王子と獣


 大穴から大調理場に入ってきたのは黒い獣だった。

 体長2mほどで通路いっぱいを埋めるほどに横幅が広い。

 全身が濡れた毛におおわれており、牙を剥いた口から熱い吐息が漏れている。


 まどうことなき野生。

 『ハンターズクエスト』に登場するヒトを害する怪物たち、『獣』だ。


 しかし、その姿を視認できる者はこの場には少ない。


「獣だ、はやく、ここから逃げろ」


 アンセムは叫ぶ。


「獣……ッ」

「ま、まさか、城の中に入ってくるなんて!」


 大穴から離れるように、使用人たちは我先にと逃げ始める。


「しかし、まさか獣とこうもはやくご対面するとはな」


 アンセムとて、この世界のすべてを知るわけではない。

 ましてや、ゲーム主人公の銀人が現れるまで1年の猶予があるのだ。


 いくらでも想像を超えた事態は起こりえる。


 アンセムは手元に”銀”食器のナイフを見つけて握りしめる。


「ミナ、お前もはやく逃げろ」

「ッ! 見えた……あ、あれが獣……!」

「見えるのか? ──いや、当然か」


 主人公の仲間になる予定のミナには獣が見える。

 普通、やつらは人間の目には見えない。

 彼らが人を殺すためにその気配をより強くしたときのみ視認可能だ。


「うりゅりゅ、ああう、ああう」

 

 四足の獣は不気味な声をあげる。

 アンセムは銀のナイフを構えて、腰の抜けたミナを背後にかばった。


「心もとないが、”一般人に視認されない程度”の獣なら十分殺せる」

「うあああああ、うあああああぎゃあやあああッ!」


 人の言葉が分かるのか、獣は悲鳴のような声をあげて飛びかかってきた。


 アンセムは素早く踏み込んで前蹴りで獣の腹を蹴り飛ばす。

 

 流石に6年間やりこんだVRゲームだけあって体は自由に動く。


 身体に漲る『銀の圧力』も十分だ。


 アンセムは顔を引き締める。


 銀の圧力、通称、銀圧は、獣を討つのに不可欠であり、銀圧をあつかえる人間──『銀人』だけに許された技だ。

 『ハンターズクエスト』の世界ではアーチボルト王家の人間はみなが銀人であり、人類最高峰の『銀の圧力』を持っているとされている。


「あう、うああああ、あああ!」

「叫ぶばかりか。ちょうどいいや、体が動くか確かめさせてもらうぜ」

 

 大穴の外、城の中庭へ蹴りだした獣へ走りこんで近づき、銀のナイフでその獣毛を軽く斬りつける。


「うああ、アアああアッ!」

「くっ、思ったより鈍ってる……!」


 ポテンシャル最強のアンセム・アーチボルトの体なのに──。

 普段運動をしてないせいか?

 あるいはVRゲームをしていた頃の記憶が14年の空白を経ているせいか?


 まったくプレイヤー時代のように体が動かない。


「うああ、あああ!」

「ちッ、もういい、うるせって」

 

 今の自分に獣を練習相手にできる実力はない。


 アンセムはそのことを自覚して、深く踏み込み、毛むくじゃらの濡れたのど元に銀のナイフを深く突き刺した。


「っ」

「ぎゃあああああ!」


 死に際のあがきか、獣はアンセムの首に噛みつかんと、顎を外して、通常ではまず想像できないほどに、縦に50cmほどぐわっと開いた。


 アンセムは目を見張る。


 やば、銀圧で守らないと──。


 ぎりぎりでプレイヤー時代の直観が働いた。


 噛みつかれた瞬間、アンセムの首筋は白いヴェールによってコーティングされ、硬質なものがぶつかる音を牙は奏でた。


 獣の牙はベキベキッ、とへし折れて獣は悶え苦しむ。


 アンセムは思い出した感覚に従って「ああ、そういえばこんな感じだった」と、のどに刺した銀のナイフに膨大な銀圧を流しこんだ。


 銀圧、放射、白──。おしまいだ。


「ぐぎゃあああ、ああ、ぁアアア、ぁああ、ああ、ああ……────!」


 真っ白な雷が一気に膨らんで獣の肉体を浄化した。

 アンセムの握るナイフは、握っていた柄の部分から先が、赤く火照っており、膨大な熱の軌跡を残し、焼き切れてしまっていた。


 銀の武器として設計されていないために、彼の銀圧に耐えられなかったのだ。


 アンセムは先のなくなった柄を片手に、大調理場から、顔をのぞかせるメイド、ミナのもとに歩み寄り「大丈夫か?」と気遣い、手を引いて立たせる。


「大丈夫ですか! 王子!」

「ただいま、衛兵を連れてまいりました!」


 使用人たちがもどってきた。

 

「もう片付いた」


「ッ、なんと、まさか獣をお一人で……?」


「ハハハ、驚くことじゃあるまい」


 アンセムは愉快に笑う。

 中庭で燃える白い炎を見て、身をこわばらせる使用人。

 瞳には獣を倒してくれたことへの感謝より、恐怖の色合いに染まっている。


 まだまだ、正義のカルマは遠いいな。


 アンセムは肩をすくめた。


 ────────────────


 ──翌日


 アンセムはこの一晩のあいだにこの世界についていくつかの確認を行った。

 

 とはいえ、14年間生きてきた記憶はあるので、『ハンターズクエスト』の知識が本当に役立つかという検証だ。

 

