「ようこそ!」が止まらない。

でんでろ3

氷を溶かす気のない炎

◇◆◇

「私立天上院学園高等部」

 田中は、その大層ご立派な文字が書いてある門柱をじっと見つめた後、広大な学園内へと視線を移した。これまた大層ご立派な学び舎が立ち並び、大層ご立派な御子息御令嬢が勉学に励んでらっしゃることだろう。

 この学園は、昨年、田中をゴミのように不採用にした。お祈りした。それがいきなり、よりにもよって今年の公立高校の教員採用試験の2次試験で不合格が決定した秋に、うやうやしく電話をかけてきて呼び出しやがったのだ。

「急に穴が開いたから、至急埋めたい」

 と言う話だったが、田中は、なんで俺なんだ? という疑念が振り払えなかった。



◇◆◇

「は? 授業は持たなくていい?」

 田中は教頭の言葉に、心中(そら! 来た!)と思った。

「しかし、授業を持たなければ給料はどうなるんですか?」

 田中は質問した。

「ええ、ですから、田中先生には、時間講師ではなく、常勤講師として、1年B組の担任をして頂きます」

「クラス担任のためだけに私を雇うんですか?」

 田中はキツネにつままれたような顔をした。

「ええ、まぁ、正直に申しますと、それだけ手を焼いているクラスということです」

「そんなクラスの担任が私に勤まりますでしょうか?」

 正直不安だ。

「まぁ、手を焼くと言っても、伝統ある我が校ですので、そんなに酷いわけではないのです。ただ、受け持って下さる先生がおりません。だからと言って付けないわけにもいかず、そこで、講師の先生にお願いすることになったのです」

「はぁ」

「引き受けて頂けますか?」

「では、よろしくお願いいたします」

 どうせ他に仕事の当てもない。

「ありがとうございます。できれば、明日からお願いしたいのですが?」

「明日からですか?」

 驚きの表情を隠す気にもなれない。

「はい、すでに、担任のいない状態が1週間近く続いていますので」

「分かりました。では、明日から、よろしくお願いいたします」



◇◆◇

「今日からこのクラスの担任になった田中です。なんだか急にこの仕事が決まって、正直、戸惑いもありましたが、全力で頑張りますので、みなさん、宜しくお願いします」

 田中は翌日の朝のSHRで1年B組の生徒たちに挨拶した。

「ようこそ! 1年B組へ、田中先生! 私は学級委員の岩見と申します。よろしくお願いいたします。先生のような血気盛んな新進気鋭の先生に来ていただいて、大変光栄です」

 眼鏡をかけたいかにも真面目そうな生徒が、うやうやしく挨拶してきた。

 教室の他の生徒たちからも、

「ようこそ! 1年B組へ!」

 という声が飛んでくる。

「ありがとうみんな。ではまず、出席を取ります」

 その後も、SHRは和やかにスムーズに進み、

「一体このクラスの何が問題なんだろう?」

 と田中は内心首をかしげるのであった。



◇◆◇

 ところが、翌日の朝、田中が1年B組の教室に入ると、生徒全員に拍手で迎えられた。

 そして、学級委員の岩見が教壇に近づきこう言った。

「初めまして、ようこそ! 1年B組へ! あなたが今日から私たちの担任になってくださる先生ですね? よろしくお願いします」

 クラス中の生徒も口々に、

「ようこそ! 1年B組へ!」

 と言っている。

 田中は、訳が分からなくて、しばし棒立ちになってしまったが、すぐに気を取り直して、教壇に駆け上がると、一喝した。

「そういう悪趣味な冗談はやめろ!」

 生徒たちはシンと静まった。

 しかし、その一瞬後。

「僕たちが初対面の先生を歓迎してるのに、その態度はないんじゃないんですか?」

「初対面でいきなり怒鳴るなんてひどいです!」

 と、あくまでも初対面前提の抗議の声が飛びまくる。

 田中は、職員室へと逃げ帰った。



◇◆◇

 そして、それは、朝も帰りも行われ、毎日続いた。

 生徒個人と話そうとしても、皆、開口一番に、

「ようこそ! 1年B組へ!」

 と言い、その後の話も話にならない。

 結局、田中は1週間で仕事を辞めてしまった。



◇◆◇

 その週末、田中は飲み屋で友人相手に管を巻いていた。

「でよぉ、その、私立天上院学園高等部の教頭を問い詰めてやったらよぉ。1年B組の担任は、みんな同じ手でやられて短期間でやめてるって吐きやがったよ。チッ、くそハゲが!」

