第36話 幼馴染に起こっていることについて話し合う
「……なんでここに神立先輩がいるんですか」
一時間後。ようやくまともに話せるようになった小木津さんは、荒れた息を僕の隣の椅子に座って整えている光右に冷めた様子で聞く。
「グラウンドで練習してたら、すごい形相で日立が自転車飛ばしているの見て。あんなの誰だって目には入る。……泣きながら自転車走らせているの初めて見たよ……。それで、何かあったんじゃないかって思って腹痛いって言って練習抜けてきた」
「……ほんと、そういうところは注意力高いですよね」
「お褒めにあずかり光栄です」
……まあ、親友の敵は自分の敵、って要領なのか、光右と小木津さんの会話はあからさまに棘が混ざっている。もろに掴むと、手を切ってしまいそうになるくらいには、大きな大きな棘が。
「……いずれ神立先輩にも知れ渡ることなので、もういいです。高浜さん。……街に伝わる、
もう諦めました、とため息をついた小木津さんは、僕のほうを向いて、重々しい口調でそう言う。
……恋忘って……いつか日立さんが神社で教えてくれた、あの伝承のこと……?
「神社の話なら知っている、っていうか……、日立さんから聞いたけど、呪い、は初めて聞いた……」
「……やっぱり」
「え?」
ぼそっと打った小木津さんの相槌に僕が反応すると、彼女は何でもないように首を振って似合わない愛想笑いを浮かべる。
「いえ、なんでもありません」
隣に座る光右は、今の一言で何かを察したようで、口を半分開けては小木津さんの話の続きを待っている。
「……神社の伝承は、あれはしっかりとした歴史です。石碑まで立っています。でも、これから話すことは、単なる都市伝説に近いというか……。他の街の人に話したら、迷信だよって笑われてしまうようなことで」
呪い、都市伝説、迷信……。どれもふわふわとした手触りで、本当にあるかどうかわからないもの。そんな、限りなく不透明な、だけど、僕にはよく見えない何かに、得体の知れない恐怖のようなものを抱きだしていた。
「……街では、恋忘病、って言えばある程度通じます。茉優は、恐らくそれにかかっています」
な、何それ……。
それが、真っ先に浮かんだ感情だった。馴染みのない病名や医学用語をつらつらとお医者さんから並べられるのに近いものを覚える。
「……だから、あれほど廻とは関わるなって言ったんだ」
すると、突然忌々しげに光右が言葉を吐き捨てた。光右の発言に反応した小木津さんは、雷に打たれたように席から立ち上がって、さっきの焼き直しみたいにまた語気を強め、
「ど、どういう意味ですかっ! 茉優がこうなるの、わかってたってことなんですか!」
座ったままの光右に詰め寄る。
「……んな訳あるかよ。俺は未来予知者でも超能力者でも、ましてや全てを悟った神や長老ですらねえ。こうなるとは思っていなかった。でも、良くないことになるとは思ってたんだ、日立と廻が関わると」
対照的に、光右は落ち着いた口調のまま、淡々と激高している小木津さんに言い聞かせる。
「……ごめん、全く僕は話についていけてない。恋忘病って具体的に何なの? 日立さんに何が起きているの?」
一度間が空いたのをタイミングとばかりに、僕はふたりの間に割り込んで質問する。
「……雑に言えば、文字通りだよ。恋を、忘れる呪いさ。ただ、それにも手順ってやつがあるみたいで……、五感が溶ける、って表現が適切かな」
質問に答えたのは、未だ冷静を保っている光右だった。席を立ちあがって、ぐるぐると図書室のなかを歩き回りつつ回答を口にする。
「五感が溶ける……?」
「……最初は味覚。次に嗅覚、触覚、聴覚と続いて、最後は視覚。……その呪いにかかると、今言った順に、自分が恋をしている相手に対する五感が順番に機能しなくなっていく──溶けていくんだ」
「……あ」
さっき、日立さんが僕の言葉を無視していたのは……。無視していたのではなく、そもそも聞こえていなかった、ってこと?
「……それにかかったら最後、文字通り恋を忘れるまで症状は続く。……それなら、自分が恋している相手を嫌いになれば解決するんじゃないかって説もあるけど。……そもそも、そんな簡単に諦められるような軽い恋をしている奴に、その呪いはかからない、らしい。だから、そうそう発生するものでもないんだけど……」
……ここ最近、日立さんが僕のことを声だけで起こしていたのも、僕に触れないから……なのか?
体育祭の日、わざわざ僕に制汗剤の種類を尋ねたのも、もしかして──
聞けば聞くほど、心当たりのある場面が出てくる。
「……それで? 今、日立はどこまで進行しているんだ?」
「……恐らく、聴覚まで」
苦しげに絞り出した、掠れた小木津さんの声は、憔悴している。
「もう終盤じゃねえかよ。……いいか廻。胃がねじれるようなしんどい思いをしたくなかったら、今すぐ日立からは手を引け。……正直解決になるかなんてわからないけど、それしかない」
歩き回っていた光右は、僕のもとにやって来ては、肩にポンと手を置いて耳元でそう囁く。
「……忘れられるっていうのは、場合によっては忘れるより辛いかもしれないんだから」
そう言い、光右は図書室を後にしようとする。
「ちょ、神立先輩、どこに行くんですかっ!」
「……一応俺、トイレに行ってることになってるんだよ。あまり長くなると余計な心配かけるし、そろそろ練習戻らないと。……安心しろよ、俺だってそこらへんのデリカシーはわきまえているから、誰かに言いふらしたりなんてしねえよ」
じゃあな、と言い残し、光右は部活に戻っていった。
「……なんでまた……こんなことに……」
小木津さんの悲鳴が、ボソボソと、沈んでいくような大きさで放たれる。
まだ陽は高いのだけど、西の方角から雲が流れ込んで来ている。
これから夏本番、ってときに、僕らは、とんでもない問題に直面してしまっていたんだ。
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