第32話 大雨のなか、幼馴染の様子がどこかおかしい

 テスト三日前の金曜日。この週末を過ぎるといよいよ期末テストという日。

「たっくーん、朝だよー」

 例によって日立さんが朝、僕のことを起こしに来たけれど、彼女の表情はやはりどこか冴えない。

「ん、んん……」


 普段なら、体を揺らしたり、肩を叩いたり、なんらかのアクションと一緒に僕を起こすはずなのに、今日に関しては声だけだったし。

「……お、おはよう……日立さん」

 それでも、そもそも寝起きがそんなにひどいわけでもないので、僕はあっさりと起きる。

 ごしごしと目をこすっては、タオルケットを体から剥して立ち上がる。


「そっ、それじゃあ私、もう行くからっ」

 まだ意識が安定する前に、日立さんはそう言って、すぐに僕の部屋から出て行ってしまう。どこか、よそよそしい雰囲気を携えて。


「う、うん……気をつけて……」

 ふと、視線を窓先に映っている空に移すと、そこには雨は降っていないにせよ、ちょっと憂鬱になってしまいそうなくらい、厚くかかった雲が浮かんでいる。


「……雨、降らないといいけどなあ……」

「廻―、朝ご飯よー」

 少し空のご機嫌を窺っていると、一階から母の呼ぶ声がする。


「はーい、今行くー」

 スマホアプリの予報では、一応雨は降らないことになっているけど、折り畳み傘くらいは持っていくか……。

 そんなことを考えながら、僕はリビングへと降りていった。


 予報は予報だけど、気まぐれで雨が降ることもあるだろう、という判断で今日は自転車ではなく徒歩で登校することにした。無論、降らないに越したことはないけど、自転車に乗って雨に降られたらそれこそ悲惨なことになる。遅刻ギリギリなわけでもないので、のんびり向かう。


 結果、途中で小木津さんと会うこともなく、普段よりちょっと遅い時間に学校に到着した。教室に入ると、

「おはよう、廻。今日はゆっくりなんだな」

 真っ先に光右が僕に声を掛けに来る。


「……雨降りそうだったから」

「予報は曇りなんだけど、なんか不安になる天気ではあるよな、まあその気持ちもわかるわ。他のチャリ通の奴も軒並み徒歩に切り替えているし」

「テストの勉強はどう? 週明けからだけど」

 僕は、教科書などを机のなかにしまっては、自席に座る。


「まあ、ぼちぼちって言ったところかな。一番やばい数学はこの間廻に教えてもらったからなんとかなりそうだし」

「それはよかったよ。他の教科は何も教えてないんだけどね……」

「他はなんとかなる。気合でな」


 ちょっと開き直り気味に笑ってみせる光右に、一抹の不安を覚えた。……それ、赤点フラグなのでは……?

「まだ土日もあるし、部活も休みだし、その間にどうにかしておくよ。だから、廻が心配することじゃないって」

「……そ、そっか……」


 この日の授業は、何事もなく過ぎていった。昼は佐和君も混ざって一緒に食べたし、テスト直前ということで、自習時間になる授業が多かった。


 なので、気がついたら六時間の授業は全部終わっていて、放課後を迎えていて、

「……降り始めちゃったか……」

 教室の窓を眺めると、懸念していた通り、外はしとしとと細長い雫が音を立てて地面に降っていた。


「廻、俺今日部活の奴らに誘われて一緒に勉強することになったから、今日は廻と帰れない、悪いっ」

 僕が帰る準備をしていると、光右は両手を合わせそう言い、頭を下げた。

「ううん。いいよいいよ。それじゃ、また来週ね」


 僕は気にしてない、と手を横に振って、光右を置いて教室を出る。真っすぐ生徒玄関に出て、用意しておいた折り畳み傘を差してひとり家路へとつき始めた。


 放課後すぐということもあって、まだ学校近くを下校している生徒の数はまばらだ。雨が降っているし、光右みたいに学校に残って勉強する人ももしかしたら多いのかもしれない。


 自転車だとあっという間に通過してしまう通学路も、徒歩だとじっくり風景を眺めながら帰ることができる。普段なら視界をさらっと撫でるだけの景色も、歩道の脇に植えられている向日葵の俯き具合や、コンビニののぼりも、よく見える。

 ちょうど今は、人気のアニメとのコラボ企画をやっているのか……とか。


 次第に雨脚は強まってきて、折り畳み傘では心もとなくなるレベルにまで激しくなってきた。

「……こんなに降るんだったら、天気予報も雨にしてくれていいのに」

 なんて呟くと、口に雨が入ってくるくらい。制服のズボンは裾がもう湿ってしまっている。


 自転車にしなくて正解だった、と内心思いつつ、僕は家に向かう足取りを少し速める。折り畳み傘があるとはいえ、こんな大雨のなか歩きたいとは思わない。風邪を引いてテスト前最後の土日を溶かすわけにはいかないし。