 ひとつ。

 この世界はHP方式なのか。

 結論をのべると、この世界にHPは存在しない。

 ゲームではヘッドショットは大ダメージで済んだが、ここじゃ即死だろう。

 

 ふたつ。

 レベルは確認できるのか。

 結論、どこにも確認できなかった。

 

 この世界は『ハンターズクエスト』に似てはいるが、決してゲームではなさそうだ。


 もしかしたら、まだVRゲームの世界にいるのでは、だなんて思っては見たが、コンソールは開けないし、どこからもログアウト出来ない。


 これはやはり現実だ。


「厳しいものだな」


 死ねば、コンティニューは出来ない。

 ……気を引き締めていこう。


「それじゃ今日から主人公に殺されないために、強くならないとな」


 アンセムの潜在能力は高い。

 仮にシナリオを書き換えられなくても、主人公と戦うことになったとき、十分な戦闘力で返り討ちにできれば、死を回避できるかもしれない。


「とはいえ、まずは謝罪回りだな──」


 アンセムはこの日、朝から王ボワマンの執務室を訪れた。


「朝から珍しいな。いったい…何をしに来た、アンセム」

「はい、昨日の非礼、深く反省しました! 父上、これから僕は善行を積み立派な人間になる所存でございます!」

「な……ど、どうしたのだ、アンセムよ。っ……もしや、昨晩の獣の騒ぎで、異形に肉体を乗っ取られたか……?!」

「いえいえいえ! そんなわけないですよ、ええ。僕はもう『胸糞』をやめるのです。これからは『正義』のアンセムをお送りしますよ!」

「ぁ、悪夢じゃ、悪夢! ワシは悪い夢をみているのか……!」


 酷い言い様だ。

 でも、仕方あるまい。

 俺はそれだけのことをしてきたのだから。


 アンセムはため息を飲み込み「失礼します!」と元気よく、満面の笑みをうかべて執務室をあとにした。


「嵐じゃ、嵐がくるに違いない……、アンセムのやつ、またとてつもないことをしでかす気なんだ……ッ」


 ボワマンは来たるトラブルの予感に青ざめた顔をして頭を抱えた。


 ──しばらく後


 アンセムは執務室から『鋼の騎士団』の修練場へとやってきた。

 『鋼の騎士団』はアーチボルトの治安維持を担当する組織だ。

 山岳都市として、険しい谷に築かれたアーチボルト国の公的な武力組織でもある。


 兵士たちはアンセムの姿を見るなり「『胸糞』だ……」「昨日のパーティは酷かった」「ミナちゃんのこと叩きやがって…!」と恨み節をこぼす。


 アンセムは聞こえないふりして、満面の笑顔で修練場のグラウンドを走る騎士たちを横目に、指導教官に話しかける。


「ご機嫌よう、騎士教官殿!」

「……アンセム王子、なにをしにいらっしゃった」

「いや、すこしスペースを貸してほしくてな!」

「どうぞご勝手に。騎士団の訓練の邪魔だけはせぬようにお願いいたします」

「ありがろう、教官殿! 恩に着る!」

「むう」


 元気いっぱいに好青年感をだしてみせるが、まだ効果はない。

 それより胡散臭く思われてそうだ。


 アンセムはグラウンドの端に寄り、騎士たちを見つめながら、基礎的な筋力トレーニングをはじめる。


 腹筋、背筋、腕立て伏せ。

 訓練用の剣を振って、プレイヤー時代の動きをひとつひとつ確認していく。


 やはり、リハビリは必須だな。


 アンセムは30分ほど入念な動作確認を終えて、修練上にある器具を一通り見て回り、これからのトレーニングメニューを考える。


 ARゲームにも手を出していた経験があったため、ゲームでのプレイング向上のため、真剣に考えていた時期があり、アンセムは筋力トレに精通することとなった。

 VRゲームの普及に伴い運動不足が深刻化してきたことへ対する、ゲーム会社の救済処置にうまく乗っかれた結果だ。


「なんで王子が剣振ってるんだ」

「昨晩は獣を浄化したらしいから、もしかしたら才能あるとか思ってんだろ」

「でも、なんか妙に動きが様になってるような……」


 銀圧、放射、”銀”。

 

 運動で体が温まってきたアンセムは、剣を持たないほうの手で、銀色の雷を掴み、それを修練場の壁に発射した。

 雷とも炎とも形容できるエネルギーの傍流は、清浄な力のかたまりだ。

 

 白色ではない、銀色の輝閃がピカッと瞳を覆いつくし、次の瞬間には修練場の壁は吹き飛んでいた。


「あ、やべ、”銀”の威力強すぎた……」


 アンセムは背後から感じるたくさんの視線に冷汗をかく。。


 ──この日以降『胸糞』への悪口は、死を意味するという風潮が高まり、王城内では恐怖の象徴としての地位が強化されてしまった。


「あんた何してるわけ」

「っ」


 修練場の焼き切れた壁、その外周廊下から、可憐な声が聞こえてくる。

 金属の胸当てと装飾があしらわれたドレス、帯剣ベルトには華やかな剣。


「ゲェッ?! さ、サクラ……!」

「なにその反応。可愛いに妹がかわいそうじゃないの?」

「あ、いや、その……」

「とりあえずムカつくから斬り飛ばすね、お兄ちゃん」

「ま、待てェェえい、話をしようッ!」


 突如現れた不機嫌顔の美姫──『ハンターズクエスト』の”ラスボス”は躊躇なく抜剣した。

 


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ざまぁ確定の『胸糞』第三王子、死亡フラグ回避のため『正義』の紳士を目指します ファンタスティック小説家 @ytki0920

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