第31話 僕が幼馴染の面影をついつい探してしまう
テストも近くなると、普段はどこか弛緩している教室の雰囲気が張り詰めるというか、なんというか。先生は指定したテスト範囲を早く終わらせたいって思うし、夏休みに補習があるかないかはこの期末テストで赤点を取るか取らないかにかかってくるので、自然と真面目に授業を受ける人の数が増える。……まあ、普段からそうしておけよって指摘は正しいと思うけど、高校生なんてそういうものだとも思う。……日立さんとか見ていてもそう感じるし。
「それじゃ、テストは今日やったところまでが範囲だからー。問題集の提出範囲もそこに準じるから、ちゃんとやっておけよー。じゃ、今日は終わり―」
四時間目の数学の授業が終わって、先生が教壇を降り教室を出て行く。それと同時に昼休み開始を知らせるチャイムが鳴り響いては、
「……廻、今日やったところ、わかったか?」
やや青ざめた顔つきの光右が、僕の席へとやって来た。
「……まあ、とりあえずは」
トントンと、机の上で教科書とノートを揃えて、僕はカバンのなかにしまおうとする。
「俺、授業聞いてたけどチンプンカンプンでさ……」
「俺もだよ、神立……」
「佐和もか……」
光右が真っ青になっていると、それにつられたのか佐和君まで僕らの周りに集まってきた。
「赤点取ると、その間部活に出られなくなるからさ……このままだとやばいんだよな……」
「取ったら顧問がキレるから……ひい、おっかねえ」
ガクガクブルブルと白目を剥いて赤点を取ったときのことを想像する運動部の光右と佐和君。
「……神立、今日サッカー部は?」
「休みだぜ。陸部はどうよ」
「……休みだ」
「「……決まりだな」」
すると、がっちりと固い握手を交わして僕のほうを向くふたり。
え? な、何が決まったの? ぼ、僕何も知らないんだけど……。
「廻、今日の放課後暇か? 暇だよな?」
トントンと肩を叩きつつ、どこか作ったような笑顔を浮かべる光右。……言外に、もう日立さんとは一緒に帰ってないから予定ないよね、っていう圧を感じる。
「……う、うん。暇……だけど?」
「先生役確保だ。これで赤点は回避に違いない」
「やったなっ、神立」
「というわけで廻。……わかんないところ、教えてくれっ」
「え、あ……は、はい……わかったよ……」
実際、暇なのは確かだし……。まあ、いいか……。
そうして、この日の放課後は光右と佐和君にひたすら数学を教えるということをして過ごすことになった。赤点は取らないに越したことはないし、ふたりも理解は早いほうだったので、それほど苦労することもなかった。
「……うわ、もう完全下校の時間かよ。そろそろ終わりにするかー」
下校の予鈴が鳴り響いたのを聞いて、光右がグーっと座ったまま伸びをする。
「そうだな、まあ、テスト範囲でわからないところは大概高浜に教えてもらったし。これで数学の赤点は回避したな、ありがと、高浜」
「今度廻にラーメンでも奢るよ、今日のお礼で」
「そんじゃ俺はアイスかな」
帰る支度を整えつつ、光右と佐和君は口々にそう僕に言う。
「え、べ、別にいいよ、そんな」
「いいっていいって。そんな千円もするものじゃないし。それに、運動部にとって赤点回避はまじで至上命題だから、勉強教えてくれる奴は崇め奉らないとバチが当たるし」
「ば、バチって……」
「神様は見ているからなー。受けた施しはきっちり返すのが礼儀ってもんよ。夏休み、どっかで駅前のモールでな?」
佐和君は、そそくさと荷物をカバンにしまっては、肩にエナメルバックを提げる。
「ほら、さっさと帰らないと見回りの先生に急かされるぜ、神立」
「おお、そだな、帰るぞ、廻」
「うっ、うん……」
サッカー部陸上部帰宅部という、なんともでこぼこな組み合わせの帰宅。まあ、そもそもが帰宅部とサッカー部が仲良くしているっていう不釣り合いさはあるから、この際気にしないでおこう。
夕方の五時半。窓から少しオレンジ色が差し込む廊下を、三人で笑い合いながら歩いていく。伸び切った影の後ろ、髪を引っ張られるように僕はちょくちょく振り向いてみるけど、当然そこには誰もいるはずもない。
……隣に彼女がいるのが当たり前になっていたから、こんなふうに思わず姿を探してしまう。軽やかな声音で話す、ほんわかとした年下の幼馴染のことを。
「……廻? どうかしたか?」
そんな僕の様子を見て気にしたのか、下駄箱のところで光右が僕に声を掛ける。
「……なっ、なんでもない。なんでもないよ……」
「そっか」
ありもしない未練を振り払うように、僕は努めて笑みを浮かべては、並んで上靴から外靴に履き替える。
「……日立のこと、気にしているのかと思った」
「…………」
去り際に光右に言い放たれたこの一言。それだけで、僕の心にくさびを打ち込むには十分だった。
……光右は、本気だ。一瞬の隙間さえ、僕と日立さんの間には許さないつもりだ。
「……ははは。そんなのじゃないよ。僕、先に自転車取りに行ってるから。ふたり先に行ってていいよ。同じ方向だよね? すぐ追いつくから」
本音は光右を裏切っている、という後ろめたさで、ちょっとでも彼と距離を取りたいと思ってしまった僕は、早足でふたりの前に出て、そう告げる。
「オッケー、じゃあ先行ってるわ」
佐和君の一言を聞き、僕はすぐに自転車置き場へと向かう。徒歩通学のふたりは、僕を置いて一足先に校門を出た。その間に、僕は自分の自転車を探すのだけど、それと合わせて、つい、見つけようと思ってしまう。
彼女の、ピンク色のフレームでかごがついた自転車を。
多分、先に帰っているからだろう、見慣れた自転車を見つけることはできなかった。
あまり遅くなっても不自然なので、ほどほどのタイミングで僕はスタンドを蹴って、自転車のペダルを回して、先行したふたりを追いかけ始めた。
……十分前よりも影はより色濃く、そして細長くなっていて、夏とは言え、日没の時間が近づいていた。
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