第43話 彼女と僕の荷物のバトンタッチ

 いつもより、どれくらい余分に時間がかかっただろうか。幸い、おまわりさんに見つかることはなかった。しかし、余計なことを考えている余裕などなく、神社に着いた瞬間、僕は自転車を駐車場に放り出した。


「私先行きますっ!」

 荷台に乗っていた分、小木津さんのほうが先に動き出すことができたみたいで、いちはやく日立さんがいるであろう境内へと駆け出していた。


 僕も数拍遅れて彼女の後を追うと、

「やめてっ! 茉優っ!」

 そんな叫び声が近くに響き渡った。


「……ビンゴ、か」

 当たっては欲しくなかったけど、小木津さんがそう言うってことは、日立さんは日記通りの行動を取ったわけだ。


 僕は小木津さんの声がした境内の隅、太陽の直射が厳しい普段人が歩かないようなエリアに足を踏み込んだ。

「光右……いたんだ……」

「……廻……」


 そこには、険しい顔つきの光右と、地面の上に座り込んでいる日立さんが先客でいた。

「……ごめん。僕、昔のこと、少し気づいちゃった……。光右は隠そうとしてたみたいだけど」


 日立さんは無反応のあたり、やはり僕の声姿はもう感知できていないみたいで、視線が同じタイミングで出てきた小木津さんにだけ向いている。

 光右は光右で、僕の言葉を聞いた瞬間、ハハハ、と自嘲するような乾いた笑い声をあげる。


「……まあ、日立がこうなった時点で、いずれ気づくって思ってたよ。……そういう意味じゃ、俺がしてたことも、間違いだったな……」

「……え、た、たっくんここにいるの? そうなの?」

 僕と光右が話し始めたことで、ようやく日立さんが僕の存在に気づいた。……といっても、この場に「いる」ってことがわかっただけだろうけど。


「……いるよ、廻ならここに。日立の目と鼻の先に、きっちりと」

「っ……」

 光右の説明を聞いて、日立さんは僕がいる方向に目線を向ける。……向けるだけで、焦点は僕には合っていないけど。


 そして、僕が見えないというどうしようもない現実を目の当たりにしている日立さんは、悔しそうに、そして何より悲しそうにして、唇を嚙みしめつつ嗚咽を漏らす。


「……駄目だよ、茉優、そんなことしたって、思い出が守られるわけじゃない──」

 ほんの一瞬。僕ら四人の間に静寂が訪れたのを機に、小木津さんが切り出した。しかし、日立さんもすぐに言い返す。……いや、言い返すというよりかは、もはや自問しているのかもしれない。


「じゃあどうすればいいの? 何をしたら、私はっ」

 好きな人のことを、忘れずにいられるの?

 声にならなかった言葉は、そう放っているように見えた。


 ──忘れられるっていうのは、場合によっては忘れるより辛いかもしれないんだから。


 いつしか、光右は僕にこんなことを言った。

 ……ああ、なるほど。この言葉は、僕に向けて言ったものじゃない。


 あのときの、もう僕が覚えていない、遠い昔の、日立さんに向けて言った言葉だ。

 そして今、まさしく現在進行形で苦しんでいる、日立さんに向けて言った言葉だ。


 彼女は、僕がこうなったせいで、色々なものを背負うようになってしまった。……だって、そうじゃないか。

 僕と日立さんという関係性に絞って言えば、過去の僕っていう存在は、全部日立さんに預けている。


 僕のなかで、過去の僕はもう死んでいる。

 つまるところ、日立さんのなかで生きている僕が死んだ瞬間、僕と日立さんが出会ってから十五歳までの出来事が、全てなかったことになってしまう。


 これが、忘れられた日立さんが、今忘れることを拒んでいる最大の理由だ。


 だから、どうにかして忘れたくないと必死にもがこうとしているわけで。

 ……ひっくんとたっくん、そして彼女自身、三人分の記憶を背負わされた、日立茉優ひとりで抱えるにはとてもじゃないけど重すぎる荷物を、強引に奪われようとしているわけで。


 日立さんの無言の問いに、光右も小木津さんも返すことはできない。……ふたりだって、本当はどうにかしたいはず。どうにかしたいって思っているから、今この場にいるんだ。

 ……それは、僕だって同じわけで。


 健気な幼馴染の、どうしようもない願いごとを、叶えられるのはきっと──

「……日立っ、とにかく一回落ちつっ……け、って、め、廻……?」

 年長者らしく、一旦場を収めようとしたのだろうか、しかし光右の言葉を遮るタイミングで、僕はゆっくりと日立さんのもとに歩み寄る。


「……た、たっくん……?」

 そして、そっと彼女のすぐ隣に座って、

「……へ……?」

 ぎゅっと、小さくて柔らかい、少し土にまみれた手を握りしめた。


 多分、日立さんは僕が触っているってことはわからないはず。勝手に手が動いたなあ、くらいの感覚だろう。

「……僕が、覚えるから。だから……なかったことになんて、させない」


 叶うなら、思い出を守る、くらいのことを言ってあげたい。それが最適解だ。でも、できないことをできるって嘘をつくほど、僕は馬鹿ではない。

 これが、僕ができる、最大限のこと。


「……た、たっくん? な、何か言ったの? わ、私聞こえなくてっ……あ」

 当然、日立さんにこの声は届かない。僕は、反対の手でスマホを取って、日立さんに今言ったことそのままの内容をラインで送信した。


 じきに、既読のアイコンがスマホの画面に滲み出た。

「……忘れる前に、教えて欲しいんだ。僕と、日立さんの間にあったこと、全部。……そうしたら、今度は僕が、日立さんの幼馴染として、初めて、会いに行くから」

「……そ、そんなの……でもっ……」


 スマホのトーク画面は一方通行。されど、取っている会話は双方向。間違いなく、伝わっている。届いている。見た目は歪かもしれないけど、確かに、僕らは繋がっている。


「……僕が忘れたせいで、余計な荷物持たせて、ごめん。……それ、今度は僕が持つから。だから……もう、そんな顔しないで……」

「……うっ、ひっぐ……」

「小木津さんの言葉じゃないけど、でも。……やっぱり、日立さんは、笑っているときの日立さんのほうが、全然いい」

「……うん……」


 彼女の涙が収まって、埋めかけた写真の入った缶を再び自転車のかごに戻したのは、それから一時間くらいが経ってからのことだった。

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