遠慮なく」

 ママは僕の首筋に噛みつくと、そのまま皮と肉を引きちぎる。

「うん美味しい」

 そう言って僕の紅がついた唇を舐めるママ。

 艶かしく唇を舐める赤い舌がとても美味しそう。

 僕は勢いよく近づいてママの舌を喰いちぎると、お返しとばかりに僕の舌を喰いちぎるママ。

 口づけしたままお互いの舌を唾液の海で泳がせてから呑み込む。

 廊下に座り込んだ骸に見せつけるように、僕とママは昼も夜もなくお互いを貪り合う。


 ー完ー

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