 途中にある、たまに日立さんと一緒に寄る神社のある交差点に僕は差し掛かった。何気なく視線を神社に飛ばすと、思わず二度見してしまう光景が、そこにあった。

「……え? あれ、日立さんの自転車……?」

 駐車場の隅に停められているのは、見慣れたピンクのフレームの自転車。


「……日立さん、ここにいるの……?」

 もしかして、雨宿りでもしているのだろうか。自転車で帰る途中だったけど、雨が降って避難しているとか。


 それはあるかもしれない……。一応、様子だけ見ておくか……。もしびしょ濡れのままだったら、大変だろうし……。念のため、カバンにタオルは入れてきているから……。


 砂利混じりの駐車場を通って、僕は境内へと入り日立さんを探す。

 まず真っ先に、本殿の屋根がついているところに視線をやったけど、すぐに見つけることができた。木でできた廊下の床に、ちょこんと腰をかけて、なんとなく空を見上げている日立さんの姿を。


「……何しているの、こんなところで」

 僕はそんな彼女のもとに近づいては、隣に座ってそう話しかける。


「ひっ──た、たっくん? な、なんでっ……?」

 いきなりの登場に驚いたのか、日立さんは両手を後ろに持っていって、上向いていた目を見開いてまじまじと僕のことを見つめる。


「なんでって……駐車場に日立さんの自転車があったから。雨宿りでもしているのかなって……。それに、肩すごい濡れているよ……?」

 雨に打たれてほぼ透明になってしまっている制服のワイシャツを見て、僕はカバンからタオルを差し出す。


「……あ、ありがとう……」

 タオルを受け取った日立さんは、気恥ずかしそうにお礼を呟いて、濡れた制服や髪を拭き始める。


「……朝から空模様良くなかったけど、自転車で強行したんだね」

 その間、僕は特にすることもないので、手近な話題でも振っておくことに。

「う、うん……。天気予報は曇りだったし、降水確率も低かったから……。降るにしても、こんな大雨になるなんて思ってなくて……」

「……まあ、僕も正直ここまで降るなんて思ってなかったのは同感だけど……」


 未だ弱まる気配のない雨をため息とともに眺め、俯いてしまっている境内に咲く花々に意識を移す。

「それで、どうするの? このまま雨弱くなるまで待つつもり?」

「それしか……ないよ。傘もないし……」


 右隣に座っている日立さんには目を向けないよう、僕は話を続ける。……ほら、色々あるんだ、雨に濡れていると。

「僕、折り畳みはあるから、それに入ってく? ちょっと狭いけど」

「でっ、でもっ……。私自転車も押してかなきゃだし、それだとたっくんが……」


 どうやら自転車を押す自分を入れることで、僕が濡れることを心配したのか、日立さんは僕の誘いを固辞する。

「……雨が弱くなる保証もないけど」

「たっ、たっくんが風邪引いちゃうよりはいいよっ」

「……雨に濡れた服でこんな寒いところにいても、日立さんが風邪引くだけだと思うけど」


 文字通り、見ていられないほどびしょ濡れになっているんだ。早いところ家に帰って着替えるなりお風呂に入るなりしないと。

「……ほら、帰ろう? 少し濡れるって言ったってせいぜい二十分くらいの話だから、大丈夫だよ。それより、日立さんがここに居続けることのほうが──」

 僕が手にしていた折り畳み傘を広げて、隣に座っているはずの日立さんに向けて右手を差し伸べたそのとき。


「──いっ、いいよっ! 私自分で帰るから! タオルありがとっ!」

 突然、降りしきる雨を切り裂くくらいの大声で彼女は叫び、荷物を乱雑に肩に提げては本殿から走り去っていった。使ったタオルは、丁寧に畳んで廊下に置いたまま。


「えっ、ちょっ、日立さんっ! それはまずいって! ……って、あれ……絵馬?」

 小さな背中が向かうのは、駐車場。どうやら、バケツをひっくり返すくらいの大雨のなか、自転車に乗って帰るつもりのようだ。

 それに、彼女が後ろ手に持っていたのは、この神社の絵馬。


 ……さすがに、定期テストレベルで絵馬に書いてまでお願いをするとは思えないし、何か別のお願いをしようとしていたのかもしれないけど……。

 もしかして、僕が現れたとき、両手を後ろにやろうとしていたのは、絵馬を隠すため……?


「そんなこと考えている場合じゃないっ、さすがに止めないとっ!」


 一瞬走り始めた思考をすぐに止め、僕は慌てて日立さんの後を追う。しかし、一歩の出遅れがかなり響いたのと、傘を差しているということもあって彼女に追いつくことはできず、あっという間に自転車に乗った日立さんは、交差点の向こう側へと走っていってしまっていた。


「なっ、なんで……。いつもだったら……傘入るだろうに……」

 そんなに、光右の言うこと聞かないと、いけないのか……? これまでずーっと無視してきたのに……?


 浮かび上がってきた疑問は、なかなか消えることはしてくれず、とぼとぼと歩く帰り道の間、ずっと頭のなかにこびりついて残っていた。

 家に着いたときに、隣の日立さんのところに彼女の自転車を見つけて、それだけはホッとすることができた材料だった。

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