 それを聞いていた1人の労務者風の男が拳を握り締めて席を立ったことに田中は気付かなかった。

 その男は、無精ひげを生やし、左頬に特徴的な傷跡があった。



◇◆◇

 月曜日の朝、私立天上院学園高等部1年B組に、また、新しい担任が来た。

 しかし、そいつは薄汚れた無精ひげを生やした左頬に特徴的な傷跡のある中年の男だった。

 しかも、最初の朝のSHRでいきなりこう言い放った。

「挨拶は抜きだ。連絡事項は隣のクラスの山田先生の声が馬鹿デカいからそれを聞いとけ。出席は岩見が取って、この出席簿に記録しとけ。以上」

 生徒全員が呆気にとられる中、その男は教室から出て行ってしまった。



◇◆◇

 翌日の朝、昨日の男が教室に入ると、クラス全員が拍手で出迎えた。

 すると男は、

「うるせ──────────!」

 と、叫びながら教卓に飛び蹴りを食らわせた。

 教室の空気が凍り付くと、男は静かに、

「昨日と同じ」

 とだけ言って、教室を出て行った。



◇◆◇

 水曜日の朝、男は教室の引き戸を顔が出る分だけ開けると、顔だけ教室に突っ込んで、

「昨日と同じ」

 とだけ言って、引っ込んでいった。



◇◆◇

 木曜日の朝、学級委員の岩見はいつもより早く登校した。

 昨日、クラスの皆と話し合って、今日の朝のSHRで担任の男に抗議しようということになっていたのだ。

 岩見は意気揚々と朝の教室のドアを開けた。

 しかし、黒板を見て、一気に萎えてしまった。

 黒板にはデカデカと、

「昨日と同じ」

 と、書いてあった。



◇◆◇

 金曜日ともなると、生徒の誰も何も期待しなくなっていた。

 しかし、生徒たちは登校してきて、信じられないものを目撃することになる。

「ようこそ! 1年B組へ!」と書かれた黒板アートである。

 しかも、それは、彼らがこの学校に入学した日に、彼らの本来に担任「友坂恭太郎」が描いた黒板アートを、あまりにも克明に再現していたのである。

「一体だれが?」と思うが、「まさかあの男が?」という1点に思考は吸い寄せられていく。


 SHRの時間には少し早く、あの男が教室に現れた。

「よーし、全員、席に着け!」

 初めてまともなことを言った。

 なのに、全員、黙って席に着いた。

「俺の名前の前に、この名前を出そう。俺は友坂恭太郎の親友だ」

 男は生徒たちの表情を一人一人確かめた。

「この黒板アートは俺が描いた。恭太郎から写真で見せてもらったのを記憶を頼りに描いたから少し違うかもしれん」

 生徒たちの反応はそれを否定していた。

「恭太郎は恨み言を言うような奴じゃないが事実は話してくれた。実際、ひどい話だと俺は思った。すべての責任を擦り付けられてこの学園を追われたんだからな」

 生徒たちの目に怒りの火が灯る。

「だがな、さっきも言ったが、あいつは恨み言なんか言っちゃいなかったぞ。あいつが何を考えていたか言ってやろうか?」

 生徒たちが男を信じているわけではないことは明らかだ。

「奴は、ただ、お前たちのことを心配していたよ。学校を恨んでばかなことしねぇか。後任の先生とうまくやれるか」

 少しは効いているようだが、信頼を得るには遠い。

「お前ら、奴と約束したんだってなぁ? どんな先生が来ても、『ようこそ! 1年B組へ!』って言って歓迎します、って」

 生徒たちの表情が曇った。

「お前ら、あれで、胸張って、『約束守ってます』って言う気だったのか?」

 生徒たちの目には反抗の色がある。

「とりあえず、くだらねぇアレやめろ! 俺を嫌うなら、わかりやすく嫌え! いつまでも居ねぇ奴との約束なんか守ってんじゃねぇ!」

 この言葉で反感を確固たるものにする者が出ることは覚悟の上で言っていた。

「嫌おうが、泣こうが、喚こうが、俺はここに居続けて、俺がお前らの担任だ!」

 声を大にして叫ぶ。

「俺の名は、栗山大輔! よく覚えとけ!」


 そのあと、栗山は、普通に出席を取り、普通に連絡事項を伝えた。

 そして、岩見に向かって、

「この1週間、出席取ってくれてありがとう。悪かったな」

 と言って、深々と頭を下げた。

 栗山が、

「では、朝のSHRを終わります」

 と、宣言して教室を出行くと、生徒たちは騒然となった。議論していた。

 どうやら、今や、一枚岩はヒビだらけのようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「ようこそ!」が止まらない。 でんでろ3 @dendero3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