第44話 僕と幼馴染で、昔の思い出話に花を咲かせる

 お隣の家にお使いに行ったにしては、えらく長い外出から帰っても、母は何も言わなかった。少しだけ優しく微笑んで、日立さんの家があるほうを向く。

「……大丈夫だよ、もう、大丈夫」


 そんな母の慈しみに応えるために、僕は静かにそう答えた。出かけ際に玄関に置いていったカバンを拾いあげ、二階にある自室へと上がっていった。

 なるべく早いほうがいいだろう、ということで、日立さんに思い出を教えてもらうのは、明日の放課後ということになった。……ちょうど、終業式で午前のうちに学校が終わるから、たっぷり時間を取ることができる。


 そこで、できる限りの思い出を彼女から貰う。

 ……僕と、日立さんが、これからも幼馴染でいるために。

 彼女が、僕を待ち続けてくれた一年を、裏切らないために。


 そして、綺麗さっぱり記憶を失くした僕を、当たり前のように幼馴染として受け入れてくれた、この三か月のために。

 開けた窓、揺れるカーテンの先、隣の家の部屋には、ちょっとだけ生気が戻った日立さんがやって来ていた。チラッと横目で、彼女が捨てようとしていた缶から、写真を一枚、また一枚とアルバムに戻しているのを確認して、僕は胸を撫で下ろした。


 そして、翌日。終業式。

「じゃあ、札幌行く日楽しみにしてるなー」

 一学期の全ての時程が終わり、全校生徒がこれから迎える長期休暇に沸き立つなか、佐和君は、そう言いつつ手を振って一足先に部活の練習へと駆け出していた。僕と光右は、手を振り返してそれに応じる。


 佐和君の姿が完全に見えなくなったタイミングで、

「……今日、俺はついていけないけど、大丈夫だよな?」

 まだ周りに残っているクラスメイトには聞こえないくらいの低さ、大きさの声で話しかけた。


「……平気だよ。今日だって朝学校行くときは、いつもまでとは言わないけど、ちょっと明るくなっていたから」

 さすがに起こしにまではこなかったけど、時間だけは合わせて一緒に登校もした。僕とは話せないけど、途中で合流する小木津さんとは、仲睦まじげに色々話もしていた。


「……まあ、もし万が一何かあったら、俺と小木津に連絡しろよ。俺は部活あるから、すぐにはいけないかもだけど、小木津は待機してるって話だったし」

「うん、わかった」

 光右はすると、髪の毛をポリポリと掻きむしっては、


「後ろに俺らが控えてるってなっても、できることなんてないかもし、安心もできないかもしれないけど……」

 と、ちょっと自信なさげな声を漏らす。


 そんな友達の姿を見て、僕は、

「……そんなことないよ、そんなこと」

「……そうか?」

 小さく、だけどはっきりとした口調で返した。


「ふたりがいなかったら……そもそも僕は日立さんに何が起きているかすらわからないまま、今日を迎えていたかもしれないわけだし。……気づいていたとしても、何も手を打ててなかったかもしれないわけだし。……そんなこと、ないよ」

「……そう言ってくれると、なんか、嬉しいとは思う」

「なら、よかったよ」

 僕は荷物をまとめ、肩に軽いカバンをかける。


「……じゃあ、僕もう行くよ。一応、放課後すぐに集まることになってるから」

「おっけ。……じゃあ、俺も部活行くわ。……頑張れよ、廻」

「……うん」

 優しく右肩を叩いて、教室を出て行った光右。僕もまだ騒がしい教室を後にして、日立さんとの約束に向かい始めた。


 自転車を走らせて、なるべく急いで家へと帰る。カバンを部屋のベッドに放り投げて、そそくさと制服から外向きのシャツとズボンに着替えて、日立さんの家のインターホンを鳴らす。


 やがて、例によってのんびりとした口調の日立さんのお母さんが出ては、「いらっしゃい。茉優から聞いているわ。どうぞあがってー」と迎えてくれた。


 やや緊張もする足取りで、昨日も入ったわけだけど、日立さんの部屋へと階段を上がる。コンコンとノックをして、僕は扉を開けると、

「……あ、たっくん。来たんだね」


 ベッドの側面によりかかり、床にちょこんと座ってアルバムをめくっている日立さんの姿がパッと目に入った。

 僕は何も言わずに彼女の隣に座り、手早くスマホを開いてラインで返事を送る。


「うん、来たよ」

「……そういえば、今日お母さんから聞いたんだけど、昨日たっくん私の部屋に入ったって本当?」

 すると、ちょっと追及するような口調で日立さんは僕に確認をする。


 ……ま、まあ確かに勝手に自分の部屋入られたってなったら気分はよくないよね。

「……う、うん。日立さんのお母さんに見せたいものあるって言われて、通されて……それで」

 入ったことは事実なので、包み隠さず正直に僕は答える。


「……おっ、お母さっ……な、何をっ? 何を見せられたのっ?」

 慌てた様子の彼女は、まくしたてるようにして続けた。


「そ、そのアルバム。……僕と日立さんが映っている写真を見せたかったらしいんだけど、なかったから、それで……」

「ほっ、他にはっ? 他には何も見てないよね? そうだよね?」


 …………。うーん、日記を勝手に読んでしまったんだけど、言うべきなのか否か。アルバムは許容範囲だとしても、日記はまずいよなあ……。見た後に言うのも変な話だけど。


 しばらくの間、僕が答えに詰まっていると、カアと顔を赤くさせた日立さんが、

「……もしかして、机の上に置いてあった日記、読んだ?」

 恐る恐る、といったふうに尋ねた。


 ……多分、ここでしらばっくれても無駄だろうから、僕はゆっくりと首を縦に振る。と、

「ううう、よりによってたっくんに読まれちゃうなんて……恥ずかしいにもほどがあるよ……。もしかして、全部? 全部読んだの? ねえ、どうなのっ?」

 へなへなとその場で小さく丸まる日立さん。さながらカタツムリみたいだ。


「い、いや……全部は読んでないよ。ちょっとだけ、ほんの、ちょっとだけ──昔、僕に何があったのか、それを知りたかった。それで、つい」

 そう説明はしたものの、画面に既読がついただけで、日立さんから何も返事はない。


 ……やっぱりちょっと怒っちゃったかな。日記なんて、プライベートの極みだし、やっぱりそういう反応になっても……。

 なんて考えていると、ピロリン、とスマホが通知を鳴らした。


 そこには、「いいよ」とだけ書かれた日立さんからの返事が。

 へ……?


 いきなりのことだったので、僕はまじまじと日立さんのことを見つめてしまうと、

「くふふっ、たっくん気に病み過ぎだよ。いいよ、そんなに怒ってないから。ちょっとからかっただけだから」

 彼女は可笑しそうに鈴の音を鳴らすみたいに笑ってみせては、


「……見えなくても、聞こえなくても、たっくんが今ちょっと落ち込んでいることくらい、わかるよ」

 と、対照的に小さな声で呟いてみせる。


「……そ、そっか」

「うん。そうだよ。……だって、私はたっくんの幼馴染だからねっ」

 ……あどけない表情で笑う彼女が、とても綺麗に見えた。


 この一瞬も、今した会話の端々でさえも、あと少ししたら、日立さんは忘れてしまう。

 それがどうしようもなく辛くて、苦しくて、でも。


「……そろそろ本題に入ろうか。時間もないことだし」

 これは、全部日立さんが一度経験したこと。……僕も、それを受け入れていかないといけない。


「……うん、そうだね。じゃあ、小さい頃の写真からいこうか」

 日立さんは、床に座る自分の膝の上に、一冊のアルバムを置いて、あるページを開く。そこには、幼少期の頃の、僕と日立さん、それに両方の両親が広場で並んでいる写真が。


「これはね、幼稚園のときに──」

 そうして、僕は日立さんから、僕らが紡いできた思い出の数々を教わった。どれもこれも、日立さんが話すととても感情豊かに聞こえて、ただの写真のはずなのに、それにひとつ、気持ちが混ざって見えるようになる。


 ……覚えていないのに、僕も、そこにいたんだって、そんな気分に、させられる。


 写真だけ見ても、きっとこうはならない。ひとえに、日立さんのおかげだ。終始楽しそうに過去の出来事を話していく日立さんの横顔を眺め、思い出を受け取っているうちに、日は暮れて、全部のアルバム分が終わったのは、夜になってからのことだった。


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